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2011年3月 9日 (水)

熊野古道(紀伊路③ 浅宇川王子→長岡王子)

2011年2月22日

久米田駅(JR阪和線)・・・府道30号・・・積川神社鳥居・・浄行寺・・上轟橋(春木川)・・・作才町交差点・旧道・・・府道39号・・・道の池・・・小栗街道(府道30号)・・・(貝塚市)・・・津田川・・・虎橋(麻生川)・・・浅宇川王子跡・・・堂ノ池交差点・旧道・堂ノ池・唐間池・・・半田一里塚跡・・・(府道30号)・・・新井ノ池・・・(水間鉄道)・・・宮池・・・(府道40号)・・(府道30号)・・貝塚中央病院・・・積善寺城跡・福永橋(近木川)・長谷川ノ坂・・安楽寺・・・清水大師堂・・・府道64号・・・和泉橋本北一踏切(阪和線)・・・橋本交差点・府道30号・・・地蔵堂交差点・旧道・・・正福寺・鞍持王子跡あたり・南近義神社・近木王子跡あたり・吉祥園寺・・善正寺・・・貝田橋(見出川)・・・(泉佐野市)・・・(府道241号)・・・鶴原王子跡あたり・・・四角池・・・(府道64号)・・・大藪池交差点(国道26号)・・・道の池・・・(府道20号)・・・紀州街道合流地点・府道64号・・佐野川橋(佐野川)・・・日新小前交差点・・・佐野王子跡・・・市役所前交差点・・・如来寺・・・(府道247号)・・・(JR関西空港線・関西空港自動車道)・・・日根神社御旅所・・・長滝西交差点・・・南ノ池・・・安松八丁畷の石地蔵・・・道池・樫ノ池・・・塙団右衛門の墓・籾井(樫井)王子跡・奥家住宅・・淡輪六郎兵衛の墓・・・正法寺・・・大正大橋交差点・・・樫井古戦場跡・明治大橋(樫井川)・(泉南市)・・・明治小橋(新家川)・・・海会寺跡・一岡神社・厩戸王子跡あたり・・・(海営宮池)・・・北庄司牛乳・・・一丘団地口交差点・・・信達宿本陣跡・・・大鳥居交差点(府道63号)・・・往生院・・・信達王子跡・・・サンゴ池・林昌寺踏切(阪和線)・・・林昌寺・・・岡中鎮守社(岡中の大クス)・・・府道30号・・・(府道63号)・・・阪南市・・・波太神社伏拝鳥居・長岡王子跡・・・和泉鳥取駅(JR阪和線)

  【ル-ト地図】(23.8km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3057 今日もいい天気だ。南東方向に進むので、暖かいのを通り越して歩くのには暑いくらいになりそうだ。

Img_3062 積川神社鳥居

白河上皇が熊野御幸の時、鳥居の扁額の文字を書き、取り替えたという。現在の扁額はその複製品。

Img_3060 説明板

Img_3065 上轟橋から春木川 《地図

照手姫の曳く小栗判官を乗せた土車がこの橋を渡るとき、車輪が鳴ったことから轟橋とか。

この先の下松交差点から作才町交差点までの間に、和泉式部ゆかりの「筆塚碑」・「硯塚碑」・「恋の淵」・「恋ざめの淵」・「どんび淵(式部淵)」などがあるはずだが見つからず。熊野街道から少しはずれた所にあるのだろうか? 『常盤校区・校区周辺の歴史』に詳しい。まあ和泉式部はこの地に来たことはないようだが。

Img_3066 作才町交差点から左に入って行く。

Img_3070 道の池地蔵

側面は道標になっている。フェンス上の異国人形の製作者らしき作業中の人に池沿いを進めるかを聞く。OKだった。 

Img_3071道の池沿いを進み右へ下り、水路と建物の間から県道に出た。

Img_3075 浅宇(麻生)川王子跡 【ル-ト地図】の①

明治42年に阿里莫(ありまか)神社に合祀され、右の三和製作所が跡地という。

Img_3083 半田一里塚跡 《地図

説明板の左は小栗街道の道標

Img_3079 説明板

Img_3089 水間鉄道を渡る。

Img_3091 積善寺城跡あたり

戦国時代の根来衆の出城。福永橋を渡ると長谷川ノ坂の上りとなる。

Img_3092 説明板

Img_3096 長谷川ノ坂 【ル-ト地図】の②

江戸時代に医者として有名だった長谷川氏の屋敷があったという。俗に「(かん)の虫」などの子どもの病気を扱う小児科医だったのか? 奥州街道斎川の「の薬」のヘビトンボの幼虫「孫太郎虫」を思い出した。

Img_3098 坂上近く

旧家の間の静かで趣きのある坂だ。

Img_3104 清水大師堂

弘法大師の杖でこの地から清水が湧いた、という各地にある大師伝説の一つ。右が清水井戸だったか。

Img_3112 南近義(みなみこぎ)神社 《地図

①鞍持王子・②近木王子が合祀されている。両王子は近い場所にあり、①は橋本村大字王子原宮とか正福寺の隣にあった熊野神社など諸説。 ②も吉祥園寺、善正寺あたりとか諸説あり。後鳥羽院に随行した藤原定家の『熊野御幸記』には「鞍持王子に参る・・・・胡木新王子に参る」とあるから近距離で並存していたのだろう。

