甲州街道(駒橋宿→大月宿→下花咲宿→上花咲宿→下初狩宿→中初狩宿→白野宿→阿弥陀海道宿)
2011年4月29日
猿橋駅(JR中央線)・・・国道20号・・・阿弥陀寺・猿橋(殿上)一里塚跡・・・山梨中央自動車・旧道・・・東電駒橋発電所・・・第五甲州街道踏切・・・国道20号・・・旧道・・駒橋宿・・厄王大権現・・旅籠橿屋跡・・・国道20号・・・三島神社・・さつき通り・・国道20号・・大月宿・・本陣跡・・天王橋(富士急行)・・大月追分・牛頭天王社・富士街道道標・・大月橋(桂川)・・(中央線)・・・下花咲一里塚跡・・下花咲宿・・本陣跡星野家・・・大月インター入口・・・上花咲宿・・本陣跡井上家・・・(中央自動車道)・・尾曽後峠道標(鎌倉街道)・・・真木橋(笹子川)・・・真木諏訪神社・・・初月橋(真木川)・・・源氏橋(笹子川・中央線)・・旧道・・甲州砕石工場内・・・第七甲州街道踏切(中央線)・・道興歌碑・・・国道20号・・・下初狩宿・・山本周五郎生誕地碑・本陣跡・・脇本陣跡・・・宮川橋・・・中初狩宿・本陣跡小林家・・・唐沢橋地蔵・・・(中央線)・・・首塚・・・(中央線)・・・唐沢橋(唐沢川)・・・船石橋(笹子川)・船石碑・・・(中央線)・・・旧道・・(中央線)・・滝子川・・天神坂(跡)・白野一里塚跡・・・国道20号・・・旧道・・白野宿・・脇本陣跡天野家・・法林寺・・本陣跡今泉家・・子神社・・・大鹿川橋・・・石井工業・旧道・・(中央線)・・立石坂・・・稲村神社・・親鸞上人塚・・・葦ケ池跡・・・(中央線)・・・国道20号・・・笹子川橋・・阿弥陀海道宿・・・笹子駅(JR中央線)→酒折駅・・・酒折宮・・・善光寺通り・・・善光寺・・・柴宮神社・・・宮前橋(高倉川)・・・子安地蔵尊・・・能成寺・・・来迎寺・・・八幡宮・・・長禅寺・・・舞鶴城公園(甲府城跡)・・・甲府駅
笹子峠の手前の阿弥陀海道宿まで行く。峠越えは明日とし、酒折駅から甲府駅まで甲州街道の北側の寺社を巡り、舞鶴城公園へ寄り、甲府駅前にどっしりと座る武田信玄に明日の武運長久を願い今日の打ち止めとした。
写真をクリックすると拡大します。
左端に「一里塚跡 猿橋」の標柱。阿弥陀寺は郡内観音三十三霊場の28番札所
鉄管は国道20号の下を通り、中央線の上を跨いで北側を流れる桂川右岸の発電所へと落ちて行く。福島原発の代わりに再び東京へ送電したらどうか。
第五甲州街道踏切を渡る。駒橋の関所があったのはこのあたりか。《地図》
本陣、脇本陣はなく旅籠が4軒の小さな宿だった。
境内に「平和祈願の石」がある。昭和20年8月13日の大月空襲で桂川に爆弾が投下された。その際に大石も吹き上げられたが、厄王大権現の霊験により神社に落下し町民はあやうく難を免れた。この霊験からこの石をこう名づけたそうだ。
境内にはかつて4本の大きな槻の木があった。これが大月の地名の由来という。昭和30年に最後の1本が枯れ記念碑が残るのみ。今日は祭礼か縁日のようで、屋台が並び始めていた。
山梨百名山・新富嶽百景95の「岩殿山から富士」。武田氏の家臣、小山田氏の築いた岩殿山城跡がある。
宿場風情を感じさせるものは残らず。本陣1、脇本陣跡2、旅籠2の小さな宿だった。
建物脇に隠れるようにひっそりと立っていた。ここは溝口五左衛門宅跡で、道路向いが脇本陣跡らしい。
大月追分の牛頭天王の祠・常夜灯(文政13年(1830))」・富士街道道標 《地図》
右は「右甲州道中 南無阿弥陀仏 左富士山道」、中は「右甲州道中 左ふじミち」(文久2年(1862))、左は「右甲州街道 左富士街道」(昭和2年)
徳本念仏塔、庚申塔、芭蕉句碑、馬頭観音、二十三夜塔などが並び、小公園風になっている。
芭蕉句碑は「しばらくは花の上なる月夜かな」
【ル-ト地図】①の47下花咲宿は本陣1、脇本陣2、旅籠22軒。
本陣1、脇本陣2、旅籠13軒。
