熊野古道(紀伊路・黒江散歩)
2011年5月30日
海南駅(JR紀勢本線)・・・金比羅大権現・・・尾崎家住宅・・・子安地蔵堂・・・黒江ぬりもの館・・・黒牛茶屋(名手酒造)・・・温故伝承館・・川端通り・・・浄国寺・・・菊谷(屋)地蔵・・・中言神社・・・黒江坂・・・黒江駅(JR紀勢本線)
【地図】
熊野古道の続きを歩く前に、紀州漆器のまち黒江を散策した。
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紀州徳川家の地士として、伊勢国大杉山奉行、有田川普請奉行、海士郡代官等を務めた家柄で、座敷は江戸中期の建物。
丸瓦や、つし二階(低い二階)が特徴の築220年の建物。
紀州漆器は室町時代に起源を持ち、紀州藩の保護を受けて発展した。今は漆を使った伝統漆器と、化学塗料の現代漆器を生産し、日本漆器四大生産地(輪島・山中・会津・黒江)の一つ。
黒江ぬりもの館(右)
黒牛茶屋(名手酒造)
「黒牛の水」で造られた清酒「黒牛」の酒蔵休憩所。
隣家(右)との間に「うだつ」(防火壁)がある。
江戸時代に黒江の入江を埋め立ててできた平行四辺形の土地に家を建てたためという。家の前にできた三角形の空き地に漆器の材料を干したとか。
左側に紀州連子格子の家が並んでいる。 甲州街道の韮崎宿では新しい家も鋸の歯状に並んでいる所があった。
「黒江のごぼうさん」で親しまれている寺。
海南駅でもらった「黒江散策マップ」では「 菊屋谷地蔵」で、川端通りの案内板の地図では「菊屋地蔵」となっている。地蔵の小祠にも書かれていないようでどちらか分からず。
紀の国名水の一つ「黒牛の水」は覆い屋の中。万葉の昔は神社のある山のふもとまでが海で、牛の姿をした黒い大きな岩があったことから黒牛潟と呼ばれていたとか。黒牛と入江で「黒江」になったのだろう。
万葉歌碑:「いにしえに 妹とわが見し ぬば玉の 黒牛潟を みればさぶしも」 (柿本人麻呂)
「黒牛潟 潮干の浦を 紅(くれない)の 玉裳裾ひき 行くは誰が妻」(万葉集巻九) という色っぽい風情の歌もあるが、潟は埋め立てられてしまい、こんな情景も遥か昔の夢のまた夢か。
この近くに「黒牛岩」があったという。
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