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2011年3月21日 (月)

熊野古道(紀伊路⑤ 川端王子→藤白王子)

2011年2月24

布施屋駅(JR阪和線)・・・川端王子跡・・・小栗踏切・・・小栗橋・・・宮井橋・・・旧中筋家住宅・・・和佐王子跡・・和佐大八郎の墓・・・役行者祠・・・矢田峠・・・(県道9号)・・・平緒王子跡・・・(小栗橋・県道13号)・・・(和歌山電鉄貴志川線)・・・伊太祁曽神社・・・六地蔵・・・須佐神社・・・奈久智王子跡①・・・地蔵祠・・(阪和自動車道)・・・武内神社・・・新池・・・奈久智王子跡②・・・地蔵祠・・・四つ石地蔵・・・六ケ橋(亀ノ川)・・・光明寺・・・県道136号・松坂王子跡・・・県道136号・・石畳道・・県道136号・クモ池・・徳本名号塔・・・汐見峠・・呼上地蔵・・・(県道18号)・・・松代王子跡・・・蓮花寺・・・菩提房王子跡・・・小中地蔵堂・・・浄土寺(日限地蔵尊)・・如来寺・・・熊野一の鳥居跡・・・祓戸王子跡・・・鈴木屋敷・・・藤白王子(藤白神社)・・・(JR紀勢線)・・・西法寺・・・海南駅(紀勢線)

 今回の熊野古道の紀伊路歩きの最終日だ。時々雨がぱらつく下を矢田峠、汐見峠を越え(いずれも峠というほどの高さはないが)、五体王子の藤白神社まで歩く。この先は藤白坂の長い上りとなるが、それは次回の楽しみとしよう。

  『熊野古道紀伊路⑥)』に続く。

  【ル-ト地図】(19.2km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3554 川端王子跡 【ル-ト地図】の①

藤原定家の『熊野御幸記』に記述はない。布施屋の渡し場ができた後に設けられた王子のようだ。高積神社に合祀されている。

Img_3555 説明板

Img_3565 案内に従って小栗踏切を渡り小栗橋へ行ってみたが、小さな流れの上のガードレールの橋だった。小栗判官の由来話でもあるのだろうか?

Img_3576旧中筋家住宅

江戸末期の庄屋屋敷

Img_3578 長屋門

土・日・祝日のみの公開で母家へは入れず。

Img_3579 説明板

Img_3583 旧家の緑泥片岩?の石積み

Img_3585 和佐王子跡 《地図

ここも高積神社に合祀されている。すぐ先に和佐大八郎の墓がある。

Img_3593 説明板

Img_3595 和佐大八郎の墓

1日で矢を8000本以上も射通しすれば肩はいかれてしまったろうに。今ならギネスブックものだが。

Img_3596 説明板

Img_3599右へ行き車道を横切ると矢田峠への上りとなる。

Img_3601 役行者祠

Img_3602いかめしそうな顔の役行者の石像

Img_3606 矢田峠 《地図

右上に石仏2体と石塔?がある。

Img_3607 地蔵と観音だろうか?

Img_3611 分岐点

ガードレールに(熊野古道→)の標識と、路面にも導き石があるが、ここは左の道を進む。徳本上人名号碑(左手のフェンス内?)があるようだが気づかなかった。

Img_3615 みかん畑沿いの道を行く。

Img_3616 右方(西側)の眺め

Img_3618 ため池方向に下って行く。

Img_3623 下って集落の間を抜ける。

Img_3624 ここで右に曲がる。道標などはなく分かりにくい。

Img_3626 竹林の先で県道9号を横切る。

Img_3629 県道9号の西側の旧道を進む。

Img_3634 県道に出て、再び右に入る。

Img_3637 平緒王子跡 【ル-ト地図】の②

平尾の都麻津比売(つまつひめ)神社に合祀。NHKTVの『街道てくてく旅 熊野古道』を見ていたという近所のおばさんとしばし談笑して小休憩した。

Img_3638 説明板

Img_3648 和歌山電鉄貴志川線を越える。《地図

終点の貴志駅には三毛猫のたま駅長が勤務しているが、11歳の高齢で日中も居眠りをしている時が多いそうだ。わざわざ見に行って安眠を妨げることもあるまい。

Img_3653 伊太祁曽神社 《地図

太鼓橋から工事中の拝殿。

Img_3652 由緒

Img_3663 六地蔵堂(正面右)の前を進み左へ曲がる。

Img_36651体に2地蔵が彫られ×3体=六地蔵か   

Img_3682奈久智王子跡①へ

今は亡き「おミズ」こと水原弘と、水戸黄門を卒業した由美かおるの40年以上前の懐かしい看板の脇を少し上る。

Img_3676_2 説明板①

Img_3677奈久智王子跡① 【ル-ト地図】の③

伊太祁曽神社に合祀されている。武内神社の先(説明板②の薬勝寺村付近)に王子跡②がある。

Img_3678説明板②

Img_3679 説明板の後ろの小祠。

Img_3687 阪和自動車道をくぐる。

Img_3688 手前左側に地蔵の祠 

Img_3690 武内神社 《地図

5代の天皇に仕え、300年以上も生きたという武内宿禰(たけうちのすくね)を祀る。

Img_3692 説明板

Img_3694 産湯の井戸

武内宿禰にも赤ん坊の時があったのだ。300歳以上まで生きたというから、どうも老人の姿しか浮かんでこない。紀州徳川家で子女が生まれた時は、長寿にあやかりこの井戸の水が産湯に使われたそうだ。

