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2011年5月26日 (木)

甲州街道(金沢宿→上諏訪宿→下諏訪宿)

2011年5月16日

富士見駅(JR中央線)・・・原の茶屋地区・・・富士見公園・・・明治天皇駐輦之処址・・明治天皇御膳水跡・・・金毘羅神社・・・カゴメ工場・・・御射山神戸・・枡形跡・・富士見パノラマリゾート入口交差点・国道20号・・・御射山神戸八幡神社・・・旧道・・・御射山神戸一里塚跡・・・(茅野市)・・・ゆるぎ石・・・国道20号・・・金沢宿・・泉長禅寺・・本陣小松家跡・・茶屋近江屋跡・・旅籠松坂屋跡・・馬方宿跡小林家・・・石仏群・金沢橋・・矢ノ口交差点・権現の森・・・大池一里塚跡あたり・・・木舟入口バス停・・旧道・・・(JR中央線)・・・宮沢橋・・・小早川橋・・・早川橋・・・(中央線ガード)・・・宮川坂室交差点・国道20号・・・弓振川・・・酒室神社・・・(中央自動車道)・・・茅野一里塚跡あたり・・・宮川三叉路・県道197号・・・鈿女神社・・三輪社・・五味邸跡(明治天皇小休所跡)・・丸井伊藤商店・・・宗湖寺・・・上川橋(上川)・・・諏訪大社上社鳥居・・・上原交差点・国道20号・・・上原八幡神社・・極楽寺・・・鍛冶小路・・金剛寺跡・・・(中央線)・・・千鹿頭神社・・板垣屋敷通り・・板垣平(板垣城跡)・・・頼岳寺・・・大門道・・・甲州街道合流地点・道標・・・火燈公園・・・頼重院・・・神戸一里塚跡・・・道標・・・霧ヶ峰入口交差点・(桑原城跡)・・・(足長神社)・・・道祖神・こんぼった石・・・国道20号・・・上諏訪宿・・天神小路・・角間天神社・・宮坂醸造・・角間十王堂跡・・正願寺(曽良の墓)・・本陣跡あたり・・旧道・・(手長神社)・・・吉田の松・・・片羽一里塚跡・・・旧諏訪藩庭園・・・温泉寺(和泉式部の墓)・・・児玉石神社・・・先宮神社・・・寿量院・・・茶屋橋本屋跡・・・石投場跡・明治天皇小休所跡・・・承知橋(承知川)・・承知川橋の橋石・・・諏訪大社下社秋宮・・下諏訪宿・・「甲州道中・中山道合流之地碑」・甲州道中終点地碑・・本陣岩波家跡・・脇本陣跡・・中山道・・高札場跡・・八幡坂・・国道20号・・・下諏訪駅(JR中央線)

  【ル-ト地図】(33.0km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7646 富士見高原を行く。と言ってもすぐ原の茶屋の集落に入って行くが。

Img_7648 原の茶屋地区

とちの木村と御射山神戸村の間は距離が長く人家も無く、旅をするのに不便であったため、安永元年(1772)頃に松目新田の名取与兵衛が向原に出て茶屋を始めた。その後ここを中心にして次第に人家が増えて周囲の村と紛争が起きたので高島藩が40間四方の築地を築かせその中で茶屋を営ませたという。

Img_7649 左手の入笠山の中腹には富士見パノラマスキー場が見える。

Img_7653 富士見公園 【ル-ト地図】の①

Img_7650 公園由来

「左千夫は・・・入信し・・・」とあるから、何かの宗教へ者になったのかと思ってしまった。よく読むと州へったということだった。

Img_7652公園にゆかりのある伊藤左千夫島木赤彦の歌碑や、芭蕉句碑などがある。

Img_7658 伊藤左千夫歌碑

Img_7657 説明板

Img_7663 「明治天皇駐輦(ちゅうれん)之処」碑

ここは標高961mで、笹子峠より100m低いだけだ。けっこう上って来たわりには集落内のせいか、それほどの高さは感じない。「駐輦之処」とは明治天皇が小休止した場所のこと。

Img_7664 明治天皇御膳水跡

「甘露、甘露」と誉めたか?

Img_7666_2 原の茶屋の集落を抜けて行く。左は旅館「桔梗屋」跡か? 明治から大正にかけ島木赤彦、土屋文明、竹久夢二、斎藤茂吉、田山花袋ら多くの歌人、文人が訪れたという。

Img_7674 前方はカゴメ工場の大きな敷地 《地図

この先単調な道を進み、枡形跡を下りて国道20号と合流し、間の宿だった御射山神戸(みさやまごうど)地区に入る。

Img_7688 御射山神戸地区の旧家(御射山神戸交差点の所)

Img_7690 御射山神戸八幡神社 《地図

社殿左は樹齢400年近いケヤキ。社殿の右前下に芭蕉句碑、左前下に双体道祖神がある。

Img_7691説明板

Img_7693 芭蕉句碑(天保14年(1843))

雪散るや 穂屋の薄(すすき)の 刈り残し」

Img_7692 双体道祖神

お互いの手が怪しげな所に延びている?

Img_7695 馬頭観音の所で左へ旧道を上る。《地図

Img_7698御射山神戸一里塚跡(西塚)

東西の塚が残っている。特に西塚上の樹齢400年近くの大ケヤキは根で塚を鷲づかみにしていて見事だ。

Img_7701 東塚

Img_7702 説明板

Img_7714 ゆるぎ石(セイコーエプソンテニスコート先の下方)

簡単に揺れる不思議から道中の名物であったとか。民家の畑の中だし試しには行かなかった。下は国道20号で、この先で合流する。

Img_7719 金沢宿入口の「萬霊」等

Img_7720 泉長寺

高島藩によって処刑された金沢宿本陣小松三郎左衛門の墓がある。右の木の下に「おてつき石」がある。宿の上下(かみしも)の入口に1つづつあり、藩主などの往来の時に、宿役人がこの石に手をついて宿役人である趣を言上 したとか。小仏関所にあった「手付石」といい、いやな時代だねえ。

Img_7727 本陣小松家跡(金沢交差点の所) 《地図

建物は残らず。本陣1、旅籠17の宿で、元は青柳宿といい、北西の権現原平(権現の森)に設置されたが、宮川の氾濫や大火で焼失するなどで、この地に移り金沢宿と改称した。

Img_7730 説明板

高島藩のひどい仕打ちが書かれている。

Img_7731 金沢宿の家並み

左は茶屋近江屋跡

Img_7733旅籠松坂屋跡

Img_7737 馬方宿跡小林家

左の大きな石の前に「馬繋ぎ石」がある。

すぐ先を右に入った所に処刑された小松三郎左衛門を供養する如意輪観音堂があるそうだ。

Img_7742 金沢橋手前の石仏群

この中に処刑された小松三郎左衛門を供養する地蔵があると伝えるそうだが、どれかは分からず。ここはリサイクル用の置き場になっていて、「古新聞」・「古雑誌」などの札が掛かっている。

Img_7749 権現の森 【ル-ト地図】の②

ここがかつての青柳宿跡

Img_7752 説明板

Img_7754 正面の石祠の後ろが説明板の承応3年(1654)建立の石祠だろう。

Img_7757 寒天の里

この先の茅野駅近くの店で、「寒天チキンカレー」と「寒天フルーツ蜜豆」を昼飯にした。

Img_7759 大池(木舟)一里塚跡

宮川の向う側にある。

Img_7764 右にUターンするように上る。もとは斜め前方に進みJR線路を横切っていたのだろう。《地図

Img_7769 鳥居ではなく、(ミニ)御柱(おんばしら)だろう。

Img_7773 中央線を越え、下って前方の「のぞみ大橋」をくぐって行く。

Img_7779 静かな道がしばらく続く。

Img_7783 宮川沿いになり、この先でJRガードをくぐり、宮川坂室交差点で国道20号に合流する。《地図

Img_7800 酒室神社境内 《地図

古墳という「雨降塚」碑が立っているが、古墳の形ははっきりしない。酒室神社は、御射山祭りに濁酒(どぶろく)を作り、山の神に供える前夜祭をとり行った神聖な地に、酒解子之神(=木花咲耶姫)を祭神として祀った。

Img_7798 説明板

Img_7801 旧家

Img_7808 宮川三叉路から県道197号(右斜め方向)に入る。

手前に茅野一里塚跡があるはずだが見つからず。

Img_7810 宮川米店

Img_78252つとも小さな社だが信仰が篤いようだ。

Img_7823 鈿女(おかめ)神社

松川村の鈿女(うずめ)神社から分祀された、「天の岩戸神話」でお馴染みの天鈿女命を祀る神社。後には猿田彦神と共に「道祖神」として祀られるようになった。

Img_7815 旧家 《地図

ここも明治天皇小休所の五味邸の敷地内だったのか? 変わった造りの建物だ。地図には「米屋金物店」とある。 今は修理か解体をしているようだ。

Img_7817 説明板

Img_7818 丸井伊藤商店 《地図》

敷地内には貧乏神神社が祀られている。不愛想で有名な看板犬?が見張っている。

Img_7829_2 宋湖寺

諏訪家中興の祖の諏訪頼忠(武田信玄に滅ぼされた頼重の従弟)の菩提寺。

Img_7820 説明板

Img_7835 茅野駅の西口だが、ここもシャッター通りになっている。

Img_7837 諏訪大社上社参道鳥居

まだ先が長いので遥拝のみ。

Img_7840 上原八幡神社 《地図

高島藩主が参勤交代の折には、下乗して道中安全を祈願したにしては社殿も小さく質素な造りだ。向いに別当寺だった極楽寺がある。

Img_7839 説明碑

この先で甲州街道から離れ、鍛冶小路から千鹿頭神社、板垣平、上原城跡の下を通り、頼岳寺に寄り、大門道の追分で甲州街道に合流する道をたどる。

Img_7845 鍛冶小路 【ル-ト地図】の③

右に金剛寺跡の石碑が立つ。

Img_7846 説明板

Img_7847 周辺案内図

鍛冶小路に入り上る。渋沢小路から大門道に合流するのが甲州街道の道筋。遊女小路なんてのもある。

Img_7852 千鹿頭神社 《地図

Img_7854 前方が板垣平(板垣城址)あたりで、その上が上原城跡

Img_7874 頼岳寺

Img_7873 説明板

Img_7870 諏訪氏廟所

Img_7869 説明板

Img_7878 大門の追分 《地図

道標・常夜灯が立つ。左から上って来る渋沢小路が甲州街道。

Img_7881 振り返って見る。

右が甲州街道で、左が今通って来た大門道。

Img_7880 「右 江戸道」で、甲州街道。

Img_7883 火燈(ひとぼし)公園 《地図

御柱年の盆の15日の夕、頼重院の裏山の「火燈し場」で諏訪大社へ鳥居火を灯して奉納したことを記念した公園。

Img_7882 説明板

Img_7886 頼重院

武田信玄によって滅ぼされた諏訪頼重の菩提寺。頼重の娘が信玄の側室の諏訪御料人で、武田勝頼の母。

Img_7887 説明板

Img_7893 神戸一里塚跡(左に碑)

