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2011年2月 6日 (日)

牛窓往来①

2011年1月25日

岡山駅・・・岩田町交差点・山陽道(後楽園通り)・・・法随稲荷・・・青柳橋(西川緑道公園)・・・金刀比羅神社・・・桃太郎大通り・・・上之町通り・・・橋姫稲荷神社・岡山県里程元標・道路元標・京橋・中橋・小橋(旭川)・・・山陽道分岐点・・・国清寺・・・稲荷社・・・三友寺・・・玉井宮・・・権現坂・・・幣立山公園・・・東山峠交差点(県道28号)・・・(池の内大池湖畔公園)・・・嶽交差点(県道28号)・・・(倉安川)・・・堀替橋(百間川)・・・題目塔・・・地神塔・牛神塔・・・甚兵衛橋(砂川)・・・君津JCT(国道2号)・・・道標・・・(岡山ブルーライン)・・・(県道177号)・・・宝琳寺・裳掛天満宮・・・常夜灯・新村渡し跡・・・(西大寺大橋)・・・祇園神社・・・地蔵堂・・・荒鍬宮・・・永安橋(吉井川)・・・千田河口水門・新村渡し跡・常夜灯・渡場橋(千田川)・・・永江川・・・乙子城跡・乙子神社・・・乙子橋(千町西川)・・・道標・・・大師堂・・・神前神社・・・神崎分水樋門・神崎水門(千町川)・・・松江伊津岐神社・・・大師堂・・・宿毛交差点・道標・宿毛バス停→西大寺駅(JR赤穂線)→岡山駅

 岡山城下から牛窓港に至る、6里28町の道程を「牛窓往来」といった。牛窓は古来の瀬戸内海交通の要衝で、中世には内海の主要港として、備後の尾道・鞆、播磨の室津などと共に栄え、近世になると朝鮮通信使の接待港として港の整備なども進められた。現在は「東洋のエーゲ海」として観光に力を入れているが、それよりも古くからの港町風情の残る町並みを期待しているがどうだろうか。

 岡山駅から東へ山陽道を行き旭川を渡り、岡電の中納言駅で山陽道から分かれ、倉安川・百間川・砂川・吉井川を渡り牛窓港を目指す。吉井川の西大寺大橋は渡れず、北の永安橋まで迂回せねばならず、工事中の所や道路の敷設などで道筋が不分明の箇所などもあり、2日掛けの行程となった。

 参考:『岡山県歴史の道調査報告書 第7集 牛窓往来』(岡山県教育委員会)

  【ル-ト地図】(25.5km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1603 金刀比羅神社 《地図

宇喜多直家が創建し、秀家が国家安泰の祈願所とした。

Img_1605 説明板

Img_1608 桃太郎大通りを走る岡電

さまざまな企業の宣伝カーになっていて、カラフルで見飽きない。山陽道は城下駅の手前で右折し上之町の商店街へと入って行く。桃太郎大通りを直進すると岡山城のある烏城公園、後楽園へと通ずる。

Img_1610 山陽道岡山宿の本陣があったというアムスメール上之町通り 《地図

Img_1612 古い店も少し残っているか。

Img_1619 大手まんじゅうの伊部屋

天保8年(1837)創業の老舗。ここのまんじゅうはうまいよ。

Img_1625 迷子しるべ(京橋のたもと)

「たつぬる方」・「志らする方」で、明治25年に岡山市役所が建てたもの。
甲州街道の起点の日本橋に近い一石橋の南詰にもある。

Img_1628 橋姫稲荷神社(後ろの小祠)・岡山県元標(右端) 《地図

Img_1630 説明板

Img_1633 道路元標

Img_1624 京橋から旭川上流方向

Img_1636 京橋、中橋、小橋を渡る岡電

牛窓往来には小橋を渡って、①岡電に沿って直進する道筋と、②右折し国清寺の西側を南下し、東に向かう道筋もある。①②の道は嶽交差点で合流する。①の道筋を行く。

Img_1641 山陽道分岐点 【ル-ト地図】の①

吉備団子の広栄堂武田(左)・廣榮堂本店(右)が仲良く?並んでいる。どちらも安政3年(1856)の創業で、「元祖」を名乗っている。山陽道はここを左折して行く。牛窓往来は岡電と一緒に進む。

