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2011年3月31日 (木)

熊野古道(紀伊路・和歌山城下)

2011年2月25日

和歌山駅(JR阪和線)・・・けやき大通り(県道17号)・・・新町橋(和歌川)・・・東ぶらくり丁・・・雑賀橋(大門川)・和歌山ブルース歌碑・・(築地通り)・・中ぶらくり丁・・・城北公園・・・城北通り・・本願寺鷺森別院・・・勝海舟寓居地跡あたり・・・南方熊楠生誕地・・・寄合橋(市堀川)・・・藩校跡・・・城北橋・・・評定所跡あたり・・・和歌山城(裏坂・新裏坂・表坂)・岡口門・・三年坂通り・・・百間長屋跡(岡公園)・・・不明門跡・・・岡山の時鐘堂・奥山稲荷社・・・徳川吉宗生誕地・・・報恩寺・・・寺町通り・・・無量光寺・・・尾形通り・・・遍照寺・・・三年坂通り・・・大橋(和歌川)・・・大立寺・・・和歌山駅

 参考:『和歌山市観光案内マップ』(和歌山市観光協会)

  【ル-ト地図】(11.6km)

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Img_3835 新町橋から和歌川

Img_3836ぶらくり丁 【ル-ト地図】の①

文政13年(1830)の大火後、商品を店頭にぶらくって(ぶらさげて)売り出し、こう呼ばれるようになった。

Img_3838 まだ朝早く閑散としている商店街。「商店街を楽しもう!」とぶらさがっているが、全部の商店のシャッターが上がるのだろうか? 今はやりの「シャッター通り商店街」でなければいいが。

Img_3842 和歌山ブルース碑 《地図

ただの休憩用の腰かけと思って近づくと、古都清乃の歌が流れ出した。流行った曲というが聞き覚えはない気がした。円盤部分(レコード盤をイメージしたものか)に説明と歌詞が刻まれ、「ぶらくり丁の 恋灯り・・・」という一節もある。まあ朝早くから聞く歌でもないだろうが。

Img_3845説明板

Img_3854 本願寺鷺森別院

何の情緒、風情もない冷たい感じの寺だ。

Img_3855 勝海舟寓居地跡というが説明板などはない。(南方熊楠生誕地碑の前あたり)

Img_3856 南方熊楠生誕地碑 【ル-ト地図】の②

昭和の中頃まで藤白神社の大クスノキの子守の楠神さんにあやかって子供の名にを入れることが多かったという。は熊野から。

Img_3857

Img_3860 寄合橋(市堀川)

城下で最もにぎやかだった寄合町を通る橋。

Img_3861 藩校跡 《地図

Img_3862 説明板

Img_3869 城北橋南詰に立つ不動明王

Img_3873 評定所跡(左)だがここも標示はなし。 《地図

Img_3879 和歌山城

西の丸跡から

Img_3885 城内図

表坂・裏坂・新裏坂がある。

Img_3890_2 鶴の渓

Img_3902 西の丸庭園

Img_3895 説明板

Img_3907 裏坂を上って天守閣へ

Img_3927 天守閣から紀ノ川・和歌山港

Img_3935 新裏坂を下る。

Img_3941 表坂

Img_3946 岡口門をくぐると三年坂通り

Img_3947 説明板

Img_3950 三年坂(坂上方向) 【ル-ト地図】の③

切り下げられて急坂だった面影はまったくない。向い側の岡公園が御作事所の職人が居住した百間長屋跡。

Img_3962 坂標

江戸時代の俗信による坂名と書かれているが、「この坂で転ぶと三年以内に死ぬ」という俗信の内容が書かれていないお粗末な代物。「急坂なので転ばぬように注意深く上り下りしろ」という戒めがこの俗信には込められているのだ。

Img_3975三年坂・不明門跡・和歌山城・高石垣

奥山稲荷神社から

Img_3968 高石垣説明板

Img_3980 奥山稲荷神社

紀州藩祖徳川頼宣が駿河から国入りする時、和歌山城の守り神として遷座。今は商売繁盛、厄除けなど。

Img_3976 岡山時鐘堂 【ル-ト地図】の④

大正10年まで時を報せていた鐘。大阪夏の陣の豊臣方の大筒(大砲)を鋳直したものという。鐘の音は覆屋に囲まれていても遠くまで響くのだろうか?

Img_3969 説明板

Img_3984 浜病院

Img_3987 徳川吉宗生誕地 【ル-ト地図】の⑤

右に石柱碑と説明板

Img_3985 説明板

Img_3988 報恩寺

寺町通りの名のとおり近辺には寺が並んでいる。いざという時の和歌山城の備えだろう。

Img_4003 無量光寺 《地図

Img_4001 首大仏(おぼとけ)様

仏体を継がれず200年近くずっと首だけで放置され、すっかり諦め、悟りきった顔をしているか。

Img_3998 説明板

Img_4009_2 大立寺山門 《地図

秀吉の紀州攻めに最後まで抵抗し、水攻めで落城した太田党の太田城の大門を移築。和歌山駅東側の来迎寺(太田2丁目)が本丸跡と伝わる。

Img_4010 説明板

Img_8905太田城跡(来迎寺) 《地図

(2011年6月1日撮影)

Img_8904 説明板

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2011年3月21日 (月)

熊野古道(紀伊路⑤ 川端王子→藤白王子)

2011年2月24

布施屋駅(JR阪和線)・・・川端王子跡・・・小栗踏切・・・小栗橋・・・宮井橋・・・旧中筋家住宅・・・和佐王子跡・・和佐大八郎の墓・・・役行者祠・・・矢田峠・・・(県道9号)・・・平緒王子跡・・・(小栗橋・県道13号)・・・(和歌山電鉄貴志川線)・・・伊太祁曽神社・・・六地蔵・・・須佐神社・・・奈久智王子跡①・・・地蔵祠・・(阪和自動車道)・・・武内神社・・・新池・・・奈久智王子跡②・・・地蔵祠・・・四つ石地蔵・・・六ケ橋(亀ノ川)・・・光明寺・・・県道136号・松坂王子跡・・・県道136号・・石畳道・・県道136号・クモ池・・徳本名号塔・・・汐見峠・・呼上地蔵・・・(県道18号)・・・松代王子跡・・・蓮花寺・・・菩提房王子跡・・・小中地蔵堂・・・浄土寺(日限地蔵尊)・・如来寺・・・熊野一の鳥居跡・・・祓戸王子跡・・・鈴木屋敷・・・藤白王子(藤白神社)・・・(JR紀勢線)・・・西法寺・・・海南駅(紀勢線)

 今回の熊野古道の紀伊路歩きの最終日だ。時々雨がぱらつく下を矢田峠、汐見峠を越え(いずれも峠というほどの高さはないが)、五体王子の藤白神社まで歩く。この先は藤白坂の長い上りとなるが、それは次回の楽しみとしよう。

  『熊野古道紀伊路⑥)』に続く。

  【ル-ト地図】(19.2km)

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Img_3554 川端王子跡 【ル-ト地図】の①

藤原定家の『熊野御幸記』に記述はない。布施屋の渡し場ができた後に設けられた王子のようだ。高積神社に合祀されている。

Img_3555 説明板

Img_3565 案内に従って小栗踏切を渡り小栗橋へ行ってみたが、小さな流れの上のガードレールの橋だった。小栗判官の由来話でもあるのだろうか?

