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2011年6月21日 (火)

熊野古道(紀伊路⑨ 岩内王子→岩代王子)

2011年6月3日

御坊駅(JR紀勢本線)・・・湯川子安神社(小松原館跡)・・・法林寺・・・九品寺・・・小松原東交差点・県道27号・・・野口新橋(日高川)・・・岩内1号墳(有間皇子塚)・・・岩内王子跡・・・琴野橋(熊野川)・・・天田橋南詰(日高川)・・・湊歩道橋・・・北塩屋交差点(国道42号)・・・塩屋王子神社・・・王子橋(王子川)・・・光専寺・・・観音山自然公園遊歩道・・・祓井戸観音・・・(国道42号)・・・一里塚跡・・・十三塚あたり・・清姫草履塚・・・国道42号・・・旧道・・・中村酒店・・御首地蔵道標・・・観音寺(お首地蔵)・・・秋近橋・国道42号・・・旧道・・・和歌山高専・・・(国道42号)・仏井戸(上野王子旧地)・・・上野王子跡・・・津梅橋(上野川)・・・清姫の腰掛石・・・国道42号・・旧道・・・庚申塔祠・・・濱川橋・・・国道42号・・・(印南町)・・・叶王子(津井王子)跡・・・国道42号・・・平和橋(印南川)・旧道・・のこぎり坂・・・宝来橋(光川)・・国道42号・・・旧道・・・斑鳩王子神社・・・国道42号・・・旧道・・・豆坂・・・切目王子神社・・・切目橋(切目川)・・・JRガード・・・光明寺・・・若宮社遺跡・・・宝篋印塔・・・中山王子神社・・榎峠・・・徳本名号碑・・・庚申塔祠・・・万葉歌碑(光照寺)・・・国道42号・・・有間皇子岩代の結び松記念碑・・・旧道・・・岩代王子神社・・・千里の浜・・・岩代駅(JR紀勢本線)

 紀伊路の終点が近づいてきた。当初は切目王子(切目駅)までと思っていたが、岩代王子(岩代駅)まで行けば明日の行程が楽になる。歩いている間にどちらかに決めようと御坊駅から出発した。すぐに湯川子安神社の先で道を間違え、上野王子手前の仏井戸でも、かなり先に進んでしまって引き返すはめになり、かなりのロスタイムとなった。その上、途中から右足首と脛が痛くなり始めた。日は長いし時間にも余裕があったので痛い足を引きずりながら、なんとか岩代王子までたどり着いた。

  【ル-ト地図】(27.9km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9127 湯川(子安)神社 《地図

湯川氏の小松原館跡。善童子王子はここに合祀されている。

Img_9128 説明板

Img_9133 九品寺

松平頼雄の大名塚という五輪塔があるそうだが、どれか分からず。

Img_9134 潮路城(小松原東交差点)

城ではなく結婚式場

Img_9136 蛇頭の欄干の日高川(野口新橋)を渡る。

渡し船を断られた清姫は、全身蛇体となって泣きながらこの川を泳ぎ渡り、安珍を追い続けた。渡河地点は一定でなく、藤原定家たちはこの橋と天田橋の間の御坊大橋あたりの浅瀬を渡ったようだ。

もとは日高川の魚だったという盲人が、熊野権現に祈請して開眼したという話が『古今著聞集』にある。

Img_9143 しばらく土手沿いを南に進む。《地図

Img_9153 岩内1号墳 【ル-ト地図】の①

被葬者に有間皇子があげられている。処刑された藤白坂からは、かなり離れてはいるが。

Img_9147 説明板

Img_9150 両袖式横穴石室

Img_9158 岩内王子(焼芝王子)跡(岩内コミュニティ館前)

熊野(いや)神社に合祀

Img_9156 説明板

Img_9159 琴野橋(熊野川)を渡って左折し南下し、塩屋王子に向かうのが中世以前の熊野古道らしいが、日高川沿いに進み、天田橋南詰を通って塩屋王子に向かった。《地図

Img_9163 天田橋(日高川)

このあたりに「天田の渡し」はあったのか?

