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2011年5月20日 (金)

甲州街道(台ケ原宿→教来石宿→蔦木宿)

2011年5月15日

韮崎駅(JR中央線)バス→宮の脇・・旧道・・・黒沢橋(黒沢川)・・・(武川)一里塚跡・・・国道20号・・・大武川橋(大武川)・・武川村米の郷・旧道・・・上三吹交差点・・・神明社・・・(上三吹)一里塚跡・・・国道20号・・尾白川橋(尾白川)・・花水坂橋(釜無川)・・花水坂・・・はらぢみち(原路通)・・横山の道標・・・国道20号・・・旧道・台ケ原宿・・本陣小松屋跡・・酒蔵七賢・脇本陣跡北原家・・荒尾神社・田中神社・・智挙寺跡・・・台ケ原一里塚跡・・・白須松林跡碑(竹花スポーツ広場)・・・前沢上交差点・・・濁川橋・・・・サントリー白洲製樽工場・・・旧道・・・松山沢橋・・・流川橋・・・下教来石交差点・国道20号・・・教来石・・・国道20号・・教来石宿本陣河西家跡・・旧道・・・諏訪神社・・明治天皇天覧田植碑・・加久保沢橋・・御膳水跡・・・国道20号・教慶寺・・旧道・・・(山口素堂生誕地碑)・・・山口関所跡・・・(国道20号)・山口素堂句碑・・・(旧)国界橋(釜無川)・(長野県富士見町)・・・旧道・堂坂・三つ辻柳跡・日蓮高座石(教冠院)・・追分道標・・・真福寺・・・応安の古碑・・・国道20号・南枡形・蔦木宿・・本陣大阪屋跡・・三光寺・・十五社神社・・北枡形・・・国道20号・・・旧道・・・国道20号・・・平岡一里塚跡あたり・・・旧道・・・国道20号・・瀬沢大橋(立場川)・・旧道・・・諏訪神社・・・道標・・・(国道20号)・・瀬沢古戦場跡・・・しらかば園・・・尾片瀬神社・・・とちのき風除け林・・・重修一里塚跡・・・富士見駅(JR中央線)

 今日は黄砂も飛んでないようですっきり晴れた。左に甲斐駒、鳳凰三山、右の七里岩の向うに八ヶ岳、花水坂からは富士山を眺めながら国堺橋を渡り長野県に入り、信濃で最初の宿場の蔦木宿を通り、小高い富士見峠あたりまで歩く。

  【ル-ト地図】(28.3km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7247 甲斐駒ヶ岳(右・2967m)・鳳凰三山(地蔵岳(2764m)・観音岳(2840m)・薬師岳(2780m))

Img_7254 (武川)一里塚跡 《地図

国道20号に合流する手前右下に石柱が立つ。

Img_7255_2 一里塚跡石柱

「甲府ヨリ六里ナノデ 六里塚トモ云う」とある。

Img_7260 「武川村米の郷」の所で右に旧道に入る。

万休院の「舞鶴松」は2008年に枯れて「万事休す」となってしまったので寄らずに行く。庭園も見事というが、それほどの数寄者ではない。

Img_7285 上三吹地区の家並み。

Img_7289 (上三吹)一里塚跡(七里塚)

木の下に石柱。

Img_7322 花水坂から鳳凰三山

かつての信州往路で、古甲州街道の「はらぢみち」(原路通)の道筋。西は台ケ原宿へ通じ、東は長坂町渋沢から七里岩沿いに青坂(車坂)を下って韮崎宿へ通じている。

Img_7312 花水坂碑

坂の途中の休憩所

Img_7314 説明板

Img_7316 富士山の眺め 【ル-ト地図】の①

「富士見三景」の一つ。目で見るともっとくっきりしているが、写真だと霞んでいる。

Img_7296 はらぢみち(原路通)入口から台ケ原宿へ向かう。

Img_7295 説明碑

Img_7298 横山の道標

馬頭観音(3基)で2基は道標も兼ねている。

Img_7299 説明板

Img_7301 「右 かうふみち」・「左 はらぢ通」(安永5年(1776)建立)

もう1基には「左りはらみち」(寛政4年(1792)建立)

Img_7324 はらぢみち 【ル-ト地図】の②

Img_7327 左に尾白川が流れる、開けた所に出る。

Img_7329 馬頭観音・庚申塔・説明板(左)の並ぶ一般道となり、国道を横切り台ケ原宿へと入って行く。

Img_7335 台ケ原宿(右へ)

Img_7348 説明板

Img_7355 宿場図(1)

