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2011年6月30日 (木)

房総往還①

2011年6月24日

船橋駅(JR総武線)・・・成田街道(佐倉道)・・・(御殿通り)・・道祖神社・・・御蔵稲荷神社・・・海老川橋(海老川)・・・大神宮下交差点・房総往還分岐・・・船橋大神宮・・・東光寺・・・大日会館・・・船橋競馬場3号踏切(京成千葉線)・国道14号(千葉街道)・・・(谷津駅)・・・庚申塔祠・・・喜久地蔵尊・・・鷺沼1交差点・・・鷺沼古墳(鷺沼城址公園)・・・白鷺橋・・・根神社・・・慈眼寺・・・幕張IC・・(千葉市)・・・県道57号・・・大日堂跡・首塚・・・下八坂橋・・・金比羅神社・・・子守神社・・・馬加代官所跡(幕張町3丁目公園)・・・秋葉神社・昆陽神社・・青木昆陽甘藷試作地・・・新花見川橋(花見川)・・・検見川神社・・・宝蔵院・・検見川駅(京成千葉線)

  【ル-ト地図】(12.8km)

 船橋で佐倉道(成田街道)から分かれ、内房沿いに木更津を経て館山に至る道で、上総道、木更津道、千葉街道、房州往還などとも呼ばれる。一部は古代東海道の道筋とも重なるようだ。梅雨だというのに暑い日が続いている。今日は熊谷で39.7度を記録した。こちら船橋、千葉は猛暑というほどではないが、やけに風が強い日だった。まあ晴れようが降ろうがゆっくりと行くとしよう。

船橋駅から房総往還分岐点までは『東金御成街道①』に記載。『成田街道②』にも船橋宿の記事あり。

   写真をクリックすると拡大します。

Img_9626 大神宮下交差点 【ル-ト地図】の①

房総往還(右折)・成田街道(佐倉道・左)で、正面は船橋大神宮の裏参道の鳥居。

Img_9635 廻国供養塔道標(宝永6年(1709))

「右ハ かつさ道」(上総道で房総往還のこと)・「左ハさくら道」

分岐点にあったもので、現在は船橋大神宮の隣の東光寺に移されている。ここから表参道まではかつて横宿と呼ばれていた所だが、今はただの車道で建物などにも往時の面影は残っていない。

Img_9630 船橋大神宮表参道

今日はここから遥拝のみ。

Img_9633 東光寺

波除け不動堂か?

Img_9645 京成線の踏切を渡り、線路沿いにしばらく進む。

Img_9650 庚申塔(元禄5年(1692))・右下にも小さな青面金剛塔(文政5年(1822)) 《地図

Img_9654 左の新しい、お堂らしからぬ建物が「厄除喜久地蔵尊」 【ル-ト地図】の② 

Img_9658 喜久地蔵尊(元禄8年(1695))

はやり目にご利益があったという。今は厄除け地蔵に商売替えしたようだ。

Img_9665 鷺沼古墳B号墳(鷺沼城址公園内) 【ル-ト地図】の③

前方後円墳の後円部か。

Img_9671 説明板

Img_9672 案内図

Img_9673 箱式石棺

前方部と後円部の境の覆い屋の中に保存されている。

Img_9674鷺沼太郎源太義碑(説明板の「源太石碑」)

正応年間(1288~92)に鷺沼太郎源太義が、ここ鷺沼城を本拠にしたという。『千葉郡誌』 また『関八州古戦録』には、鷺沼太郎源太義が永禄7年(1564)の第2次国府台合戦に参戦したとあるそうだ。 義は義の末裔だったのか?

Img_9681 根神社 《地図

周辺地域の産土神

Img_9685 旧家(根神社の裏)

鷺沼集会所に使われているようだ。

Img_9692 波切地蔵(享保11年(1726)・慈眼寺観音堂前)

船乗りや漁師の信仰が篤かった。台座に「舟中間中 願主船橋屋五兵衛」とある。

Img_9696 幕張ICを突っ切る。歩道はないがさほど歩きづらくはない。

Img_9700 花見公園あたりで左に入る。

Img_9727 大日堂跡

もとは大きな堂があり「堂の山」とも呼ばれていた。暴風雨で倒壊し、小さな仮の堂を建てたがそれも平成13年に取り壊されたそうだ。南側は海に面していたというから、房総往還は海岸沿いを通っていたのだろう。

この右手に郷土力士の荒馬大五郎の墓、奥の左に風邪ひき地蔵の祠、その後ろを左に上った所のタブ林の中に首塚と五輪塔がある。

Img_9702 大日如来像(千葉市指定文化財)

現在は宝幢寺(子守神社の東方)に安置。

Img_9703 大須賀山説明板

Img_9722 風邪を治すという「風邪ひき地蔵」 

『千葉県歴史の道調査報告書 房総往還Ⅰ」では大阿闍梨印天鏡(享保13年(1728)死去)の墓としている。

Img_9707 首塚へ樹木に覆われた暗い道を上る。

Img_9717 タブの林

Img_9709 首塚・五輪塔 【ル-ト地図】の④

享徳の乱に乗じて、千葉氏宗家を攻め滅ばして19代当主なったが、その後東常縁に滅ぼされた馬加康胤(まくわりやすたね)の首塚と供養の五輪塔とされるが、五輪塔は寛永14年(1637)?の造立で、台座に「朝惟 宥光 二親 宥得」とある。僧の宥得が2親の供養のために建てたものでは。

『南総里見八犬伝』に康胤の同族として、馬加大記が登場する。馬加=幕張で、元々は下総国千葉郡の西側一帯を指していた。

Img_9711 台座

寛永十の次がはっきりしないが。

Img_9730 金比羅神社 《地図

参道はしっかりしているが。

Img_9731 社殿はなく、立入禁止の虎ポールに囲われている。東日本大震災で倒壊でもしたのか?

Img_9734 子守神社

三山の七年祭り」に参加する神社。社伝では千葉常胤の子の大須賀四郎胤信が建久5年(1194)に幕張縫坂の屋形に造営し、永正5年(1508)に当地に移された。大イチョウが聳えている。

Img_9737 明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)之所碑(左)・説明碑(幕張町3丁目公園)

ここは馬加代官所大須賀家跡で、後には明治天皇の休息所跡。かつては見事なからたち並木があり、山田耕筰の『からたちの花』ゆかりの所。

Img_9738 説明碑文

Img_9745 昆陽神社(右)・秋葉神社(左) 【ル-ト地図】の⑤

「芋神さま」の青木昆陽を祀る。

Img_9742 由緒

Img_9746青木昆陽甘藷試作地(昆陽神社前)

Img_9747 説明板

Img_9754検見川神社 地図

Img_9755 由緒

まだ2時を過ぎたばかりだが、今日はあまり歩く気がせず、検見川駅から帰路についた。

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