Img_3576旧中筋家住宅

江戸末期の庄屋屋敷

Img_3578 長屋門

土・日・祝日のみの公開で母家へは入れず。

Img_3579 説明板

Img_3583 旧家の緑泥片岩?の石積み

Img_3585 和佐王子跡 《地図

ここも高積神社に合祀されている。すぐ先に和佐大八郎の墓がある。

Img_3593 説明板

Img_3595 和佐大八郎の墓

1日で矢を8000本以上も射通しすれば肩はいかれてしまったろうに。今ならギネスブックものだが。

Img_3596 説明板

Img_3599右へ行き車道を横切ると矢田峠への上りとなる。

Img_3601 役行者祠

Img_3602いかめしそうな顔の役行者の石像

Img_3606 矢田峠 《地図

右上に石仏2体と石塔?がある。

Img_3607 地蔵と観音だろうか?

Img_3611 分岐点

ガードレールに(熊野古道→)の標識と、路面にも導き石があるが、ここは左の道を進む。徳本上人名号碑(左手のフェンス内?)があるようだが気づかなかった。

Img_3615 みかん畑沿いの道を行く。

Img_3616 右方(西側)の眺め

Img_3618 ため池方向に下って行く。

Img_3623 下って集落の間を抜ける。

Img_3624 ここで右に曲がる。道標などはなく分かりにくい。

Img_3626 竹林の先で県道9号を横切る。

Img_3629 県道9号の西側の旧道を進む。

Img_3634 県道に出て、再び右に入る。

Img_3637 平緒王子跡 【ル-ト地図】の②

平尾の都麻津比売(つまつひめ)神社に合祀。NHKTVの『街道てくてく旅 熊野古道』を見ていたという近所のおばさんとしばし談笑して小休憩した。

Img_3638 説明板

Img_3648 和歌山電鉄貴志川線を越える。《地図

終点の貴志駅には三毛猫のたま駅長が勤務しているが、11歳の高齢で日中も居眠りをしている時が多いそうだ。わざわざ見に行って安眠を妨げることもあるまい。

Img_3653 伊太祁曽神社 《地図

太鼓橋から工事中の拝殿。

Img_3652 由緒

Img_3663 六地蔵堂(正面右)の前を進み左へ曲がる。

Img_36651体に2地蔵が彫られ×3体=六地蔵か   

Img_3682奈久智王子跡①へ

今は亡き「おミズ」こと水原弘と、水戸黄門を卒業した由美かおるの40年以上前の懐かしい看板の脇を少し上る。

Img_3676_2 説明板①

Img_3677奈久智王子跡① 【ル-ト地図】の③

伊太祁曽神社に合祀されている。武内神社の先(説明板②の薬勝寺村付近)に王子跡②がある。

Img_3678説明板②

Img_3679 説明板の後ろの小祠。

Img_3687 阪和自動車道をくぐる。

Img_3688 手前左側に地蔵の祠 

Img_3690 武内神社 《地図

5代の天皇に仕え、300年以上も生きたという武内宿禰(たけうちのすくね)を祀る。

Img_3692 説明板

Img_3694 産湯の井戸

武内宿禰にも赤ん坊の時があったのだ。300歳以上まで生きたというから、どうも老人の姿しか浮かんでこない。紀州徳川家で子女が生まれた時は、長寿にあやかりこの井戸の水が産湯に使われたそうだ。

Img_3699 新池

Img_3704 案内板に従い左に入る。

Img_3705 「向い山」の竹藪の丘陵地は重機で崩されている。ここを左に入った竹藪の中に奈久智王子跡②の小祠がある。街道はこの手前を右にカーブして行く。

Img_3706 倒れた地蔵が4体が痛ましい。もともと寝ているのかも。新しい花が供えられている。この細道を少し上る。 

Img_3707 奈久智王子跡の小祠② 《地図

地元では王子権現と呼んでいたという、小祠は石囲いの中だが今や崩壊寸前、いずれ重機で破壊され跡方もなくなってしまうのか。

Img_3711 旧道を右に進むと古墳の石室のような中に地蔵が立っている。ここにも花が供えられている。 

Img_3712旧道を進むが道標がないのでちょっと心配になる。

Img_3713 しばらく進むと多田集落の手前に、ちゃんと道標・案内標識があった。

Img_3717 多田の家並み

Img_3718 四つ石地蔵堂(右)

手前の金網フェンス内に礎石らしき石が2つ置いてある。 

Img_3719 説明板

Img_3721 四つ石地蔵

説明板には千光寺の礎石を集めて祀ったとある。礎石から造ったということではないようだ。 

Img_3725 旧家

Img_3730 光明寺

【ル-ト地図】はここで右折しているが間違いで直進する。

Img_3732 直進して前方の民家の前で右折する。

Img_3734 矢印従い右に行くと県道に突き当たる。その向い側が松坂王子跡。

Img_3735 松坂王子跡 【ル-ト地図】の④

且来(あっそ)八幡神社に合祀。説明板の左は地蔵の小祠。

Img_3737 説明板

Img_3742 石畳の道

県道の改修工事でわずかだけ残された。

Img_3745 説明板

Img_3749 県道(左)との合流地点から振り返る。

Img_3750 クモ(蜘蛛)池 《地図

日本書紀の神武天皇即位前紀に「六月乙未朔丁巳軍至名草邑則誅名草戸畔者【戸畔此云妬鼙】」とある。この池あたりで、神武天皇軍が先住民の首長の名草戸畔(なぐさとべ・土地の豪族の土蜘蛛)の軍勢と戦い討ち取ったという伝承がある。土蜘蛛とは天皇に恭順をしめさなかった土豪の蔑称で、中央に従わない先住民たちを鬼とか化け物と呼んで侵略して行く、汚い常套手段だ。また、「戸畔」は「戸のあたりにいる女」で、シャーマンの女性首長を指すともいう。さらに名草戸畔は「古代紀国の女王」だったという伝承もあるそうだ。

クモ池の畔にも大きな徳本上人名号塔が立っている。

Img_3752 汐見峠から下る。峠というほどの高さもなく、汐見の由来となった紀伊水道の眺望も開けず、いつの間にか通り越してしまう。

Img_3753 呼上地蔵堂 

Img_3755 説明板

Img_3754 呼上地蔵

安政の大地震の時、人々を峠へ呼び上げて救ったという地蔵 さん。台座は道標になっている。 もとはもっと峠近くにあったが、県道工事の際にここに移された。

Img_3760 松代王子跡へ

ここを左に上る。本来の王子社は街道沿いにあったらしい。現在は春日神社に合祀。藤原定家はここで、子供を抱いた盲目の女性に出会っていて、『御幸記』に「盲女懐子あり」とのメモ書きを記している。熊野権現は「信・不信を選ばず、浄・不浄を嫌わず」で、女性、障害者などあらゆる人を分け隔てなく受け入れていた証しだろう。

Img_3764 松代王子跡

ここは春日神社の境内地。

Img_3765 説明板

Img_3769 蓮花寺に沿って進む。《地図

Img_3770 菩提房王子跡(梅本建具店の前)

藤原定家の『熊野御幸記』にも見える王子だが、古い時期に廃されたようだ。

Img_3771 説明板

Img_3773 小中地蔵堂

信仰を集めているようで参拝者が多い。

Img_3774 小中地蔵

鼻筋の通ったイケメン風地蔵さんだ。 

Img_3777 浄土寺(日限地蔵)

