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2011年5月26日 (木)

甲州街道(金沢宿→上諏訪宿→下諏訪宿)

2011年5月16日

富士見駅(JR中央線)・・・原の茶屋地区・・・富士見公園・・・明治天皇駐輦之処址・・明治天皇御膳水跡・・・金毘羅神社・・・カゴメ工場・・・御射山神戸・・枡形跡・・富士見パノラマリゾート入口交差点・国道20号・・・御射山神戸八幡神社・・・旧道・・・御射山神戸一里塚跡・・・(茅野市)・・・ゆるぎ石・・・国道20号・・・金沢宿・・泉長禅寺・・本陣小松家跡・・茶屋近江屋跡・・旅籠松坂屋跡・・馬方宿跡小林家・・・石仏群・金沢橋・・矢ノ口交差点・権現の森・・・大池一里塚跡あたり・・・木舟入口バス停・・旧道・・・(JR中央線)・・・宮沢橋・・・小早川橋・・・早川橋・・・(中央線ガード)・・・宮川坂室交差点・国道20号・・・弓振川・・・酒室神社・・・(中央自動車道)・・・茅野一里塚跡あたり・・・宮川三叉路・県道197号・・・鈿女神社・・三輪社・・五味邸跡(明治天皇小休所跡)・・丸井伊藤商店・・・宗湖寺・・・上川橋(上川)・・・諏訪大社上社鳥居・・・上原交差点・国道20号・・・上原八幡神社・・極楽寺・・・鍛冶小路・・金剛寺跡・・・(中央線)・・・千鹿頭神社・・板垣屋敷通り・・板垣平(板垣城跡)・・・頼岳寺・・・大門道・・・甲州街道合流地点・道標・・・火燈公園・・・頼重院・・・神戸一里塚跡・・・道標・・・霧ヶ峰入口交差点・(桑原城跡)・・・(足長神社)・・・道祖神・こんぼった石・・・国道20号・・・上諏訪宿・・天神小路・・角間天神社・・宮坂醸造・・角間十王堂跡・・正願寺(曽良の墓)・・本陣跡あたり・・旧道・・(手長神社)・・・吉田の松・・・片羽一里塚跡・・・旧諏訪藩庭園・・・温泉寺(和泉式部の墓)・・・児玉石神社・・・先宮神社・・・寿量院・・・茶屋橋本屋跡・・・石投場跡・明治天皇小休所跡・・・承知橋(承知川)・・承知川橋の橋石・・・諏訪大社下社秋宮・・下諏訪宿・・「甲州道中・中山道合流之地碑」・甲州道中終点地碑・・本陣岩波家跡・・脇本陣跡・・中山道・・高札場跡・・八幡坂・・国道20号・・・下諏訪駅(JR中央線)

  【ル-ト地図】(33.0km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7646 富士見高原を行く。と言ってもすぐ原の茶屋の集落に入って行くが。

Img_7648 原の茶屋地区

とちの木村と御射山神戸村の間は距離が長く人家も無く、旅をするのに不便であったため、安永元年(1772)頃に松目新田の名取与兵衛が向原に出て茶屋を始めた。その後ここを中心にして次第に人家が増えて周囲の村と紛争が起きたので高島藩が40間四方の築地を築かせその中で茶屋を営ませたという。

Img_7649 左手の入笠山の中腹には富士見パノラマスキー場が見える。

Img_7653 富士見公園 【ル-ト地図】の①

Img_7650 公園由来

「左千夫は・・・入信し・・・」とあるから、何かの宗教へ者になったのかと思ってしまった。よく読むと州へったということだった。

Img_7652公園にゆかりのある伊藤左千夫島木赤彦の歌碑や、芭蕉句碑などがある。

Img_7658 伊藤左千夫歌碑

Img_7657 説明板

Img_7663 「明治天皇駐輦(ちゅうれん)之処」碑

ここは標高961mで、笹子峠より100m低いだけだ。けっこう上って来たわりには集落内のせいか、それほどの高さは感じない。「駐輦之処」とは明治天皇が小休止した場所のこと。

Img_7664 明治天皇御膳水跡

「甘露、甘露」と誉めたか?