Img_9170 北塩屋の家並み 《地図

Img_9178 塩屋王子神社

五体王子の一つで、祭神の天照大神像が美しいことから「美人王子」とも呼ばれている。神社前の北野商店でみやげに「美人王子絵馬」を買う。

Img_9179 説明板

Img_9181 御所の芝(塩屋王子神社境内)

後鳥羽上皇の行在所跡という。

Img_9187 南塩屋の家並み

Img_9191 光専寺のビャクシン(柏槇・推定樹齢600年以上) 《地図

道成寺の槇柏(シンパク)より背は低いが、幹は太いか。

Img_9193 説明板

Img_9196 左折して観音山遊歩道に入る。

Img_9198 民家の石垣前で右折し、細い道に入る。ここを直進すると民家内に入ってしまう。

Img_9199 説明板(正面)の所で右に海側に下る。

Img_9211 説明板①(祓井戸)

Img_9212 説明板②(十三塚・清姫草履塚)

祓井戸は神功皇后に由来し、十三塚は熊野詣の途中で、阿波の海賊に襲われ殺された羽黒山の山伏一行を供養する13の塚ということ。

Img_9202海が見えてきた。

Img_9209 祓井戸観音(西向寺跡)

右は徳本名号碑

Img_9206 由来

Img_9205 本尊の千手観音

Img_9207 八十八石仏だろう。(本堂裏手)

Img_9215 一里塚跡

右の生垣の間に石柱が立つ。

Img_9219 十三塚・清姫草履塚へ

1往復半したが十三塚は見当たらず。

Img_9221清姫草履塚 《地図

清姫はこの時、上半身は蛇体で、足はまだ人間だった。日高川を渡る時は全身、蛇体となって泳ぎ渡り、道成寺まで安珍を追い続けた。

Img_9222 説明板

Photo この縁起図の11・12の場面

Img_9226清姫草履塚の先の入江から

向うは関西電力御坊火力発電所だろう。

Img_9233 中村酒店

Img_9235 「御首地蔵尊」道標

Img_9236 観音寺 《地図

ここの地蔵堂が「お首地蔵尊」

Img_9242 お首地蔵尊(東海近畿地蔵霊場の第30番札所)

石棺中より発掘されたミイラのような首と延命地蔵尊を合祀しているそうだが、首はどこにあるのか?首から上の病いにご利益があるという。 

Img_9244 左奥は和歌山高専の建物か?

Img_9251 仏井戸 【ル-ト地図】の②

井戸地蔵と呼ばれた上野王子の旧地。井戸底の壁に、地蔵ではなく阿弥陀、勢至、観音像が彫られているという。覗き込んで撮った写真にはその姿は見えなかった。「信心がないせいだ」というなかれ。

ここは熊野古道沿いになく分かりにくい。上野王子の先の津梅橋まで行ってしまって引き返し、曲がる所が分からずウロウロしていたら、近くで作業中のおじさんが途中まで案内してくれた。

Img_9252説明板

Img_9265 仏井戸(紀伊国名所図会)

Img_9261 上野王子跡(名田漁民センター前)

Img_9268 清姫腰掛石(正面の凹みに水が溜まっている石)

安珍はどんどん逃げて行く。のんびり休んでいる場合ではないよ、清姫さん。

Img_9271 いったん国道42号に出て、右に旧道に入る。

Img_9275 庚申塔の祠

Img_9278 再び国道に合流。

「宮子姫生誕之地」御坊市とも別れ、印南(いなみ)町へと入って行く。

Img_9282 叶王子跡へ左折する。

Img_9284 叶王子跡

津井王子が移転して叶王子となったようだ。山口八幡神社に合祀されたが、「願いが叶う」の意から「おかのさん」と親しまれている。願い事でもしようかと思ったが、やぶ蚊に攻撃され早々に退散した。

Img_9285 説明板①

Img_9286 説明板②

Img_9289 印南港

印南は「鰹節のふるさと」だそうだ。

Img_9295 のこぎり坂を上る。 【ル-ト地図】の③

熊野に参る途中で病んだ小栗判官は、この坂の近くの東光寺に参籠し快方に向かった。再び照手姫と熊野に旅立つ2人を村人たちは、この坂まで見送り名残りを惜しんだ。そこでこの坂を「残りの多い坂」というようになり、それが訛って「のこぎり坂」になったとか。かなりこじつけの感もあるが伝承は伝承だ。