ひぎりさん」で親しまれている寺。本尊は阿弥陀如来。

Img_3781 熊野一の鳥居跡

左に「大鳥居遺蹟」の石柱が立つ。

Img_3783 説明板

Img_3790 祓戸王子跡へ

Img_3791_2 説明板①

Img_3797 石仏と竹林の道を進む。

Img_3793 祓戸王子跡 【ル-ト地図】の⑤

「祓戸神社之趾」碑が立つ。(大)鳥居神社とも呼ばれ、熊野の聖域の入口として、垢離を搔いて(取って)心身を清めた場所だった。今は藤白神社に合祀されている。

Img_3796説明板②

Img_3798 このあたりは熊野街道の提灯を掲げている。

Img_3799 小栗街道説明板

右は鈴木屋敷跡

Img_3800 説明板

Img_3802_2鈴木屋敷跡 《地図

ここが全国の鈴木姓のルーツ・元祖・本家・元締め。

正面は義経弓掛松の何代目か。

Img_3801 説明板

Img_3804 往時の鈴木屋敷

Img_3808 現在の状態

復元・整備計画が進められているそうだ。

Img_3807鈴木邸の庭園にある曲水泉

Img_3806 説明板

Img_3810 藤白神社・藤白王子跡

九十九王子の中でも別格の五体王子の一つ。楠の大木が何本もそびえている。

Img_3816 説明板

Img_3811 大クス説明板

Img_3815 熊野三山の入口を示す石碑

Img_3814説明板

Img_3821 藤白王子権現

Img_3822 説明板

Img_3823熊野三所権現の本地仏三体を祀っている。

右から阿弥陀如来・薬師如来・千手観音

Img_8213_2 有間皇子神社

Img_8212_2 由緒

Img_8214_2 万葉歌碑

Img_3826 境内を抜けると藤白坂へと続くが今回はここまでとする。

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2011年3月12日 (土)

熊野古道(紀伊路④ 地蔵堂王子→吐前王子)

2011年2月23日

和泉鳥取駅(JR阪和線)・・・山中橋(山中川)・・・滑下橋(山中川)・・・地蔵堂王子・・・琵琶ケ岸懸・・・双子橋・・・馬目王子跡・・・山中宿・・旧庄屋屋敷・・山中神社・・旅籠とうふや跡・・山中宿本陣跡・・道祖神・・山中渓駅(阪和線)・・山中関所跡・・・桜地蔵の経塚・・・日本最後の仇討場跡・境橋(境谷川)・(和歌山県)・・・第一滝畑踏切・・中山王子跡・・滝畑集落・・第二滝畑踏切・・・雄ノ山峠(180m)・・・峠の不動・・・湯屋谷架道橋(阪和線)・・・山口王子跡・白鳥の関(紀伊の関)あたり・・やまつめ橋・・小野寺橋(雄ノ山川)・小野寺跡あたり・・・山口神社・・・淡島街道(県道7号)・・・大師堂・・・西蓮寺・・川辺王子跡・・・神波自治会館・・・無量寺・・・中村王子跡・・・力侍神社・・・(国道24号)・・・(県道64号)・・・地蔵堂・・・正念寺・・・紀の川土手・・・川辺橋(紀の川)・・・布施屋の渡し場説明板・・・吐前踏切(JR和歌山線)・・・吐前王子跡・・・極楽寺跡・・・布施屋観音寺・・・布施屋駅(和歌山線)

  【ル-ト地図】(19.7km)

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Img_3282 地蔵堂王子跡 【ル-ト地図】の①

波太神社の隣の鳥取神社に合祀され、本尊の地蔵菩薩は地福寺に子安地蔵として祀られている。

山中渓の周辺案内図

Img_3280 説明板

Img_3283 地蔵堂王子跡の小公園前を直進し、未舗装の道に入り琵琶ケ岸懸へ

途中でカラフルな服装の老人とすれ違う。ニニニコ笑顔で「ええ、天気じゃのう」と声を掛けられた。少し進んで振り返るともう老人の姿はない。ひょっとすると琵琶法師の生まれ変わりか、亡霊だったのかも。

Img_3289 左が崩れている。《地図

ここが琵琶ケ岸懸だ。右のロープにつかまり進む。盲目の琵琶法師でなくても、ここは危険な難所だったろう。

Img_3287 ロープを抱えながら岸懸下を覗き込むと、真下に山中川が流れている。まさに目がくらむ眺めだ。川の流れが転落した琵琶法師の琵琶の音に聞こえるかどうか? ちゃんと確かめるのを忘れた。というより耳をすます余裕がなかったというべきか。

Img_3291 説明板

Img_3292 旧道は波太神社の伏拝鳥居の先からここへ続いている(いた)のだ。

Img_3296 馬目(うまめ・ウハメ)王子跡

鳥取神社に合祀されたが、神体はこの先の山中神社に祀られている。大阪府最後の王子跡。

Img_3299 石碑には「馬目王子跡 (足神さん)」と刻まれている。

Img_3298 説明板

Img_3306 山中宿へ入ると石畳の道となる。

Img_3307 説明板

Img_3312 旧庄屋屋敷

Img_3310 説明板

Img_3317 山中神社 《地図

左が馬目王子社の神体の「足神さん」の小祠。上が八王子社の小祠。

Img_3313 説明板

Img_3321 説明板

Img_3325 旅籠とうふや跡(右)

駐車場で遺構は残らず。

Img_3324 説明板

Img_3328 山中宿本陣跡

Img_3327 説明板

Img_3330 道祖神

石屋根付き

Img_3331 説明板

御三家の権威を笠に着て、紀州藩は手前勝手で横暴だ。

Img_3332山中渓駅

山中渓は桜の名所でもある。

Img_3333 山中関所跡

江戸時代に入って廃止され、遺構などは何も残らず。

Img_3334 説明板

Img_3342 桜地蔵の経塚(文安5年(1448))

修験者が建てた経塚で、ここに老木の桜があったことから、桜地蔵経塚とも呼ばれていた。正面に梵字と「文安五年八月吉日」の銘が刻まれている。詳しくは阪南市のHPの『修験道の行場

Img_3345 経塚のそばの標柱

Img_3348 日本最後の仇討場跡 【ル-ト地図】の②

すぐ先の境橋を渡ると和歌山県だ。

Img_3349 説明板

ここでも紀州藩は面倒な事は藩の外へ追い払うという身勝手振りだ。

Img_3350 右へ阪和線の踏切を渡る。

Img_3352中山王子跡 【ル-ト地図】の③

阪和線の線路で消滅。春日神社から山口神社に合祀された。和歌山県へ入って最初の王子跡。

Img_3354 和歌山県に入ると見やすく詳しい立派な説明板が立っている。

Img_3361滝畑集落を進んで再び踏切を渡り県道を上る。

Img_3368 雄ノ山峠(180m) 《地図

たいした高さでもない。

Img_3372 峠の不動明王

少し下った左側に小祠がある。

Img_3374 不動さんは車の排気ガスにやられたかすっかり痩せ細ってしまった。でも色とりどりの花が供えられている。車で供えに来ているのだろうか?

