熊野古道(紀伊路・和歌山城下)
2011年2月25日
和歌山駅(JR阪和線)・・・けやき大通り(県道17号)・・・新町橋(和歌川)・・・東ぶらくり丁・・・雑賀橋(大門川)・和歌山ブルース歌碑・・(築地通り)・・中ぶらくり丁・・・城北公園・・・城北通り・・本願寺鷺森別院・・・勝海舟寓居地跡あたり・・・南方熊楠生誕地・・・寄合橋(市堀川)・・・藩校跡・・・城北橋・・・評定所跡あたり・・・和歌山城(裏坂・新裏坂・表坂)・岡口門・・三年坂通り・・・百間長屋跡(岡公園)・・・不明門跡・・・岡山の時鐘堂・奥山稲荷社・・・徳川吉宗生誕地・・・報恩寺・・・寺町通り・・・無量光寺・・・尾形通り・・・遍照寺・・・三年坂通り・・・大橋(和歌川)・・・大立寺・・・和歌山駅
*参考:『和歌山市観光案内マップ』(和歌山市観光協会)
《地図》
写真をクリックすると拡大します。
文政13年(1830)の大火後、商品を店頭にぶらくって(ぶらさげて)売り出し、こう呼ばれるようになった。
まだ朝早く閑散としている商店街。「商店街を楽しもう!」とぶらさがっているが、全部の商店のシャッターが上がるのだろうか? 今はやりの「シャッター通り商店街」でなければいいが。
和歌山ブルース碑 《地図》
ただの休憩用の腰かけと思って近づくと、古都清乃の歌が流れ出した。流行った曲というが聞き覚えはない気がした。円盤部分(レコード盤をイメージしたものか)に説明と歌詞が刻まれ、「ぶらくり丁の 恋灯り・・・」という一節もある。まあ朝早くから聞く歌でもないだろうが。
何の情緒、風情もない冷たい感じの寺だ。
勝海舟寓居地跡というが説明板などはない。(南方熊楠生誕地碑の前あたり)
南方熊楠生誕地碑
昭和の中頃まで藤白神社の大クスノキの子守の楠神さんにあやかって子供の名に楠を入れることが多かったという。熊は熊野から。
城下で最もにぎやかだった寄合町を通る橋。
藩校跡 《地図》
評定所跡(左)だがここも標示はなし。 《地図》
西の丸跡から
表坂・裏坂・新裏坂がある。
切り下げられて急坂だった面影はまったくない。向い側の岡公園が御作事所の職人が居住した百間長屋跡。
江戸時代の俗信による坂名と書かれているが、「この坂で転ぶと三年以内に死ぬ」という俗信の内容が書かれていないお粗末な代物。「急坂なので転ばぬように注意深く上り下りしろ」という戒めがこの俗信には込められているのだ。
奥山稲荷神社から
紀州藩祖徳川頼宣が駿河から国入りする時、和歌山城の守り神として遷座。今は商売繁盛、厄除けなど。
大正10年まで時を報せていた鐘。大阪夏の陣の豊臣方の大筒(大砲)を鋳直したものという。鐘の音は覆屋に囲まれていても遠くまで響くのだろうか?
右に石柱碑と説明板
寺町通りの名のとおり近辺には寺が並んでいる。いざという時の和歌山城の備えだろう。
無量光寺 《地図》
仏体を継がれず200年近くずっと首だけで放置され、すっかり諦め、悟りきった顔をしているか。
大立寺山門 《地図》
秀吉の紀州攻めに最後まで抵抗し、水攻めで落城した太田党の太田城の大門を移築。和歌山駅東側の来迎寺(太田2丁目)が本丸跡と伝わる。
太田城跡(来迎寺) 《地図》
(2011年6月1日撮影)
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