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2011年1月 7日 (金)

西国街道②

2010年12月24日

大山崎駅(阪急京都線)・・・府道67号・・・山崎宿・妙喜庵・・離宮八幡宮・西国道道標・・関戸大明神・・閻魔橋(閻魔川)・・・水無瀬橋(水無瀬川)・・・水無瀬神宮・・・阿弥陀院・・・中堤橋・・・桜井駅跡(楠公伝承地)・・・島本町立歴史文化資料館・・・(JR京都線)・・・妙浄寺・・・梶原一里塚跡・・・一乗寺橋・・・歯痛地蔵・畑山神社(梶原寺跡)・・・三五郎橋・・・成就寺・・・法照寺・・・桧尾川橋・府道125号・・・春日橋・・・磐手杜神社・・・春日橋・・・磐手杜神社御旅所・・愛宕山常夜灯・・府道67号・高札場跡・・・(JR京都線)・・・安満遺跡・・・(JR京都線)・・・安満新町交差点・府道79号・・・花の井・・・能因塚・・・文塚・・・不老水・・・日吉神社・・・伊勢寺・・・上宮天満宮・・・昼神車塚古墳・・・芥川宿・仇討の辻・・芥川一里塚跡・・教宗寺・・橋詰地蔵・・芥川橋・・・今城塚古墳・・・太田茶臼山古墳・・・雲見坂・・・太田橋(安威川)・・・(名神高速)・(府道46号)・・・阿為神社御旅所・・・法華寺・・・安養寺・・・幣久良橋(茨木川)・白井河原合戦場跡・・・(府道110号)・中河原地区・・・(国道171号)・・・郡山宿本陣跡・・・鍛冶屋橋(勝尾寺川)・・・春日神社・・・豊川学校道標・・・山下橋(勝尾寺川)・・・国道171号・・・ぼろ塚・・・豊川駅(大阪モノレール彩都線)

 クリスマス寒波の到来で、晴れた空から時々雪が舞う中を西に、山崎宿、芥川宿、郡山宿へと進む。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0397 妙喜庵

千利休が作った茶室で唯一現存する「待庵」の見学は要予約。

Img_0399 説明板

Img_0402 離宮八幡宮

貞観2年(860)に行基が宇佐八幡神を嵯峨天皇の離宮(河陽宮)に祀ったのが始まりという。平安時代にこの地で始まった荏胡麻づくりは鎌倉・室町時代にさらに発展し、油座の本所となって全国の油の製造販売権を独占し、油の代名詞として「大山崎」の地名が全国に知れ渡った。

門前に「本邦製油発祥地」と「河陽宮故址」の石柱が立つ。

Img_0396 説明板

Img_0408 西国道道標(左の道路標識下) 《地図

「右 西国道」で、元禄5年(1692)という古い物。ここを枡形に曲がる。

Img_0409 関戸大明神

ここが山城と摂津の境で、今でも京都府と大阪府の境。境を守る道祖神的な性格の神社。古代には「山崎の関」が置かれていたという。北側に室町時代の連歌師、山崎宗鑑の屋敷があったそうだ。

Img_0411 説明板

Img_0419 山崎宿の家並み

西国街道の最初の宿。

Img_0421 閻魔橋(閻魔川)

サントリー山崎工場の入口にあった西観音寺閻魔堂にちなむ。明治の神仏分離で廃され椎尾神社となり、現在閻魔像は宝積寺に安置されているそうだ。踏切の手前に西観音寺跡への標柱が立っている。

Img_0422 水無瀬神宮と柳谷観音への道標

西国街道は直進

Img_0438水無瀬神宮 《地図

後鳥羽上皇の水無瀬離宮跡。客殿は国の重文。

Img_0431由緒

Img_0440 離宮の水

名水百選」に指定された湧水で、汲みに来る人が絶えない。

Img_0444 正面に道標(慶応3年(1867))

「右柳谷 左西ノ宮 そうじ寺道」・「右京 伏見 山崎道」 

「そうじ寺」は西国三十三観音の第22番総持寺

Img_0448 桜井駅跡 【ル-ト地図】の①

古代の駅(家)跡。公園になっていて「楠正成父子の決別の場」の石碑などが多い。

Img_0453 説明板

Img_0452 旗立松

これも楠正成父子ゆかりの松跡

Img_0451 説明板

Img_0459 楠正成父子像

「滅私奉公」・「忠君愛国」 嫌いな言葉のベストテンに入るよ。「青葉繁れる桜井の・・・」の歌はこの地のこと。

Img_0466島本町立歴史文化資料館(旧麗天館) 《地図

Img_0476 梶原一里塚跡 《地図

右の地蔵堂(水あがりの地蔵)の所。付近には茶屋があったようだ。

Img_0478 説明板

Img_0486 歯痛地蔵(畑山神社参道前)

由来は分からず。 

Img_0490 畑山神社

右は大クスノキ。7世紀後半に建てられた高槻市最古の寺院の一つの梶原寺跡。神仏分離前は永福寺で、多宝塔は埼玉県の旧ユネスコ村の南側の狭山山不動寺に移築された。

Img_0491 説明板

Img_0494 梶原地区の家並み

Img_0505 磐手杜(いわてもり)神社(春日橋から) 《地図

Img_0509 夜啼石(神社境内)