Img_3378 南方の紀の川方向の眺め

Img_3384 左に入って山口王子跡へ

Img_3386 山口王子跡・白鳥の関(紀伊の関)・万葉歌碑 《地図

山口神社に合祀。万葉歌碑は「わが背子が跡ふみもとめ 追ひゆかば 紀の関守 い留めてむかも」(笠朝臣金村)。神亀元年(724)聖武天皇の紀伊国行幸の時、供の中に娘子の恋人がいた。その人に贈るために娘子に頼まれ金村が代作した歌という。

紀伊の関は「白鳥の関」とも呼ばれ、「白鳥女房の伝説」(今昔物語集の巻第三十第十四話「人妻化成弓後成鳥飛失語)がある。「夢で最愛の妻がいなくなると告げられた夫が目を覚ますと、妻は消えていて枕元に弓が立て掛けてあった。夫は弓を身から離すことなく大切にしていたが、妻は帰って来なかった。ある時、弓は白い鳥となって、南の方へ飛んで行った。追いかけた夫は紀伊国で白い鳥が人間の姿に戻るのを見て、妻が鬼神などの変化(へんげ)と悟り引き返した」という話。

Img_3389 説明板

Img_3397小野寺橋を渡る。

この先の藤井家裏手が小野寺跡で、小野小町の墓と伝える石塔が残る。80歳を越えた小町は熊野詣からの帰路、この里で倒れ死んだという。里人は同情し小野寺を建てたと伝える。寺は遍照寺に統合され、老いさらばえた小町の木像を安置する。小町のイメージが狂うので見ない方がいいだろう。美人は薄命が鉄則か。「小野小町生誕地・墓」は各地にある。

熊野古道はここから西方の川辺王子、中山王子へと迂回し紀の川へ至るが、直接南下して紀の川へ出たという説もあるようだ。その方がかなり近道だ。近ければいいというものでもないが。

Img_3401 街道から離れ案内標識に従い山口神社へ向う。

Img_3407 田畑の広がる道を行く。正面の森が山口神社

Img_3411_2 山口神社 《地図

中山王子・山口王子が合祀されている。

Img_3413 山口神社前から南へ進み鳥居をくぐると、熊野街道の県道7号(淡島街道)に合流する。

Img_3415 淡島街道(県道7号)を西に向かう。

歩道が分離してなく歩きにくい。加太の女性の守り神、淡嶋神社へと続く道。

Img_3417 旧家

Img_3419 大師堂(右)の所で左折する。《地図

Img_3421 弘法大師像

Img_3422道路に熊野古道マークがある。

Img_3423 これを頼りに進む。

Img_3425 川辺王子跡 【ル-ト地図】の④

①ここの旧八王子社跡で力侍神社に合祀された(和歌山指定)。②力侍神社が王子跡(指定) ③薬師堂付近にあった。など諸説ある。時代とともに街道の道筋も、王子社も移り変わったようだ。

Img_3426 説明板

Img_3436 田んぼの中の曲がりくねった道だが道標マークがあるので迷うことはない。

Img_3443 中村王子跡 《地図

現在は力侍神社に合祀。紀の川越えをひかえた休憩と準備の場として重要な所であったが、ここも位置については楠本の楠大明神社、若宮八幡宮(いずれも力侍神社に合祀)などの説がある。

Img_3442 説明板

Img_3447 力侍神社

鳥居の右前に「川辺王子跡 和歌山指定文化財史跡」の石柱が立つ。

Img_3466 説明板

Img_3464 力侍神社(左)

右の八王子神社が川辺王子跡①からここに合祀された。

Img_3468 地蔵堂 《地図

波切不動を祀る? 地元の信仰が厚いようだ。

Img_3478 旧家の右に道標

Img_3475 道標

「左北大坂みち」・右側面に「新義本山根来寺 三国一錐鑚(きりもみ)不動尊」。

Img_3487 古い家並みを抜けて紀の川へ 《地図

Img_3488 紀の川土手

川向うの山は高積山

Img_3496 大きく川辺橋まで迂回する。全長755.5mの和歌山県で1番長い橋。

Img_3501 川辺橋下の地蔵たち。 

Img_3504 紀の川(川辺橋から)

広い河川敷な中を蛇行している。《地図

Img_3513 布施屋の渡し説明板(オークワ食品工業前) 《地図

渡しは昭和30年代の半ばまで活躍していたそうだ。旅人に金銭や物を布施する屋があったことに由来する地名。

Img_3512 説明板

Img_3519 吐前(はんざき)王子跡(右) 【ル-ト地図】の⑤

後鳥羽上皇に随行した藤原定家は、吐前の仮屋で昼食をとりながら遅れていた後鳥羽上皇を待ち、ここから日前宮へ奉幣の代参に向かい、奈久智王子へ直行した。そのため(川端王子)・和佐王子・平緒王子には寄っていない。布施屋に渡し場ができると、参詣者たちはここを通らなくなり寂れていったようだ。現在は小倉神社に合祀。

Img_3520 説明板

Img_3528 「極楽寺跡」の石柱が堂の右前に立っているが、由来などは分からず。

Img_3533 消防倉庫と民家の間に半鐘がぶらさがっている。

Img_3539 布施屋観音寺 《地図

ちょっと寂れて荒れている感じだ。左端の稲荷社も傾きかけている。

Img_3536 説明板

Img_3547 布施屋駅

JR和歌山線で和歌山駅に出た。

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2011年3月 9日 (水)

熊野古道(紀伊路③ 浅宇川王子→長岡王子)

2011年2月22日

久米田駅(JR阪和線)・・・府道30号・・・積川神社鳥居・・浄行寺・・上轟橋(春木川)・・・作才町交差点・旧道・・・府道39号・・・道の池・・・小栗街道(府道30号)・・・(貝塚市)・・・津田川・・・虎橋(麻生川)・・・浅宇川王子跡・・・堂ノ池交差点・旧道・堂ノ池・唐間池・・・半田一里塚跡・・・(府道30号)・・・新井ノ池・・・(水間鉄道)・・・宮池・・・(府道40号)・・(府道30号)・・貝塚中央病院・・・積善寺城跡・福永橋(近木川)・長谷川ノ坂・・安楽寺・・・清水大師堂・・・府道64号・・・和泉橋本北一踏切(阪和線)・・・橋本交差点・府道30号・・・地蔵堂交差点・旧道・・・正福寺・鞍持王子跡あたり・南近義神社・近木王子跡あたり・吉祥園寺・・善正寺・・・貝田橋(見出川)・・・(泉佐野市)・・・(府道241号)・・・鶴原王子跡あたり・・・四角池・・・(府道64号)・・・大藪池交差点(国道26号)・・・道の池・・・(府道20号)・・・紀州街道合流地点・府道64号・・佐野川橋(佐野川)・・・日新小前交差点・・・佐野王子跡・・・市役所前交差点・・・如来寺・・・(府道247号)・・・(JR関西空港線・関西空港自動車道)・・・日根神社御旅所・・・長滝西交差点・・・南ノ池・・・安松八丁畷の石地蔵・・・道池・樫ノ池・・・塙団右衛門の墓・籾井(樫井)王子跡・奥家住宅・・淡輪六郎兵衛の墓・・・正法寺・・・大正大橋交差点・・・樫井古戦場跡・明治大橋(樫井川)・(泉南市)・・・明治小橋(新家川)・・・海会寺跡・一岡神社・厩戸王子跡あたり・・・(海営宮池)・・・北庄司牛乳・・・一丘団地口交差点・・・信達宿本陣跡・・・大鳥居交差点(府道63号)・・・往生院・・・信達王子跡・・・サンゴ池・林昌寺踏切(阪和線)・・・林昌寺・・・岡中鎮守社(岡中の大クス)・・・府道30号・・・(府道63号)・・・阪南市・・・波太神社伏拝鳥居・長岡王子跡・・・和泉鳥取駅(JR阪和線)

  【ル-ト地図】(23.8km)

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Img_3057 今日もいい天気だ。南東方向に進むので、暖かいのを通り越して歩くのには暑いくらいになりそうだ。

Img_3062 積川神社鳥居

白河上皇が熊野御幸の時、鳥居の扁額の文字を書き、取り替えたという。現在の扁額はその複製品。

Img_3060 説明板

Img_3065 上轟橋から春木川 《地図

照手姫の曳く小栗判官を乗せた土車がこの橋を渡るとき、車輪が鳴ったことから轟橋とか。

この先の下松交差点から作才町交差点までの間に、和泉式部ゆかりの「筆塚碑」・「硯塚碑」・「恋の淵」・「恋ざめの淵」・「どんび淵(式部淵)」などがあるはずだが見つからず。熊野街道から少しはずれた所にあるのだろうか? 『常盤校区・校区周辺の歴史』に詳しい。まあ和泉式部はこの地に来たことはないようだが。

Img_3066 作才町交差点から左に入って行く。

Img_3070 道の池地蔵

側面は道標になっている。フェンス上の異国人形の製作者らしき作業中の人に池沿いを進めるかを聞く。OKだった。 

Img_3071道の池沿いを進み右へ下り、水路と建物の間から県道に出た。

Img_3075 浅宇(麻生)川王子跡 【ル-ト地図】の①

明治42年に阿里莫(ありまか)神社に合祀され、右の三和製作所が跡地という。

Img_3083 半田一里塚跡 《地図

説明板の左は小栗街道の道標

Img_3079 説明板

Img_3089 水間鉄道を渡る。

Img_3091 積善寺城跡あたり

戦国時代の根来衆の出城。福永橋を渡ると長谷川ノ坂の上りとなる。

Img_3092 説明板

Img_3096 長谷川ノ坂 【ル-ト地図】の②

江戸時代に医者として有名だった長谷川氏の屋敷があったという。俗に「(かん)の虫」などの子どもの病気を扱う小児科医だったのか? 奥州街道斎川の「の薬」のヘビトンボの幼虫「孫太郎虫」を思い出した。

Img_3098 坂上近く

旧家の間の静かで趣きのある坂だ。

Img_3104 清水大師堂

弘法大師の杖でこの地から清水が湧いた、という各地にある大師伝説の一つ。右が清水井戸だったか。

Img_3112 南近義(みなみこぎ)神社 《地図

①鞍持王子・②近木王子が合祀されている。両王子は近い場所にあり、①は橋本村大字王子原宮とか正福寺の隣にあった熊野神社など諸説。 ②も吉祥園寺、善正寺あたりとか諸説あり。後鳥羽院に随行した藤原定家の『熊野御幸記』には「鞍持王子に参る・・・・胡木新王子に参る」とあるから近距離で並存していたのだろう。

Img_3113 説明板

Img_3117 善正寺

Img_3118 貝田橋(見出川)を渡る。

四角池手前を左折した貝田会館の所にあった加支多神社(現在は熊野街道の西側に鎮座)が鶴原(貝田)王子跡という。

Img_3122 四角池 《地図

台形ぽっい四角か。

Img_3126 道の池

街道沿いには大きなため池が多い。

佐野川橋の手前で右から来る紀州街道と合流し、紀ノ川の
川辺橋を渡った所までは同じルートをたどる。

Img_5455右が熊野古道、左が紀州街道(振り返って見ている。2016年4月25日撮影) 《地図

Img_3132 日新小前交差点先の鉄塔の向う側で左に旧道に入る。

Img_3133 佐野王子跡 《地図

昔は佐野の松原の広がる湊の村で、藤原定家の「冬の日にあられふりはえ朝たてば 浪に浪こすさのの松原」の歌がある。王子社は春日神社(泉佐野市春日)に合祀されている。

Img_3134 説明板

Img_3137 道標(左の民家前)

「すぐ 和歌山道」・「ふどうみち」で不動は犬鳴山不動尊のこと。

Img_3141 長滝の旧家

Img_3143 長滝の家並み

Img_3145 日根神社御旅所

Img_3148 安松八丁畷の石地蔵(右)  【ル-ト地図】の③

Img_3150 石地蔵

正平18年(1363)造立という古い地蔵。顔は補修されている。大坂からの旅人がおいはぎにあい、この地蔵の後ろに隠れて難を逃れたという。

Img_3149 説明板

Img_3159 塙団右衛門(ばんだんえもん)の墓 《地図

講談でおなじみの猪突猛進、蛮勇の豊臣方の武将。

Img_3158 説明板

Img_3160 籾井(樫井)王子跡

この「いづみモータース」が跡地で、後ろの奥家住宅の前庭に顕彰碑が立っている。王子権現社は日枝神社に合祀されている。藤原定家の『熊野御幸記』には、ここで奉幣、里神楽、乱舞、二人の白拍子の舞、相撲三番があったことを記している。

Img_3166 奥家住宅

慶長・元和頃の農家住宅。母屋(奥座敷を除く)・長屋門・土蔵・土塀が国の重文。

Img_3167 昔の面影を残す樫井の家並み。

Img_3169 淡輪六郎兵衛の墓

Img_3170 説明板

Img_3178 ダイワタオル工場(左)

泉佐野市はタオル製造がさかんな所。工場からは操業中の機械音が聞こえてきた。

Img_3182 樫井古戦場跡碑 《地図

大坂夏の陣の前哨戦の地。豊臣方は敗れ大坂城落城のきっかけとなった。

Img_3204 海会寺(かいえじ)跡 《地図

南門跡から回廊・塔・金堂・講堂方向。7世紀後半(白鳳時代)の創建と推定される、「法隆寺式伽藍配置」の古代寺院跡

Img_3189 配置図

Img_3196 一岡神社

海会寺の金堂跡に建っている。厩戸王子社が合祀されている。

Img_3208 由緒

境内社に「厩戸王子神社」がある。王子跡に寄るのを忘れた。

Img_3209 北庄司牛乳工場

自販機で85℃で15分間の殺菌の「パスチャライズ製法」の牛乳を買い、エネルギーを補充する。

「パスチャライズ」製法とは、パス殺菌(パスチャライザ-という特殊な釜による伝統的な殺菌方法)を用いた製法で、牛乳に優しい温度で殺菌し、本来牛乳の持つ特性(自然乳酸菌類・カゼイン・イオン化カルシウム等)をできる限り損なわないようにする製法だそうだ。

Img_3217信達宿本陣跡角谷家 【ル-ト地図】の④

Img_3222 信達(しんだち)宿の家並み 《地図

Img_3228往生院 《地図

白鳳8年(680)天武天皇の勅願により、行基の師の道昭の開創という。

Img_3224 由来碑

Img_3231信達(一ノ瀬)王子跡(右) 《地図

Img_3234 信達(一ノ瀬)王子跡

「馬頭さん」と呼ばれ、馬頭観音、地蔵 の小祠が並んでいる。

Img_3237 信達王子跡前の林昌寺への道標

左の小さな道標には「左あたご道」と刻まれているようだが下部は埋まっている。「あたご」は林昌寺のある愛宕山のこと。

街道は直進だが道標に従い林昌寺から岡中鎮守社への道を行く。

Img_3250 林昌寺

聖武天皇の勅願で行基の開創という。山門をくぐった所?に「補陀洛渡海碑」があるようだが見逃した。永禄8年(1565)2月28日、肥前温泉山の祐海上人が渡海したという。渡海といってもすぐ船は沈没し、溺死したことだろうが。魚の餌食となったのがせめてもの救い、功徳か。

Img_3244 躑躅山の山号どおりの「つつじ」の名所の庭園。正面上は地蔵堂

Img_3247 地蔵堂から愛宕大権現の愛宕山へと続いている。

Img_3253 岡中の家並みを抜け、岡中鎮守社へ。《地図

Img_3254 岡中の大クス

Img_3257 岡中鎮守社

社殿の背後に大楠がそびえる。かつては土塁で囲まれ槇、松、いちょう、榎、椋(むく)の大木が茂っていて、高城宮の旧地ともいい、ここが長岡王子跡との説がある。今は大クスの隣に槇が残るだけか。