Img_3699 新池

Img_3704 案内板に従い左に入る。

Img_3705 「向い山」の竹藪の丘陵地は重機で崩されている。ここを左に入った竹藪の中に奈久智王子跡②の小祠がある。街道はこの手前を右にカーブして行く。

Img_3706 倒れた地蔵が4体が痛ましい。もともと寝ているのかも。新しい花が供えられている。この細道を少し上る。 

Img_3707 奈久智王子跡の小祠② 《地図

地元では王子権現と呼んでいたという、小祠は石囲いの中だが今や崩壊寸前、いずれ重機で破壊され跡方もなくなってしまうのか。

Img_3711 旧道を右に進むと古墳の石室のような中に地蔵が立っている。ここにも花が供えられている。 

Img_3712旧道を進むが道標がないのでちょっと心配になる。

Img_3713 しばらく進むと多田集落の手前に、ちゃんと道標・案内標識があった。

Img_3717 多田の家並み

Img_3718 四つ石地蔵堂(右)

手前の金網フェンス内に礎石らしき石が2つ置いてある。 

Img_3719 説明板

Img_3721 四つ石地蔵

説明板には千光寺の礎石を集めて祀ったとある。礎石から造ったということではないようだ。 

Img_3725 旧家

Img_3730 光明寺

【ル-ト地図】はここで右折しているが間違いで直進する。

Img_3732 直進して前方の民家の前で右折する。

Img_3734 矢印従い右に行くと県道に突き当たる。その向い側が松坂王子跡。

Img_3735 松坂王子跡 【ル-ト地図】の④

且来(あっそ)八幡神社に合祀。説明板の左は地蔵の小祠。

Img_3737 説明板

Img_3742 石畳の道

県道の改修工事でわずかだけ残された。

Img_3745 説明板

Img_3749 県道(左)との合流地点から振り返る。

Img_3750 クモ(蜘蛛)池 《地図

日本書紀の神武天皇即位前紀に「六月乙未朔丁巳軍至名草邑則誅名草戸畔者【戸畔此云妬鼙】」とある。この池あたりで、神武天皇軍が先住民の首長の名草戸畔(なぐさとべ・土地の豪族の土蜘蛛)の軍勢と戦い討ち取ったという伝承がある。土蜘蛛とは天皇に恭順をしめさなかった土豪の蔑称で、中央に従わない先住民たちを鬼とか化け物と呼んで侵略して行く、汚い常套手段だ。また、「戸畔」は「戸のあたりにいる女」で、シャーマンの女性首長を指すともいう。さらに名草戸畔は「古代紀国の女王」だったという伝承もあるそうだ。

クモ池の畔にも大きな徳本上人名号塔が立っている。

Img_3752 汐見峠から下る。峠というほどの高さもなく、汐見の由来となった紀伊水道の眺望も開けず、いつの間にか通り越してしまう。

Img_3753 呼上地蔵堂 

Img_3755 説明板

Img_3754 呼上地蔵

安政の大地震の時、人々を峠へ呼び上げて救ったという地蔵 さん。台座は道標になっている。 もとはもっと峠近くにあったが、県道工事の際にここに移された。

Img_3760 松代王子跡へ

ここを左に上る。本来の王子社は街道沿いにあったらしい。現在は春日神社に合祀。藤原定家はここで、子供を抱いた盲目の女性に出会っていて、『御幸記』に「盲女懐子あり」とのメモ書きを記している。熊野権現は「信・不信を選ばず、浄・不浄を嫌わず」で、女性、障害者などあらゆる人を分け隔てなく受け入れていた証しだろう。

Img_3764 松代王子跡

ここは春日神社の境内地。

Img_3765 説明板

Img_3769 蓮花寺に沿って進む。《地図

Img_3770 菩提房王子跡(梅本建具店の前)

藤原定家の『熊野御幸記』にも見える王子だが、古い時期に廃されたようだ。

Img_3771 説明板

Img_3773 小中地蔵堂

信仰を集めているようで参拝者が多い。

Img_3774 小中地蔵

鼻筋の通ったイケメン風地蔵さんだ。 

Img_3777 浄土寺(日限地蔵)

ひぎりさん」で親しまれている寺。本尊は阿弥陀如来。

Img_3781 熊野一の鳥居跡

左に「大鳥居遺蹟」の石柱が立つ。

Img_3783 説明板

Img_3790 祓戸王子跡へ

Img_3791_2 説明板①

Img_3797 石仏と竹林の道を進む。

Img_3793 祓戸王子跡 【ル-ト地図】の⑤

「祓戸神社之趾」碑が立つ。(大)鳥居神社とも呼ばれ、熊野の聖域の入口として、垢離を搔いて(取って)心身を清めた場所だった。今は藤白神社に合祀されている。

Img_3796説明板②

Img_3798 このあたりは熊野街道の提灯を掲げている。

Img_3799 小栗街道説明板

右は鈴木屋敷跡

Img_3800 説明板

Img_3802_2鈴木屋敷跡 《地図

ここが全国の鈴木姓のルーツ・元祖・本家・元締め。

正面は義経弓掛松の何代目か。

Img_3801 説明板

Img_3804 往時の鈴木屋敷

Img_3808 現在の状態

復元・整備計画が進められているそうだ。

Img_3807鈴木邸の庭園にある曲水泉

Img_3806 説明板

Img_3810 藤白神社・藤白王子跡

九十九王子の中でも別格の五体王子の一つ。楠の大木が何本もそびえている。

Img_3816 説明板

Img_3811 大クス説明板

Img_3815 熊野三山の入口を示す石碑

Img_3814説明板

Img_3821 藤白王子権現

Img_3822 説明板

Img_3823熊野三所権現の本地仏三体を祀っている。

右から阿弥陀如来・薬師如来・千手観音

Img_8213_2 有間皇子神社

Img_8212_2 由緒

Img_8214_2 万葉歌碑

Img_3826 境内を抜けると藤白坂へと続くが今回はここまでとする。

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