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2011年4月23日 (土)

甲州街道(府中宿→日野宿→八王子宿)

2011年4月16日

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 【ル-ト地図

 *『府中市の坂③』・『国立市の坂』・『立川市の坂』にも記事あり。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5089 庚申塔道標 《地図

Img_5091 左側面に「東 品川道 西 府中道 上車坂村」・右側面に「嘉永六丑年四月吉日 昭和三年三月改造」・正面は「庚申塔」

Img_5095 不動尊交差点

旧家の塀の右端に小祠

Img_5096 薬師如来?

Img_5094 染屋不動尊

左の堂に阿弥陀如来像(国重文)を安置するようだ。(所有者は上染屋八幡神社)
里見城主の里見義胤が新田義貞の挙兵に、この阿弥陀如来像を陣中の守護として捧げ、その霊験により分倍河原の合戦で鎌倉の北条軍を破り、建武の中興を成し遂げたという。

Img_5098 由来碑

Img_5097 「上染屋」地名由来碑

Img_5100 常久一里塚跡(7里) 【ル-ト地図】の14

ここは品川道で、江戸初期に整備された甲州古街道の道筋。次の本宿一里塚跡(8里)も旧甲州街道の南の日本電気工場の敷地内(日新町1丁目)にある。

Img_5101 説明板

Img_5108 国府八幡宮参道 《地図

鳥居と社殿の間を京王競馬場線が横切っている。

この先で府中宿(新宿(しんしゅく)・番場・本宿)に入るが、『府中市の坂③』で歩いているのでさぁ-と通り過ぎる。

Img_5118大国魂神社参道

Img_5120 札の辻(府中市役所前交差点) 【ル-ト地図】の15

府中街道」と交差する交通の要衝で、「鍵屋の辻」とも呼ばれた。左が高札場跡、右が中久米店

Img_5121 説明板

Img_5124 高札場跡(復元)

Img_5123 説明板

Img_5122 中久米店

Img_5125荒物店

Img_5126 番場公園

番場宿はもとは南方のハケ沿いの甲州古街道にあった。

Img_5128 番場宿説明板

Img_5130 番場屋(料亭)

Img_5134 弁慶坂を下る。《地図

高安寺(左)に伝わる弁慶伝説に由来する坂名。

Img_5138 石橋供養塔(明治4年)と説明碑

ここに弁慶橋が架かっていたというが、川跡の痕跡は全くない。

Img_5145旧家

美好町三丁目西交差点で『鎌倉街道(上の道)』と交差する。【ル-ト地図】の16

Img_5148 内藤家冠木門

府中宿の矢島本陣から移設したものという。

Img_5160 熊野神社・武蔵府中熊野神社古墳(本殿の後ろ) 《地図

Img_5154説明板

Img_5159武蔵府中熊野神社古墳(国史跡)

国内最大・最古の上円下方墳。前回訪れた時はブルーシートに覆われたままだったが、やっと復元整備された。

Img_5157 説明板

Img_5163 獅子宿碑

ここの佐藤家が、村上天皇から賜ったという獅子三基で谷保天満宮に獅子舞を奉納する際の稽古場になっていたことを記念する碑。

Img_5164_2 碑文

Img_5166 旧家(谷保交差点)

Img_5170 常夜灯(街道の北側)

Img_5172 関家かなどこ跡(左のドリーミーホール国立の所)

Img_5171 説明板

Img_5174 天神坂を下る。《地図

左は「野暮天」の谷保天満宮。坂下が「清水の立場茶屋跡」

Img_5177潤澤学舎跡(街道の北側)

Img_5185 矢川・五智如来の祠 《地図

Img_5189「五智如来」の左右にも文字が刻まれている。道標を兼ねていたのか?

Img_5186 説明板

Img_5195 この交差点を左に入って甲州古街道の道筋に出る。

左は浅間堂?