Img_3258大クス

樹齢約800年、幹回り8.2m高さ32mという大木。

Img_3261 説明板

Img_3270 緩やかな坂を上って長岡王子跡、和泉鳥取駅へ向かう。

Img_3271 長岡王子跡 【ル-ト地図】の⑤

この波太神社伏拝鳥居の付近とも、岡中鎮守社の所ともいう。 

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2011年3月 6日 (日)

熊野古道(紀伊路② 大鳥居新王子→池田王子)

2011年2月21日

堺東駅(南海高野線)・・・紅谷庵・・・竹内街道分岐・・・耳原橋(南海高野線)・・(国道310号)・・仁徳天皇陵・・丸保山古墳・・・大仙遺跡(大阪女子大跡)・・・銅亀山古墳・・・御陵通り・・朝日寺・・・狐山古墳・・・(国道26号)・・・大安寺・・・御陵大師・・・南宗寺・・環濠跡(土居川)・・・旧道・・・(国道26号)・・・一里山地蔵・・・老松町・・・石津神社・・・戎橋(石津川)・・・鳳小栗街道交差点(府道28号)・・・大鳥神社・・・鳳北一踏切(JR阪和線)・・・鳳本通商店街・・・鳳南町交差点・・大鳥居新王子跡あたり(NTT鳳営業所跡)・・・上交差点・府道30号・・・旧道・・・(堺泉北有料道路)・・・北信太南一踏切(阪和線)・・・葛葉稲荷神社・・・北信太南二踏切・・・旧府神社・・・みみづく地蔵(中央寺)・・・聖神社鳥居・・篠田王子跡・・・小栗地蔵・・・八阪神社・高札場跡・小栗判官の笠かけ松・照手姫の腰かけ岩・・・明けの坂・・・小池之地蔵・・・平松王子跡・放光池1号公園・・・伯田町4丁目交差点(府道38号)・・・陸上自衛隊信太山駐屯地・・小栗街道道標・・・府中町・・・泉井上神社・・・和泉国府跡(御館山児童公園)・・・井ノ口王子跡・妙福寺・・・府道30号・柳田橋(槇尾川)・・・緑田橋・・・新緑田橋(松尾川)・・・高橋?(牛滝川)・岸和田市・・・(府道229号)・・・(府道40号)・・・久米田駅前交差点・・・久米田寺・久米田池・・光明塚古墳・・・諸兄塚(貝吹山古墳)・・無名塚古墳・風吹山古墳・・・池田王子跡あたり・久米田駅(阪和線)

  【ル-ト地図】(25.5km)

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Img_2776竹内街道(左)・熊野街道(西高野街道・直進)分岐 《地図

Img_2780 仁徳天皇陵

ただ馬鹿でかいだけの古墳

Img_2786 大仙遺跡(大阪女子大の敷地跡) 《地図

Img_2785 説明板

Img_2787 銅亀山古墳

仁徳陵を囲む15基の陪塚の一つ。

Img_2799 大安寺 《地図

本堂は安土桃山時代の豪商、納屋助左衛門(呂宋(ルソン)助左衛門)の屋敷跡という。秀吉に献上したルソン壺は現地人のオマル(便器)だったとの逸話もある。

Img_2797 説明板

Img_2817 南宗寺坐雲亭

Img_2818 説明板

Img_2829 伝徳川家康の墓

坐雲亭の説明板にもあるように、家康は大坂夏の陣で後藤又兵衛の長槍で刺し殺されたという伝承がある。家康亡きあとの替え玉は、元和2年(1616)に鯛のてんぷら中毒にことよせて毒殺されてしまったとか。この寺に東照宮があったこと、将軍秀忠、家光の御成りがあったことなどが、この伝承が生まれた所以だろう。

Img_2822 唐門の手前(内側)にかつて東照宮があった。今は新しい家康の墓がある。

Img_2824 徳川家康の墓

Img_2838 環濠跡(土居川)

正面右は南宗寺

Img_2834 説明板

Img_2840 熊野街道説明板

Img_2842 説明板

江戸時代には「小栗街道」とも呼ばれていて、この先の街道沿いには小栗判官と照手姫にまつわる伝承、事蹟が数多く残る。『小栗判官伝説(説教節)』

Img_2844 一里山地蔵 【ル-ト地図】の①

正面下の分岐に小祠がある。大和川から約一里で、こう呼ばれていた。

ここを左に進む。 

Img_2847 一里山地蔵 

Img_2848 老松町の旧家

Img_2855 石津神社

「日本最古の戎神」だそうだ。

Img_2857 説明板

Img_2858 境内には大クスが何本もそびえている。

Img_2878 大鳥神社

日本武尊が、死後白鳥となって最後に舞い降りたのがこの地という。

Img_2870 説明板

Img_2872 平清盛歌碑(富岡鉄斎の書)

平治の乱(1159年)の勃発で都に帰る清盛が戦勝を祈願して詠んだ歌。

Img_2871 説明板

Img_2880 鳳本通商店街の中を通る。

ここもシャッターを下ろしている店が多いか。

Img_2882 大鳥居新王子跡あたり 《地図

このNTT鳳営業所跡(今もNTT関連の施設か?)が王子社の大鳥美波比神社跡(現在は遷座して大鳥神社の摂社となっている)という。

Img_2883熊野街道説明板(鳳南地域会館前)

Img_2887 道標

「右 槇尾山道」・「すぐ 堺 住吉 大阪」

Img_2891 この案内板もあちこちに立っている。

Img_2894 太町の家並み

Img_2901葛葉稲荷神社 《地図

葛葉伝説の地、清少納言が枕草子に「森は信太森」と記した地でもある。篠田王子が合祀されている。

Img_2898 由緒①

Img_2899 由緒②

Img_2908 大クス

樹齢2000年ともいう、「千枝のクス」・「千恵(智恵)のクス」・「夫婦クス」

Img_2910 説明板

Img_2900 葛葉伝説

Img_2907 白狐の化身葛葉姫

抱いているのは安倍保名との子、童子丸。後の陰陽師、安倍晴明と伝説は続く。

Img_2913 姿見の井戸

上の鏡には葛葉姫ではなく、写真を撮っている拙者が写ってしまった。

Img_2927旧府(ふるふ)神社

Img_2929 白狐化け石(旧府神社境内の若宮社)

祭神は葛葉姫。狩人に追われた白狐が隠れた石、化けた石とも。

Img_2931 旧家

Img_2938 みみづく地蔵(右の中央寺の門前)

みみづくの姿の新しい地蔵。頭を撫で、耳元で願い事を念じると大願成就だそうだ。むろん試しはしないが。   

Img_2940聖神社鳥居

ここから1kmもないが、今日は遥拝でご容赦を。

Img_2942 篠田王子跡 【ル-ト地図】の②

王子社は葛葉稲荷神社に合祀

Img_2943 説明板

Img_2945_2 小栗地蔵 

Img_2947 高札場跡(八阪神社前)

ここに移設したもの。

Img_2948 説明板

Img_2954 小栗判官の笠かけの松・照手姫の腰かけ石(高札場の向い側)

照手姫の引く土車に乗って熊野に向かう小栗判官がここで休憩したという伝承地。説教節では照手姫はここまでは来ていないのだが。

Img_2950 説明板

Img_2955 明けの坂 【ル-ト地図】の③

小栗判官が夜通しの道中、この坂にさしかかった時に夜が明けたという。ということは笠かけの松、腰かけ石の所で夜明け前の休憩をしたということか。

Img_2959 坂上方向

Img_2960 小池之地蔵

明けの坂の坂上近く 

Img_2961 平松王子跡 《地図

後鳥羽上皇の「平松はまだ雲深くたちにけり あけ行く鐘はなにはあたりか」の歌碑が向い側の放光池1号公園にあるそうだが見逃した。「あけ(明け)行く」だから、「明けの坂」の由来はこっちの方とも思えるが? 王子社は伯太神社(伯太町5)に合祀。

Img_2962 明坂歯科

苗字、それとも明けの坂から名付けたのか?