Img_7666_2 原の茶屋の集落を抜けて行く。左は旅館「桔梗屋」跡か? 明治から大正にかけ島木赤彦、土屋文明、竹久夢二、斎藤茂吉、田山花袋ら多くの歌人、文人が訪れたという。

Img_7674 前方はカゴメ工場の大きな敷地 《地図

この先単調な道を進み、枡形跡を下りて国道20号と合流し、間の宿だった御射山神戸(みさやまごうど)地区に入る。

Img_7688 御射山神戸地区の旧家(御射山神戸交差点の所)

Img_7690 御射山神戸八幡神社 《地図

社殿左は樹齢400年近いケヤキ。社殿の右前下に芭蕉句碑、左前下に双体道祖神がある。

Img_7691説明板

Img_7693 芭蕉句碑(天保14年(1843))

雪散るや 穂屋の薄(すすき)の 刈り残し」

Img_7692 双体道祖神

お互いの手が怪しげな所に延びている?

Img_7695 馬頭観音の所で左へ旧道を上る。《地図

Img_7698御射山神戸一里塚跡(西塚)

東西の塚が残っている。特に西塚上の樹齢400年近くの大ケヤキは根で塚を鷲づかみにしていて見事だ。

Img_7701 東塚

Img_7702 説明板

Img_7714 ゆるぎ石(セイコーエプソンテニスコート先の下方)

簡単に揺れる不思議から道中の名物であったとか。民家の畑の中だし試しには行かなかった。下は国道20号で、この先で合流する。

Img_7719 金沢宿入口の「萬霊」等

Img_7720 泉長寺

高島藩によって処刑された金沢宿本陣小松三郎左衛門の墓がある。右の木の下に「おてつき石」がある。宿の上下(かみしも)の入口に1つづつあり、藩主などの往来の時に、宿役人がこの石に手をついて宿役人である趣を言上 したとか。小仏関所にあった「手付石」といい、いやな時代だねえ。

Img_7727 本陣小松家跡(金沢交差点の所) 《地図

建物は残らず。本陣1、旅籠17の宿で、元は青柳宿といい、北西の権現原平(権現の森)に設置されたが、宮川の氾濫や大火で焼失するなどで、この地に移り金沢宿と改称した。

Img_7730 説明板

高島藩のひどい仕打ちが書かれている。

Img_7731 金沢宿の家並み

左は茶屋近江屋跡

Img_7733旅籠松坂屋跡

Img_7737 馬方宿跡小林家

左の大きな石の前に「馬繋ぎ石」がある。

すぐ先を右に入った所に処刑された小松三郎左衛門を供養する如意輪観音堂があるそうだ。

Img_7742 金沢橋手前の石仏群

この中に処刑された小松三郎左衛門を供養する地蔵があると伝えるそうだが、どれかは分からず。ここはリサイクル用の置き場になっていて、「古新聞」・「古雑誌」などの札が掛かっている。

Img_7749 権現の森 【ル-ト地図】の②

ここがかつての青柳宿跡

Img_7752 説明板

Img_7754 正面の石祠の後ろが説明板の承応3年(1654)建立の石祠だろう。

Img_7757 寒天の里

この先の茅野駅近くの店で、「寒天チキンカレー」と「寒天フルーツ蜜豆」を昼飯にした。

Img_7759 大池(木舟)一里塚跡

宮川の向う側にある。

Img_7764 右にUターンするように上る。もとは斜め前方に進みJR線路を横切っていたのだろう。《地図

Img_7769 鳥居ではなく、(ミニ)御柱(おんばしら)だろう。

Img_7773 中央線を越え、下って前方の「のぞみ大橋」をくぐって行く。

Img_7779 静かな道がしばらく続く。

Img_7783 宮川沿いになり、この先でJRガードをくぐり、宮川坂室交差点で国道20号に合流する。《地図

Img_7800 酒室神社境内 《地図

古墳という「雨降塚」碑が立っているが、古墳の形ははっきりしない。酒室神社は、御射山祭りに濁酒(どぶろく)を作り、山の神に供える前夜祭をとり行った神聖な地に、酒解子之神(=木花咲耶姫)を祭神として祀った。

