熊野古道(紀伊路② 大鳥居新王子→池田王子)
2011年2月21日
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【ル-ト地図】
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ただ馬鹿でかいだけの古墳
大仙遺跡(大阪女子大の敷地跡) 《地図》
仁徳陵を囲む15基の陪塚の一つ。
大安寺 《地図》
本堂は安土桃山時代の豪商、納屋助左衛門(呂宋(ルソン)助左衛門)の屋敷跡という。秀吉に献上したルソン壺は現地人のオマル(便器)だったとの逸話もある。
南宗寺坐雲亭
坐雲亭の説明板にもあるように、家康は大坂夏の陣で後藤又兵衛の長槍で刺し殺されたという伝承がある。家康亡きあとの替え玉は、元和2年(1616)に鯛のてんぷら中毒にことよせて毒殺されてしまったとか。この寺に東照宮があったこと、将軍秀忠、家光の御成りがあったことなどが、この伝承が生まれた所以だろう。
唐門の手前(内側)にかつて東照宮があった。今は新しい家康の墓がある。
正面右は南宗寺
江戸時代には「小栗街道」とも呼ばれていて、この先の街道沿いには小栗判官と照手姫にまつわる伝承、事蹟が数多く残る。『小栗判官伝説(説教節)』
正面下の分岐に小祠がある。大和川から約一里で、こう呼ばれていた。
ここを左に進む。
「日本最古の戎神」だそうだ。
日本武尊が、死後白鳥となって最後に舞い降りたのがこの地という。
平治の乱(1159年)の勃発で都に帰る清盛が戦勝を祈願して詠んだ歌。
鳳本通商店街の中を通る。
ここもシャッターを下ろしている店が多いか。
大鳥居新王子跡あたり 《地図》
このNTT鳳営業所跡(今もNTT関連の施設か?)が王子社の大鳥美波比神社跡(現在は遷座して大鳥神社の摂社となっている)という。
「右 槇尾山道」・「すぐ 堺 住吉 大阪」
葛葉伝説の地、清少納言が枕草子に「森は信太森」と記した地でもある。篠田王子が合祀されている。
樹齢2000年ともいう、「千枝のクス」・「千恵(智恵)のクス」・「夫婦クス」
抱いているのは安倍保名との子、童子丸。後の陰陽師、安倍晴明と伝説は続く。
落語『天神山』 安倍晴明は茨城県の旧明野町(筑西市)で生まれたとする伝説もある。『明野の安倍晴明伝説』(茨城見聞録)
『安倍晴明伝説』(筑西市)
上の鏡には葛葉姫ではなく、写真を撮っている拙者が写ってしまった。
祭神は葛葉姫。狩人に追われた白狐が隠れた石、化けた石とも。
みみづくの姿の新しい地蔵。頭を撫で、耳元で願い事を念じると大願成就だそうだ。むろん試しはしないが。
聖神社鳥居
ここから1kmもないが、今日は遥拝でご容赦を。
王子社は葛葉稲荷神社に合祀
ここに移設したもの。
照手姫の引く土車に乗って熊野に向かう小栗判官がここで休憩したという伝承地。説教節では照手姫はここまでは来ていないのだが。
小栗判官が夜通しの道中、この坂にさしかかった時に夜が明けたという。ということは笠かけの松、腰かけ石の所で夜明け前の休憩をしたということか。
明けの坂の坂上近く
平松王子跡 《地図》
後鳥羽上皇の「平松はまだ雲深くたちにけり あけ行く鐘はなにはあたりか」の歌碑が向い側の放光池1号公園にあるそうだが見逃した。「あけ(明け)行く」だから、「明けの坂」の由来はこっちの方とも思えるが? 王子社は伯太神社(伯太町5)に合祀。
苗字、それとも明けの坂から名付けたのか?
小栗街道道標 《地図》
「右 小栗街道 牛瀧 岸和田 佐野 和歌山」・「左 池田 槇尾 松尾寺」
右に進む。
和泉の地名の由来といわれる「和泉清水」はどこにあるのか?
和泉国府址碑(府中町5-2の御館山児童公園内) 【ル-ト地図】の10
現在は泉井上神社に熊野神社として祀られている。
史跡諸兄塚が貝吹山古墳で、貝吹山古墳は風吹山古墳の誤り。
行基が天平10年(738)に創建という。永禄年間(1558~69)の三好氏と畠山氏の戦火で焼失した。現在の建物は、江戸時代中期に再建。
行基が14年の歳月をかけて竣工させたという大阪府最大面積の43.5haのため池。
光明皇后の墓という伝承だが、もちろん時代が合わない。
貝吹山古墳で、「史跡諸兄塚」のはずだが説明板などはない。貝吹山の名は、久米田合戦の際に陣城(じんじろ)となり、法螺貝を吹き鳴らしたという伝承にちなむという。《地図》
久米田古墳群で最大の全長約135mの前方後円墳。4世紀末から5世紀初頭の築造で橘諸兄の時代ではない。墓は井出町の山背古道沿い近くにあるが、それも時代が合わないようだ。
5世紀前半に築造の帆立貝形の前方後円墳か? ちゃんと整備されているが説明板などは見当たらなかった。
池田王子跡あたり 《地図》
久米田駅の西側あたりだが、雑草が生え荒れていて王子跡を示すものはないようだ。かつては畑の中に土が舞台上に盛り上げられた草舞台と呼ばれていた場所があり、王子跡碑があったそうだ。以前はこのあたりを「ホージミヤ」といったという。王子の宮が訛ったものだろう。後鳥羽上皇に随行した藤原定家の『熊野御幸記』には、「池田王子に参り 琵琶を引かるるの法師に物を給ふ」とある。琵琶法師に小袖などが下賜されたようだ。
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