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2011年3月12日 (土)

熊野古道(紀伊路④ 地蔵堂王子→吐前王子)

2011年2月23日

和泉鳥取駅(JR阪和線)・・・山中橋(山中川)・・・滑下橋(山中川)・・・地蔵堂王子・・・琵琶ケ岸懸・・・双子橋・・・馬目王子跡・・・山中宿・・旧庄屋屋敷・・山中神社・・旅籠とうふや跡・・山中宿本陣跡・・道祖神・・山中渓駅(阪和線)・・山中関所跡・・・桜地蔵の経塚・・・日本最後の仇討場跡・境橋(境谷川)・(和歌山県)・・・第一滝畑踏切・・中山王子跡・・滝畑集落・・第二滝畑踏切・・・雄ノ山峠(180m)・・・峠の不動・・・湯屋谷架道橋(阪和線)・・・山口王子跡・白鳥の関(紀伊の関)あたり・・やまつめ橋・・小野寺橋(雄ノ山川)・小野寺跡あたり・・・山口神社・・・淡島街道(県道7号)・・・大師堂・・・西蓮寺・・川辺王子跡・・・神波自治会館・・・無量寺・・・中村王子跡・・・力侍神社・・・(国道24号)・・・(県道64号)・・・地蔵堂・・・正念寺・・・紀の川土手・・・川辺橋(紀の川)・・・布施屋の渡し場説明板・・・吐前踏切(JR和歌山線)・・・吐前王子跡・・・極楽寺跡・・・布施屋観音寺・・・布施屋駅(和歌山線)

  【ル-ト地図】(19.7km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3282 地蔵堂王子跡 【ル-ト地図】の①

波太神社の隣の鳥取神社に合祀され、本尊の地蔵菩薩は地福寺に子安地蔵として祀られている。

山中渓の周辺案内図

Img_3280 説明板

Img_3283 地蔵堂王子跡の小公園前を直進し、未舗装の道に入り琵琶ケ岸懸へ

途中でカラフルな服装の老人とすれ違う。ニニニコ笑顔で「ええ、天気じゃのう」と声を掛けられた。少し進んで振り返るともう老人の姿はない。ひょっとすると琵琶法師の生まれ変わりか、亡霊だったのかも。

Img_3289 左が崩れている。《地図

ここが琵琶ケ岸懸だ。右のロープにつかまり進む。盲目の琵琶法師でなくても、ここは危険な難所だったろう。

Img_3287 ロープを抱えながら岸懸下を覗き込むと、真下に山中川が流れている。まさに目がくらむ眺めだ。川の流れが転落した琵琶法師の琵琶の音に聞こえるかどうか? ちゃんと確かめるのを忘れた。というより耳をすます余裕がなかったというべきか。

Img_3291 説明板

Img_3292 旧道は波太神社の伏拝鳥居の先からここへ続いている(いた)のだ。

Img_3296 馬目(うまめ・ウハメ)王子跡

鳥取神社に合祀されたが、神体はこの先の山中神社に祀られている。大阪府最後の王子跡。

Img_3299 石碑には「馬目王子跡 (足神さん)」と刻まれている。

Img_3298 説明板

Img_3306 山中宿へ入ると石畳の道となる。

Img_3307 説明板

Img_3312 旧庄屋屋敷

Img_3310 説明板

Img_3317 山中神社 《地図

左が馬目王子社の神体の「足神さん」の小祠。上が八王子社の小祠。

Img_3313 説明板

Img_3321 説明板

Img_3325 旅籠とうふや跡(右)

駐車場で遺構は残らず。

Img_3324 説明板

Img_3328 山中宿本陣跡

Img_3327 説明板

Img_3330 道祖神

石屋根付き

Img_3331 説明板

御三家の権威を笠に着て、紀州藩は手前勝手で横暴だ。

Img_3332山中渓駅

山中渓は桜の名所でもある。

Img_3333 山中関所跡

江戸時代に入って廃止され、遺構などは何も残らず。

Img_3334 説明板

Img_3342 桜地蔵の経塚(文安5年(1448))

修験者が建てた経塚で、ここに老木の桜があったことから、桜地蔵経塚とも呼ばれていた。正面に梵字と「文安五年八月吉日」の銘が刻まれている。詳しくは阪南市のHPの『修験道の行場

Img_3345 経塚のそばの標柱

Img_3348 日本最後の仇討場跡 【ル-ト地図】の②

すぐ先の境橋を渡ると和歌山県だ。

Img_3349 説明板

ここでも紀州藩は面倒な事は藩の外へ追い払うという身勝手振りだ。

Img_3350 右へ阪和線の踏切を渡る。

Img_3352中山王子跡 【ル-ト地図】の③

阪和線の線路で消滅。春日神社から山口神社に合祀された。和歌山県へ入って最初の王子跡。

Img_3354 和歌山県に入ると見やすく詳しい立派な説明板が立っている。

Img_3361滝畑集落を進んで再び踏切を渡り県道を上る。

Img_3368 雄ノ山峠(180m) 《地図

たいした高さでもない。

Img_3372 峠の不動明王

少し下った左側に小祠がある。

Img_3374 不動さんは車の排気ガスにやられたかすっかり痩せ細ってしまった。でも色とりどりの花が供えられている。車で供えに来ているのだろうか?