スーツ姿の訪問販売の若者がこれを見ていて、一里塚とは何かと聞かれ説明した。彼は歴史に興味があると言っていたが、一里塚も知らないとは。

Img_7892 説明板

Img_7895 ゴミ置き場の後ろに道標と常夜灯が立つ。

Img_7897 振り返って見る。

左が甲州街道で「江戸みち」

Img_7898 「左 江戸みち 右 大明神・・・ 」

Img_7901桑原城跡看板(霧ヶ峰入口交差点から) 《地図

諏訪頼重は上原城からこの城に逃れ籠城したが、落城寸前に開城し降伏した。そして甲府へ送られて幽閉後、自刃した。

Img_7903 足長神社

脚摩乳命(あしなづちのみこと)を祀る。別名を足長彦神といい、諏訪大社の祭神・建御名方命に随従する神。スサノオのヤマタノオロチ退治伝説の奇稲田姫の父親でもある。

足も長いが石段も長い。ここで遥拝でご容赦を。

Img_7905 双体道祖神

古墳の石室のような中にしっかりと守られ雨風の心配もなく、いつもいちゃついていられる幸せな2人か。

Img_7915 道祖神の後ろに「こんぼった石

説明板もあるのだが小さな字で読みにくく、内容も迷文で分かりづらい。船の「舫(もや)い石」だったようだが。

国道に合流し甲州街道最後の上諏訪宿に入る。宿は上町・中町・本町で形成され、街道沿いには酒蔵が建ち並んでいた。本陣1、旅籠14の宿だった。

Img_7918 上諏訪宿の家並み

ワラ製品・荒物・雑貨の「丸二河西本店」

Img_7919呉服の「かねさ」

Img_7921 染一染物店

Img_7930 真澄の「宮坂醸造」 《地図

右の店舗はトラックに突っ込まれほぼ全壊で、復旧工事中。八丁堀の居酒屋「真澄」にはよく通ったものだ。今もあるだろうか。

Img_7934旧家

Img_7937 曽良の墓(正願寺)

生まれは諏訪の下桑原村。辞世の句は「春にわれ 乞食やめても 筑紫か奈」

Img_7941 「大津屋」宮坂家

Img_7953 「本金正宗」ぬのや

Img_7955 鍵之手交差点

Img_7962舞姫酒造

Img_7964 丸多田中屋

豆・胡麻・胡麻油の店

諏訪仲町バス停あたりが本陣跡らしいが、何の標示もない。

Img_7966 手長神社

足長神社と平等にと勝手な言い訳をして、ここも遥拝で済ます。

Img_7968 吉田の松 《地図

大きな盆栽風な松だが、樹齢は300年もあるそうだ。

Img_7967 説明板

Img_7970 片羽一里塚跡

あと一つで一里塚も終わる。けっこう疲れてきた。

Img_7972 説明板

Img_7979 温泉寺から諏訪湖

下は多宝塔

Img_7984 和泉式部の墓(温泉寺境内) 【ル-ト地図】の④

これを探すのに本堂左右の墓地を上の方まで2回上り下りする苦労を味わった。墓は京都府木津川市の「山城古道」沿い、兵庫県伊丹市の「西国街道」沿いや、京都市の誠心院にもある。

ここからさらに上方に高島藩諏訪氏の歴代藩主の廟所があるようだ。

Img_7990児玉石神社

社殿前に「児玉石大明神」と称したという「いぼ石」が2つ。

Img_7988_3 説明板

Img_7991 先宮神社 《地図

もとはこの地の産土神だったが、建御名方命が出雲を追われ諏訪に入った時に抵抗して服従したため、他の場所へ移ることを許されず、境内前の小川には橋も架けられなかったと伝えられている。祭神の高光姫命は、諏訪大社の祭神の建御名方命の姉という。

Img_7993 説明板

Img_7996少し疲れを癒してくれる街道沿いの藤棚。

Img_8000 空洞のケヤキ

ここにも御柱が立っている。

Img_8010 棚田と諏訪湖

Img_8019 茶屋橋本屋跡

高島藩の御用商人だったそうだ。

Img_8025 石投場跡碑(右)・明治天皇駐輦址碑

昔は諏訪湖が真下まで迫っていたので、湖面に向かって石を投げた場所だそうだ。

Img_8030 富部一里塚跡(右に碑と説明板)

甲州街道最後の一里塚跡で、あと一息、十一町(1100m)で中山道に合流だ。

Img_8032 説明板

Img_8036 承知川橋の橋石 《地図

武田信玄ゆかりの橋で、表面の煉瓦模様は信玄の埋蔵金の隠し場所の地図だったとも。

Img_8035 説明板

Img_8040 諏訪大社下社秋宮

正面は夜中にいびきをかいて寝るという「寝入りの杉」。小枝を煎じて飲ませると子供の夜泣きが治まるとか。

Img_8043 下諏訪宿周辺図

Img_8049 塩羊羹の「新鶴本店

Img_8066 甲州街道終点・中山道合流地点 【ル-ト地図】の⑤

「かめや」の看板下に「甲州道中 中山道合流之地」碑が立つ。

Img_8052 「甲州道中 中山道合流之地」碑

Img_8054駐車場の奥に「甲州道中終点 中山道下諏訪宿問屋場址碑」(右)・「綿の湯碑」(左)

Img_8056 説明板

Img_8065 本陣跡岩波家

Img_8061_2 説明板

合流地点から中山道を通り下諏訪駅に向かう。次は梅雨に入らない前に熊野古道の紀伊路の続きを歩きたいが、どうなることやら。

Img_8067 脇本陣跡まるや

Img_8068桔梗屋旅館

Img_8070 歴史民俗資料館

明治時代の建物だが、江戸時代の宿場民家の特色を残しているそうだ。

Img_8075 旧家

Img_8079 国道20号に合流 《地図

左が高札場跡

Img_8081 高札場跡

Img_8080 説明板

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2011年5月20日 (金)

甲州街道(台ケ原宿→教来石宿→蔦木宿)

2011年5月15日

韮崎駅(JR中央線)バス→宮の脇・・旧道・・・黒沢橋(黒沢川)・・・(武川)一里塚跡・・・国道20号・・・大武川橋(大武川)・・武川村米の郷・旧道・・・上三吹交差点・・・神明社・・・(上三吹)一里塚跡・・・国道20号・・尾白川橋(尾白川)・・花水坂橋(釜無川)・・花水坂・・・はらぢみち(原路通)・・横山の道標・・・国道20号・・・旧道・台ケ原宿・・本陣小松屋跡・・酒蔵七賢・脇本陣跡北原家・・荒尾神社・田中神社・・智挙寺跡・・・台ケ原一里塚跡・・・白須松林跡碑(竹花スポーツ広場)・・・前沢上交差点・・・濁川橋・・・・サントリー白洲製樽工場・・・旧道・・・松山沢橋・・・流川橋・・・下教来石交差点・国道20号・・・教来石・・・国道20号・・教来石宿本陣河西家跡・・旧道・・・諏訪神社・・明治天皇天覧田植碑・・加久保沢橋・・御膳水跡・・・国道20号・教慶寺・・旧道・・・(山口素堂生誕地碑)・・・山口関所跡・・・(国道20号)・山口素堂句碑・・・(旧)国界橋(釜無川)・(長野県富士見町)・・・旧道・堂坂・三つ辻柳跡・日蓮高座石(教冠院)・・追分道標・・・真福寺・・・応安の古碑・・・国道20号・南枡形・蔦木宿・・本陣大阪屋跡・・三光寺・・十五社神社・・北枡形・・・国道20号・・・旧道・・・国道20号・・・平岡一里塚跡あたり・・・旧道・・・国道20号・・瀬沢大橋(立場川)・・旧道・・・諏訪神社・・・道標・・・(国道20号)・・瀬沢古戦場跡・・・しらかば園・・・尾片瀬神社・・・とちのき風除け林・・・重修一里塚跡・・・富士見駅(JR中央線)

 今日は黄砂も飛んでないようですっきり晴れた。左に甲斐駒、鳳凰三山、右の七里岩の向うに八ヶ岳、花水坂からは富士山を眺めながら国堺橋を渡り長野県に入り、信濃で最初の宿場の蔦木宿を通り、小高い富士見峠あたりまで歩く。

  【ル-ト地図】(28.3km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7247 甲斐駒ヶ岳(右・2967m)・鳳凰三山(地蔵岳(2764m)・観音岳(2840m)・薬師岳(2780m))

Img_7254 (武川)一里塚跡 《地図

国道20号に合流する手前右下に石柱が立つ。

Img_7255_2 一里塚跡石柱

「甲府ヨリ六里ナノデ 六里塚トモ云う」とある。

Img_7260 「武川村米の郷」の所で右に旧道に入る。

万休院の「舞鶴松」は2008年に枯れて「万事休す」となってしまったので寄らずに行く。庭園も見事というが、それほどの数寄者ではない。

Img_7285 上三吹地区の家並み。

Img_7289 (上三吹)一里塚跡(七里塚)

木の下に石柱。

Img_7322 花水坂から鳳凰三山

かつての信州往路で、古甲州街道の「はらぢみち」(原路通)の道筋。西は台ケ原宿へ通じ、東は長坂町渋沢から七里岩沿いに青坂(車坂)を下って韮崎宿へ通じている。

Img_7312 花水坂碑

坂の途中の休憩所

Img_7314 説明板

Img_7316 富士山の眺め 【ル-ト地図】の①

「富士見三景」の一つ。目で見るともっとくっきりしているが、写真だと霞んでいる。

Img_7296 はらぢみち(原路通)入口から台ケ原宿へ向かう。

Img_7295 説明碑

Img_7298 横山の道標

馬頭観音(3基)で2基は道標も兼ねている。

Img_7299 説明板

Img_7301 「右 かうふみち」・「左 はらぢ通」(安永5年(1776)建立)

もう1基には「左りはらみち」(寛政4年(1792)建立)

Img_7324 はらぢみち 【ル-ト地図】の②

Img_7327 左に尾白川が流れる、開けた所に出る。

Img_7329 馬頭観音・庚申塔・説明板(左)の並ぶ一般道となり、国道を横切り台ケ原宿へと入って行く。

Img_7335 台ケ原宿(右へ)

Img_7348 説明板

Img_7355 宿場図(1)

右上の「甲州街道古道」(はらぢみち)を通って台ケ原宿へ入った。

Img_7356 宿場図(2)

Img_7341 白州味噌販売店

Img_7342 低い板塀の旧家

Img_7357 本陣跡(宿場図の⑭)

右に秋葉山燈籠と本陣跡標柱が立つ。向い側が脇本陣跡。

Img_7358 説明板

Img_7362七賢酒造(山梨銘醸)

左に北原家住宅が続く。

Img_7367 脇本陣跡北原家住宅

寛延3年(1750)に信濃の高遠から移住して造酒屋を営んだのに始まりという。幕末には信濃諏訪高島藩の御用商人になった。明治13年の明治天皇巡幸の際には菅原行在所として使われた。

Img_7370 金精軒

元祖「信玄餅」の店

Img_7372 旧家

Img_7382 田中神社

童歌『ずいずいずっころばし』にも歌われた、悪名、悪評高き「お茶壺道中」の連中もこんな所へ泊まったのだ。

Img_7381 説明板

Img_7387 台ケ原一里塚跡

左に石柱が立つ。「日本橋から四十三里十町余」とある。

Img_7393 つるや旅館

今は使用されてなく、右の新しい建物で営業しているようだ。

Img_7397 国道20号の手前で右折して行く。

Img_7403 七里岩はまだ続いている。

Img_7411 甲斐駒の眺め

Img_7415 白須松林跡碑(右)・宗良親王歌碑(左)(竹花スポーツ広場(前沢ちびっこ広場バス停))