Img_2971 小栗街道道標 《地図

Img_2967 道標

「右 小栗街道 牛瀧  岸和田 佐野 和歌山」・「左 池田 槇尾 松尾寺

右に進む。

Img_2978 府中町の家並み

Img_2987 泉井上神社 《地図

和泉の地名の由来といわれる「和泉清水」はどこにあるのか?

Img_2990 説明板

Img_2991 説明板

Img_3005 和泉国府址碑(府中町5-2の御館山児童公園内) 【ル-ト地図】の④ 

Img_3002 説明碑

Img_3008 旧家

Img_3012井ノ口王子跡(妙福寺前) 【ル-ト地図】の⑤

現在は泉井上神社に熊野神社として祀られている。

Img_3014 子宝地蔵尊(妙福寺)

Img_3015 昔は槇尾川には橋はなく、渡された板の上で川を越したそうだ。

Img_3056久米田寺周辺案内図

史跡諸兄塚が貝吹山古墳で、貝吹山古墳は風吹山古墳の誤り。

Img_3037 久米田寺

行基が天平10年(738)に創建という。永禄年間(1558~69)の三好氏と畠山氏の戦火で焼失した。現在の建物は、江戸時代中期に再建。

Img_3035大師堂

Img_3031 久米田池

行基が14年の歳月をかけて竣工させたという大阪府最大面積の43.5haのため池。

Img_3040 光明塚古墳

光明皇后の墓という伝承だが、もちろん時代が合わない。

Img_3041 貝吹山古墳で、「史跡諸兄塚」のはずだが説明板などはない。貝吹山の名は、久米田合戦の際に陣城(じんじろ)となり、法螺貝を吹き鳴らしたという伝承にちなむという。《地図

Img_3044 墳頂から

久米田古墳群で最大の全長約135mの前方後円墳。4世紀末から5世紀初頭の築造で橘諸兄の時代ではない。墓は井出町の山背古道沿い近くにあるが、それも時代が合わないようだ。

Img_3049 無名塚古墳

Img_3048 説明板

Img_3050 風吹山古墳

5世紀前半に築造の帆立貝形の前方後円墳か? ちゃんと整備されているが説明板などは見当たらなかった。

Img_3054 池田王子跡あたり 《地図

久米田駅の西側あたりだが、雑草が生え荒れていて王子跡を示すものはないようだ。かつては畑の中に土が舞台上に盛り上げられた草舞台と呼ばれていた場所があり、王子跡碑があったそうだ。以前はこのあたりを「ホージミヤ」といったという。王子の宮が訛ったものだろう。後鳥羽上皇に随行した藤原定家の『熊野御幸記』には、「池田王子に参り 琵琶を引かるるの法師に物を給ふ」とある。琵琶法師に小袖などが下賜されたようだ。

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2011年3月 2日 (水)

熊野古道(紀伊路① 八軒家浜→窪津王子→境王子)

2011年2月20日

天満橋駅(地下鉄谷町線)・・・八軒家浜・・・八軒家船着場跡・・・熊野街道入口・・・窪津王子跡(坐摩神社行宮)・・・日限地蔵院・・・釣鐘屋敷跡・・・御祓筋(熊野街道)・・・中大江公園・・・(中央大通り)・・・太閤下水跡・・・坂口王子伝承地(朝日神明社跡・南大江公園)・・・榎木大明神・・・(谷町筋)・・・暗越奈良街道分岐・・・(長堀通り)・・・郡戸王子跡(高津宮)・・・谷町九丁目駅(地下鉄千日前線)・・・上宮高校・・上野王子跡・・・四天王寺(熊野権現礼拝石)・・・庚申街道・・熊野街道交差地点・・・超願寺・・・庚申堂・・・清水地蔵・清水井戸・・・おはぐろ地蔵・・・法界地蔵・・・天王寺駅・・・あべの筋(府道30号)・・・松虫交差点・旧道・・・安倍晴明神社・・・阿倍王子神社・・・経塚跡・・・源正寺・・・姫松交差点・・旧道・・・大阪府公文書館・・・万代池・・・(南海高野線)・・・宝泉寺・・・池田屋味噌店・・・住吉大社・・・哀愍寺・・・龍の橋・・・津守王子跡(津守廃寺跡・墨江小学校)・・・(南海高野線)・・・止止呂支比売命神社・・・安楽寺・極楽寺・・・農神社・・・遠里小野橋(大和川)・・・浅香山駅(南海高野線)・・・大阪刑務所・・・境王子跡・・・方違神社・・・反正天皇陵・・・天王古墳・・・鈴山古墳・・・紅谷庵・・・堺東駅(南海高野線)

 熊野三山の本宮大社、速玉大社、那智大社への信仰の道、熊野古道を歩く。まずは京から大阪、田辺への紀伊路をたどり、中辺路に入り熊野本宮をめざす。京と大阪の間は東海道京街道(東海道五十七次)で歩いているので、大阪天満橋そばの八軒家浜を出発地点とした。中世の熊野詣の公式ルートの紀伊路、中辺路は熊野三山へのいわば表街道だ。

梁塵秘抄』には、「熊野へ参るには、紀路(きじ)と伊勢路のどれ近し、どれ遠し、広大慈悲の道なれば、紀路も伊勢路も遠からず」の歌がある。まあ四国遍路道に比べれば、慈悲の道かはいざ知らずだが、遠からずだろう。九十九王子跡を道しるべ、チェックポイントにしてあちこちと寄り道しながら進もう。熊野本宮へたどり着くのは何時になることやら。

 参考:『歴史街道ウォーキングマップ(熊野街道)』(大阪府)・『和歌山県街道マップ』(和歌山県観光協会)・『その他の図書類』(熊野古道関連)

  【ル-ト地図】(21.3km)

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Img_2543 八軒家浜(大川・旧淀川)

現在は観光船が発着し、川沿いに遊歩道ができ、川の駅「はちけんや」もオープンしている。

Img_2549 八軒家船着場跡 《地図

永田屋昆布店の右前に碑が立つ。江戸時代前は渡辺之津・窪津と呼ばれていた。

Img_9966 八軒家舩場跡碑

Img_2547 熊野街道入口 《地図

この御祓筋を南下するのだが、まずは一筋西側の窪津王子跡に寄らねばなるまい。横断歩道の左側に「熊野かいどう」碑が立っている。御祓筋とは熊野詣の人々が窪津王子でお祓いを受け出発したことによる名称というのが地元の伝承だそうだ。

Img_9968 熊野かいどう碑

Img_2550 窪津王子(渡辺王子・大江王子)跡(坐摩神社行宮) 【ル-ト地図】の①

京から淀川を船で下り、最初に参詣した第一王子の旧鎮座地。(九十九)王子とは熊野権現の化身として、熊野詣の巡礼者を守護する御子神を祀った社で、各種の儀式を行った。また熊野権現を遥拝したともいい、参詣道中の道しるべ、休憩所としての役割も担っていた。現在、窪津王子は四天王寺の西南、茶臼山の堀越神社の摂社の「熊野第一王子之宮」に祀られている。

