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2011年2月 3日 (木)

吉備路②

2011年1月24日

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  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1688 板倉宿(山陽道) 【ル-ト地図】の6

鯉山コミュニティハウスが本陣跡

 

Img_1693 平松家

なまこ壁・格子・うだつ(左端)・蔵造りの旧家

 

Img_1694 地蔵堂(真金十字路・板倉交差点)

ここは古来の交通の要衝地。境内には大峯山三十三度供養塔(明和4年(1767))、大乗妙典供養塔(文化2年(1805))などがある。

 

Img_1706 御立埜所碑

明治43年に明治天皇が軍事訓練観閲で、この地を訪れたそうだ。

 

Img_1718 鯉喰神社 《地図

温羅(うら)伝説」の地

 

Img_1717 説明板

 

Img_1714 宝泉寺の赤門、赤屋根

 

Img_1724 石灯籠・地神塔・牛神

県道270号を上って行く。西国は馬より牛だ。

 

Img_1730山陽自動車道をくぐって下りとなる。

 

Img_1741造山古墳へ向かう。《地図

全長350~360mの日本で4番目の規模の前方後円墳。墳丘に上れる古墳としては最大。周囲に6基の陪塚を従えた吉備国の王の墓か。右が後円部。

 

Img_1746 説明板

 

Img_1752前方部から後円部

 

Img_1749 船形石棺(前方部の荒神社前)

神社の周辺に石棺の蓋の残片らしきものもある。

 

Img_1756脚気地蔵の小祠 

 

Img_1759 脚気地蔵は右か?

崩れかかっているようだ。

 

Img_1761 千足の家並み

 

Img_1762 千足装飾古墳(陪塚5号墳) 《地図

横穴式石室内に直弧文の刻まれた石障(玄室内部四方に加工した板石をめぐらした埋葬施設)があるそうだ。

すぐ先の左側に6号陪塚がある。

Img_1773 造山古墳周辺の6基の陪塚

 

Img_1774 陪塚説明板

 

Img_1775 境界石(右)

「従是南西新庄村上分」「従是東新庄村下分」

 

Img_1781 道標の立つ三叉路 《地図

「左いなり道」「従是五十二丁」、どこの稲荷社のことなのか?

 

Img_1786_2吉備風土記の丘案内図

 

Img_1792 備中国分尼寺の金堂跡から講堂方向

礎石が残っている。

 

Img_1801_2 伽藍配置

 

Img_1813 こうもり塚古墳の両袖式横穴式石室

全長約100m、6世紀後半頃の築造の前方後円墳。仁徳天皇の妃の黒媛の墓という伝承もあるが、時代が合わない。

 

Img_1809 説明板

 

Img_1814 家形石棺

 

Img_1816_2 石室内から

 

Img_1835 松井の井戸(手前) 《地図

「むすびあぐる松井の水は底済み うつるは君が千代のかげかも」 藤原茂明

「常盤なる松井の水をむすぶ手の 雫ごとにぞ千代は見えける」  藤原資実             

池の向うに旧山手村役場(移築復元)。

 

Img_1833 説明板

 

Img_1822 旧山手村役場(移築)

幕末から明治初頭の建築で、昭和43年まで山手村役場として使用されていた。

 

Img_1824 旧松井家住宅(移築)

幕末頃の建築で、岡山市沼の山陽道沿いの茶屋だった建物。

 

Img_1838備中国分寺 【ル-ト地図】の7

中門跡から吉備路のシンボルの五重塔(文政から弘化年中の再建)

 

Img_1839 説明板

 

Img_1849吉備路自転車路(「日本の道100選」)から振り返る。

 

Img_1853 作山古墳

全長約285mの日本で9番目の規模の前方後円墳。右が後円部。

 

Img_1863 説明板

 

Img_1857前方部から後円部

 

Img_1869 角力取山古墳 《地図

戦前まで古墳の西側で御崎神社の奉納角力(相撲)が行われていた。昭和の初め頃までは墳頂に4本の大松があったが、今は1本だけが残る。

 

Img_1870説明板

 

Img_1874 ギリギリ山古墳(角力取山古墳の前)

もとは総社市西郡山田上にあり、県道建設のため発掘された全長約30mの6世紀半ば築造の円墳で、横穴式石室が移築復元されている。天井石は失われている。

 

Img_1877 金毘羅石灯籠

ここからは山陽道を行く。

 

Img_1882 山手郷土館 《地図

江戸末期に建築という虫籠窓の商家、旧友野家住宅。現在も開館しているのだろうか?

 

Img_1887 吉備考古館(御崎神社境内)

1943年開館の古い歴史を持つ資料館。縄文、弥生土器、陶棺、石斧(せきふ)など吉備路を中心に出土した考古資料を展示しているそうだが、ここも開館している感じではない。

 

Img_1893 御崎(おんざき)神社

窪屋郡郡家(こおりや)跡で、中国道(山陽道)には津坂駅があった。仁徳天皇の妃の黒媛は窪屋郡司の娘という。

 

Img_1886 説明板

 

Img_1890 石殿

右が仁徳天皇で、左が黒媛(日売)を祀るそうだ。

 

Img_1896 (山陽道)一里塚跡 【ル-ト地図】の8

このあたりは「一里松」という地名。

 

Img_1897 説明板

 

Img_1898 旧家

 

Img_1903 家並み

 

Img_1906 旧家

 

Img_1907 金毘羅石灯籠・小石仏

 

Img_1913 山田池

この先で県道270号に合流し、持坂を上る。

 

Img_1919_2 持坂上から左に山陽道は続くが、ここで折り返し総社市街へと向かう。左は「清音ふるさとふれあい広場」。

 

Img_1926 持坂を下って総社市街地へ 【ル-ト地図】の9

 

Img_1935まちかど郷土館

明治43年に建築された旧総社警察署の建物で、総社市内で現存する唯一の明治洋風建築。

 

Img_1942 塩屋跡 《地図

国学者で歌人の平賀元義と親交のあった豪商の堀安道の「志保屋」(塩屋)跡。弟の和平は家業の傍ら県下洋画壇の先駆者となって活躍した。

 

Img_1951総社宮 【ル-ト地図】の10

 

Img_1952 説明板

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