平安時代からの4kmにも続く松林は昭和10年代に伐採されてしまった。宗良親王の歌の前書き?にも「志らすといふ所の松原・・・」とあるが、今は全く痕跡をとどめない。

Img_7416 説明板

Img_7419 甲斐駒・鳳凰三山

Img_7441 七里岩の向うに八ヶ岳

Img_7455 下教来石交差点の先で左折し、地名の由来という「教来石」に向かう。 

「教来石」は墓地の前を通った先の畑の中にある。

Img_7452 教来石(きょうらいし) 《地図

説明板、標示などはない。上には道祖神が5体乗っている。日本武尊が東征の折りに座った大きな石を、村人が「経て来石(へてこいし)」と呼んで村名にしたが、経を教と書き誤り、今の名になったとか。また一説には国の境を清める「清ら石」の祭祀が宿名の由来とも伝えるそうだ。このあたりには同じような石がいくつもあり、そのどれもが教来石だともいう。

Img_7457 教来石宿本陣河西家跡(左)

「明治天皇小休所跡」碑のみ。本陣1、脇本陣1、旅籠7軒の甲州最後の宿場だったが、往時の名残りは感じられない。もっともこの宿場は旅人のためではなく、甲州と信濃の国境の警備が目的で、「山口関所」が置かれた。

郵便局の手前で右に旧道に入る。《地図

Img_7467 諏訪神社

本殿の彫刻を見損ねた。

Img_7464 説明板

Img_7463 ここから明治天皇が明治13年6月23日に田植えを眺めたという。今日から1ヶ月ちょっと後だ。随分と遅い田植えと思うが、ここは標高が600m位はあるからその時期か。今は水が張られ田植えの準備中か、それとももう済んだのか? 七里岩の向うに八ヶ岳。

Img_7469 明治天皇天覧田記念碑

こんなアホラシイ物をよく建てるよ。それを写真に撮るアホもいるが。

Img_7474明治天皇御膳水跡(左)

Img_7476 今も水が流れ出ている。明治天皇は神だったから生水を飲んでも腹をこわしたりはしなかったろう。

Img_7477 教慶寺

開山は蘭渓道隆というが、境内は荒れた感じだった。

Img_7480 蘭渓道隆が立てたという地蔵や庚申塔、甲子塔、馬頭観音が並ぶ。この前で右に入って行く。 

Img_7486 説明板には石地蔵は「最近ではいくつかの交通事故を救ってくれた」と訳の分からぬことを書いている。 

Img_7481 説明板

Img_7491 山口関所跡 《地図

Img_7492 説明板

Img_7494 西番所跡碑(山口関所)

天保7年(1836)の甲州騒動の際に関所を開門した番士の名取氏が後に若尾氏に改姓し、その若尾氏の子孫が建てた碑。開門したことを手柄、誇りと思っているのだろうか。甲州騒動といえば、犬目宿の犬目兵助のことを思い出した。

手前の高台に「山口素堂の生誕地碑」があるのだが、見逃して通り過ぎてしまった。

Img_7496新国堺橋(右)を渡らず国道を横切り直進し、国堺橋に向かう。渡るとセブンイレブン跡の敷地内に山口素堂の句碑が立つ。

Img_7497 山口素堂句碑(右奥)

「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」 左のセブンイレブンは廃店になっていた。

Img_7500 国堺橋へ向う

Img_7502国堺橋を渡るとネットが行く手を阻む。《地図

Img_7504 小動物除け電流ネット(7000Vとか)が張られ、「危険さわるな!」の標識が掛かっている。左のポールの低い黒の方を帽子とタオルでつかんでずらして開けて通り抜ける。天下の往来、五街道の甲州街道にこんな物を設置して何の説明もない。富士見町の木っ端役人の猿智恵に腹が立つ(猿は笑っているか)のは拙者だけではあるまい。

Img_7508 堂坂(右)を上る。

坂の途中の教冠院か、坂上の真福寺に由来する坂名か。

Img_7516 坂の途中 【ル-ト地図】の③

馬頭観音、双体道祖神、歌碑などの石造物が並ぶ。

Img_7513 三つ辻柳由来

堂坂の坂下にしだれ柳の大木があったというが、逸見路と武川路(甲州街道)の追分にあったのでは。

Img_7510 日蓮の高座石(小祠の下の石)

日蓮がこの石の上で悪疫封じの加持祈祷を行ったという。

Img_7509 説明板

Img_7522 追分道標(小祠内)

もとは少し先の逸見路と武川路の分岐にあったものだろう。《地図

Img_7523 説明板

へみみち(逸見路)は古甲州街道の一つで、台ケ原宿を経由しない道筋なので、「韮崎まで無宿」ということか。武川筋は甲州街道のこと。

Img_7524 追分道標

上部は欠けているようだ。文字はかすれて読めず。

Img_7529 真福寺の鐘楼付き仁王門

Img_7537「応安の古碑」の碑 《地図

手前の新しい「応安の古碑」の碑と左の「子乃神塔」の間の後ろの台座のような石が「応安の古碑」。

Img_7535 応安の古碑

宝篋印塔の基礎石らしい。右に「應安五壬子年十二月初日」と刻まれている。応安5年は1372年で、金石文の年紀としては諏訪地方で最古のものという。

Img_7540 信濃で最初の蔦木宿に入る。

Img_7572 宿場図①

「南の枡形道路」を通り宿に入る。

Img_7571

Img_7545 南枡形

右の記念碑の位置が元の枡形の所。今は少し先を左折する。

Img_7558 蔦木宿の家並み 《地図

国道沿いが宿場で、屋号札が掛かっている。

Img_7549 三光寺

Img_7566 本陣大阪屋跡

門だけ残っている。

Img_7564 説明板

Img_7577 この先が北枡形で左折し、しばらくして国道に戻る。

Img_7585 岩田屋建材の現場脇から旧道に入り、神代交差点手前で国道に戻る。国道沿いの左下に平岡一里塚跡があるというが見逃した。

Img_7594机の標識で右に上る。《地図

Img_7598 国道から一段高い道を進む。

Img_7599 落合小学校は来年廃校になるそうだ。

Img_7600 国道20号へ下る。

瀬沢大橋を渡り旧道に入る。

Img_7605 瀬沢地区の家並み 《地図

Img_7607諏訪神社

Img_7608 吉見屋

何の店か?

Img_7609 道標

中央に「富士・・・・」、右下に「右・・道」、左下に「左・・道」?

Img_7611 急坂を上る。

左前方の石垣前の石造物の中にも道標がある。

Img_7613 道標

「右 左」だけは読めるが・・・。

Img_7615 瀬沢古戦場跡 【ル-ト地図】の④

Img_7616 説明板

Img_7618街道に戻り再び上って行く。

Img_7624 しらかば園前あたりは平坦地になっている。まさに富士見高原という感じだ。正面方向に街道は続いて行く。《地図

Img_7625 八ヶ岳

Img_7628 尾片瀬神社(右) 《地図

Img_7634 とちのき風除け林

寛政年間(1789~800)に設けられた防風林で、甲州街道に直交している。

Img_7629_2 説明板

Img_7637 重修一里塚跡 【ル-ト地図】の⑤

一里塚跡碑(右)には「従江戸四十七里」とある。左は道祖神

Img_7640 T字路 《地図

このあたりは標高950mほどだ。もとはこの台地を真っ直ぐ突っ切っていたのだろう。今は左折してしばらく行き右折して行く。今日はここまでとし、右折し富士見駅に向かう。

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2011年5月17日 (火)

甲州街道(韮崎宿→小武川橋)

2011年5月2日

韮崎駅(JR中央線)・・・小林一三生家跡(にらさき文化村)・・・青坂入口・・・一つ谷交差点・国道20号・・・十六石・・・水難供養塔・旧道・・・下祖母石地区・・神明宮・・・赤地蔵(名号塔)・・・祖母石の道祖神場・・(国道20号)・・桐沢橋(釜無川)・・・原山神社・・・小桐橋(南沢川)・・旧道・・・雨宮寺・・・徳島堰・・・八幡神社・・・県道12号・・・唐沢橋(唐沢川)・・宝蔵寺・・・入戸野地区・・山形酒店・・・戸沢橋・・旧道・・・かかしの里・・・徳島堰由来説明板(円野保育園)・・・寺沢橋・・・(国道20号)・・・おはかみち・・妙浄寺・・・上円井交差点・国道20号・・・小武川橋(小武川)・(北杜市)・・・宮の脇バス停→韮崎駅

  【ル-ト地図】(13.0km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7130 小林一三生家跡(にらさき文化村) 《地図

阪急電鉄を始めとする阪急東宝グループの創業者で、宝塚歌劇団などの創始者、美術品蒐集家。

Img_7135 青坂(車坂)が右へ七里岩の方へ上っている。《地図

この道は「原路」と呼ばれ、韮崎宿以西の甲州街道が釜無川の流域を北上しているため、しばしば洪水に見舞われ通行不能になった時に、官道として使用された。

Img_7143 十六石 【ル-ト地図】の①

武田信玄が治水のため、ここに下の図のように大石を並べたということか? 向うに見えるのがその石の一つか? よく分からない史跡だ。

Img_7140 説明板

Img_7142

Img_7145水難供養塔の所で右に旧道に入る。《地図

Img_7149 下祖母石(しもうばいし)地区の家並み

Img_7153 旧家

Img_7154 神明宮・観音堂 《地図

Img_7158 地元では「赤地蔵」と呼ばれている名号塔

祖母石一里塚跡はどの辺か?

 

Img_7159祖母石の道祖神場 《地図

道祖神・石尊神・蚕神・九頭竜大神・秋葉大神の碑が並ぶ。昭和34年の水害で流失したので、旧位置に再建された。

この先ですぐ国道20号に合流するが、そこには橋はないのでUターンして桐沢橋で釜無川を渡る。

Img_7167桐沢橋から 《地図

晴れてはいるが折角の山並みも、黄砂でぼんやり霞んで、♪「甲斐の山々 陽に映えて・・・」♪(武田節)の道中とはならなかった。

振り返れば七里岩上には武田勝頼が築いた新府城がある。

Img_7173 原山神社 【ル-ト地図】の②

寂れている?荒れている?飾りっ気がなく質素でさっぱりしている?境内だった。

Img_7178 双体道祖神

Img_7185 徳島堰 【ル-ト地図】の③

江戸時代に徳島兵左衛門、矢崎又右衛門によって造られた総延長17kmの農業用水路

Img_7222 説明板(円野保育園前に設置)

Img_7201 宝蔵寺

石段がたわんで、湾曲している。

Img_7208円井逆断層の標識(戸沢橋手前)

ここから西に入って300m位の所にあるようだ。

Img_7211 入戸野地区

Img_7214 家並み

Img_7218 かかしの里のモニュメント

Img_7228 この先で、県道に出て横切る。

Img_7234 妙浄寺 【ル-ト地図】の④

Img_7232 徳島堰を築いた徳島翁の墓

縁起には豊臣方の残党とある。

Img_7233 縁起

Img_7236 小武川橋を渡って北杜市(ほくとし)に入る。 【ル-ト地図】の⑤

今回の街道歩きはここで終わりとする。橋を渡った宮の脇バス停から11時31分のバスで韮崎駅に戻り、帰路についた。

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2011年5月14日 (土)

甲州街道(甲府柳町宿→韮崎宿)