Img_3378 南方の紀の川方向の眺め

Img_3384 左に入って山口王子跡へ

Img_3386 山口王子跡・白鳥の関(紀伊の関)・万葉歌碑 《地図

山口神社に合祀。万葉歌碑は「わが背子が跡ふみもとめ 追ひゆかば 紀の関守 い留めてむかも」(笠朝臣金村)。神亀元年(724)聖武天皇の紀伊国行幸の時、供の中に娘子の恋人がいた。その人に贈るために娘子に頼まれ金村が代作した歌という。

紀伊の関は「白鳥の関」とも呼ばれ、「白鳥女房の伝説」(今昔物語集の巻第三十第十四話「人妻化成弓後成鳥飛失語)がある。「夢で最愛の妻がいなくなると告げられた夫が目を覚ますと、妻は消えていて枕元に弓が立て掛けてあった。夫は弓を身から離すことなく大切にしていたが、妻は帰って来なかった。ある時、弓は白い鳥となって、南の方へ飛んで行った。追いかけた夫は紀伊国で白い鳥が人間の姿に戻るのを見て、妻が鬼神などの変化(へんげ)と悟り引き返した」という話。

Img_3389 説明板

Img_3397小野寺橋を渡る。

この先の藤井家裏手が小野寺跡で、小野小町の墓と伝える石塔が残る。80歳を越えた小町は熊野詣からの帰路、この里で倒れ死んだという。里人は同情し小野寺を建てたと伝える。寺は遍照寺に統合され、老いさらばえた小町の木像を安置する。小町のイメージが狂うので見ない方がいいだろう。美人は薄命が鉄則か。「小野小町生誕地・墓」は各地にある。

熊野古道はここから西方の川辺王子、中山王子へと迂回し紀の川へ至るが、直接南下して紀の川へ出たという説もあるようだ。その方がかなり近道だ。近ければいいというものでもないが。

Img_3401 街道から離れ案内標識に従い山口神社へ向う。

Img_3407 田畑の広がる道を行く。正面の森が山口神社

Img_3411_2 山口神社 《地図

中山王子・山口王子が合祀されている。

Img_3413 山口神社前から南へ進み鳥居をくぐると、熊野街道の県道7号(淡島街道)に合流する。

Img_3415 淡島街道(県道7号)を西に向かう。

歩道が分離してなく歩きにくい。加太の女性の守り神、淡嶋神社へと続く道。

Img_3417 旧家

Img_3419 大師堂(右)の所で左折する。《地図

Img_3421 弘法大師像

Img_3422道路に熊野古道マークがある。

Img_3423 これを頼りに進む。

Img_3425 川辺王子跡 【ル-ト地図】の④

①ここの旧八王子社跡で力侍神社に合祀された(和歌山指定)。②力侍神社が王子跡(指定) ③薬師堂付近にあった。など諸説ある。時代とともに街道の道筋も、王子社も移り変わったようだ。

Img_3426 説明板

Img_3436 田んぼの中の曲がりくねった道だが道標マークがあるので迷うことはない。

Img_3443 中村王子跡 《地図

現在は力侍神社に合祀。紀の川越えをひかえた休憩と準備の場として重要な所であったが、ここも位置については楠本の楠大明神社、若宮八幡宮(いずれも力侍神社に合祀)などの説がある。

Img_3442 説明板

Img_3447 力侍神社

鳥居の右前に「川辺王子跡 和歌山指定文化財史跡」の石柱が立つ。

Img_3466 説明板

Img_3464 力侍神社(左)

右の八王子神社が川辺王子跡①からここに合祀された。

Img_3468 地蔵堂 《地図

波切不動を祀る? 地元の信仰が厚いようだ。

Img_3478 旧家の右に道標

Img_3475 道標

「左北大坂みち」・右側面に「新義本山根来寺 三国一錐鑚(きりもみ)不動尊」。

Img_3487 古い家並みを抜けて紀の川へ 《地図

Img_3488 紀の川土手

川向うの山は高積山

Img_3496 大きく川辺橋まで迂回する。全長755.5mの和歌山県で1番長い橋。

Img_3501 川辺橋下の地蔵たち。 

Img_3504 紀の川(川辺橋から)

広い河川敷な中を蛇行している。《地図

Img_3513 布施屋の渡し説明板(オークワ食品工業前) 《地図

渡しは昭和30年代の半ばまで活躍していたそうだ。旅人に金銭や物を布施する屋があったことに由来する地名。

Img_3512 説明板

Img_3519 吐前(はんざき)王子跡(右) 【ル-ト地図】の⑤

後鳥羽上皇に随行した藤原定家は、吐前の仮屋で昼食をとりながら遅れていた後鳥羽上皇を待ち、ここから日前宮へ奉幣の代参に向かい、奈久智王子へ直行した。そのため(川端王子)・和佐王子・平緒王子には寄っていない。布施屋に渡し場ができると、参詣者たちはここを通らなくなり寂れていったようだ。現在は小倉神社に合祀。

Img_3520 説明板

Img_3528 「極楽寺跡」の石柱が堂の右前に立っているが、由来などは分からず。

Img_3533 消防倉庫と民家の間に半鐘がぶらさがっている。

Img_3539 布施屋観音寺 《地図

ちょっと寂れて荒れている感じだ。左端の稲荷社も傾きかけている。

Img_3536 説明板

Img_3547 布施屋駅

JR和歌山線で和歌山駅に出た。

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