Img_5199 青柳稲荷神社 《地図

Img_5198 説明板

Img_5212 貝殻坂・貝殻坂橋 《地図

江戸時代初期の甲州古街道の道筋で、この坂を下って多摩川に出て、万願寺の渡し(慶安年間(1648~51)から貞享元年(1684))で渡り、万願寺一里塚を経て日野宿へ入っていた。

Img_5205 説明板

Img_5210 貝殻坂橋説明板

国道20号に戻り、日野橋交差点から奥多摩街道に入り、すぐ左折し下和田坂を下る。

Img_5217 下和田坂を下る。《地図

Img_5221 説明板

鏡のようで反射し、自分の姿が写り込んで読みにくい。無駄に税金を使って変な物を作るなよ。

Img_5223 根川緑道を横切る。

Img_5224 日野の渡し碑(左)・馬頭観音(右) 【ル-ト地図】の17

馬頭観音は大正と昭和のもの。

Img_5225 碑文

Img_5233 日野の渡し跡あたり

甲州街道は下流の青柳(国立市)付近から万願寺の渡しで多摩川を渡り、万願寺一里塚を経て日野宿に入っていた。貞享元年(1684)、青柳より上流の柴崎から日野の渡しで多摩川を渡り、日野宿に至る道筋に改変された。大正15年に日野橋が完成し渡し船は廃止された。

向うが日野橋で、その下流が万願寺の渡し跡あたりだろう。

Img_5235 多摩都市モノレールの下の立日橋を渡る。《地図

Img_5237 立日橋から多摩川下流方向

Img_5239 市民の森スポーツ公園で小休止

よく見ると登っているのは女の子の方が多い。

Img_5242 高幡不動道標(明治17年) 《地図

Img_5246 日野宿本陣佐藤家

【ル-ト地図】の18

Img_5251都内に残る唯一の本陣建築

Img_5247 説明板

Img_5256 問屋場・高札場跡(日野図書館)

Img_5262 八坂神社(右)

Img_5265 宝泉寺

持ち上げた時に感じる重さによって吉凶を占う、約36cmの馬頭観音の「持ち上げ観音」がある。

Img_5266 大坂を上る。 【ル-ト地図】の19

Img_5270 坂下地蔵堂 《地図

大坂の途中だが坂下とは? 坂は中央線で分断された。

Img_5273 坂下地蔵堂

旅人の休憩、宿泊所にもなっていた堂内は、なぜか子供たちで満杯だった。 堂内に銅造地蔵像を安置する。

Img_5272 説明板

Img_5277 大坂の続きを上る。《地図

線路に分断される前は、坂下地蔵堂前から左の駐輪場あたりへつながっていた。

Img_5285 日野自動車・コニカミノルタの工場などを見ながら、殺風景な道を行く。

Img_5295少しは疲れを癒してくれるか。まだそれほど疲れてもないが。

Img_5305 大和田坂を下って行く。《地図

大和田4丁目交差点の先で左に旧道に入る。

Img_5307 旧道 《地図

Img_5309 富士見橋を渡って、再び国道20号に合流すれば大和田橋に出る。

Img_5316大和田橋から浅川

かつては「大和田の渡し」で渡った。近藤勇も勝沼の戦いで威風堂々とここを渡った。だが「行きはよいよい帰りは恐い」となってしまった。

Img_5313 焼夷弾・弾痕説明板

Img_5314弾痕に設置したプレートだが、説明板を読んでないと何だか分からない。どうせなら弾の絵でも書いたらどうか。

Img_5315これも弾痕の色タイル。

大和田橋を渡り、街道は北大通りに入る。

Img_5319 五中交差点から左に入る。

Img_5321 竹の鼻一里塚跡・永福稲荷神社(右) 【ル-ト地図】の20

Img_5322 一里塚跡碑

Img_5323 説明板

Img_5328 芭蕉句碑(永福稲荷神社境内)

「蝶の飛ぶばかり野中の日影かな」 松原庵星布が建立した句碑を、松原庵九世が再建したもので、「日影塚の碑」と呼ばれている

永福稲荷神社は八王子市新町の鎮守。宝暦6年(1756)、八王子出身の力士八光山権五郎が再建し落慶の日に相撲を奉納したという。社殿の前には、八光山権五郎の大きな石像が立っている。

Img_5330 街道は永福稲荷神社の先で鉤型に右に曲がって行く。強い逆光でぼやけてしまった。

Img_5340 市守神社 《地図

Img_5331 説明板

 

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