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2011年5月14日 (土)

甲州街道(甲府柳町宿→韮崎宿)

2011年5月1日

石和温泉駅(JR中央線)・・・石和温泉駅入口交差点・国道411号・・・石和の渡し跡(甲運橋(第2平等川))・(甲府市)・・・川田の道標・・・平等橋(平等川)・・・川田館跡(県立青少年センター)・・・和戸町由来標柱・・・十郎大橋(十郎川)・・・山崎三叉路(青梅街道合流)・・・酒折宮道標・・・山崎刑場跡・・・酒折宮道標(酒折宮入口交差点)・・・酒折宮道標・・・大円川・・・(JR身延線)・・甲府柳町宿木戸跡・・石川家住宅・・・天尊躰寺・・・印傳屋・・・新聞発祥之地碑・・・本陣跡・脇本陣あたり・・・(国道358号)・・国道52号・・・身延みち道標(丸の内郵便局東交差点)・・・穴切大神社・・・荒川橋・・貢川橋・・・上石田のサイカチ・・・県立美術館(芸術の森公園)・・・(甲斐市)・(中央自動車道)・・・竜王新町交差点・旧道・・・道祖神場・・・称念寺・・・第一信州往還踏切(中央線)・・・赤坂・・赤坂供養塔・・諏訪神社・赤坂稲荷神社・・・三軒茶屋跡あたり・・・庚申塔道標・・・自性院・・・下今井上町交差点・県道6号・・・(中部横断自動車道)・・(中央線)・・・泣石・・・道祖神・三界万霊供養塔・・志田一里塚跡あたり・・・船形神社鳥居・・芭蕉句碑・・六反川・・・田畑交差点・・旧道・・・二十三夜塔・・・県道6号・・・塩川橋(塩川)・(韮崎市)・・・韮崎宿・・下宿交差点・・鰍沢横丁・・一橋陣屋跡・・本陣跡・・駒つなぎ石・・雲岸寺(窟観音堂)・・天神町通り・・梅天神社・・韮崎駅(JR中央線)

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6828 石和温泉駅前の足湯

まだ早過ぎて湯は入っていない。歩く前から入る気はないが。歓楽温泉のイメージしか持っていなかったが今は健全な温泉?に脱却したか。

Img_6829 甲運橋(第二平等川)を渡って甲府市に入る。《地図

かつての笛吹川の流路で、石和(川田)の渡し跡。冬場は橋で夏場は舟渡しだった。

Img_6832 川田の道標(万延元年(1860))

「右 富士山 大山 東京道」、「東京」は「江戸」とあった上に追刻したもの。親切それとも余計なお世話、お節介か。

Img_6836 武田信光の川田館跡(勤労青少年センター) 《地図

武田信虎が躑躅ケ崎館に移るまでの武田氏の拠点地で、今でも「御所曲輪」の地名が残るという。

Img_6838 和戸町の家並み

このあたりは古くて立派な造りの家が多い。

Img_6840 旧家

Img_6845 旧家

Img_6851 山崎三差路 《地図

右から青梅街道(国道140号)が合流

Img_6856 酒折宮道標

酒折宮~善光寺~長禅寺~舞鶴城公園(甲府城跡)は4月29日に歩いている。

Img_6859 山崎刑場跡 【ル-ト地図】の64

身延山58世日環の題目塔や六地蔵など。

Img_6872 身延線をくぐると「かねんて」(金手)という枡形道になり、左折しすぐ右折する。そこが甲府柳町宿木戸跡。

Img_6877 石川家住宅 《地図

もとは金物屋、糸繭問屋で屋号を河内屋、塗籠土蔵造の江戸時代の代表的な町屋造り。ネットは何のために張られているのか?

Img_6885 天尊躰寺

Img_6887 大久保長安の墓

長安は国奉行として慶長6年(1601)から翌7年にかけて甲斐一国の検地(石見検地)を行った。
八王子宿には陣屋跡、八王子千人同心屋敷跡があった。墓は島根県大田市大森町の大安寺跡にも、石見銀山(世界遺産)開発の顕彰碑とともにあるそうだ。

境内には「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」の山口素堂の句碑と墓もある。

Img_6886 説明板

Img_6891 印傳屋

「印伝」とは印度から伝来したという、鹿皮に漆で模様をつけた革の伝統工芸品。天正10年(1582)に上原勇七が独自の技法で印傳屋を創業した。店内を冷かして見る。手頃な値段の皮製の小物もあるが、やはり「かわず飛び出す」だった。

Img_6895 本陣富士井屋跡・脇本陣跡あたり 【ル-ト地図】の65

右はワシントンプラザホテル。本陣1、脇本陣1、旅籠21軒の宿場だったが、今は往時の面影も、活気も感じられない通りだ。

Img_6906 身延道道標(丸の内郵便局東交差点) 《地図

信州道(甲州街道)と身延道(河内路)の分岐点。

Img_6908 昭和50年に復元されたもの。

Img_6912 穴切大神社随神門 《地図

湖だった甲府の地を、鰍沢口を切り開き、豊かで肥沃な土地にしたという「湖水伝説」の神社。

Img_6914 説明板

Img_6917 由緒

Img_6926 上石田のサイカチ

地元では夫婦サイカチと呼ぶ。ただ両方とも雌の木だそうだが。

Img_6924 説明板

Img_6928 「ミレー美術館」ともいう県立美術館のある「芸術の森公園」前を通る。「新富嶽百景」33の所でもある。今日は曇っていて、富士も甲斐の山並みもよく見えず。

