甲州街道(府中宿→日野宿→八王子宿)
武蔵野台駅(京王線)・・・品川街道・・・(西武多摩川線)・・・庚申塔道標・・・不動尊交差点(甲州街道)・染屋不動尊・・・品川街道・・・常久一里塚跡・・・甲州街道・・・(京王線)・・・国府八幡宮参道・・・府中宿・・大国魂神社・・札の辻(府中街道交差地点)・高札場跡・問屋場跡・・番場公園・・鹿島坂上・下河原緑道・・高安寺・・弁慶坂・・弁慶橋跡・・棒屋の坂・・(京王線)・・・鎌倉街道(上の道)交差地点・・・内藤家冠木門・・・本宿町交差点・国道20号合流・・・熊野神社・武蔵府中熊野神社古墳・・・(JR南武線)・・・獅子宿碑・・・常夜燈・・・関家かなどこ跡・・・谷保天満宮・天神坂・・・潤澤学舎跡・・・永福寺・・南養寺・・・矢川・五智如来祠・・・青柳福祉センター前交差点・・青柳稲荷神社・・・甲州古街道・・貝殻坂・・貝殻坂橋・・万願寺の渡し跡あたり・・・国道20号・・・日野橋交差点・奥多摩街道・・下和田坂・・・(根川緑道)・・・(新奥多摩街道)・・・錦町下水処理場・日野の渡し碑・馬頭観音・・・立日橋(多摩川)・・・市民の森・・高幡不動道標(川崎街道入口交差点)・・日野宿本陣跡・・問屋場・高札場跡・・八坂神社・・宝泉寺・・大坂・・飯綱大権現・坂下地蔵堂・・駅東交差点(JR中央線)・・大坂・・(中央自動車道)・・大坂西公園・・・国道20号合流・・・日野自動車工場・・・コニカミノルタ工場・・・高倉稲荷神社・・・(JR八高線)・大和田坂・・・大和田4丁目交差点・・旧道・・富士見橋・・・国道20号・大和田橋(浅川)・・北大通り・・・市立五中交差点・・・竹の鼻一里塚跡・永福稲荷神社・・・国道20号・・八王子宿・・市守神社・・八王子駅(JR中央線)
【ル-ト地図】
*『府中市の坂③』・『国立市の坂』・『立川市の坂』にも記事あり。
写真をクリックすると拡大します。
庚申塔道標 《地図》
左側面に「東 品川道 西 府中道 上車坂村」・右側面に「嘉永六丑年四月吉日 昭和三年三月改造」・正面は「庚申塔」
旧家の塀の右端に小祠
左の堂に阿弥陀如来像(国重文)を安置するようだ。(所有者は上染屋八幡神社)
里見城主の里見義胤が新田義貞の挙兵に、この阿弥陀如来像を陣中の守護として捧げ、その霊験により分倍河原の合戦で鎌倉の北条軍を破り、建武の中興を成し遂げたという。
ここは品川道で、江戸初期に整備された甲州古街道の道筋。次の本宿一里塚跡(8里)も旧甲州街道の南の日本電気工場の敷地内(日新町1丁目)にある。
鳥居と社殿の間を京王競馬場線が横切っている。
この先で府中宿(新宿(しんしゅく)・番場・本宿)に入るが、『府中市の坂③』で歩いているのでさぁ-と通り過ぎる。
大国魂神社参道
「府中街道」と交差する交通の要衝で、「鍵屋の辻」とも呼ばれた。左が高札場跡、右が中久米店
番場宿はもとは南方のハケ沿いの甲州古街道にあった。
弁慶坂を下る。《地図》
高安寺(左)に伝わる弁慶伝説に由来する坂名。
ここに弁慶橋が架かっていたというが、川跡の痕跡は全くない。
美好町三丁目西交差点で『鎌倉街道(上の道)』と交差する。【ル-ト地図】の16府中宿の矢島本陣から移設したものという。
熊野神社・武蔵府中熊野神社古墳(本殿の後ろ) 《地図》
武蔵府中熊野神社古墳(国史跡)
国内最大・最古の上円下方墳。前回訪れた時はブルーシートに覆われたままだったが、やっと復元整備された。
ここの佐藤家が、村上天皇から賜ったという獅子三基で谷保天満宮に獅子舞を奉納する際の稽古場になっていたことを記念する碑。
天神坂を下る。《地図》
左は「野暮天」の谷保天満宮。坂下が「清水の立場茶屋跡」
矢川・五智如来の祠 《地図》
「五智如来」の左右にも文字が刻まれている。道標を兼ねていたのか?
左は浅間堂?
青柳稲荷神社 《地図》
貝殻坂・貝殻坂橋 《地図》
江戸時代初期の甲州古街道の道筋で、この坂を下って多摩川に出て、万願寺の渡し(慶安年間(1648~51)から貞享元年(1684))で渡り、万願寺一里塚を経て日野宿へ入っていた。
国道20号に戻り、日野橋交差点から奥多摩街道に入り、すぐ左折し下和田坂を下る。
下和田坂を下る。《地図》
鏡のようで反射し、自分の姿が写り込んで読みにくい。無駄に税金を使って変な物を作るなよ。
根川緑道を横切る。
馬頭観音は大正と昭和のもの。
甲州街道は下流の青柳(国立市)付近から万願寺の渡しで多摩川を渡り、万願寺一里塚を経て日野宿に入っていた。貞享元年(1684)、青柳より上流の柴崎から日野の渡しで多摩川を渡り、日野宿に至る道筋に改変された。大正15年に日野橋が完成し渡し船は廃止された。
向うが日野橋で、その下流が万願寺の渡し跡あたりだろう。
よく見ると登っているのは女の子の方が多い。
日野宿本陣佐藤家
【ル-ト地図】の18持ち上げた時に感じる重さによって吉凶を占う、約36cmの馬頭観音の「持ち上げ観音」がある。
坂下地蔵堂 《地図》
大坂の途中だが坂下とは? 坂は中央線で分断された。
旅人の休憩、宿泊所にもなっていた堂内は、なぜか子供たちで満杯だった。 堂内に銅造地蔵像を安置する。
大坂の続きを上る。《地図》
線路に分断される前は、坂下地蔵堂前から左の駐輪場あたりへつながっていた。
日野自動車・コニカミノルタの工場などを見ながら、殺風景な道を行く。
大和田坂を下って行く。《地図》
大和田4丁目交差点の先で左に旧道に入る。
旧道 《地図》
富士見橋を渡って、再び国道20号に合流すれば大和田橋に出る。
かつては「大和田の渡し」で渡った。近藤勇も勝沼の戦いで威風堂々とここを渡った。だが「行きはよいよい帰りは恐い」となってしまった。
弾痕に設置したプレートだが、説明板を読んでないと何だか分からない。どうせなら弾の絵でも書いたらどうか。
大和田橋を渡り、街道は北大通りに入る。
「蝶の飛ぶばかり野中の日影かな」 松原庵星布が建立した句碑を、松原庵九世が再建したもので、「日影塚の碑」と呼ばれている
永福稲荷神社は八王子市新町の鎮守。宝暦6年(1756)、八王子出身の力士八光山権五郎が再建し落慶の日に相撲を奉納したという。社殿の前には、八光山権五郎の大きな石像が立っている。
街道は永福稲荷神社の先で鉤型に右に曲がって行く。強い逆光でぼやけてしまった。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2023年11月~)追加分(2023.12.14)
- 「歩いた坂」追加分(2023.12.10)
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント