熊野古道(紀伊路③ 浅宇川王子→長岡王子)
2011年2月22日
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【ル-ト地図】
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今日もいい天気だ。南東方向に進むので、暖かいのを通り越して歩くのには暑いくらいになりそうだ。
積川神社鳥居
白河上皇が熊野御幸の時、鳥居の扁額の文字を書き、取り替えたという。現在の扁額はその複製品。
上轟橋から春木川 《地図》
照手姫の曳く小栗判官を乗せた土車がこの橋を渡るとき、車輪が鳴ったことから轟橋とか。
この先の下松交差点から作才町交差点までの間に、和泉式部ゆかりの「筆塚碑」・「硯塚碑」・「恋の淵」・「恋ざめの淵」・「どんび淵(式部淵)」などがあるはずだが見つからず。熊野街道から少しはずれた所にあるのだろうか? 『常盤校区・校区周辺の歴史』に詳しい。まあ和泉式部はこの地に来たことはないようだが。
側面は道標になっている。フェンス上の異国人形の製作者らしき作業中の人に池沿いを進めるかを聞く。OKだった。
明治42年に阿里莫(ありまか)神社に合祀され、右の三和製作所が跡地という。
半田一里塚跡 《地図》
説明板の左は小栗街道の道標
水間鉄道を渡る。
積善寺城跡あたり
戦国時代の根来衆の出城。福永橋を渡ると長谷川ノ坂の上りとなる。
江戸時代に疳医者として有名だった長谷川氏の屋敷があったという。俗に「疳(かん)の虫」などの子どもの病気を扱う小児科医だったのか? 奥州街道斎川の「疳の薬」のヘビトンボの幼虫「孫太郎虫」を思い出した。
旧家の間の静かで趣きのある坂だ。
弘法大師の杖でこの地から清水が湧いた、という各地にある大師伝説の一つ。右が清水井戸だったか。
南近義(みなみこぎ)神社 《地図》
①鞍持王子・②近木王子が合祀されている。両王子は近い場所にあり、①は橋本村大字王子原宮とか正福寺の隣にあった熊野神社など諸説。 ②も吉祥園寺、善正寺あたりとか諸説あり。後鳥羽院に随行した藤原定家の『熊野御幸記』には「鞍持王子に参る・・・・胡木新王子に参る」とあるから近距離で並存していたのだろう。
四角池手前を左折した貝田会館の所にあった加支多神社(現在は熊野街道の西側に鎮座)が鶴原(貝田)王子跡という。
四角池 《地図》
台形ぽっい四角か。
街道沿いには大きなため池が多い。
佐野川橋の手前で右から来る紀州街道と合流し、紀ノ川の
川辺橋を渡った所までは同じルートをたどる。
右が熊野古道、左が紀州街道(振り返って見ている。2016年4月25日撮影) 《地図》
佐野王子跡 《地図》
昔は佐野の松原の広がる湊の村で、藤原定家の「冬の日にあられふりはえ朝たてば 浪に浪こすさのの松原」の歌がある。王子社は春日神社(泉佐野市春日)に合祀されている。
「すぐ 和歌山道」・「ふどうみち」で不動は犬鳴山不動尊のこと。
正平18年(1363)造立という古い地蔵。顔は補修されている。大坂からの旅人がおいはぎにあい、この地蔵の後ろに隠れて難を逃れたという。
講談でおなじみの猪突猛進、蛮勇の豊臣方の武将。
この「いづみモータース」が跡地で、後ろの奥家住宅の前庭に顕彰碑が立っている。王子権現社は日枝神社に合祀されている。藤原定家の『熊野御幸記』には、ここで奉幣、里神楽、乱舞、二人の白拍子の舞、相撲三番があったことを記している。
慶長・元和頃の農家住宅。母屋(奥座敷を除く)・長屋門・土蔵・土塀が国の重文。
ダイワタオル工場(左)
泉佐野市はタオル製造がさかんな所。工場からは操業中の機械音が聞こえてきた。
大坂夏の陣の前哨戦の地。豊臣方は敗れ大坂城落城のきっかけとなった。
海会寺(かいえじ)跡 《地図》
南門跡から回廊・塔・金堂・講堂方向。7世紀後半(白鳳時代)の創建と推定される、「法隆寺式伽藍配置」の古代寺院跡
海会寺の金堂跡に建っている。厩戸王子社が合祀されている。
境内社に「厩戸王子神社」がある。王子跡に寄るのを忘れた。
自販機で85℃で15分間の殺菌の「パスチャライズ製法」の牛乳を買い、エネルギーを補充する。
「パスチャライズ」製法とは、パス殺菌(パスチャライザ-という特殊な釜による伝統的な殺菌方法)を用いた製法で、牛乳に優しい温度で殺菌し、本来牛乳の持つ特性(自然乳酸菌類・カゼイン・イオン化カルシウム等)をできる限り損なわないようにする製法だそうだ。
信達宿本陣跡角谷家 【ル-ト地図】の15
信達(しんだち)宿の家並み 《地図》
往生院 《地図》
白鳳8年(680)天武天皇の勅願により、行基の師の道昭の開創という。
信達(一ノ瀬)王子跡(右) 《地図》
「馬頭さん」と呼ばれ、馬頭観音、地蔵 の小祠が並んでいる。
左の小さな道標には「左あたご道」と刻まれているようだが下部は埋まっている。「あたご」は林昌寺のある愛宕山のこと。
街道は直進だが道標に従い林昌寺から岡中鎮守社への道を行く。
聖武天皇の勅願で行基の開創という。山門をくぐった所?に「補陀洛渡海碑」があるようだが見逃した。永禄8年(1565)2月28日、肥前温泉山の祐海上人が渡海したという。渡海といってもすぐ船は沈没し、溺死したことだろうが。魚の餌食となったのがせめてもの救い、功徳か。
岡中の家並みを抜け、岡中鎮守社へ。《地図》
社殿の背後に大楠がそびえる。かつては土塁で囲まれ槇、松、いちょう、榎、椋(むく)の大木が茂っていて、高城宮の旧地ともいい、ここが長岡王子跡との説がある。今は大クスの隣に槇が残るだけか。
樹齢約800年、幹回り8.2m高さ32mという大木。
この波太神社伏拝鳥居の付近とも、岡中鎮守社の所ともいう。
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