甲州街道(八王子宿→高尾駅)
八王子駅(JR中央線)・・八王子宿・・大義寺・・八幡八雲神社・・浜街道(絹の道)分岐(八日町交差点)・・八日市宿跡碑・・禅東院(とうがらし地蔵)・・千人同心日光道分岐地点・・傳法院(水かけ地蔵)・・(中央線)・・念仏院(時の鐘)・天満宮・金剛院・・松姫通り・・信松院・・(中央線)・・産千代稲荷神社・大久保長安陣屋跡・・本郷横丁東交差点・国道20号・・笠間稲荷神社・・追分交差点(陣馬街道)・・八王子千人同心屋敷跡記念碑・・・了法寺・・・長房団地入口交差点・旧道・道標・・・国道20号・・長安寺・・・多摩御陵西交差点・旧道・・・国道20号・・熊野神社・・・高尾駅
【ル-ト地図】
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大義寺(だいぎじ) 《地図》
鎌倉時代末期に「大元寺」として創建され、戦国時代に改称したと伝える。西側の通りは古くは「だいげんじ横町」と呼ばれていた古い川越道で、南は小田原に通じていた。南側の道は本郷村、横川村から八王子城下へ通じる街道だった。
側面に句が刻まれている。竹の鼻一里塚跡の永福稲荷神社の芭蕉句碑はもと星布が立てたものという。
両社で一社
茶舗
浜街道(絹の道)分岐(八日町交差点) 【ル-ト地図】の21
このあたりに高札場があったようだ。
横山宿と並び八王子十五宿の中心だった。
目の前に沢山の辛そうな赤唐辛子をぶら下げられて、地蔵さんも血圧が上がってしまうか。由来は異なるが、日光御成道の文京区の正行寺、あきる野市にもある。
八幡町交差点で「千人同心日光道」が北に分れていく。【ル-ト地図】の22身代わり、子守の地蔵
時の鐘(念仏院) 《地図》
鐘楼堂は昭和20年の八王子大空襲で焼失し、昭和29年に再建した。
武田氏の滅亡後、八王子に落ち延びて行く松姫。松姫は武田信玄の四女(五女・六女とも?)で、信松院の開基。母に似て美人の誉れが高かったという。
産千代稲荷神社・大久保長安陣屋跡 【ル-ト地図】の23
八王子城落城後の新八王子宿建設に関わり、八王子に陣屋をおいて、関東十八代官の頭として関東の統治を行った大久保石見守長安の屋敷地跡。
創業120年の蒟蒻(こんにゃく)、寒天の製造・販売店で、ところてん、あんみつ、味噌こんにゃくなどは店内で食べられる。
追分交差点 《地図》
右が陣馬街道(案下道・甲州裏街道)・左が甲州街道(国道20号)
このあたり一帯が屋敷跡で千人町にその名が残る。
千人同心が日光東照宮の火の番に往来した『千人同心日光道』
長房団地入口交差点から右に旧道に入る。
道標 「右 高尾山 左 真覚寺 道」 《地図》
ここから1kmほど南西の真覚寺の心字池は、江戸時代には春先に関八州から数万匹のヒキガエルが集まって鳴き声を競い、その様子は「蛙合戦」と呼ばれたと伝え、「芭蕉蛙塚」があるそうだ。《地図》
ここの枡形の道筋や「昭和二年新道建設時の甲州街道」・「至真覚寺」・「至高尾山」・俳句?・砂川屋・地蔵堂・まんじゅ屋・新角屋・道標(台座が今よりか高く立派)などが文字と絵図で刻まれている。
大久保長安に縁がある寺か。屋根の上には葵の紋が2つついているそうだ。死後は罪人扱いとなったのに何故か?
多摩御陵西交差点から右に旧道に入る。《地図》
樹木の剪定作業で雑然とし騒音が激しく、参拝できる雰囲気ではなかった。樫の木と欅の木が合体(密着?)した巨木があるそうだ(正面の作業車の後ろか?) 「恋が成就する木」と呼ばれているとか。今更、恋でも鰯の頭でもあるまし、どうでもいいこったが。
まだ1時を過ぎたばかりで10kmも歩いていないが、小仏峠越えは次回とし、高尾駅から平日で空いている中央線で帰路に着いた。
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