青梅街道①
2011年3月30日
新宿三丁目駅(地下鉄丸ノ内線)・・・新宿追分(新宿三丁目交差点)・・・雷電稲荷神社・・・天龍寺・・・新宿追分・青梅街道・・・新宿駅東口広場・・・JR地下道・・・淀橋浄水場跡碑・策の井跡碑(新宿エルタワー)・・・常円寺・常泉寺・・・成子坂・成子天神社・・・成子子育地蔵・・・淀橋(神田川)・中野坂・・中本一稲荷・・・中野坂上交差点(山手通)・・・白金龍昇宮・・・庚申堂・・・宝仙寺三重塔跡碑(中野区立十中)・・・白玉稲荷神社・・・成願寺・・・象小屋跡(朝日ヶ丘児童館)・・・宝仙寺・・・犬坂・・・明徳稲荷神社・・・慈眼寺・・・鎌倉街道(中の道)交差地点(鍋屋横丁交差点)・・・所沢道追分・・・西町天神北野神社・・・蚕糸の森公園・・・(環七通)・・・五日市街道入口交差点・・・旧五日市街道分岐点・・・新高円寺駅(地下鉄丸ノ内線)
青梅街道は甲州街道の内藤新宿の新宿追分から南武蔵野を横断し、青梅宿を経て大菩薩峠を越え、甲斐国に至り甲府の東の酒折宿で再び甲州街道に合流する脇往還。慶長11年(1606)に江戸城の増改築で使用する白土(漆喰壁の材料の消石灰)を、生産地の上成木と北小曽木の両村から搬出するために設けられたのが始まりと伝えられている。成木街道、石灰(いしばい)街道、御白土街道、甲州裏街道とも呼ばれ、青梅宿までには中野、田無、小川、箱根ヶ崎に伝馬継ぎ立ての宿駅が設けられていた。あちこちの寺社の境内に東日本大震災の爪痕を見る街道歩きとなった。
*参考:『歴史の道調査報告書 第3集 青梅街道』(東京都教育庁)
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
青梅街道は直進し新宿駅東口広場へ向かう。甲州街道は左折。
交差点手前の道路上に描かれている。
豆餅を買っていざ出発だ。
甲州街道を少し進み寄り道する。
源義家ゆかりの稲荷とか。
時の鐘(天龍寺)
江戸三名鐘の一つとされる「時の鐘」で、内藤新宿で遊興する人たちを追い出す「追い出しの鐘」だった。
「やぐら時計」説明板
新宿追分に戻り、青梅街道を進む。
馬水槽(新宿駅東口広場)
前面の上部の水槽が馬用、下部が犬猫用、その裏面が人間の水飲み場になっている。ロンドン水槽協会から東京市に寄贈されたものだが、大正初期までは荷馬車の馬が利用していたそうだ。
昔の新宿の雰囲気が残る「思い出横丁」
ここに正門があった。
策(むち)の井跡碑(淀橋浄水場跡碑の右側)
三角錐?のモニュメントと説明碑。家康が鷹狩の帰りにむち(策)を洗ったという井戸跡。
碑文は太田南畝の書。
成子天神社 【ル-ト地図】の2
境内に高層マンションを建築するようだ。
このあたりはマクワウリ(真桑瓜)の特産地だった。
成子子育地蔵(享保12年(1727)) 《地図》
子殺しの父親の悲しい伝説に由来するという。成子坂は地蔵坂とも呼ばれた。
手前は東京都が設置した立派な鉄製の坂標だが、文字はかすれ、いたずら書もされみじめな姿をさらしていて今はただ邪魔なだけだ。即刻撤去すべきだろう。
淀橋には中野長者の鈴木九郎の伝承がある。鈴木九郎は中野のあちこち(長者橋・十貫坂・成願寺・熊野神社(新宿区)など)に登場する。熊野古道の藤白には、全国の鈴木姓のルーツの鈴木屋敷がある。
たいそうな名だが、分岐点の空き地に小祠があるのみ。右は中野区立十中。
文字は薄く消えかかり、さらに金網フェンス越しで近づけず判読困難。
成願寺 【ル-ト地図】の3
中野長者の鈴木九郎の開創という。
鍋島家墓所、鍋島地蔵、鈴木九郎長者塚などがある。
地蔵姿の墓碑
「中野長者伝説」の長い絵巻風掲示板
広南国(ベトナム)から将軍吉宗に献上された象が余生を送った小屋があった。姫街道には江戸に向かう象が通った「象鳴き坂」がある。宝仙寺には象の骨と牙の一部が残るという。
宝仙寺三重塔
手前は臼塚・左は中野町役場跡碑。
やままさ醤油醸造所のレンガ塀(宝仙寺沿いの小公園に移築) 【ル-ト地図】の5
犬坂 宝仙寺の裏を曲がりながら東に上る坂。《地図》
①「生類憐みの令」により中野駅を中心に30万坪にわたり野犬のための犬小屋が設けられたことにちむか。『今昔東京の坂』 ②江戸時代の末ごろ、将軍が狩猟のために連れていた猟犬がこのあたりの野犬とかみ合いのけんかをしたため、村人たちが飼い主のいない犬をつかまえてここにつないだことにより名づけられた。『中野区報第810号』
この坂の位置については、中野坂上東側の山手通りとする説もある。青梅街道の南側の成願寺の前の坂か?
明徳稲荷神社 《地図》
中野村名主の堀江家の敷地内に中野宿の市場の繁栄安全を願って祀った市神。
馬頭観音道標がどれか分からず。→『東京散歩(新宿区・中野区)』に掲載した。
鎌倉街道「中の道」の道筋で、分岐点に鍋屋という茶店があったそうだ。
ここに慈眼寺に移された馬頭観音道標があったという。以前は追分商店街の通りだが、今は商店は少なく、追分公園にその名が残るのみか。
左が公孫樹(いちょう)で、右はかやの木。
蚕糸試験場の跡地
青銅製燈籠 《地図》
堀ノ内妙法寺への参道を挟んで対に並んでいる。
五日市街道分岐点 【ル-ト地図】の6
青梅街道は直進。
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