右上の「甲州街道古道」(はらぢみち)を通って台ケ原宿へ入った。

Img_7356 宿場図(2)

Img_7341 白州味噌販売店

Img_7342 低い板塀の旧家

Img_7357 本陣跡(宿場図の⑭)

右に秋葉山燈籠と本陣跡標柱が立つ。向い側が脇本陣跡。

Img_7358 説明板

Img_7362七賢酒造(山梨銘醸)

左に北原家住宅が続く。

Img_7367 脇本陣跡北原家住宅

寛延3年(1750)に信濃の高遠から移住して造酒屋を営んだのに始まりという。幕末には信濃諏訪高島藩の御用商人になった。明治13年の明治天皇巡幸の際には菅原行在所として使われた。

Img_7370 金精軒

元祖「信玄餅」の店

Img_7372 旧家

Img_7382 田中神社

童歌『ずいずいずっころばし』にも歌われた、悪名、悪評高き「お茶壺道中」の連中もこんな所へ泊まったのだ。

Img_7381 説明板

Img_7387 台ケ原一里塚跡

左に石柱が立つ。「日本橋から四十三里十町余」とある。

Img_7393 つるや旅館

今は使用されてなく、右の新しい建物で営業しているようだ。

Img_7397 国道20号の手前で右折して行く。

Img_7403 七里岩はまだ続いている。

Img_7411 甲斐駒の眺め

Img_7415 白須松林跡碑(右)・宗良親王歌碑(左)(竹花スポーツ広場(前沢ちびっこ広場バス停))

平安時代からの4kmにも続く松林は昭和10年代に伐採されてしまった。宗良親王の歌の前書き?にも「志らすといふ所の松原・・・」とあるが、今は全く痕跡をとどめない。

Img_7416 説明板

Img_7419 甲斐駒・鳳凰三山

Img_7441 七里岩の向うに八ヶ岳

Img_7455 下教来石交差点の先で左折し、地名の由来という「教来石」に向かう。 

「教来石」は墓地の前を通った先の畑の中にある。

Img_7452 教来石(きょうらいし) 《地図

説明板、標示などはない。上には道祖神が5体乗っている。日本武尊が東征の折りに座った大きな石を、村人が「経て来石(へてこいし)」と呼んで村名にしたが、経を教と書き誤り、今の名になったとか。また一説には国の境を清める「清ら石」の祭祀が宿名の由来とも伝えるそうだ。このあたりには同じような石がいくつもあり、そのどれもが教来石だともいう。

Img_7457 教来石宿本陣河西家跡(左)

「明治天皇小休所跡」碑のみ。本陣1、脇本陣1、旅籠7軒の甲州最後の宿場だったが、往時の名残りは感じられない。もっともこの宿場は旅人のためではなく、甲州と信濃の国境の警備が目的で、「山口関所」が置かれた。

郵便局の手前で右に旧道に入る。《地図

Img_7467 諏訪神社

本殿の彫刻を見損ねた。

Img_7464 説明板

Img_7463 ここから明治天皇が明治13年6月23日に田植えを眺めたという。今日から1ヶ月ちょっと後だ。随分と遅い田植えと思うが、ここは標高が600m位はあるからその時期か。今は水が張られ田植えの準備中か、それとももう済んだのか? 七里岩の向うに八ヶ岳。

Img_7469 明治天皇天覧田記念碑

こんなアホラシイ物をよく建てるよ。それを写真に撮るアホもいるが。

Img_7474明治天皇御膳水跡(左)

Img_7476 今も水が流れ出ている。明治天皇は神だったから生水を飲んでも腹をこわしたりはしなかったろう。

Img_7477 教慶寺

開山は蘭渓道隆というが、境内は荒れた感じだった。

Img_7480 蘭渓道隆が立てたという地蔵や庚申塔、甲子塔、馬頭観音が並ぶ。この前で右に入って行く。 

Img_7486 説明板には石地蔵は「最近ではいくつかの交通事故を救ってくれた」と訳の分からぬことを書いている。 

Img_7481 説明板

Img_7491 山口関所跡 《地図

Img_7492 説明板

Img_7494 西番所跡碑(山口関所)

天保7年(1836)の甲州騒動の際に関所を開門した番士の名取氏が後に若尾氏に改姓し、その若尾氏の子孫が建てた碑。開門したことを手柄、誇りと思っているのだろうか。甲州騒動といえば、犬目宿の犬目兵助のことを思い出した。