東光寺で小栗が詠んだという歌:「常盤萌ゆ 印南の梛(なぎ)の 瑠璃の日は いつの世までも 闇照らすなむ」 梛の木は樹齢700年以上という竹柏のこと。

Img_9296 坂の途中の地蔵の祠 

Img_9299 宝来橋を渡っていったん国道に出で、再び左に入って上る。

Img_9301 印南港を振り返る。

Img_9303 斑鳩王子神社

印南八幡神社に合祀された後、昭和25年に分祀された。

Img_9304 説明板①

Img_9305 説明板②

Img_9310_2 東光寺の案内塔と説明板

Img_9311 小栗判官・照手姫東光寺参詣図

美形で気丈そうに描かれている照手に引き替え、小栗はひどい有様になっている。笑っては叱られるか。小栗と照手の夫婦愛物語、安珍と清姫の愛憎物語、宮子姫のシンデレラ物語、その他数限りなしで、熊野古道歩きは疲れることはあっても飽きることはない。

Img_9316 豆坂を下って切目王子へ 【ル-ト地図】の④

豆坂の由来の「黄粉化粧伝説」:「その昔、切目王子の横暴ぶりをいさめようとした僧を王子は殺してしまう。熊野へ戻った王子は捕らえられて右足を切られて切目山に追放された。ところが王子は、熊野詣の帰途にある者たちから熊野権現利生を奪うようになり、参詣者たちを嘆かせた。そこで熊野権現は稲荷大明神と相談し、王子と恋仲の「あこまち」という女を差し向け、王子が臭いといって嫌う豆の粉、黄粉(きなこ)で化粧した者には害を及ぼさないことを約束させた。それからというもの、切目王子の前を通る時には皆、黄粉で化粧をするという風習が生まれた」 この黄粉化粧は実際に行われていて、『熊野詣日記』(応永34年(1427))に額や鼻、頬、おとがいなどに黄粉をつけて王子社の前を通過したとの記述がある。切目王子がスサノオ命のように乱暴者だったというのも面白いか。

Img_9319 切目王子神社

五体王子の一つ。平治の乱の際の平清盛、元弘の乱の時の大塔宮護良親王などの逸話が残る。大塔宮が飲んだという「清水井戸」跡もあるが荒れている。

Img_9323 説明板

Img_9324由緒

Img_9326 ホルトの木(県指定文化財)

樹齢300年以上

Img_9333 切目川(切目橋から) 《地図

この川のあたりで清姫は安珍に追いつくが、安珍は人違いだといって逃げる。清姫が水面に我身を映すと、上半身が蛇に化身していた鏡川。

Img_9336 光明寺 《地図

Img_9338 戦時中に供出された釣鐘の変わりに、(軽くなった鐘楼堂が風などの被害を受けないようにバランスを取るために)吊るされていた石。

Img_9342中山王子、榎峠への急坂の上りとなる。

右の足首と脛が痛み始めてきた。岩内王子あたりで発熱した藤原定家も、病身でこの坂を上っているのだ。昔の公家さんを見直さねばならないようだ。

Img_9343 若宮社遺跡(右)

Img_9344 説明板

Img_9347右にさらに上る。

Img_9349 印南・御坊方向の眺め(中山王子神社の手前から)

Img_9352宝篋印塔

いずれも室町時代のもの。

Img_9359 中山王子神社 《地図

右は「足の宮」

Img_9355 説明板

Img_9356 説明板

Img_9357 「足の宮」由来

Img_9358 奉納されているワラジは多くない。信仰もすたれてきているか。

Img_9360 ここで右に未舗装の道を下って行く。

Img_9362 気分のいい道だが、足痛がこたえてきた。

Img_9368 農家の間を抜けて行く。

Img_9369 単調な道で周りに何もなく、この道でいいのかちょっと不安になる。正面方向は海のはずだが、霞んでいるのか、普段からここからは見えないのか? しばらく行くと徳本名号碑の立つ辻に出て一安心。

Img_9372 徳本名号碑 《地図

Img_9371 説明板

Img_9373 庚申塔の祠

Img_9381 万葉歌碑(光照寺脇)

左が有間皇子の「岩代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む」

Img_9376 説明板①

Img_9380 説明板②

Img_9386 岩代の結びの松跡 《地図

謀反の疑いで捕らえられた有馬皇子の遺跡。

Img_9384 説明板

Img_9391 岩代王子神社 【ル-ト地図】の⑤

追手を逃れて高野山から熊野へ向かう平維盛一行は、当王子前で7.8騎の武者と出会った。武者たちは維盛と知りながら一礼して立ち去ったという。彼らは湯浅宗重の子、宗光とその郎党であった。『平家物語』巻10の「維盛出家」から

Img_9393 説明板

Img_9396 千里の浜

往時は浜づたいに千里王子へと向かったが、今は通行不能。

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