西国街道④・暗越奈良街道①
2010年12月26日
門戸厄神駅(阪急今津線)・・・道標・常夜灯・・・男坂・女坂・門戸厄神(東光寺)・・・やくじんさん筋・・・西国街道・・・豊乗寺・・・国道171号・御手洗川橋・・・旧道・・・(阪急神戸線)・・・(JR神戸線)・・・(国道2号)・・・(阪神本線)・・・角之橋(六湛寺川)・・・正念寺・中国街道・山陽道合流地点・・西宮宿・・高札場跡(札場筋交差点)・・蛭児大神御輿屋伝説地・・・西宮神社・・・西宮駅(阪神)→梅田駅・・・東梅田駅(地下鉄谷町線)→天満橋駅
天満橋駅・・・八軒家船着場跡・・・熊野街道入口碑・・・(中央大通り)・・・太閤下水跡・・・南大江公園・坂口王子伝承地(朝日神明社跡)・・・榎大明神・・・(谷町筋)・・・(上町筋)・・・東雲稲荷神社・・・(玉造筋)・・・(JR大阪環状線)・・・国道308号・・旧道・・二軒茶屋跡・・・矢田地蔵・・・八阪神社・道標・・・浄林寺・・・玉津橋(平野川)・・・(今里筋)・・・熊野大神宮・・妙法寺・・・底谷地蔵・・・道標・・・国道308号・・・今里大橋・・・(国道479号)・・・深江稲荷神社・・・中高野街道交差地点・・・布施柳通交差点・旧道・・・(JR大阪東線)・・・高井田地蔵・・・道標・・・小阪北口交差点・・・河内小阪駅(近鉄奈良線)
今日は有馬記念で、今年最後の中央競馬の開催日だ。西宮北口駅から阪神競馬場のある仁川駅に向かう阪急今津線は混んでいた。門戸厄神に寄ってから西国街道に戻り、中国街道・山陽道との合流地点まで行く。そして山陽道を少し進み西宮神社まで歩く。すぐ大阪へと引き返し、大阪と奈良を結ぶ最短の街道の暗越(くらがりこえ)奈良街道を歩き始めた。江戸時代の起点は二軒茶屋のあった玉造で、明治時代には高麗橋が起点となった。高麗橋から熊野街道入口碑までは京街道で歩いているので、八軒家船着場跡から熊野街道入口へと進み、東大阪、暗峠、生駒から奈良へと東に向かう。
もとは西国街道沿いにあった門戸厄神東光寺への道標。
男坂の42段の石段
本尊は薬師如来像で、厄神堂に愛染明王と不動明王が一体となった「日本三体の厄神明王」の一つを祀る。
西国街道に戻り西宮神社を目指す。途中にはあまり見どころはない。
中国街道・山陽道合流地点 【ル-ト地図】の18
右の正念寺の角を右折して西宮宿に入るが、その面影はない。札場筋との交差点に高札場があったようだ。『山陽道(西宮駅→神戸駅)』に続く。
蛭児(ひるこ)大神御輿屋(おこしや)伝説地 【ル-ト地図】の19
「蛭子神」とは、西宮神社の祭神のえびすのこと。漁師の網に掛かった蛭児神像が御輿に乗って西宮神社の地に向かう途中、疲れてここで休み昼寝をした。ところが蛭児神がなかなか起きないので、尻をつねって起こしたという。祭りの日には、女性のお尻をひねる習慣が大正時代まで残っていたようだ。御輿(おこし)と「起こし」が掛詞になっている?
西宮神社 【ル-ト地図】の20
***ここから暗越奈良街道①***
下を下水が勢いよく流れて行くのがガラス越に見える。
『熊野古道』沿いの(九十九)王子の一つという伝承地。王子とは熊野権現の化身として、熊野詣の巡礼者を守護する御子神を祀った社で、休憩所、宿泊所にもなったようだ。
榎大明神(正面) 《地図》
ここも王子跡、一里塚跡とも。手前の四辻を左折する。
東雲稲荷神社境内 《地図》
道標(文政4年(1821))には、「左 なら 伊勢・・ 大師・・」とある。
右は「南組相続講」で、門徒の財産を次の世代に引き継ぐ宗教集団組織のようなものらしい。
街道の南北に明治の中頃まで、「つる屋」と「ます屋」の2軒の茶屋があった。江戸時代にはここが暗越奈良街道の起点で、人々の見送りや休憩所だった。
矢田地蔵 《地図》
浮彫の地蔵の下部と右側面が道標になっていて、「矢田地蔵尊 此より東」・「従是 二リ松原 一リ余くらがり峠 一里余小瀬 一リ矢田山」とあるそうだ。矢田地蔵尊は奈良県郡山市の矢田寺のこと。
道標の文字は確認できず。
暗越奈良街道道標(明治35年) 《地図》
ここは高麗橋の道標元標から1里地点。もっとあるような気がするが。
「是れより東へ三町 常善寺」とある。常善寺(大今里1-2)は江戸時代に大坂の 芝居興行と深いかかわりを持っていた寺だそうだ。
ここにも大きな新しい説明板がビルの壁に埋め込まれている。《地図》
「シルクロードの終わるところ」とある。
聖徳太子の開創とされる妙法寺の鎮守社。石山合戦の際、兵火にあったが再建され、江戸時代には大坂城代就任と領内巡視の際には、必ず社参することを慣例とした。
契沖の供養塔(妙法寺境内)
この寺の住職中に「万葉集代匠記」を著したという。左側には師の丰定(かいじょう)、母、兄の墓が並ぶ。契沖の墓は、終焉の地である天王寺区の円珠庵にある。生誕比定地が尼崎城址公園近くにある。『中国街道』に記載。
常夜燈道標(文化3年(1806)) 《地図》
「左 なら いせ」
深江稲荷神社 【ル-ト地図】の⑤
深江は菅笠の有名な産地だったそうだ。右の「摂津笠縫邑跡」は、大和の笠縫邑(崇神天皇6年に、宮中に奉祀していた天照大神を豊鋤入姫に託し、移して祀らせた所)から移住してきた笠縫氏が居住したという伝承地ということだろう。
*****2016年5月追記*****
「四極山 うち越え見れば 笠縫の 島漕ぎ隠る 棚なし小舟」 (高市黒人 万葉集巻3-272)
「四極山」には諸説あるようだ。
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道標 《地図》
「大阪高麗橋元標二里廿丁」・「枚岡一里三十三丁」・「放出停車場三十丁」。放出停車場は北方のJR片町線(学研都市線)の放出(はなてん)駅のこと。
冷たいみぞれ交じりの雨が降り続いているので、早めに小阪北口交差点で切り上げて鶴橋のビジネスホテルに戻り、テレビで有馬記念を観ることにする。どうせ馬券ははずれるだろうが。
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