Img_1652 国清寺

岡山池田藩の祖、池田輝政、利隆の菩提寺。朝鮮鐘の様式を持つ梵鐘は岡山市の重文。

Img_1647 説明板

Img_1661 三友寺山門

左に「ピンポン伝来の地岡山」の石碑がある。

碑文:「旧制第六高等学校の言語学教授として明治32年に来岡した英国人エドワード・ガントレットはここ三友寺に寄宿していた。彼の義弟にあたる山田耕筰 明治19年-昭和40年 はその自叙伝『若き日の狂詩曲』の中で「義兄より作曲・エスペラント語と共にピンポンの指導を受けた」と記述している。これは坪井玄道教授が日本に卓球を伝えたといわれる明治35年よりも3年早いことである。ここに耕筰生誕120年を記念してこの碑を建立し、後世に伝えるものである。平成18年9月9日 岡山県卓球協会」

Img_1658 説明板

Img_1669玉井宮東照宮 《地図

Img_1668 由緒

Img_1672 干支の兎が出迎えてくれる。

Img_1960 石灯籠・馬頭明王・稲荷の小祠などが集められた一画。

Img_1963 権現坂 《地図

玉井宮東照宮に通ずる坂でこう呼ぶのか。左に古い石の坂標がある。

Img_1982 「峠坂・・・・」碑の前の坂を上って東山峠交差点へ下る。

Img_1994 東山峠交差点から先は県道28号の北側の一段高い旧道を進む。

Img_1997 北側にいい感じの石段坂が何本も上っている。

Img_2003 嶽交差点で県道28号を横切る。国清寺の西側を南下したもう一つの道筋はここで合流する。《地図

Img_2012 百間川の土手へ出る。

Img_2015 堀替橋から百間川 《地図

Img_2024 堀替橋を渡ると細い道となる。南側には砂川が流れている。

左に題目塔、この先の左側に地神塔、牛神塔がある。

Img_2042 甚兵衛橋 【ル-ト地図】の②

車は通れずこの先、直進する道はなく迷った。土手を下って東進し、君津JCTをくぐる。

Img_2064 「うしまどみち」(明治13年)道標 《地図

「左 うしまど かなおかみち」

Img_2067 「左 うしまどみち」

Img_2071 田畑の中を通って行く。

この先で岡山ブルーラインをくぐる。

Img_2081 宝琳寺・裳掛天満宮(左)

菅原道真が裳裾を掛けたという松があって「天神坊」とも呼ばれた。明治の神仏分離で分けられた。

Img_2083 説明板

Img_2080 金岡の常夜燈(文化2年(1805)) 《地図

ここから「新村渡し」で吉井川を対岸の新村へ渡っていた。当時の石段が残っている。常夜燈はもっと川岸近くにあったようだ。

Img_2079 新村渡し跡 【ル-ト地図】の③

左に西大寺大橋が見えるが、自動車専用道路の岡山ブルーラインの橋で人は歩けず、さらに上流の永安橋まで行き、対岸の新村渡し跡まで迂回せねばならない。その間4kmほどあるか。下流は児島湾、瀬戸内海で橋はなし。昔は河口から西大寺大橋までの間に、「幸西渡し」「乙子渡し」「新村渡し」があったというのに。