Img_7798 説明板

Img_7801 旧家

Img_7808 宮川三叉路から県道197号(右斜め方向)に入る。

手前に茅野一里塚跡があるはずだが見つからず。

Img_7810 宮川米店

Img_78252つとも小さな社だが信仰が篤いようだ。

Img_7823 鈿女(おかめ)神社

松川村の鈿女(うずめ)神社から分祀された、「天の岩戸神話」でお馴染みの天鈿女命を祀る神社。後には猿田彦神と共に「道祖神」として祀られるようになった。

Img_7815 旧家 《地図

ここも明治天皇小休所の五味邸の敷地内だったのか? 変わった造りの建物だ。地図には「米屋金物店」とある。 今は修理か解体をしているようだ。

Img_7817 説明板

Img_7818 丸井伊藤商店 《地図》

敷地内には貧乏神神社が祀られている。不愛想で有名な看板犬?が見張っている。

Img_7829_2 宋湖寺

諏訪家中興の祖の諏訪頼忠(武田信玄に滅ぼされた頼重の従弟)の菩提寺。

Img_7820 説明板

Img_7835 茅野駅の西口だが、ここもシャッター通りになっている。

Img_7837 諏訪大社上社参道鳥居

まだ先が長いので遥拝のみ。

Img_7840 上原八幡神社 《地図

高島藩主が参勤交代の折には、下乗して道中安全を祈願したにしては社殿も小さく質素な造りだ。向いに別当寺だった極楽寺がある。

Img_7839 説明碑

この先で甲州街道から離れ、鍛冶小路から千鹿頭神社、板垣平、上原城跡の下を通り、頼岳寺に寄り、大門道の追分で甲州街道に合流する道をたどる。

Img_7845 鍛冶小路 【ル-ト地図】の③

右に金剛寺跡の石碑が立つ。

Img_7846 説明板

Img_7847 周辺案内図

鍛冶小路に入り上る。渋沢小路から大門道に合流するのが甲州街道の道筋。遊女小路なんてのもある。

Img_7852 千鹿頭神社 《地図

Img_7854 前方が板垣平(板垣城址)あたりで、その上が上原城跡

Img_7874 頼岳寺

Img_7873 説明板

Img_7870 諏訪氏廟所

Img_7869 説明板

Img_7878 大門の追分 《地図

道標・常夜灯が立つ。左から上って来る渋沢小路が甲州街道。

Img_7881 振り返って見る。

右が甲州街道で、左が今通って来た大門道。

Img_7880 「右 江戸道」で、甲州街道。

Img_7883 火燈(ひとぼし)公園 《地図

御柱年の盆の15日の夕、頼重院の裏山の「火燈し場」で諏訪大社へ鳥居火を灯して奉納したことを記念した公園。

Img_7882 説明板

Img_7886 頼重院

武田信玄によって滅ぼされた諏訪頼重の菩提寺。頼重の娘が信玄の側室の諏訪御料人で、武田勝頼の母。

Img_7887 説明板

Img_7893 神戸一里塚跡(左に碑)

スーツ姿の訪問販売の若者がこれを見ていて、一里塚とは何かと聞かれ説明した。彼は歴史に興味があると言っていたが、一里塚も知らないとは。

Img_7892 説明板

Img_7895 ゴミ置き場の後ろに道標と常夜灯が立つ。

Img_7897 振り返って見る。

左が甲州街道で「江戸みち」

Img_7898 「左 江戸みち 右 大明神・・・ 」

Img_7901桑原城跡看板(霧ヶ峰入口交差点から) 《地図

諏訪頼重は上原城からこの城に逃れ籠城したが、落城寸前に開城し降伏した。そして甲府へ送られて幽閉後、自刃した。

Img_7903 足長神社

脚摩乳命(あしなづちのみこと)を祀る。別名を足長彦神といい、諏訪大社の祭神・建御名方命に随従する神。スサノオのヤマタノオロチ退治伝説の奇稲田姫の父親でもある。

足も長いが石段も長い。ここで遥拝でご容赦を。

Img_7905 双体道祖神

古墳の石室のような中にしっかりと守られ雨風の心配もなく、いつもいちゃついていられる幸せな2人か。

Img_7915 道祖神の後ろに「こんぼった石

説明板もあるのだが小さな字で読みにくく、内容も迷文で分かりづらい。船の「舫(もや)い石」だったようだが。

国道に合流し甲州街道最後の上諏訪宿に入る。宿は上町・中町・本町で形成され、街道沿いには酒蔵が建ち並んでいた。本陣1、旅籠14の宿だった。

Img_7918 上諏訪宿の家並み

ワラ製品・荒物・雑貨の「丸二河西本店」

Img_7919呉服の「かねさ」

Img_7921 染一染物店

Img_7930 真澄の「宮坂醸造」 《地図

右の店舗はトラックに突っ込まれほぼ全壊で、復旧工事中。八丁堀の居酒屋「真澄」にはよく通ったものだ。今もあるだろうか。

Img_7934旧家

Img_7937 曽良の墓(正願寺)