2011年5月1日

石和温泉駅(JR中央線)・・・石和温泉駅入口交差点・国道411号・・・石和の渡し跡(甲運橋(第2平等川))・(甲府市)・・・川田の道標・・・平等橋(平等川)・・・川田館跡(県立青少年センター)・・・和戸町由来標柱・・・十郎大橋(十郎川)・・・山崎三叉路(青梅街道合流)・・・酒折宮道標・・・山崎刑場跡・・・酒折宮道標(酒折宮入口交差点)・・・酒折宮道標・・・大円川・・・(JR身延線)・・甲府柳町宿木戸跡・・石川家住宅・・・天尊躰寺・・・印傳屋・・・新聞発祥之地碑・・・本陣跡・脇本陣あたり・・・(国道358号)・・国道52号・・・身延みち道標(丸の内郵便局東交差点)・・・穴切大神社・・・荒川橋・・貢川橋・・・上石田のサイカチ・・・県立美術館(芸術の森公園)・・・(甲斐市)・(中央自動車道)・・・竜王新町交差点・旧道・・・道祖神場・・・称念寺・・・第一信州往還踏切(中央線)・・・赤坂・・赤坂供養塔・・諏訪神社・赤坂稲荷神社・・・三軒茶屋跡あたり・・・庚申塔道標・・・自性院・・・下今井上町交差点・県道6号・・・(中部横断自動車道)・・(中央線)・・・泣石・・・道祖神・三界万霊供養塔・・志田一里塚跡あたり・・・船形神社鳥居・・芭蕉句碑・・六反川・・・田畑交差点・・旧道・・・二十三夜塔・・・県道6号・・・塩川橋(塩川)・(韮崎市)・・・韮崎宿・・下宿交差点・・鰍沢横丁・・一橋陣屋跡・・本陣跡・・駒つなぎ石・・雲岸寺(窟観音堂)・・天神町通り・・梅天神社・・韮崎駅(JR中央線)

  【ル-ト地図】(23.1km)

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Img_6828 石和温泉駅前の足湯

まだ早過ぎて湯は入っていない。歩く前から入る気はないが。歓楽温泉のイメージしか持っていなかったが今は健全な温泉?に脱却したか。

Img_6829 甲運橋(第二平等川)を渡って甲府市に入る。《地図

かつての笛吹川の流路で、石和(川田)の渡し跡。冬場は橋で夏場は舟渡しだった。

Img_6832 川田の道標(万延元年(1860))

「右 富士山 大山 東京道」、「東京」は「江戸」とあった上に追刻したもの。親切それとも余計なお世話、お節介か。

Img_6836 武田信光の川田館跡(勤労青少年センター) 《地図

武田信虎が躑躅ケ崎館に移るまでの武田氏の拠点地で、今でも「御所曲輪」の地名が残るという。

Img_6838 和戸町の家並み

このあたりは古くて立派な造りの家が多い。

Img_6840 旧家

Img_6845 旧家

Img_6851 山崎三差路 《地図

右から青梅街道(国道140号)が合流

Img_6856 酒折宮道標

酒折宮~善光寺~長禅寺~舞鶴城公園(甲府城跡)は4月29日に歩いている。

Img_6859 山崎刑場跡 【ル-ト地図】の①

身延山58世日環の題目塔や六地蔵など。

Img_6872 身延線をくぐると「かねんて」(金手)という枡形道になり、左折しすぐ右折する。そこが甲府柳町宿木戸跡。

Img_6877 石川家住宅 《地図

もとは金物屋、糸繭問屋で屋号を河内屋、塗籠土蔵造の江戸時代の代表的な町屋造り。ネットは何のために張られているのか?

Img_6885 天尊躰寺

Img_6887 大久保長安の墓

長安は国奉行として慶長6年(1601)から翌7年にかけて甲斐一国の検地(石見検地)を行った。
八王子宿には陣屋跡、八王子千人同心屋敷跡があった。墓は島根県大田市大森町の大安寺跡にも、石見銀山(世界遺産)開発の顕彰碑とともにあるそうだ。

境内には「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」の山口素堂の句碑と墓もある。

Img_6886 説明板

Img_6891 印傳屋

「印伝」とは印度から伝来したという、鹿皮に漆で模様をつけた革の伝統工芸品。天正10年(1582)に上原勇七が独自の技法で印傳屋を創業した。店内を冷かして見る。手頃な値段の皮製の小物もあるが、やはり「かわず飛び出す」だった。

Img_6895 本陣富士井屋跡・脇本陣跡あたり 【ル-ト地図】の②

右はワシントンプラザホテル。本陣1、脇本陣1、旅籠21軒の宿場だったが、今は往時の面影も、活気も感じられない通りだ。

Img_6906 身延道道標(丸の内郵便局東交差点) 《地図

信州道(甲州街道)と身延道(河内路)の分岐点。

Img_6908 昭和50年に復元されたもの。

Img_6912 穴切大神社随神門 《地図

湖だった甲府の地を、鰍沢口を切り開き、豊かで肥沃な土地にしたという「湖水伝説」の神社。

Img_6914 説明板

Img_6917 由緒

Img_6926 上石田のサイカチ

地元では夫婦サイカチと呼ぶ。ただ両方とも雌の木だそうだが。

Img_6924 説明板

Img_6928 「ミレー美術館」ともいう県立美術館のある「芸術の森公園」前を通る。「新富嶽百景」の所でもある。今日は曇っていて、富士も甲斐の山並みもよく見えず。

竜王新町交差点から右に旧道に入る。

Img_6942 道祖神場

まだ球形道祖神が活躍している。

Img_6941 説明板

Img_6946 くり抜き井戸(称念寺) 《地図

上水道が引かれるまで付近の生活用水として使われ、また、赤坂を行き来した旅人の休憩用の井戸だった。

Img_6945 説明板

Img_6950 六地蔵(称念寺)

地蔵らしからぬユニークな顔立ちが並んでいる。もとは地蔵院の本尊で、明治には石橋に転用されたという哀れな流転を味わった6人で、それが表情にも表れているように見える。中には顔がつぶされた地蔵さんもいる。 

Img_6948 説明板

Img_6958 赤坂の長い上りが始まる。左は道祖大神塔 

Img_6960 赤坂 【ル-ト地図】の③

右は赤坂供養塔。今は長いが舗装されて傾斜もさほどではないが、昔は赤土の剝き出た、雨の時などは滑りやすい吹きっさらしの坂で、上り下りに苦労したのだろう。旅人の行き倒れも多かったようだ。

Img_6961 説明板

Img_6967 坂上近くからの眺め

坂上には三軒茶屋があったという。振り返ると晴れていれば富士の姿が大きく見えるようだ。あいにく坂の頂上あたりで、雨が降り出し、風も強くなってきた。坂上近くには「クリーンエネルギーセンター」(県営発電総合制御所)がある。HPには八ヶ岳、富士山、南アルプスの眺望写真が載っている。クリーンで安全なエネルギーで、豊かな自然を守って欲しいものだ。

新富嶽百景』(赤坂台地)

坂上から下今井の方へ下る。

Img_6978 庚申塔道標(右・弘化3年(1846)) 《地図

「庚申 右 市川駿■ 左 甲府江■」、■部分は埋まっている。駿、江だろう。 左のは元禄6年(1693)の古いもので、「庚申」の下が折れたので右の新しいものが立てられたのだろう。

Img_6983 下今井の家並み

Img_6987 共同ホーム「雀のお宿」

Img_6990 自性院

明和2年(1765)以来の石畳の参道。つつじにはまだ早いか。

Img_6999 旧家

Img_7000 旧家

Img_7008 泣石 【ル-ト地図】の④

滅亡に向かう武田氏の道筋での一コマ。

Img_7006_2 説明板

Img_7010 晴れていればの山並み

Img_7013 球形道祖神(文化15年(1818))・三界万霊塔(寛政5年(1793)・その向こうに二十三夜塔

Img_7019 志田の家並み

双葉西小学校バス停近く。

Img_7028 ヤシの木と調和している?

Img_7031 船形神社鳥居(応永4年(1397)) 《地図

どっしり、ずんぐりむっくりした明神鳥居。頭をぶつけそうで自然と頭が下がるので、一礼して社殿に向かう形になるすぐれ物か。このあたりに志田一里塚があったようだが。

Img_7032 説明板

Img_7035 芭蕉句碑(六反川手前の路地を右に入った所) 《地図

「 昼見れば 首すじ赤き 蛍哉 」 

「昼の蛍」とは恐れ入った。芭蕉の時代には六反川は蛍で有名だったのだろう。

田畑交差点から旧道に入り、再び県道6号に出る。

Img_7050 塩川橋を渡る。

増水時には「桶を浮かべて人を渡す」『国志』で、たらい舟みたいな光景が見られたのだろう。

Img_7067 韮崎宿の鋸の歯状の家並み

家の前に三角の空き地を置いた。今はちょうど駐車スペースになっているか。①敵が攻めてきた時に、この陰から矢や鉄砲を撃つため。②大名行列が通るときに陰に隠れるので長く座っていなくてもよい、などの説があるようだが、①、②とも一方からは陰になるが、他方からは丸見えになり、どちらの説も説得力に乏しいのでは。

Img_7071 鰍沢横丁

円朝の三題噺の落語『鰍沢』もある。

Img_7070 説明板

Img_7072 韮崎宿の家並み

宿場風情は薄いが、電線がないのがいい。

Img_7076 井筒屋醤油店

Img_7083 一橋陣屋跡 【ル-ト地図】の⑤

Img_7082 説明板

Img_7090 本陣跡(千野眼科前) 《地図

日程の関係で、韮崎宿では諸大名は宿泊せず通過し、甲府宿まで行ったので問屋が本陣を兼ねていた。諸大名といっても甲州街道を通って参勤交代をしたのは諏訪(高島)藩高遠藩飯田藩だけだったが。

Img_7092 駒つなぎ石

Img_7099 窟観音堂(雲岸寺)

七里岩の南端に穿かれた洞窟と懸崖造の観音堂

Img_7093 説明板

Img_7111 弘法大師自作の自画像というが、顔立ちがよろしくないように見える?