尾曽後峠道標(鎌倉街道)標識
中央自動車道をくぐった所。
入母屋造りの本殿の彫刻は八王子の藤兵衛の作品。
笹子川(右)と中央線(左)を渡る。
荒れている感じだが。
普通の道になり、ほっとする。左の石垣上には地蔵や小祠が並んでいる。この先で第七甲州街道踏切を渡る。
室町時代に諸国を巡り、『廻国雑記』を著した道興の歌碑などには『坂道散歩』でのあちこちで出会っている。
本陣2 脇本陣2 旅籠12軒の宿。問屋業務は中初狩宿と半月交代で行った。
【ル-ト地図】①の49前に「山本周五郎生誕之地碑」が立つ。「生家」ではない。
医院だったそうだ。
本陣1 脇本陣1 旅籠25軒。
唐沢橋の手前に「首塚」の標識があるので行ってみる。
この前を通り、中央線をくぐった先に首塚はあった。
右手前が首塚(湘南塔)・小山田左兵衛尉信茂顕彰碑と石碑(中央・左)
ここは瑞竜庵跡で、織田信長により、主君(武田勝頼)を裏切った不忠者として甲府善光寺で斬殺された小山田信茂の首を、従僕が持ち帰ったのを住職がここに葬ったという。
親鸞上人が初狩を通った時、船石の上で説法を行い、また、船石の上で布に名号を書き、老婆に与えたという。この石は明治40年の水害で埋没したそうだ。左側には「御船石所在地ハ従是東三拾間余」と刻まれた碑もある。
旧道は右へ天神峠へ上って、天神坂を下り白野宿へ入っていたが、今は行き止まりになるようだ。
滝子川沿いに中央線のガードをくぐり上ると旧道沿いに白野一里塚跡がある。
「一里塚跡 白野」と双体道祖神。この前の坂が天神坂
昔は白野一里塚から天神坂を下って直接に白野宿に入っていたのだろう。
下宿、中宿、上宿とあり、本陣1、脇本陣1、旅籠4の宿。
宝林寺 《地図》
左が本陣跡今泉家で、参道を挟んで右側が脇本陣跡天野家だろう。
ガード下に「伝説 立石坂の立石」の標柱が立っている。近くを探したが分からず。後日調べるとガードをくぐる手前の線路沿い(石井工業の敷地内?)に立石があるようだ。①岩殿山の山姥の石の右杖で、折れたのでここに捨てた。②岩殿山の鬼の右杖で、ある時、何かに驚き杖を放り投げたところ、ここまで飛んできて刺さった。という伝説だそうだ。写真など詳しくは『鬼の石杖』で。
「火の見」の左は原公民館
説明不用の一物。
京からこの地に来た僧に惚れた葦ケ窪の地頭の娘「よし」はその思い叶わず、葦ケ池に身を投げ毒蛇となって村人を苦しめた。この地に立ち寄った親鸞の法力で、毒蛇は済度成仏したいう。女の執念の深さの恐ろしさの話だが、まあ、道成寺の清姫の怨情の比ではないか。
【ル-ト地図】①の52「あし」ではなく、毒蛇となった娘の「よし」ケ池だろう。
本陣1、脇本陣跡1、旅籠4の宿。白野宿と黒野田宿と合宿で宿業務を行っていた。宿の名となった行基が自作の阿弥陀如来像を安置したという阿弥陀堂は明治時代まではあったそうだ。笹子駅の南側とも。今も地名は「阿弥陀海」で「あみだかいどう」と読ませる。
中央線で笹子駅から甲府駅まで行く。
***酒折宮→善光寺→長禅寺→舞鶴城公園***
酒折宮 【ル-ト地図】②の1
連歌発祥の地ともいう。
善光寺山門 【ル-ト地図】②の2
甲府五社(穴切神社・古府中八幡神社・甲斐奈神社・住吉神社・当社)の一社。
「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」
甲府五山の一つ。赤穂浪士で討入りに加わらなかった赤穂藩浅野家家老の大野九郎兵衛の墓もある。
長禅寺 【ル-ト地図】②の7
甲府五山の第一位の寺。武田信玄の母、大井夫人の菩提寺。4時で閉門のようで、この先の仁王門は閉ざされ入れず、五重塔も上部しか見えず。
舞鶴城(甲府城) 【ル-ト地図】②の8
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