【ル-ト地図】の66

竜王新町交差点から右に旧道に入る。

Img_6942 道祖神場

まだ球形道祖神が活躍している。

Img_6941 説明板

Img_6946 くり抜き井戸(称念寺) 《地図

上水道が引かれるまで付近の生活用水として使われ、また、赤坂を行き来した旅人の休憩用の井戸だった。

Img_6945 説明板

Img_6950 六地蔵(称念寺)

【ル-ト地図】の67

地蔵らしからぬユニークな顔立ちが並んでいる。もとは地蔵院の本尊で、明治には石橋に転用されたという哀れな流転を味わった6人で、それが表情にも表れているように見える。中には顔がつぶされた地蔵さんもいる。 

Img_6948 説明板

Img_6958 赤坂の長い上りが始まる。左は道祖大神塔 

Img_6960 赤坂 【ル-ト地図】の68

右は赤坂供養塔。今は長いが舗装されて傾斜もさほどではないが、昔は赤土の剝き出た、雨の時などは滑りやすい吹きっさらしの坂で、上り下りに苦労したのだろう。旅人の行き倒れも多かったようだ。

Img_6961 説明板

Img_6967 坂上近くからの眺め

坂上には三軒茶屋があったという。振り返ると晴れていれば富士の姿が大きく見えるようだ。あいにく坂の頂上あたりで、雨が降り出し、風も強くなってきた。坂上近くには「クリーンエネルギーセンター」(県営発電総合制御所)がある。HPには八ヶ岳、富士山、南アルプスの眺望写真が載っている。クリーンで安全なエネルギーで、豊かな自然を守って欲しいものだ。

新富嶽百景』36の「赤坂台地

坂上から下今井の方へ下る。

Img_6978 庚申塔道標(右・弘化3年(1846)) 《地図

「庚申 右 市川駿■ 左 甲府江■」、■部分は埋まっている。駿、江だろう。 左のは元禄6年(1693)の古いもので、「庚申」の下が折れたので右の新しいものが立てられたのだろう。

Img_6983 下今井の家並み

Img_6987 共同ホーム「雀のお宿」

Img_6990 自性院

明和2年(1765)以来の石畳の参道。つつじにはまだ早いか。

Img_6999 旧家

Img_7000 旧家

Img_7008 泣石 【ル-ト地図】の69

滅亡に向かう武田氏の道筋での一コマ。

Img_7006_2 説明板

Img_7010 晴れていればの山並み

Img_7013 球形道祖神(文化15年(1818))・三界万霊塔(寛政5年(1793)・その向こうに二十三夜塔

Img_7019 志田の家並み

双葉西小学校バス停近く。

Img_7028 ヤシの木と調和している?

Img_7031 船形神社鳥居(応永4年(1397)) 《地図

どっしり、ずんぐりむっくりした明神鳥居。頭をぶつけそうで自然と頭が下がるので、一礼して社殿に向かう形になるすぐれ物か。このあたりに志田一里塚があったようだが。

Img_7032 説明板

Img_7035 芭蕉句碑(六反川手前の路地を右に入った所) 《地図

「 昼見れば 首すじ赤き 蛍哉 」 

「昼の蛍」とは恐れ入った。芭蕉の時代には六反川は蛍で有名だったのだろう。

田畑交差点から旧道に入り、再び県道6号に出る。

Img_7050 塩川橋を渡る。

増水時には「桶を浮かべて人を渡す」『国志』で、たらい舟みたいな光景が見られたのだろう。

Img_7067 韮崎宿の鋸の歯状の家並み

家の前に三角の空き地を置いた。今はちょうど駐車スペースになっているか。①敵が攻めてきた時に、この陰から矢や鉄砲を撃つため。②大名行列が通るときに陰に隠れるので長く座っていなくてもよい、などの説があるようだが、①、②とも一方からは陰になるが、他方からは丸見えになり、どちらの説も説得力に乏しいのでは。

Img_7071 鰍沢横丁

円朝の三題噺の落語『鰍沢』もある。

Img_7070 説明板

Img_7072 韮崎宿の家並み

宿場風情は薄いが、電線がないのがいい。

Img_7076 井筒屋醤油店

Img_7083 一橋陣屋跡 【ル-ト地図】の70

Img_7082 説明板

Img_7090 本陣跡(千野眼科前) 《地図

日程の関係で、韮崎宿では諸大名は宿泊せず通過し、甲府宿まで行ったので問屋が本陣を兼ねていた。諸大名といっても甲州街道を通って参勤交代をしたのは諏訪(高島)藩高遠藩飯田藩だけだったが。

Img_7092 駒つなぎ石

Img_7099 窟観音堂(雲岸寺)

七里岩の南端に穿かれた洞窟と懸崖造の観音堂

Img_7093 説明板

Img_7111 弘法大師自作の自画像というが、顔立ちがよろしくないように見える?

Img_7113 聖観音像

これも大師の作というが・・・。

Img_7112 説明板

Img_7104 洞窟内にも石仏が並ぶ。洞窟は反対側に通じている。

Img_7119 梅天神社 《地図

ここも道に斜めに建っている。

Img_7121 平和観音(昭和36年建立・関東三観音の一つ) 《地図

「ふくよかだねえ」、「何が」、「顔立ちだよ」←嘘

Img_7124 韮崎駅

長野県内強風のため、中央線は遅れていた。

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