Img_7113 聖観音像

これも大師の作というが・・・。

Img_7112 説明板

Img_7104 洞窟内にも石仏が並ぶ。洞窟は反対側に通じている。

Img_7119 梅天神社 《地図

ここも道に斜めに建っている。

Img_7121 平和観音(昭和36年建立・関東三観音の一つ) 《地図

「ふくよかだねえ」、「何が」、「顔立ちだよ」←嘘

Img_7124 韮崎駅

長野県内強風のため、中央線は遅れていた。

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2011年5月11日 (水)

甲州街道(黒野田宿→笹子峠→駒飼宿→鶴瀬宿→勝沼宿→栗原宿→石和宿)

2011年4月30日

笹子駅(JR中央線)・・国道20号・・・笠懸地蔵・・・黒野田宿・・本陣跡天野家・・黒野田橋(笹子川)・・普明院・黒野田一里塚跡・・・屋影橋(笹子川)・・・追分バス停・・・庚申塔・馬頭観音・・・県道212号・・中橋・・・新田下バス停・・笹子峠登り口・・・明治天皇御立野所跡(三軒茶屋跡)・・・矢立の杉・身代り両面地蔵・・・笹子トンネル手前・・・笹子峠(1096m)・(甲州市)・天神宮・・・笹子トンネル先・・・甘酒茶屋跡・・・馬頭観音標柱・・・自害沢天明水標識・・・県道212号・・清水橋・・・桃の木茶屋跡・・・大持沢橋・・・津島大明神・天狗橋・・・駒飼宿・・脇本陣富屋跡・・本陣跡・・旧道・・・古道橋(笹子沢川)・・・(中央自動車道)・・巡礼供養地蔵・・・大和橋西詰交差点・国道20号・・・立会橋(日川)・・旧道・・鶴瀬宿・・金岡自画地蔵尊碑・・鶴瀬関所跡・・本陣塩野家跡・・国道20号・・・古跡血洗沢跡・・・古跡鞍懸跡・・・観世音菩薩石塔・・聖観音堂標柱・・観音トンネル・・芭蕉句碑・長垣の吊り橋標柱・・観音隧道西交差点・旧道・・・武田不動尊・・共和地区・・横吹諏訪神社・・・国道20号・・・深沢入口交差点・・柏尾坂(跡)・近藤勇柏尾古戦場跡・柏尾橋(深沢川)・・・大善寺・・・御身影岩標柱・・柏尾交差点・・国道411号・・・国見坂・・・勝沼氏館跡家臣屋敷・・勝沼氏館跡・・上行寺・・勝沼宿脇本陣跡・・本陣跡・・小佐手小路・・仲松屋跡・・旧田中銀行・・ようあん坂・・・護念寺・・・諏訪神社・・・常夜灯・球形道祖神・・・等々力交差点・・・延命地蔵堂・・・玄正寺・・万福寺・・・(山梨市)・・栗原宿・・妙善寺・・大翁寺(栗原氏館跡)・・・旧道・・・大宮五所神社・・・源屋園・・・国道411号・・・一町田中交差点・・称名院・・・田安陣屋跡・水上稲荷神社・・・日川橋(日川)・(笛吹市)・旧道・・・白山神社・・・笛吹川堤・・国道411号・・・笛吹橋(笛吹川)・・・松並木・・・笛吹権三郎像・・・権三郎通り・・・長昌院・・・豊玉稲荷社・・・八田家御朱印屋敷跡・・・国道411号・・・石和宿・・遠妙寺・・願生稲荷神社・・本陣跡・・小林公園・・石和陣屋跡・・石和八幡宮・・・石和温泉駅入口交差点・・・石和橋(第二平等川)・・・石和温泉駅(JR中央線)

 今日は笹子峠を越えて一気に石和宿までの30km以上の長い行程だったが、峠を越えて一般道に出てからはずっと下って行くので思ったより楽だった。 

  【ル-ト地図】(30.9km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6391 笠懸地蔵(安政2年(1855))

地蔵というより少年力士のようだ。 

Img_6389 説明板

Img_6395 黒野田宿本陣跡天野家

本陣1、脇本陣1、旅籠14軒の宿場。

『広重道中記』には、「扇屋へ行く、断る故若松屋といへるに泊まる、此家古く、今きたなし、前の小松屋に倍して、むさいこといはん方なし、壁崩れ、ゆか落ち、地虫座敷をはひて、畳あれども、ほこり埋み、蜘蛛の巣まとひし破れあんどん、欠け火鉢一ツ、湯呑形の茶碗のみ家に過ぎたり」とたいそうご立腹で、散々のいわれ様だ。前の小松屋とは野田尻宿でのことで、そこでもかなり怒っていたが、ここの方が怒りも倍している。

Img_6399 黒野田一里塚跡(普明院前) 【ル-ト地図】の①

左の門柱の左側に「一里塚跡 黒野田」の標柱、右の門柱の右側に「江戸日本橋ヨリ二十五里」の石柱が立つ。普明院は毘沙門天で有名な寺。

Img_6410 県道212号に入る。

Img_6415 新田下バス停の先で右折して笹子峠の登り口へ。

Img_6418 笹子峠登り口

Img_6421 緩やかに上って行く。

Img_6424 この先で県道212号に出る。

Img_6429 「笹子峠自然遊歩道の看板」の所から左に山道に入る。

Img_6435 木橋もある。

Img_6437 明治天皇御野立所跡碑

ここは三軒茶屋跡(中の茶屋・笹子茶屋ともいった)

Img_6438 説明板

Img_6444_2 矢立の杉 《地図

出陣する武士がこの杉に矢を射立てて冨士浅間神社を祀り、戦勝を祈願したという。樹齢は千年以上。

Img_6441 説明板

Img_6445 根元は空洞になっていて、以前は中に入って空を眺められたようだが今は立ち入り禁止。ボランティアの管理人のおじさんの話だと、根元部分に苔が生えてきて木の状態は良くないそうだ。

Img_6451身代り両面地蔵(右)の脇を左に入って行くのが旧道。

杉良太郎地蔵ともいい、「矢立の杉」の歌もあるが、あまり聞く気がしない。

この先は一たん下って沢を渡る。

Img_6452 涸れている沢を丸太のような橋で渡る。道っぽくない所だ。雨が降ると沢になるのか。

Img_6454  やせ尾根となって上って行く。

Img_6456 右上に県道が見え始める。県道より高い所まで上って行く。

Img_6459 県道へ下る。

Img_6464 笹子トンネルの手前で右に上る。

登山者だろうか車が数台止まっていた。

Img_6465 説明板

Img_6469 笹子峠への急登となるが距離は短い。熊が出るかどうかは、熊に聞かないと分からない。とっくに登り口から鈴をぶら下げ鳴らして歩いてはいるが、熊除けになるかも分からない。鈴の音を気に入った熊ちゃんが浮かれて出てくるかも知れない。

Img_6471 笹子峠(1096m)は近い。 《地図

Img_6472 峠下の道標

「大和村日影 かいやまと駅」方向に下る。

Img_6473 天神宮の鳥居と小祠(昭和56年)と常夜灯(享保14年(1729))。

Img_6475 峠から下ってトンネルの反対側に出る。ここにも車が駐車している。

Img_6476_2県道を少し下り「甲州街道峠道」の標識に従って左に山道に入る。

Img_6478 再び県道に接近する所に甘酒茶屋の標柱と、その先に清水橋への標識が立つ。

Img_6481 林道と合流し、しばらく進む。

Img_6483 林道から離れ右へ下る。ここにも「甲州街道峠道」の標識が立つ。

Img_6486 道肩が悪い所もあるが、やはり下りは楽だ。

Img_6491 小さな沢を渡る。橋はないがたいした水量ではない。雨の時は分からないが。

Img_6495 木橋の所もあるよ。

Img_6498 馬頭観音標柱

「雑事場の馬頭観音」(嘉永5年(1852))は見当たらない。

Img_6499 自害沢天明水分岐

自害沢天明水の方へ入ってみたが、どの位先にあるのか分からないので引き返した。またどういう由来があるのか調べても分からず。「自害沢」と「天明水」は別物かとも思った。

ここから5分も歩けば県道に出る。

Img_6502県道に出た。あとはだらだらと下って行くだけ。

Img_6503 説明板

Img_6505 桃の木茶屋跡

Img_6508 県道をひたすら下る。車はほとんど通らないので歩きやすいが飽きてくる。

Img_6510 津島大明神の祠(昭和12年建立・天狗橋の所)

スサノオ命を祀る。

Img_6518駒飼宿本陣跡の標柱

手前に脇本陣富屋跡(標柱のみ)、前方はジョギング姿で笹子峠を越えて来た若い2人連れの男女。宿の案内板を見ていたから甲州街道を走っているようだ。県道を走って笹子トンネルを抜けたのか、山道を走って峠越えをしたのか聞けばよかった。

Img_6522 宿場図

本陣1、脇本陣1、旅籠6軒。

Img_6525 左に旧道に入って下って行く。

Img_6526 旧家

Img_6527 中央自動車道の方へ下って行く。

Img_6533 巡礼供養地蔵(右端・中央自動車道をくぐった所)

追剥に襲われ首を切られた巡礼を供養するため村人が立てた地蔵という。これが「歴史の道調査報告書」に載る「西ヶ原の首無し地蔵」のことだろう。 今は首はある。新しく据えたものなのか、初めからあるのか確認しなかった。

国道20号に出て、立会橋の先で左に旧道に入る。

Img_6539 金岡自画地蔵尊碑

巨勢金岡が日川沿いの岩壁に地蔵を描き、水をかけると地蔵像が鮮明に現れるので「水かけ地蔵」 とも呼ばれたという。岩は享保年間(1716~35)の水害で崩れ碑のみが立つ。

新府城から落ち延びて来た武田勝頼の腰掛石も付近にあるようだが見逃した。

Img_6544 鶴瀬関所跡 【ル-ト地図】の②

「甲州十二関」の一つで、鶴瀬の口留番所といわれ、主に物資の流通と「入鉄砲に出女」を取り締まった。取り締まりは厳しくなく、平然と裏道を抜けて行く者もあったという。左隣が本陣塩野家跡で斜め向かいに関守の家があったようだ。

Img_6546 国道に出ると、「甲州街道 鶴瀬宿」の標柱、「鶴瀬地区」碑が立っている。

本陣1、脇本陣1、旅籠4軒の宿場。

Img_6551 血洗沢跡標柱(右の石垣上)

武田勝頼らが落ちて延びて行く時、勝頼の家臣の土屋惣蔵昌恒が逃亡した跡部大炊介を討ち取り、この沢で血を洗い流したという。跡部大炊介は最後まで勝頼に従い田野で殉死したともいう。

Img_6554 鞍懸跡

逃亡する長坂長閑が土屋惣蔵に追われ、落ちた鞍が路傍の桜の木に懸っていた所という。長坂長閑も勝頼に殉死したとするのが一般的なようだが、何故かこのあたりでは土屋惣蔵の活躍、カッコよさだけが強調されている。

Img_6556 観音トンネルの手前で右に上る。

Img_6562観世音菩薩塔(右)・左は?

Img_6559 聖観音堂標柱

京の清水から遷したものといい、養蚕の守護神としての信仰が篤く、4月3日の縁日には馬の藁沓半足を借りて帰り、後日1足にして返すという風習があったそうだ。ここが聖観音堂跡と思ったが、後日、ここからかなり上った墓地の方に、観音堂と納藁堂があることを知った。そして崖沿いを細い旧道が続き、観音トンネルの上を越しているようだ。残念至極後の祭りだ。

Img_6564観音トンネルの左側の歩道を進み、左側の道へ出る。

Img_6565芭蕉句碑・長垣の吊り橋標柱

今でもこの下の急峻な断崖の観音沢に吊り橋は架かっているようだが見逃した。

Img_6566 芭蕉句碑

「観音の 甍(いらか)見やりつ 花の雲」

Img_6571 武田不動尊

武田勝頼一行がここを通った折、武運長久を祈り、守りの不動明王像を村人に託した所という。

Img_6577 往時の道中の面影を残す共和地区の横吹あたり。横吹一里塚跡があったのはこのあたりか?