生まれは諏訪の下桑原村。辞世の句は「春にわれ 乞食やめても 筑紫か奈」

Img_7941 「大津屋」宮坂家

Img_7953 「本金正宗」ぬのや

Img_7955 鍵之手交差点

Img_7962舞姫酒造

Img_7964 丸多田中屋

豆・胡麻・胡麻油の店

諏訪仲町バス停あたりが本陣跡らしいが、何の標示もない。

Img_7966 手長神社

足長神社と平等にと勝手な言い訳をして、ここも遥拝で済ます。

Img_7968 吉田の松 《地図

大きな盆栽風な松だが、樹齢は300年もあるそうだ。

Img_7967 説明板

Img_7970 片羽一里塚跡

あと一つで一里塚も終わる。けっこう疲れてきた。

Img_7972 説明板

Img_7979 温泉寺から諏訪湖

下は多宝塔

Img_7984 和泉式部の墓(温泉寺境内) 【ル-ト地図】の④

これを探すのに本堂左右の墓地を上の方まで2回上り下りする苦労を味わった。墓は京都府木津川市の「山城古道」沿い、兵庫県伊丹市の「西国街道」沿いや、京都市の誠心院にもある。

ここからさらに上方に高島藩諏訪氏の歴代藩主の廟所があるようだ。

Img_7990児玉石神社

社殿前に「児玉石大明神」と称したという「いぼ石」が2つ。

Img_7988_3 説明板

Img_7991 先宮神社 《地図

もとはこの地の産土神だったが、建御名方命が出雲を追われ諏訪に入った時に抵抗して服従したため、他の場所へ移ることを許されず、境内前の小川には橋も架けられなかったと伝えられている。祭神の高光姫命は、諏訪大社の祭神の建御名方命の姉という。

Img_7993 説明板

Img_7996少し疲れを癒してくれる街道沿いの藤棚。

Img_8000 空洞のケヤキ

ここにも御柱が立っている。

Img_8010 棚田と諏訪湖

Img_8019 茶屋橋本屋跡

高島藩の御用商人だったそうだ。

Img_8025 石投場跡碑(右)・明治天皇駐輦址碑

昔は諏訪湖が真下まで迫っていたので、湖面に向かって石を投げた場所だそうだ。

Img_8030 富部一里塚跡(右に碑と説明板)

甲州街道最後の一里塚跡で、あと一息、十一町(1100m)で中山道に合流だ。

Img_8032 説明板

Img_8036 承知川橋の橋石 《地図

武田信玄ゆかりの橋で、表面の煉瓦模様は信玄の埋蔵金の隠し場所の地図だったとも。

Img_8035 説明板

Img_8040 諏訪大社下社秋宮

正面は夜中にいびきをかいて寝るという「寝入りの杉」。小枝を煎じて飲ませると子供の夜泣きが治まるとか。

Img_8043 下諏訪宿周辺図

Img_8049 塩羊羹の「新鶴本店

Img_8066 甲州街道終点・中山道合流地点 【ル-ト地図】の⑤

「かめや」の看板下に「甲州道中 中山道合流之地」碑が立つ。

Img_8052 「甲州道中 中山道合流之地」碑

Img_8054駐車場の奥に「甲州道中終点 中山道下諏訪宿問屋場址碑」(右)・「綿の湯碑」(左)

Img_8056 説明板

Img_8065 本陣跡岩波家

Img_8061_2 説明板

合流地点から中山道を通り下諏訪駅に向かう。次は梅雨に入らない前に熊野古道の紀伊路の続きを歩きたいが、どうなることやら。

Img_8067 脇本陣跡まるや

Img_8068桔梗屋旅館

Img_8070 歴史民俗資料館

明治時代の建物だが、江戸時代の宿場民家の特色を残しているそうだ。

Img_8075 旧家

Img_8079 国道20号に合流 《地図

左が高札場跡

Img_8081 高札場跡

Img_8080 説明板

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