手前の高台に「山口素堂の生誕地碑」があるのだが、見逃して通り過ぎてしまった。

Img_7496新国堺橋(右)を渡らず国道を横切り直進し、国堺橋に向かう。渡るとセブンイレブン跡の敷地内に山口素堂の句碑が立つ。

Img_7497 山口素堂句碑(右奥)

「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」 左のセブンイレブンは廃店になっていた。

Img_7500 国堺橋へ向う

Img_7502国堺橋を渡るとネットが行く手を阻む。《地図

Img_7504 小動物除け電流ネット(7000Vとか)が張られ、「危険さわるな!」の標識が掛かっている。左のポールの低い黒の方を帽子とタオルでつかんでずらして開けて通り抜ける。天下の往来、五街道の甲州街道にこんな物を設置して何の説明もない。富士見町の木っ端役人の猿智恵に腹が立つ(猿は笑っているか)のは拙者だけではあるまい。

Img_7508 堂坂(右)を上る。

坂の途中の教冠院か、坂上の真福寺に由来する坂名か。

Img_7516 坂の途中 【ル-ト地図】の③

馬頭観音、双体道祖神、歌碑などの石造物が並ぶ。

Img_7513 三つ辻柳由来

堂坂の坂下にしだれ柳の大木があったというが、逸見路と武川路(甲州街道)の追分にあったのでは。

Img_7510 日蓮の高座石(小祠の下の石)

日蓮がこの石の上で悪疫封じの加持祈祷を行ったという。

Img_7509 説明板

Img_7522 追分道標(小祠内)

もとは少し先の逸見路と武川路の分岐にあったものだろう。《地図

Img_7523 説明板

へみみち(逸見路)は古甲州街道の一つで、台ケ原宿を経由しない道筋なので、「韮崎まで無宿」ということか。武川筋は甲州街道のこと。

Img_7524 追分道標

上部は欠けているようだ。文字はかすれて読めず。

Img_7529 真福寺の鐘楼付き仁王門

Img_7537「応安の古碑」の碑 《地図

手前の新しい「応安の古碑」の碑と左の「子乃神塔」の間の後ろの台座のような石が「応安の古碑」。

Img_7535 応安の古碑

宝篋印塔の基礎石らしい。右に「應安五壬子年十二月初日」と刻まれている。応安5年は1372年で、金石文の年紀としては諏訪地方で最古のものという。

Img_7540 信濃で最初の蔦木宿に入る。

Img_7572 宿場図①

「南の枡形道路」を通り宿に入る。

Img_7571

Img_7545 南枡形

右の記念碑の位置が元の枡形の所。今は少し先を左折する。

Img_7558 蔦木宿の家並み 《地図

国道沿いが宿場で、屋号札が掛かっている。

Img_7549 三光寺

Img_7566 本陣大阪屋跡

門だけ残っている。

Img_7564 説明板

Img_7577 この先が北枡形で左折し、しばらくして国道に戻る。

Img_7585 岩田屋建材の現場脇から旧道に入り、神代交差点手前で国道に戻る。国道沿いの左下に平岡一里塚跡があるというが見逃した。

Img_7594机の標識で右に上る。《地図

Img_7598 国道から一段高い道を進む。

Img_7599 落合小学校は来年廃校になるそうだ。

Img_7600 国道20号へ下る。

瀬沢大橋を渡り旧道に入る。

Img_7605 瀬沢地区の家並み 《地図

Img_7607諏訪神社

Img_7608 吉見屋

何の店か?

Img_7609 道標

中央に「富士・・・・」、右下に「右・・道」、左下に「左・・道」?

Img_7611 急坂を上る。

左前方の石垣前の石造物の中にも道標がある。

Img_7613 道標

「右 左」だけは読めるが・・・。

Img_7615 瀬沢古戦場跡 【ル-ト地図】の④

Img_7616 説明板

Img_7618街道に戻り再び上って行く。

Img_7624 しらかば園前あたりは平坦地になっている。まさに富士見高原という感じだ。正面方向に街道は続いて行く。《地図

Img_7625 八ヶ岳

Img_7628 尾片瀬神社(右) 《地図

Img_7634 とちのき風除け林

寛政年間(1789~800)に設けられた防風林で、甲州街道に直交している。

Img_7629_2 説明板

Img_7637 重修一里塚跡 【ル-ト地図】の⑤

一里塚跡碑(右)には「従江戸四十七里」とある。左は道祖神

Img_7640 T字路 《地図

このあたりは標高950mほどだ。もとはこの台地を真っ直ぐ突っ切っていたのだろう。今は左折してしばらく行き右折して行く。今日はここまでとし、右折し富士見駅に向かう。

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