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2011年1月10日 (月)

西国街道③

2010年12月25日

豊川駅(大阪モノレール彩都線)・・・春日神社御旅所・・・楠水竜王堂・・・小野原地区・・・(府道120号)・・・勝尾神社鳥居・・・(県道119号)・柳谷観音道標・・・北向地蔵・・・国道171号・・・(国道423号)・・・萱野4交差点・旧道・・・萱野三平旧宅・墓所道標・・高札場跡・・・鍋田川橋・・・稲地区・・・国道171号・・・(府道43号)・・・旧道・・・牧落の高札場跡・・・牧落八幡宮・・・牧落踏切(阪急箕面線)・・・浄円寺・瀬川宿本陣跡あたり・・・瀬川宮橋(箕面川)・・・瀬川神社・・・瀬川宮橋・・・野踏切(阪急箕面線)・・・春日弁財天社・・・阪大下交差点・旧道・・・辻の地蔵堂・・・高札場跡・西国街道踏切(阪急宝塚線)・・・正光寺・・・亀之森住吉神社・・・順正寺・高札場跡・・・十二社神社・・・(中国自動車道)・・・弁慶の泉・・・西宝寺・受楽寺・・・国道171号・・・新開橋(箕面川)・(兵庫県伊丹市)・・・浄源寺・・・軍行橋(猪名川)・・・旧道・・・宝剣堂踏切(JR福知山線)・・・坂口橋(駄六川)・・・辻の碑・・北園1交差点(県道13号)・・・伊丹坂・・・和泉式部の墓・・・西皇太神社・・・妙宣寺・・・大鹿地区・・稲野村道路元標・・長勢橋碑・昆陽宿本陣跡あたり・・・国道171号・・・西天神社・・・昆陽寺・・・昆陽里交差点(県道42号)・師直塚・・・西昆陽交差点・旧道・・・髭の渡し跡(武庫川)・・・甲武橋(武庫川)・・・一里山町・・・(山陽新幹線)・・・下大市の道標・・・門戸厄神駅(阪急今津線)

 今日も寒く、大阪の最高気温は5度だった。手袋で鼻水をすすりながら西からの風に向かって大阪府から兵庫県へと進んだ。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0669春日神社御旅所

Img_0668 説明板

Img_0670 楠水竜王堂 【ル-ト地図】の①

楠木正成が延元元年(1336)、湊川に馳せ参ずる途中、ここにあった小庵の井戸で水を汲み飲んだという伝承がある。後に茶店ができて旅人が名水として愛飲したという。井戸は民家の庭にあるそうだ。堂の前の道標(享和2年(1802))には「左京 ふしみ道」と刻む。その右後ろは伊勢神宮常夜灯(寛政8年(1796)建立)

Img_0672 小野原の家並み

Img_0677 勝尾神社鳥居

左右の端に町石が立つ。

Img_0678 説明板

Img_0686 北向地蔵

祠の手前左側には青面金剛庚申塔が立つ。 

Img_0698 萱野三平旧宅 【ル-ト地図】の②

赤穂浪士の一員になれず自害した武士。少し先の左側に三平の墓への小さな道標が立つ。墓はそこから南へ600mほどの墓地に移転されているという。

Img_0702 説明板

Img_0710 高札場跡(三平旧宅の先の左側)

付近に一里塚があったようだ。

Img_0709 説明板

Img_0717 稲地区

右は地蔵の小祠

Img_0724 牧落の高札場跡 《地図

正面右に説明板と2基の道標

Img_0725 道標

Img_0726 説明板

「はっとり」は「服部天神宮」で、『能勢街道』沿いにある。

Img_0734 桜井の旧家

Img_0743 浄円寺 《地図

右に「蓮如上人御由緒地」の石柱。この100mほど先の箕面自動車教習所あたりが瀬川本陣跡だが遺構などは残らず。説明板では半町(はんじょ)本陣で、建物の一部は現存すると書いてあるが。瀬川本陣と半町本陣は並んでいたとも。

Img_0746 説明板

街道から離れ、瀬川2丁目交差点の手前の路地を入り瀬川神社に向かう。途中を右折すると「弁慶の鏡水」の窪地があるようだが保存状態はよくないらしい。

Img_0748 瀬川神社

左は木の根に覆われた小祠。龍が水を飲んで天に昇ったという「龍の井」があるというが見当たらず。

Img_0754 春日弁財天社

北方200m地点に一里塚があったようだ。

Img_0762 辻の地蔵堂

Img_0760 案内図

Img_0766 高札場跡(西国街道踏切の所) 《地図

能勢街道(大坂道・池田道)との交差点。『能勢街道②』踏切を渡った所に地名の起こりとなった石橋が架かっていた。

Img_0763 説明板

Img_0771 正光(しょうこう)寺 《地図

麻田藩の陣屋門という。境内に「夜泣き石」がある。

Img_0770 夜泣き石(右)