Img_6579 球形道祖神と小さな六地蔵  (横吹諏訪神社前)

球形道祖神には、この先いやというほど出会う。

Img_6598 柏尾古戦場跡(深沢入口交差点の所)

この近藤勇像の顔はどうもしっくりこないね。甲陽鎮撫隊は官軍との1時間ほどの戦いで敗走し、江戸まで逃げ帰るはめになろうとは情けない。ここは「鎮撫隊」ではなく、「珍舞台」となってしまった。

Img_6594 説明板

Img_6599 柏尾坂(跡・復元)

往時はここを下って柏尾橋で深沢川を渡っていた。この坂は「ころび石」ともいわれた急坂だったそうだ。

Img_6600 行き止まりとなる。

Img_6601この手前の道筋が柏尾坂で(大正)柏尾橋を渡ったのだろう。

Img_6597 馬頭観音(天保7年(1836)造立)

勝沼宿脇本陣家が中心で造った、3面に馬頭観音が彫られたすぐれ物。

Img_6596 説明板

Img_6610 大善寺

養老2年(718)、修行中の行基の夢の中に、葡萄(ぶどう)を持った薬師如来が現れた。 行基はその夢を喜び、夢と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが始まりで、この地に葡萄が栽培されるようになった。甲州葡萄発祥の地の「ぶどう寺」。

新府城から岩殿城へ落ちて行く武田勝頼はこの寺で一夜を明かした。「武田滅亡記」ともいう「理慶尼記」を書いた理慶尼の墓もある。この寺は商売っ気が満々で入る気がそがれた。

Img_6613 御身影岩標柱(柏尾交差点の南側)

養老2年行基がこの磐石上で修行中に、葡萄薬師如来の姿を見たというが、あたりに磐石は見当たらず。下の日川の川岸にあるのか? 修行中に居眠りをして夢の中で薬師の姿を見たということか。行基も俗人と変わらず一安心か? それとも居眠りして夢を見るのも修行の一つか?

Img_6616 国見坂を下る。(右に坂標) 《地図

元和元年(1612)に甲州街道の往還筋の地名としてつけられたという。このあたりから甲府城が見えたのだろうか。何しろ笹子峠を越えてからずっと下りっぱなしなのだ。この先では同じ道筋でも「ようあん坂」と呼ぶ所もある。

Img_6625 勝沼氏館家臣屋敷跡 《地図

勝沼氏は武田信虎の弟の五郎信友に始まる武田の親族衆。子の信元の時に、信玄により滅ぼされた。

Img_6623_2 説明板

Img_6641 勝沼氏供養地蔵

勝沼氏館跡の前にある。 

Img_6633 勝沼宿の旧家

本陣1、脇本陣2、旅籠23軒。問屋場は中町にあり、江戸方面へは1~20日までは鶴瀬宿へ、21~晦日までは駒飼宿へ、甲府方面へは栗原宿へ継ぎ立てた。

Img_6637 説明板

Img_6642 宿場図

中央に脇本陣・本陣、左端に問屋場・脇本陣が見える。

Img_6650 脇本陣跡

Img_6654 本陣跡

「槍掛けの松」は手入れ中。

Img_6659 小佐手小路 《地図

突き当りに勝沼氏の菩提寺の泉勝寺がある。

Img_6658 説明板

Img_6661 仲松屋東西屋敷

蔵とその右が東屋敷で、その右端が西屋敷。左端は野田家だったか。

Img_6666 説明板

Img_6667 西屋敷

Img_6670 三階建ての蔵

Img_6672 旧田中銀行

Img_6674 説明板

Img_6676 内部

Img_6678 ようあん坂 【ル-ト地図】の③

天野養庵(どんな人物なのか?)の屋敷が近くにあったとか。勝沼宿内で最も急な坂というがそれほど急には感じられない。このあたりは海抜400m、笹子峠からは700m近く下って来たことになる。

Img_6684護念寺

惣門、鐘楼門、本堂が一直線に並ぶ。

Img_6691 諏訪神社

樹齢300年というケヤキ

Img_6692 まだまだ下って行く。

Img_6693 ここにも球形道祖神

Img_6695 延命地蔵堂 《地図

Img_6698 延命地蔵尊

丸顔の地蔵さんか。 

Img_6699 杉御坊(万福寺)道標

Img_6701 万福寺

聖徳太子の命を受けて調子麿が開創したと伝えられる寺。当寺を訪れた親鸞が、杉の箸を地面に挿して帰った後、その箸が杉の大木になったとの伝承から「杉の御坊」と呼ばれるようになったという。この杉は寛延の火災で焼失した。その代わりムクの大木がある。

Img_6708 説明板

Img_6704 芭蕉句碑

「行駒の麦に慰むやどりかな」

Img_6703 説明板

Img_6709 聖徳太子堂

手前は聖徳太子の馬蹄石で、甲斐の黒駒に乗ってこの地に飛来した太子がこの石の上に駐まったという伝説がある。

Img_6707聖徳太子像

Img_6712 山梨市に入る。甲府市・甲州市・甲斐市などどこも山梨県の本家を名乗っているようでややこしい。

白百合醸造では見学、試飲もできるというが、まだ先が長いので横目で眺め通り過ぎる。

Img_6716 栗原宿の家並み

往時の景観はない。本陣1、脇本陣1、旅籠20軒。

Img_6715大翁寺、妙善寺一帯が栗原氏館跡という。 《地図

Img_6717 この先を真っ直ぐ旧道に入る。

Img_6720 大宮五所神社

社殿の前が舞台にもなる歌舞伎造りという建物で、江戸からの芝居役者はここで興業し、評判を確かめてから甲府へ入ったという。

Img_6721 説明板

Img_6722クロマツ(山梨市天然記念物)

「老松」の標柱のように、今にも倒れそうで支えられている。

Img_6727 源屋園(もとは旅籠源屋)の前で枡形を左折し、国道に出る。

称名院のある一町田中交差点を右折し、田安陣屋跡による。

Img_6736 田安陣屋跡(水上稲荷神社) 【ル-ト地図】の④

Img_6737 説明板

Img_6742 旧家(一町田中交差点の南側)

この先で日川の土手沿いに出る。南田中一里塚跡はどのあたりか。

Img_6747 白山神社 《地図

Img_6749 一宮町田中の家並み

この先で笛吹川に出る。

Img_6753 国道411号(左)と合流 《地図

「甲州桃太郎街道」の標柱が立つ。桃の産地として有名だそうだ。国道に入ってしばらく行くとローラースケートの2人連れが追い抜いて行った。男だけ馬鹿でかいリュックを背負っていた。そこまでしなくてもよかろうに。女はつけ上がるだけよ。

Img_6755 笛吹川を渡る。

Img_6756 聖牛(せいぎゅう・復元・笛吹橋下)

武田信玄が考案した水防、治水工作物

Img_6759 川中島の松並木が残っている。

Img_6760笛吹権三郎像、球形道祖神のある分岐から右に「権三郎通り」に入る。《地図

Img_6761 笛吹権三郎像

孝行息子というより、マザコン男の哀れで救いようがないお話。

Img_6826 伝説碑(石和橋に設置のもの)

Img_6767旧家

石和川中島簡易郵便局で、「郵便 貯金 為替 ・・・」の看板が立っている。隣の長昌寺にも武田勝頼の腰掛石があったが明治の水害で流失したそうだ。

Img_6776 八田御朱印屋敷 《地図

4時で閉門で入れず。八田家は武田家の蔵前奉行として、年貢や軍の食料を司っていた。門は石和陣屋の表門を移築した。

Img_6778 慶長6年(1601)に造られた書院

Img_6784 周辺案内図

Img_6785遠妙寺

謡曲「鵜飼」の発祥地

Img_6789 由緒

Img_6786_2 説明板

Img_6791 「鵜飼」説明板

Img_6796 願生稲荷神社

Img_6797縁起

Img_6798 石和宿本陣後藤家跡

本陣1、脇本陣2、旅籠18の宿場。

Img_6799 説明板

Img_6806 小林家土蔵

現在は民俗文化財展示館

Img_6804 説明板

Img_6807 石和陣屋跡(石和南小学校) 【ル-ト地図】の⑤

Img_6808 説明板

Img_6816 石和八幡宮

武田信光が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請。

Img_6822 説明板

Img_6823 音声・触知案内板が所々に設置されている。

Img_6827 笛吹権三郎像(第二平等川の石和橋) 《地図

ここは明治40年の大水害までの笛吹川の流路。

 

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2011年5月10日 (火)

甲州街道(駒橋宿→大月宿→下花咲宿→上花咲宿→下初狩宿→中初狩宿→白野宿→阿弥陀海道宿)

2011年4月29日

猿橋駅(JR中央線)・・・国道20号・・・阿弥陀寺・猿橋(殿上)一里塚跡・・・山梨中央自動車・旧道・・・東電駒橋発電所・・・第五甲州街道踏切・・・国道20号・・・旧道・・駒橋宿・・厄王大権現・・旅籠橿屋跡・・・国道20号・・・三島神社・・さつき通り・・国道20号・・大月宿・・本陣跡・・天王橋(富士急行)・・大月追分・牛頭天王社・富士街道道標・・大月橋(桂川)・・(中央線)・・・下花咲一里塚跡・・下花咲宿・・本陣跡星野家・・・大月インター入口・・・上花咲宿・・本陣跡井上家・・・(中央自動車道)・・尾曽後峠道標(鎌倉街道)・・・真木橋(笹子川)・・・真木諏訪神社・・・初月橋(真木川)・・・源氏橋(笹子川・中央線)・・旧道・・甲州砕石工場内・・・第七甲州街道踏切(中央線)・・道興歌碑・・・国道20号・・・下初狩宿・・山本周五郎生誕地碑・本陣跡・・脇本陣跡・・・宮川橋・・・中初狩宿・本陣跡小林家・・・唐沢橋地蔵・・・(中央線)・・・首塚・・・(中央線)・・・唐沢橋(唐沢川)・・・船石橋(笹子川)・船石碑・・・(中央線)・・・旧道・・(中央線)・・滝子川・・天神坂(跡)・白野一里塚跡・・・国道20号・・・旧道・・白野宿・・脇本陣跡天野家・・法林寺・・本陣跡今泉家・・子神社・・・大鹿川橋・・・石井工業・旧道・・(中央線)・・立石坂・・・稲村神社・・親鸞上人塚・・・葦ケ池跡・・・(中央線)・・・国道20号・・・笹子川橋・・阿弥陀海道宿・・・笹子駅(JR中央線)→酒折駅・・・酒折宮・・・善光寺通り・・・善光寺・・・柴宮神社・・・宮前橋(高倉川)・・・子安地蔵尊・・・能成寺・・・来迎寺・・・八幡宮・・・長禅寺・・・舞鶴城公園(甲府城跡)・・・甲府駅

  【ル-ト地図】①・【ル-ト地図】②(酒折宮→舞鶴城公園)

 笹子峠の手前の阿弥陀海道宿まで行く。峠越えは明日とし、酒折駅から甲府駅まで甲州街道の北側の寺社を巡り、舞鶴城公園へ寄り、甲府駅前にどっしりと座る武田信玄に明日の武運長久を願い今日の打ち止めとした。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6049 猿橋(殿上)一里塚跡 【ル-ト地図】の①

左端に「一里塚跡 猿橋」の標柱。阿弥陀寺は郡内観音三十三霊場の28番札所

Img_6052山梨中央自動車の先で右に旧道に入る。

Img_6056 東京電力駒橋発電所

鉄管は国道20号の下を通り、中央線の上を跨いで北側を流れる桂川右岸の発電所へと落ちて行く。福島原発の代わりに再び東京へ送電したらどうか。

Img_6058 第五甲州街道踏切を渡る。駒橋の関所があったのはこのあたりか。《地図

Img_6062 駒橋宿の家並み

本陣、脇本陣はなく旅籠が4軒の小さな宿だった。

Img_6064 右は厄王大権現社

境内に「平和祈願の石」がある。昭和20年8月13日の大月空襲で桂川に爆弾が投下された。その際に大石も吹き上げられたが、厄王大権現の霊験により神社に落下し町民はあやうく難を免れた。この霊験からこの石をこう名づけたそうだ。