Img_2084 祇園神社 《地図

Img_2085 地蔵堂

Img_2088 西大寺南の家並み

Img_2090 荒鍬宮

Img_2094 永安橋から吉井川下流方向 《地図

うっすらと見える西大寺大橋の先まで戻らねばならないのだ。

Img_2098千田河口水門 《地図

新村渡し跡で、土手下に常夜灯が立つ。水門下の千田川の橋は「渡場橋」

Img_2099 常夜燈

「金毘羅大権現」の銘がある。上流の船着場跡から150mほど南に移動されたものらしい。

Img_2105 石鉄山大権現塔(左)・供養塔

この前を左に進む。

Img_2109 乙子(おとご)城跡(正面の小高い所) 【ル-ト地図】の④

Img_2115 説明板

Img_2117乙子神社

Img_2123 乙子橋から千町西川

明治時代の倍近くの川幅になっているそうだ。

Img_2126 道標(電柱の下) 《地図

Img_2127 「右 幸西 左 うしまど」

手前を千町西川に沿って少し北に進む。

Img_2128 大師堂 《地図

Img_2129 右端が花崗岩の大師像で台座に明和5年(1768)と刻まれている。

Img_2142 神前神社の鳥居(天保3年(1832))・石橋(寛政12年(1800)・石灯籠(寛政11年)

Img_2135神前神社 《地図

急な石段を上った小高い所にある。

Img_2134 由緒

Img_2141 吉井川・児島湾(境内から)

Img_2147神崎分水樋門

貞享4年(1687)に岡山藩郡代津田永忠が木造樋門から改築した県下に残る唯一の石造樋門。

Img_2148 神崎水門 【ル-ト地図】の⑤

水門の左脇に石碑が立つ。

Img_2150 道標(神崎バス停の所) 《地図

「左大宮鹿忍牛窓」、牛窓往来の旧道は一本南側の道を行く。

Img_2154 ほんぶしん

天理教の分流の新宗教団体。

Img_2158紅岸寺城跡案内板

宇喜多五郎左衛門を城主とした城跡と伝えられているが、城郭の痕跡はなく、宇喜多氏の寝小屋あるいは館などの日常生活拠点として利用された寺がそのように伝えられた可能性があるという。

Img_2161 松江伊津岐神社 《地図

安仁神社の末社で、吉備穴海の波打ち際に船を留めた五瀬命は、地元住民たちの手厚い饗応を受けた。五瀬命は去る際に自身が用いた松材の箸を砂浜に刺した。それが根付いた松が後に信仰の対象になったという伝承があるそうだ。

Img_2162 大師堂

寛延2年(1749)銘の大師像があるそうだ。

Img_2170 宿毛交差点 《地図

旧道は県道28号から左に入って行く。右側に「牛窓道」の道標(大正7年建立)。

Img_2172 一宮道は備前国旧一宮の安仁神社のこと。

宿毛バス停から西大寺駅に出て、岡山駅に戻る。

***岡山城下(2011年1月27日)***

岡山駅・・・桃太郎大通り・・・岡山県藩藩学跡・・・岡山神社・・・岡山城・・・月見橋・・・後楽園・・・鶴見橋・・・出石町・・・岡山駅

Img_2357 岡山藩藩学跡 《地図

昭和20年6月29日の空襲で焼失し、残る遺構はこの頖池(はんち・中国古代の諸候の学校の頖宮(はんきゅう)の制に擬してつくられた半円形の池)のみ。

Img_2355 説明板

Img_2359 岡山神社 《地図

Img_2361 説明板

Img_2363 旭川から岡山城

Img_2389 月見櫓

Img_2388 説明板

Img_2387 不明門(あかずのもん)

Img_2393 説明板

Img_2403 岡山城

別名を烏城(うじょう)・金烏城(きんうじょう)

Img_2422 後楽園

Img_2423 花交の池 地図

Img_2433 沢の池

Img_2472_2コゲラ(キツツキ科)だろうか? カタカタとさかんに木をつついているような音がする。

Img_2480 出石町の家並み 《地図

戦災を免れた地区で、和洋混在のさまざまな建物が並んでいる。

Img_2475 説明板

Img_2487

Img_2482 福岡商店

「酢醤油」の古い立て看板が掛かっている。

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