「中納言の休憩岩」で、江戸時代に麻田藩主がこの岩を陣屋に持ち帰ったところ、毎晩石が「帰りたい」と泣いたため、正光寺の近くの辻に放置した。その後この正光寺内に移されたという。

Img_0775亀之森住吉神社

豊島郡(豊中市・池田市)の総鎮守

Img_0776 順正寺 《地図

門前が高札場跡

Img_0781 十二社神社

この先で中国自動車道の地下歩道を2つくぐる。

Img_0790 弁慶の泉 【ル-ト地図】の③

長年にわたり農業用水として利用されてきた湧水で、しっかりと丁寧に保存されている。

Img_0786 説明板

Img_0794 桂春団治の碑(受楽寺門前)

Img_0793 説明板

初代春団治が得意としていた『池田の猪買い

 この先の新開橋交差点へ出る道筋が分かりにくい。

Img_0799 浄源寺 《地図

境内の大銀杏(桐とムクの木が寄生)は一里塚的存在だったという。この先に伊丹市指定の入江家・中村家・増田家住宅が並ぶ。

Img_0798 説明板

Img_0806 軍行橋

猪名川の川幅は120間(216m)もあったが、渡し船はなく、松尾芭蕉も歩いて渡った。下流の東側は大阪空港で航空機が頭上を飛んで行った。

Img_0823 多田街道との交差点 《地図

右に「多田道道標」(従是多田御社江一里半)、トラックの後ろに「辻の碑」が立つ。多田神社への参詣道でもあった。東京中野区の鎌倉街道沿いにも源満仲を祀る多田神社がある。

Img_0822 辻の碑

建てられた年代は不明。

Img_0816説明板

Img_0828 伊丹坂を上る。 【ル-ト地図】の④

Img_0829 坂標

Img_0832 和泉式部の墓 《地図

Img_0836 五輪塔(和泉式部の墓)

鎌倉時代後期の造立というから墓というより供養塔だろう。京都府木津川市の山背古道中山道御嵩宿の手前にも墓がある。

Img_0835 説明板

Img_0841 茶碗樋(西皇太神社境内) 《地図

水争いを防ぐための茶碗大の樋口。

Img_0839 説明板

Img_0848 大鹿地区

右の大鹿交流センターに旧西国街道の看板が架かっている。坂上田村麻呂が大鹿を射止めたのが地名の由来という。村の中程に一里塚があったそうだ。

Img_0851 説明板

Img_0854 道標(大鹿交流センター前)

「すぐ 中山 ありま」で、有馬道との交差点。

Img_0862 稲野小学校前 《地図

西国街道の石碑・説明板・能因法師の歌碑『芦のやのこやのわたりに日は暮れぬいづちにいくらむ駒にまかせて』、「こやのわたり」はこの先、武庫川の「髭の渡し」のことだろう。すぐ先に稲野村道路元標がある。

Img_0865長勢橋碑(長勢児童遊園)

元治元年(1864)、蛤御門の変で敗走したがここで踏みとどまって戦ったという。公園北西側の四辻の右側が昆陽宿の川端本陣跡というが遺構は残っていないようだ。

Img_0873 昆陽寺

天平3年(731)に行基が建立した畿内49院の一つ。

Img_0878 師直塚 《地図

この地で討たれた高師直の供養塚。

Img_0879 説明板

Img_0883 髭の渡し跡 【ル-ト地図】の⑤

髭の老人が営む茶屋があったのでこう呼ばれた。明治の終わりに下流に甲武橋が架けられるまでこの渡しは続いた。

Img_0880 説明板

Img_0884 髭の渡し跡から前方の報徳学園方向

Img_0891 今は南に大きく甲武橋まで迂回せねばならない。

Img_0899 下大市の道標 《地図

Img_0900 道標

厄神明王は駅名にもなっている門戸厄神東光寺のこと。左は「すぐか婦と山観音 是より 十五丁」で、甲山大師神呪寺(かんのうじ)への道標。

Img_0904 説明板

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