Img_6074旅籠橿屋跡

Img_6082 三島神社

境内にはかつて4本のきなの木があった。これが大月の地名の由来という。昭和30年に最後の1本が枯れ記念碑が残るのみ。今日は祭礼か縁日のようで、屋台が並び始めていた。

Img_6084岩殿山(634m)(駒橋跨線橋手前から)

山梨百名山新富嶽百景の山。武田氏の家臣、小山田氏の築いた岩殿山城跡がある。

Img_6089 大月宿の家並み

宿場風情を感じさせるものは残らず。本陣1、脇本陣跡2、旅籠2の小さな宿だった。

Img_6090本陣跡碑(大月市役所先の左側)

建物脇に隠れるようにひっそりと立っていた。ここは溝口五左衛門宅跡で、道路向いが脇本陣跡らしい。

Img_6098 大月追分の牛頭天王の祠・常夜灯(文政13年(1830))」・富士街道道標 《地図

Img_6102 道標

右は「右甲州道中 南無阿弥陀仏 左富士山道」、中は「右甲州道中 左ふじミち」(文久2年(1862))、左は「右甲州街道 左富士街道」(昭和2年)

Img_6118 下花咲一里塚跡 【ル-ト地図】の②

徳本念仏塔、庚申塔、芭蕉句碑、馬頭観音、二十三夜塔などが並び、小公園風になっている。

芭蕉句碑は「しばらくは花の上なる月夜かな」

Img_6122 説明板

Img_6126 本陣跡星野家

下花咲宿は本陣1、脇本陣2、旅籠22軒。

Img_6142 上花咲宿本陣跡井上家か? もっと手前にも井上家はあったが。

本陣1、脇本陣2、旅籠13軒。

Img_6145尾曽後峠道標(鎌倉街道)標識

中央自動車道をくぐった所。

Img_6152 真木諏訪神社 《地図

入母屋造りの本殿の彫刻は八王子の藤兵衛の作品。

Img_6160 源氏橋から 【ル-ト地図】の③

笹子川(右)と中央線(左)を渡る。

Img_6168 中央線の線路沿いの道を行く。

Img_6169甲州砕石工場内を通る。

荒れている感じだが。

Img_6171 福島原発の事故を連想させた。

Img_6172普通の道になり、ほっとする。左の石垣上には地蔵や小祠が並んでいる。この先で第七甲州街道踏切を渡る。

Img_6176 聖護院道興歌碑 《地図

室町時代に諸国を巡り、『廻国雑記』を著した道興の歌碑などには『坂道散歩』でのあちこちで出会っている。

Img_6177 説明板

Img_6181 下初狩宿の家並み

本陣2 脇本陣2 旅籠12軒の宿。問屋業務は中初狩宿と半月交代で行った。     

Img_6185 本陣跡奥脇家

前に「山本周五郎生誕之地碑」が立つ。「生家」ではない。

Img_6186 左側には門が残っている。

Img_6188隣の旧家

Img_6189 脇本陣跡大野家(本陣の斜め向かい側)

Img_6197 今池家(国登録有形文化財)

医院だったそうだ。

Img_6202 中初狩宿の家並み

本陣1 脇本陣1 旅籠25軒。

Img_6204 本陣跡小林家

Img_6206 旧家

唐沢橋の手前に「首塚」の標識があるので行ってみる。

Img_6209 唐沢橋地蔵(正徳元年(1711))

この前を通り、中央線をくぐった先に首塚はあった。 

Img_6218 右手前が首塚(湘南塔)・小山田左兵衛尉信茂顕彰碑と石碑(中央・左)

ここは瑞竜庵跡で、織田信長により、主君(武田勝頼)を裏切った不忠者として甲府善光寺で斬殺された小山田信茂の首を、従僕が持ち帰ったのを住職がここに葬ったという。

Img_6217 碑文

Img_6222 船石碑(船石橋を渡った所)

親鸞上人が初狩を通った時、船石の上で説法を行い、また、船石の上で布に名号を書き、老婆に与えたという。この石は明治40年の水害で埋没したそうだ。左側には「御船石所在地ハ従是東三拾間余」と刻まれた碑もある。

Img_6225 旧道は右へ天神峠へ上って、天神坂を下り白野宿へ入っていたが、今は行き止まりになるようだ。

Img_6237 滝子川沿いに中央線のガードをくぐり上ると旧道沿いに白野一里塚跡がある。

Img_6233 白野一里塚跡 【ル-ト地図】の④

「一里塚跡 白野」と双体道祖神。この前の坂が天神坂

Img_6238 再び国道に戻って進み、右に白野宿に入る。

昔は白野一里塚から天神坂を下って直接に白野宿に入っていたのだろう。

Img_6240 白野宿の旧家

下宿、中宿、上宿とあり、本陣1、脇本陣1、旅籠4の宿。

Img_6242 家並み

Img_6248 宝林寺 《地図

左が本陣跡今泉家で、参道を挟んで右側が脇本陣跡天野家だろう。

Img_6254 子神社

Img_6260 石井工業の工場の所を右折し中央線のガードをくぐる。

Img_6264 立石坂 【ル-ト地図】の⑤

ガード下に「伝説 立石坂の立石」の標柱が立っている。近くを探したが分からず。後日調べるとガードをくぐる手前の線路沿い(石井工業の敷地内?)に立石があるようだ。①岩殿山の山姥の石の右杖で、折れたのでここに捨てた。②岩殿山の鬼の右杖で、ある時、何かに驚き杖を放り投げたところ、ここまで飛んできて刺さった。という伝説だそうだ。写真など詳しくは『鬼の石杖』で。

Img_6270立石坂上の原地区

「火の見」の左は原公民館

Img_6276 道路より低く建っている。

Img_6277 右前方に稲村神社がある。

Img_6282 合体道祖神(稲村神社境内)

説明不用の一物。

Img_6280 説明板

Img_6289 親鸞念仏塔(左端)・毒蛇済度旧蹟塔(右端) (稲村神社前)

京からこの地に来た僧に惚れた葦ケ窪の地頭の娘「よし」はその思い叶わず、葦ケ池に身を投げ毒蛇となって村人を苦しめた。この地に立ち寄った親鸞の法力で、毒蛇は済度成仏したいう。女の執念の深さの恐ろしさの話だが、まあ、道成寺の清姫の怨情の比ではないか。

Img_6285 由来

Img_6295 葦ケ池跡

「あし」ではなく、毒蛇となった娘の「よし」ケ池だろう。

Img_6293 説明板

Img_6297 阿弥陀海道宿

本陣1、脇本陣跡1、旅籠4の宿。白野宿と黒野田宿と合宿で宿業務を行っていた。宿の名となった行基が自作の阿弥陀如来像を安置したという阿弥陀堂は明治時代まではあったそうだ。笹子駅の南側とも。今も地名は「阿弥陀海」で「あみだかいどう」と読ませる。

Img_6301 笹子餅屋もちらほらとある。

Img_6303 笹子隧道記念碑(笹子駅前)

Img_6304 説明板

中央線で笹子駅から甲府駅まで行く。

***酒折宮→善光寺→長禅寺→舞鶴城公園***

Img_6310 酒折宮 【ル-ト地図】②の1

連歌発祥の地ともいう。

Img_6313 説明板

Img_6315 酒折宮拝殿

Img_6322 善光寺山門 【ル-ト地図】②の2

Img_6324 説明板

Img_6328善光寺本堂

Img_6330 柴宮神社

甲府五社(穴切神社・古府中八幡神社・甲斐奈神社・住吉神社・当社)の一社。

Img_6336 子安地蔵尊

Img_6338 芭蕉句碑(能成寺) 【ル-ト地図】②の3

「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」

Img_6337 説明板

Img_6339_2能成寺

甲府五山の一つ。赤穂浪士で討入りに加わらなかった赤穂藩浅野家家老の大野九郎兵衛の墓もある。

Img_6346 長禅寺 【ル-ト地図】②の4

甲府五山の第一位の寺。武田信玄の母、大井夫人の菩提寺。4時で閉門のようで、この先の仁王門は閉ざされ入れず、五重塔も上部しか見えず。

Img_6358 舞鶴城(甲府城) 【ル-ト地図】②の5

Img_6380 説明板

Img_6362 天守台

Img_6369 天守台から富士山

Img_6046 武田信玄像(甲府駅前)

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2011年5月 8日 (日)

甲州街道(関野宿→上野原宿→鶴川宿→野田尻宿→犬目宿→下鳥沢宿→上鳥沢宿→猿橋宿)

2011年4月28日

藤野駅(JR中央線)・・・関野宿・本陣跡・・増珠寺・・・名倉入口交差点・・旧道・・・境沢橋(境川)・・(山梨県上野原市)・・(境川橋手前)・・乙女坂・・諏訪関所跡・・・船守寺・・諏訪神社・・・(中央線)・・・諏訪橋(中央自動車道)・・・疱瘡神社・塚場一里塚跡・・・新町交差点(国道20号合流)・・上野原宿・・牛倉神社・・脇本陣跡・・本陣跡藤田家・・本町三叉路・旧道・・・原の供養塔・・原の馬頭観音・・・鶴川入口歩道橋・・・県道30号・・・鶴川の渡し跡・鶴川橋・・鶴川宿・・鶴川神社・・・旧道・・・蔦ケ崎橋(中央自動車道)・・・大椚一里塚跡・・・二十三夜塔・・・大椚観音堂・吾妻神社・・・長峰の池跡・芭蕉句碑・長峰砦跡・・・新栗原橋(中央自動車道)・・・野田尻宿・・本陣跡・・犬嶋神社・・・西光寺・旧道・・天満宮祠・・・北久保橋(中央自動車道)・・・荻野一里塚跡・・・堂久保の廻国供養塔・・旧道・・矢坪坂古戦場跡・矢坪坂・・・武甕槌(軍勢)神社・・・庚申塔・牛馬尊塔・・・金比羅神社参道入口・・・座頭転がし・・・新田地区・・尾張の殿様定宿家・・・県道30号・・・犬目宿・・犬目兵助墓入口・・犬目兵助生家跡・・本陣跡・・宝勝寺・・・白馬不動尊鳥居・・・君恋坂・・・恋塚一里塚跡・・・聖徳太子塔・・山住神社・旧道・・馬宿跡・・石畳道・・県道30号・・・(大月市)・・・山谷地区・・三夜坂・・・坂下橋・・・(中央自動車道)・・・道祖神・馬頭観音・・・国道20号・・・下鳥沢宿・・鳥沢一里塚跡・・・上鳥沢宿・・本陣跡井上家・・・三栄工業・旧道・・・国道20号・・・宮谷橋・・・稲荷社(東町自治会館)・・・旧道・・・猿橋(桂川)・・・新猿橋西交差点・・猿橋宿本陣跡・円行寺・三島神社・猿橋駅(JR中央線)

  【ル-ト地図】(25.7km)

  参考:『歴史の道調査報告書 第4集 甲州街道』(山梨県教育委員会)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5717 関野宿本陣跡