新羅遠征からの帰途、神功皇后が腰かけて休息したという、「鎮座石」が坐摩神社行宮社殿前にある。

Img_2551 由緒

Img_2556 釣鐘屋敷跡 【ル-ト地図】の②

明治3年まで時報を告げていた鐘。屋敷は間口7間、奥行き13間4尺の建物で鐘楼脇に12畳の座敷があったという。

Img_2559 説明板

Img_2560 熊野街道道標(中大江公園前)

「大坂天満八軒家から0.5km」とある。大阪市内の熊野街道沿いにはこの道標が数多く立っていて目安になる。

Img_2567 坂口王子伝承地(朝日神明社跡・南大江公園) 《地図

今は公園の西側に狸坂大明神の小社が祀られている。

Img_2565 説明板

Img_2570 榎木大明神 《地図

ここが坂口王子跡、一里塚跡ともいう。手前を左折する。

Img_2574 暗越奈良街道分岐 《地図

熊野街道はこの先で右折し南下する。暗越奈良街道は直進。去年の12月にここを歩いた時はちょうどクリスマス寒波の到来で寒かったが、今日は歩くのには快適な陽気だ。

Img_2580空堀ど~り商店街を右折し、細い道に入る。《地図

Img_2581 古い家並みも残る上汐町。

Photo 郡戸(こうづ)王子が合祀されているという高津宮(こうづぐう)

このあたりが郡戸王子跡とも、街道の東の仁徳天皇の高津宮(高津高校あたり)との伝承もある。

Img_2587 上野王子跡 【ル-ト地図】の③

上之宮神社跡地で、上之宮台ハイツ入口下に古い「上宮之址碑」が立っている。現在は大江神社に合祀されている。左側には生田花朝の石碑と句碑が並んでいる。街道からは少し離れ過ぎているような気もするが。

Img_2590 上宮之址碑

Img_2607 熊野権現礼拝石から四天王寺南大門 《地図

Img_2605 説明板

Img_2604 礼拝石

南大門をくぐり、庚申街道を南下し、竜田越奈良街道と交差して行く。

Img_2614 超願寺

Img_2613 竹本義太夫の墓(超願寺)

ちなみに近松門左衛門の墓は熊野街道の西側の谷町8丁目にあるようだが見逃した。《地図

Img_2615 庚申街道・庚申堂(右)

Img_2618庚申堂

本尊の青面金剛童子像は秘仏。

Img_2616 説明板

庚申の縁日の日に北を向いて食べるという、「北向きこんにゃく」を食べてみたいものだ。

Img_2617

Img_2619 清水地蔵堂・清水井戸(右) 《地図

ここを左折する。

Img_2623 説明板

Img_2622 清水地蔵

いつ頃の作かは不明という。 

Img_2624 清水井戸

もとは崖上からの墳井で、四天王寺名水の一つだったという。

Img_2627 おはぐろ地蔵(労金前) 

Img_2625 左がおはぐろ地蔵 だろう。どんな由来があるのか? 下部は道標になっているようだ。

Img_2628 法界地蔵(安政4年(1857))(左) 《地図

諸願を成就させてくれる地蔵さんということか。

右折し「あべの筋」に出て南下する。

Img_2631阪堺電軌上町線が行き交うあべの筋

Img_2636 松虫交差点から右に入る。

地名・駅名由来の「松虫塚」が、松虫停留場の西南約300mにあるそうだ。

Img_2639 安倍晴明神社 《地図

Img_2641 説明板

Img_2642 安倍晴明産湯の井跡(左)・安倍晴明誕生地碑(中・文政年間の建立)・鎮め(孕み)石(右・古代の船の錨(いかり)で、「鎮める」から安産祈願の石として信仰されてきた)

Img_2646 陰陽師安倍晴明の母親、白狐の葛之葉姫

この先の葛葉稲荷神社でも葛之葉姫に出会うことになる。

Img_2647 葛の葉伝説

パロディ落語の『天神山

Img_2651 阿倍王子神社

大阪市内に残る唯一の王子社。鳥居の下に①「阿倍王子旧跡」碑・左に②「もと熊野街道」碑

Img_2653 説明板①

Img_2652 説明板②

Img_2660 経塚跡

聖徳太子が一字一石経を埋めたとか、空海が写経を埋めたともいう経塚は消滅し、石柱のみがここ清明丘公園に移された。

Img_2658 説明板

Img_2669昭和っぽい風景の残る「北畠」駅あたり

経塚の説明板にもある北畠顕家の墓という大名塚があったことによる地名。現在、顕家の墓は北畠公園(阿倍野区王子町3丁目)にある。

姫松交差点の先で左に入る。

Img_2682 万代池(まんだいいけ・ばんだいいけ) 《地図

明治時代までは灌漑用池で、今は公園として整備されている。

Img_2694 十三仏(宝泉寺)

Img_2692 由来

Img_2693 13体の石仏が並んでいる。

Img_2700 「住之江味噌」の池田屋本舗 《地図

「おかず味噌」を買いたかったが日曜は定休日でがっかり。

Img_2699由来

Img_2706 住吉大社反橋(太鼓橋)

Img_2705 本殿

建仁元年(1201)の後鳥羽上皇の4回目の熊野御幸に随行した藤原定家の『熊野御幸記』には、里神楽、相撲の奉納のあとで、和歌を披講したとある。

Img_2711 御神田

鴨による無農薬栽培の約600坪の田んぼ。誰が食べるのか?

Img_2714 ちぎり(十徳)地蔵尊(哀愍寺) 《地図

地元では「ちぎりさん」と呼ぶそうだ。

Img_2713 十徳を叶えてくれるか。

Img_2719 津守王子跡・津守廃寺跡(墨江小学校あたり(左)) 【ル-ト地図】の④

Img_2720 説明板

津守王子の記載はない。

Img_2725止止呂支比売命(とどろきひめみこと)神社 《地図

津守王子が合祀されているというが、それを記すものは見当たらない。承久3年(1221)の後鳥羽上皇の熊野詣ではここに行宮をおき、若松御所と称した。境内に「後鳥羽上皇行宮址」碑が立っている。承久3年といえば後鳥羽上皇が承久の乱を起して敗れた年だ。

Img_2724 説明板

Img_2735 安楽寺 《地図

正面の塀の前に道標。「右八尾街道 左阿倍野街道」とある。東方向から来た八尾街道が、ここで阿倍野街道(熊野街道)と合流し南下する。

向いは木造毘沙門天を安置する極楽寺。

Img_2743雲上地蔵・白龍大神(右・大和川の土手上) 《地図

明治2年の大和川洪水の犠牲者を供養。

Img_2745 説明碑

Img_2747 大和川

左は南海高野線、右へ上流の遠里小野橋を渡って堺市へ入る。

Img_2751 大阪刑務所の手前で右折する。

Img_2757 境王子跡(王子ケ飢公園前) 【ル-ト地図】の⑤

位置については諸説あるようだ。

Img_2755 説明板

Img_2759 方違(ほうちがい)神社

Img_2761 反正天皇陵(田出井山古墳) 《地図

陪塚の天王古墳、鈴山古墳沿いを進む。

Img_2765 クロガネモチ(樹齢400年以上)

行基の開基という向泉寺が別当の向井神社の境内中央にあった巨木。向井神社は明治末年に方違神社に合祀された。

Img_2775紅谷庵

Img_2774 説明板

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