「安満へ帰ろう」と泣いたという石。

神社北側の名神高速を越えた所に三角縁神獣鏡が出土した安満宮山古墳がある。

Img_0514 高札場跡の西国街道に戻る。《地図

右は愛宕山常夜灯。手前に磐手杜神社御旅所がある。

Img_0519安満遺跡 《地図

弥生時代の環濠集落跡

Img_0521 説明板①

Img_0522 説明板②

 西国街道から離れ「伊勢寺・能因塚コース」を歩く。

Img_0537 案内図

Img_0525 花の井 《地図

水は涸れている。

Img_0526 説明板

Img_0529能因塚 【ル-ト地図】の②

慶安時代中期の歌人、能因法師の墓と伝える。

Img_0530 説明板①

Img_0531 説明板②

Img_0540 文塚

Img_0539 説明板

Img_0541 不老水

今も小祠前からこんこんと湧き出ている。飲めないようだが。

Img_0542 説明板

Img_0549 伊勢寺

平安時代の女流歌人、伊勢の晩年の旧居跡という。能因法師は伊勢を歌人として慕っていてこのあたりに移り住んだとか。

境内には白井河原の合戦で池田勝正に討たれた和田維政の墓がある。

Img_0550 説明板①

Img_0557 説明板②

Img_0551 伊勢

子どもの頃、百人一首の「坊主めくり」で、あでやかな十二単衣姿の伊勢の札をめくれば大喜びし、墨染めの衣姿の能因坊主をめくればがっかりしたものだ。

Img_0559本堂

境内は静かで建物は新しく、明るく綺麗で伊勢姫にふさわしいか。

Img_0564 上宮天満宮

菅原道真の霊を鎮めるため、正暦4年(993)に大宰府に赴いた勅使が帰途、この地で牛車が急に動かなくなった。調べると菅原氏の祖先とされる野見宿弥(のみのすくね)ゆかりの地であることを知り、ここに道真を祀ったという。

Img_0563 由緒

Img_0569昼神車塚古墳(前方部) 《地図

古墳時代後期の前方後円墳

Img_0571 説明板

Img_0581 仇討の辻 【ル-ト地図】の③

討った方、討たれた方も武士道の鑑としてもてはやされたという江戸時代初期の仇討の一件だが、事件の発端が稚児の争奪というから武士道もへったくれもないお粗末な話。

Img_0580 説明板

Img_0584芥川一里塚跡 《地図

Img_0583 説明板

Img_0587 芥川宿の旧家

Img_0588 教宗寺

石槽(石風呂)があるというが、境内に入れず。

北側のJT医薬総合研究所あたりが芥川城址で石柱碑が立つようだ。

Img_0589 説明板

Img_0591 橋詰地蔵(芥川橋手前)

芥川橋の東側に2か所、西側に1か所の橋詰地蔵堂があるそうだが、西側の地蔵堂は見逃したようだ。 

Img_0593嶋上郡衙跡方向(川西小学校周辺一帯) 《地図

西側の素盞嗚尊神社の一帯が郡寺(芥川廃寺)跡で、郡家という地名が残る。

Img_0599 今城塚古墳

全長350mの前方後円墳で真の継体天皇陵のようだ。第7次整備工事中で、これ以上は近づけない。

Img_0602 太田茶臼山古墳 《地図

宮内庁が継体天皇陵として治定する全長230mの前方後円墳だが築造時期、規模などで今城塚古墳を継体天皇陵とするのが通説となっている。

Img_0605 雲見坂を下る。 【ル-ト地図】の④

Img_0606 雲見坂の途中の太田神社への常夜燈(嘉永4年(1851))

Img_0609 西国街道説明板

安威川を渡り、名神高速をくぐった西側あたりに太田一里塚があったようだ。

Img_0615 阿為神社御旅所 《地図

阿為神社は北方1.5kmにある。北側の帝人研究センター敷地内に耳原(みのはら)古墳があるが工事中で公開を中止しているようだ。

Img_0616説明板

法華寺前の西側の題目塔は西国三十三観音の第22番総持寺への道標を兼ねている。安養寺前が高札場跡。耳原大池の東側に鼻摺古墳がある。

Img_0626 白井河原合戦場跡(幣久良橋(てくらばし・茨木川)から) 《地図

河原は血に染まり、唐紅いの流れとなったという。敗れた和田維政の墓は先ほど立ち寄った伊勢寺にある。

Img_0622 説明板

Img_0633 中河原の家並み

Img_0630 説明板

Img_0639郡山宿本陣跡 《地図

忠臣蔵でおなじみ赤穂藩主の浅野内匠頭長矩も泊まった「椿の本陣」

Img_0642 説明板

Img_0645 郡山宿の家並み

Img_0651 豊川学校・勝尾寺道標

豊川学校には川端康成が通っていた。当時は豊川尋常高等小学校。勝尾寺は西国三十三観音の第23番。22番総持寺からの巡礼者が通った道で、近くに巡礼橋がある。ここに高札場と郷倉があったようだ。

Img_0657 ぼろ塚 【ル-ト地図】の⑤

際限なく続く仇討の殺し合いを止めるため、2人で刺し違えて死んだという、徒然草に書かれた「ぼろ」(虚無僧)の話。『徒然草 第115段』(この訳では宿河原を神奈川県川崎市の宿河原としているが、都から遠く離れた所の話ではあるまい)

Img_0659 「ぼろ」塚に似合いの説明板

Img_0663 豊川駅(大阪モノレール彩都線

このあたりに一里塚があったようだ。

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