右の空き地に説明板が立っている。本陣1軒・脇本陣1軒・旅籠3軒の相模国最後の宿場だったが、明治21年と、その後の2度の火災で焼失してしまった。

Img_5716 説明板

Img_5720 増珠寺

江戸時代の力士追手風喜太郎ゆかりの寺。

Img_5719 説明板

小淵の歩道橋の先で右に上り、左に下って国道20号に合流し、名倉入口交差点で左に下るのが旧道の道筋。

Img_5728 境沢橋(境川)を渡って、相模国から甲斐国へ入る。 《地図

Img_5732 境川橋の手前でUターンして乙女坂を乙の字を書くように上る。このあたりには旅籠、茶屋があり諏訪関所の手助けをしていたという。「あれに見えるは諏訪の関 夜泣き桜におぼろ月 女子にきびしいこの関は だれがつけたか女坂」と歌われた。

Img_5735 相模川(坂の途中から)

Img_5737 諏訪関(番所)跡 【ル-ト地図】の①

江戸へ向う女のみ通行手形を改められた。甲斐24関の一つ。向い側に「夜泣き桜」があったそうだ。

Img_5740 説明板

Img_5739 周辺案内図

Img_5744 船守寺 《地図

普通の寺っぽくない感じがいい。

Img_5748 船守弥三郎記念碑

故郷を捨て、伊豆国伊東の浦に住み着いて漁師となった諏訪の弥三郎は、弘長元年(1261)5月12日漁から帰る時に、日蓮をまないた岩の流罪から救った。日蓮は別れ際に弥三郎の海上安全を祈って、船守の守護を授けた。以来人々は彼を「船守の弥三郎」と呼びその徳を讃え、その名は天下に知れ渡ったという。昭和30年、伊東市蓮慶寺から弥三郎の骨を分骨し、ここに記念碑が建てられた。新町の植松菓子店では、「船守もなか」を販売しているそうだ。鎌倉には弥三郎の子の日実(弥三郎本人ともいう)が開山の妙長寺がある。

Img_5747 説明板

Img_5753 諏訪神社

諏訪地区の氏神で、久安年間(1145~50)に上原氏が諏訪大社を勧請したとも、文永年間(1264~74)に蘭渓道隆が勧請したともいう。武田信玄が小田原の北条氏攻めの時に兵を休めた所で、帰りの三増峠の戦いの後、暖を取るため社殿から木をはがして火をつけたという。後に武田勝頼が修復したそうだ。

Img_5760 塚場一里塚跡・疱瘡神社(右)

神社裏手に小高くなった竹藪があり、塚の跡といわれている。塚上にはカヤ(説明板ではモミ)の木が植えられていたそうだ。

Img_5761 説明板

Img_5764 上野原宿の家並み

本陣1軒・脇本陣2軒・旅籠20軒の甲斐国最初の宿。

Img_5765 牛倉神社前の旧家

脇本陣跡か?

Img_5768牛倉神社 《地図

例大祭は郡内三大祭りの一つで、暴れ神輿で有名だそうだ。

Img_5774 脇本陣跡

ホテルルートイン上野原の所

Img_5775 本陣跡藤田家の門

Img_5777 崩れかけているが、長塀も残っている。

Img_5779 三井屋跡

何の店だったのか?

Img_5794_2 周辺案内図

上野原小学校の大ケヤキを見逃した。本町三叉路から旧道に入った右手に、「木喰白道上人加持水の井跡碑」があるはずだが見つからず。

Img_5783 原の供養塔

道端の左右に文政10年(1827)の廻国供養塔が立つ。この先には原の馬頭観音(文政5年(1822))がある。

Img_5793 鶴川入口歩道橋を渡り、県道30号を鶴川橋へ下る。途中で左に入る歩道がある。《地図

Img_5797 鶴川橋(中央)

甲州街道で唯一、通常は橋渡しで、増水時は徒渡しだった。市川海老蔵が甲府へ芝居興行に行く時に川越人足から100両ゆすられたとか。何時の時代も海老様は事件が好きなようで・・・。

Img_5803 鶴川宿説明板

上部の切れた所は、「鶴川宿は、正徳三年(1713)一村一宿にて宿場を構成しました。また・・・」。村全体で宿場業務を担っていたのだろう。

Img_5809 鶴川神社

細く急で不規則な石段は下りの方がきつい。

Img_5814 駒つなぎ石(鶴川神社境内)

もとは街道沿いの家の庭先にあったもの。穴は開いてないので、石に手綱を巻きつけるのか。

Img_5816 石田屋の表札が掛かっている。

Img_5819 鶴川宿の家並み

大正10年の火災で旧観は失われたが、古そうな家の残っている。柏屋が脇本陣と問屋を兼ね、本陣も代行することがあったという。

Img_5820 宿外れの旧家

本陣跡か?

Img_5822 蔦ケ崎橋の方へ上って行く旧道。けっこうな急坂だ。《地図

Img_5826 蔦ケ崎橋(正面奥を渡る)

下は中央自動車道

Img_5841 周辺案内図

Img_5828 大椚一里塚跡(大椚199)

Img_5830 説明板

Img_5832 大椚集落を上って行く。右側に二十三夜塔が立つ。

Img_5837 大椚宿発祥の地・秋葉常夜灯・小祠

大椚は鶴川宿と野田尻宿の「間の宿」だった。

Img_5840大椚観音堂・吾妻神社(正面) 《地図

敏達天皇創建の行満寺跡と伝える。郡内三十三観音霊場の24番札所。吾妻神社は日本武尊の妃の弟橘姫を祀る。

Img_5842 説明板

Img_5848 長峰の池跡・芭蕉句碑・長峰砦跡 【ル-ト地図】の②

鳶が崎から矢坪坂付近までの丘陵を長峰と呼ぶ。鳶が崎や鳶の巣はたびたび北条氏と武田氏が小競り合いをした中世の古戦場だった。ここに武田信玄の家臣の加藤丹後守景忠が砦を築き、外敵進攻に備えたという。

Img_5849 説明板

Img_5850 芭蕉と門下の蓮二房の句碑

芭蕉の句は「古池や・・・」の有名な句。蓮二房の句は、「あがりては さがりあけては 夕雲雀」?

Img_5852 長峰砦説明板

Img_5853中央自動車道が通って街道の道筋も失われ、芭蕉句碑も移された。

Img_5857 右の新栗原橋を渡り、野田尻宿へ

Img_5860 富士山が白い頭をのぞかせている。

Img_5865 野田尻宿の家並み 《地図

『広重道中記』には「小松屋と云へるにとまる、広いばかりにて きたなき事おびただし」でおかんむりの様子だ。本陣1・脇本陣1・旅籠9の宿場だった。

Img_5866本陣跡

Img_5869 犬嶋神社

野田尻地区の鎮守社。鎮守の森の雰囲気が残っている。

Img_5871 西光寺(正面)の右の道を行く。

左が「お玉ヶ井」碑か? 旅籠の女中「お玉」が恋が結ばれたお礼に水不足で悩む野田尻の人たちのために、土地の一角に澄んだ水を湧き立たせたという。またお玉の正体は龍であり、結ばれた相手は「長峰の池」の主の龍神だったとも。西光寺は甲州八十八観音霊場の7番札所。

Img_5878 北久保橋(中央自動車道)を渡ると、旧道っぽい所がわずかだが残っている。

Img_5880 荻野一里塚跡

北側の丘の上には、地元の人が“ヒラマツ”と呼ぶ老松が1本あったが、伐採されてしまった。

Img_5881 説明板

Img_5884気分のいい道を下る。快晴で暑い。

Img_5889堂久保の廻国供養塔(右・文化10年(1813))の先で矢坪坂(右)に入る。ここは矢坪坂古戦場跡。

Img_5891 説明板

Img_5893 矢坪坂を行く。

Img_5895 武甕槌(タケミカヅチ)神社鳥居

社殿はかなり上の方にある。矢坪坂の合戦の際に祀られたとも伝える。

Img_5902 座頭転がし 【ル-ト地図】の③

左側は急な崖になっている。盲人が茶屋へ向かう近道と聞き、断崖のあることを知らずにここを通って落ちて死に、「座頭殺し」が転じて「転がし」になったとも。

Img_5912 尾張家殿様定宿跡

代々米山伊左衛門を名乗り、庄屋を勤めた家柄で、尾張家の紋所入りの器物や手紙も残っているそうだ。建物は新しくなっている。

Img_5914 説明文

小さすぎて読めないだろうな。

Img_5917 県道30号に合流し犬目宿へ入る。本陣2・旅籠15の宿場で、ここは標高500m以上あり房総の海まで望めたそうだ。

Img_5924 周辺案内図

Img_5921甲州一揆」の首謀者の一人、犬目兵助墓入口。墓まで上れば眺めがいいかも。

Img_5925 犬目宿説明板

Img_5929 犬目兵助生家跡

Img_5927 説明板

Img_5930 本陣跡

道の向い側が問屋場大津屋跡らしい。

Img_5935 白馬不動参道入口

山中に不動堂と白滝があるのだが、ここから遥拝のみ。鳥居というのも神仏混淆で面白いか。右には不動明王石像も立っている。

Img_5938 高台のぽつんと一軒の民家

Img_5941君恋温泉案内板

Img_5942 君恋坂を下る。【ル-ト地図】の④

東国征伐の帰途、日本武尊が自ら海神の生贄となった弟橘姫を恋しく思い偲んだことに由来するという。今はそんなロマンティックな雰囲気などは皆無だが。

Img_5945 恋塚一里塚跡(県指定文化財)

『甲州道中宿村大概帳』には「左右の塚共大目宿地内木立左杉、右松」とあるそうだ。北側の塚は道路の拡幅工事で削られた。

Img_5950 聖徳太子塔(弘化2年(1845))

道路を挟んで向い側に山住神社がある。

Img_5951 山住神社(右だが写真に写らず)の鳥居前の旧道に入る。

Img_5954 短い集落を抜けて行く。家並みの最後が馬宿と呼ばれた家で、その先で未舗装に石畳道に入り下る。

Img_5957 石畳道が60mほど残っている。

Img_5965 富士の眺め

大月市との境あたり

800pxhokusai41_inumepass犬目峠『富嶽三十六景』

犬目宿の宝勝寺あたりからの眺めというが、気がつかず通り過ぎてしまった。

Img_5973 山谷地区の三夜坂を下り、中央自動車道をくぐって国道20号に突き当たる。

Img_5980 国道20号手前の道祖神・首の欠けた地蔵・馬頭観音など

Img_5983 下鳥沢宿の家並み

宿業務は上鳥沢宿と半月交代で行っていた。本陣1・脇本陣2・旅籠11。

Img_5987 小林畳店

Img_5988鳥沢一里塚跡跡 【ル-ト地図】の④

右の文扇堂の右前に「一里塚跡 鳥沢」の標柱が立つ。

Img_5993

上鳥沢宿

旅籠叶屋跡(右)、長いひさしが特徴の出桁軒裏造りの家屋。

Img_5994 上鳥沢宿の家並み

本陣1・脇本陣2軒・旅籠13。

Img_5995 本陣跡井上家

空き地になっている。左隣も井上家。

Img_6000 三栄工業の手前で右に入り、また国道20号に出る。

Img_6005 ここの左下の「宮谷の精進場」を通るのが旧道。

Img_6014 猿橋 《地図

日本三奇橋の一つ。上から見ると何の変哲もない橋だが。

Img_6020橋脚がないというが、一番下は桁で支えられている。

Img_6017 説明板

Img_6015 芭蕉句碑

「うき我を 淋しからせよ 閑古鳥  はせを」

Img_6027 蛇行して流れる桂川

猿橋宿は新猿橋西交差点の所に本陣があったようだ。今は古い家並みは残っていない。本陣1・脇本陣2・旅籠10の宿だった。

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