Img_3113 説明板

Img_3117 善正寺

Img_3118 貝田橋(見出川)を渡る。

四角池手前を左折した貝田会館の所にあった加支多神社(現在は熊野街道の西側に鎮座)が鶴原(貝田)王子跡という。

Img_3122 四角池 《地図

台形ぽっい四角か。

Img_3126 道の池

街道沿いには大きなため池が多い。

佐野川橋の手前で右から来る紀州街道と合流し、紀ノ川の
川辺橋を渡った所までは同じルートをたどる。

Img_5455右が熊野古道、左が紀州街道(振り返って見ている。2016年4月25日撮影) 《地図

Img_3132 日新小前交差点先の鉄塔の向う側で左に旧道に入る。

Img_3133 佐野王子跡 《地図

昔は佐野の松原の広がる湊の村で、藤原定家の「冬の日にあられふりはえ朝たてば 浪に浪こすさのの松原」の歌がある。王子社は春日神社(泉佐野市春日)に合祀されている。

Img_3134 説明板

Img_3137 道標(左の民家前)

「すぐ 和歌山道」・「ふどうみち」で不動は犬鳴山不動尊のこと。

Img_3141 長滝の旧家

Img_3143 長滝の家並み

Img_3145 日根神社御旅所

Img_3148 安松八丁畷の石地蔵(右)  【ル-ト地図】の③

Img_3150 石地蔵

正平18年(1363)造立という古い地蔵。顔は補修されている。大坂からの旅人がおいはぎにあい、この地蔵の後ろに隠れて難を逃れたという。

Img_3149 説明板

Img_3159 塙団右衛門(ばんだんえもん)の墓 《地図

講談でおなじみの猪突猛進、蛮勇の豊臣方の武将。

Img_3158 説明板

Img_3160 籾井(樫井)王子跡

この「いづみモータース」が跡地で、後ろの奥家住宅の前庭に顕彰碑が立っている。王子権現社は日枝神社に合祀されている。藤原定家の『熊野御幸記』には、ここで奉幣、里神楽、乱舞、二人の白拍子の舞、相撲三番があったことを記している。

Img_3166 奥家住宅

慶長・元和頃の農家住宅。母屋(奥座敷を除く)・長屋門・土蔵・土塀が国の重文。

Img_3167 昔の面影を残す樫井の家並み。

Img_3169 淡輪六郎兵衛の墓

Img_3170 説明板

Img_3178 ダイワタオル工場(左)

泉佐野市はタオル製造がさかんな所。工場からは操業中の機械音が聞こえてきた。

Img_3182 樫井古戦場跡碑 《地図

大坂夏の陣の前哨戦の地。豊臣方は敗れ大坂城落城のきっかけとなった。

Img_3204 海会寺(かいえじ)跡 《地図

南門跡から回廊・塔・金堂・講堂方向。7世紀後半(白鳳時代)の創建と推定される、「法隆寺式伽藍配置」の古代寺院跡

Img_3189 配置図

Img_3196 一岡神社

海会寺の金堂跡に建っている。厩戸王子社が合祀されている。

Img_3208 由緒

境内社に「厩戸王子神社」がある。王子跡に寄るのを忘れた。

Img_3209 北庄司牛乳工場

自販機で85℃で15分間の殺菌の「パスチャライズ製法」の牛乳を買い、エネルギーを補充する。

「パスチャライズ」製法とは、パス殺菌(パスチャライザ-という特殊な釜による伝統的な殺菌方法)を用いた製法で、牛乳に優しい温度で殺菌し、本来牛乳の持つ特性(自然乳酸菌類・カゼイン・イオン化カルシウム等)をできる限り損なわないようにする製法だそうだ。

Img_3217信達宿本陣跡角谷家 【ル-ト地図】の④

Img_3222 信達(しんだち)宿の家並み 《地図

Img_3228往生院 《地図

白鳳8年(680)天武天皇の勅願により、行基の師の道昭の開創という。

Img_3224 由来碑

Img_3231信達(一ノ瀬)王子跡(右) 《地図

Img_3234 信達(一ノ瀬)王子跡

「馬頭さん」と呼ばれ、馬頭観音、地蔵 の小祠が並んでいる。

Img_3237 信達王子跡前の林昌寺への道標

左の小さな道標には「左あたご道」と刻まれているようだが下部は埋まっている。「あたご」は林昌寺のある愛宕山のこと。

街道は直進だが道標に従い林昌寺から岡中鎮守社への道を行く。

Img_3250 林昌寺

聖武天皇の勅願で行基の開創という。山門をくぐった所?に「補陀洛渡海碑」があるようだが見逃した。永禄8年(1565)2月28日、肥前温泉山の祐海上人が渡海したという。渡海といってもすぐ船は沈没し、溺死したことだろうが。魚の餌食となったのがせめてもの救い、功徳か。

Img_3244 躑躅山の山号どおりの「つつじ」の名所の庭園。正面上は地蔵堂

Img_3247 地蔵堂から愛宕大権現の愛宕山へと続いている。

Img_3253 岡中の家並みを抜け、岡中鎮守社へ。《地図

Img_3254 岡中の大クス

Img_3257 岡中鎮守社

社殿の背後に大楠がそびえる。かつては土塁で囲まれ槇、松、いちょう、榎、椋(むく)の大木が茂っていて、高城宮の旧地ともいい、ここが長岡王子跡との説がある。今は大クスの隣に槇が残るだけか。

Img_3258大クス

樹齢約800年、幹回り8.2m高さ32mという大木。

Img_3261 説明板

Img_3270 緩やかな坂を上って長岡王子跡、和泉鳥取駅へ向かう。

Img_3271 長岡王子跡 【ル-ト地図】の⑤

この波太神社伏拝鳥居の付近とも、岡中鎮守社の所ともいう。 

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