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2011年6月11日 (土)

熊野古道(紀伊路⑥ 塔下王子→逆川王子)

2011年5月31日

海南駅(JR紀勢本線)→藤白王子(藤白神社)・・・紫川・・・有間皇子の墓・椿の地蔵・・・藤白坂・・・筆捨松跡・硯石・・・宝篋印塔・・・地蔵峰寺・塔下王子跡・・御所の芝・・・阿弥陀寺・橘本王子跡・・・福勝寺・裏見の滝・・・加茂土橋(加茂川)・・三界万霊塔・・・所坂・橘本神社・所坂王子跡・・・市坪中橋(市坪川)・・・一壺王子(山路王子神社)・・・沓掛の松等説明板(沓掛児童会館)・・・拝ノ峠・・・蕪坂・・・万葉歌碑・・・蕪坂塔下王子・・・太刀の宮・・・爪書地蔵(金剛寺)・・・山口王子跡・・・渡り郷橋(露谷川)・・・伏原の墓・・・宮原神社(太刀の宮)・・・夕暮橋・・・熊野古道ふれあい広場・・・橘踏切(JR紀勢本線)・・・札場地蔵・・天神社・宮原の渡し跡・宮原橋(有田川)・・・得生寺・・糸我の一里塚跡・・・糸我稲荷神社・くまの古道歴史民俗資料館・・・道標・・・雲雀山道標・・・徳本名号塔・・・糸我王子跡・・・糸我の道標・糸我王子社跡碑・・・七曲り・・・糸我峠・峠の茶屋跡・・・夜泣松跡・・・行者石・・・道六路・・・逆川神社・逆川王子・・・逆川巡礼橋・・・方津々坂・・腰掛岩跡・・・弘法井戸・・・方津戸峠・峠の地蔵 ・・・湯浅の一里松跡・・・北栄橋(山田川)・・・湯浅の町並み(麹資料館・甚風呂・角長・職人蔵・北恵比須神社・大仙堀・深専寺)・立石の道標・・・湯浅駅(JR紀勢本線)

*熊野古道紀伊路⑤)』からの続きです。

  【ル-ト地図

 紀伊路の続きを中辺路の起点の紀伊田辺まで5日位で歩く。今日は梅雨の合間なのか台風一過のせいなのか、久しぶりの晴天で気分がいい。ちょっと暑いが、藤白坂、拝ノ峠、蕪坂、糸我峠、方津戸峠を越え、醤油発祥の地で古い家並みが残る湯浅の町を散策した。明日は鹿ケ瀬峠越えだが雨になるようで気分が重い。 

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8219 有間皇子の墓・万葉歌碑 【ル-ト地図】の27

かつては椿の大木があり、その下に無縁仏が並び「椿の地蔵」と呼ばれていた。今も後ろに石仏たちと椿の木がある。

万葉歌碑は有間皇子が護送される途中で詠んだ歌、「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」 

 

Img_8220 説明板

 

Img_8224 丁石地蔵

藤白坂の17体の丁石地蔵のうち、当時(享保の初め頃)のまま現存する4体の地蔵の一つ。 ここから約18丁(約2km)の上り坂が続く。丁石地蔵ができたため、距離をごまかせなくなった駕籠かきが地蔵を谷へ蹴落としてしまって4体になってしまったとか。今はすべて復元されて道しるべとなっている。

 

Img_8223 説明板

 

Img_8230 藤白坂から海南の町を振り返る。

 

Img_8242 藤白坂の上り

 

Img_8243 海南港・和歌浦湾・マリーナシティー・海南火力発電所方向

万葉で歌われた「名高の浦」、「黒牛潟」は埋め立てられてしまった。手前は紙袋に包まれたビワの実。

 

 

Img_8249 竹林の間を上って行く。

 

Img_8254 筆捨松(投げ松)跡・硯石(右)

舒明天皇と巨勢金岡に由来する同じ松の跡。巨勢金岡は甲州街道の鶴瀬宿で岩に地蔵を描き、竹内街道には金岡神社がある。

 

Img_8255 由来

 

Img_8257 硯石

紀州家初代藩主の徳川頼宣が、硯の形彫らせて筆捨松の根元に置いた大石。風流というより、権力者の驕りを感じる。

 

Img_8256 説明板

 

Img_8258 藤白坂の坂上近く

この先に17丁の丁石地蔵がある。

 

Img_8260 17丁で藤白坂は「一丁上がり」だ。

 

Img_8265宝篋印塔(15世紀前半頃・高さ約3.8m)

県内4大宝篋印塔の一つだそうだ。もっと大きなものをいくつでも見ているような気がするが。(和歌山県以外で)

 

Img_8263 説明板

「地蔵峰寺の石造地蔵菩薩坐像と同年代の15世紀前半頃・・・」とあるが、石造地蔵菩薩坐像には元亨3年(1323)の銘があるから間違いだろう。

 

Img_8266 地蔵峰寺

ここは藤白坂の坂上で標高291m。

 

Img_8267 説明板

 

Img_8269峠の地蔵(元亨3年(1323)の銘)

高さ3.1mの石造地蔵坐像

 

Img_8282 塔下王子跡(地蔵峰寺境内)

橘本神社に合祀

 

Img_8283_2 説明板

 

Img_8278_2「御所の芝」から海南港・和歌浦湾 《地図

白河上皇の熊野詣の際の行宮所となった所。

 

Img_8277_2 説明板

 

Img_8285 地蔵峰寺からは下りとなる。

 

Img_8287鯉の池(手前)

ここに明治の中頃まで茶店が3軒あったという。

 

Img_8288 今はえさ代に苦労しているようだ。

 

Img_8293 細い道に入り、舗装道路を何度か横切って下って行く。

 

Img_8297_2下津町地区へ下って行く。

 

Img_8306 下津町橘本の家並み

 

Img_8310 橘本王子跡(阿弥陀寺境内) 

橘本神社に合祀

 

Img_8311 説明板

白河法皇の歌の「入佐の山」は加茂川の南の鉢伏山(195m)のこと。

 

Img_8318_2 裏見の滝(福勝寺境内) 【ル-ト地図】の28

高さ20m、幅30mで裏側は岩窟になっていて不動明王が祀られている。台風の雨で流量は多いようだ。

 

Img_8328滝の裏側から

裏見の滝は八丈島、四国札所の番外霊場「星の岩屋」にもある。芭蕉が「奥の細道」で訪れた日光の裏見の滝は、今は裏からは見ることができない。

 

Img_8324 不動明王(伝弘法大師作)

 

Img_8316 説明板

 

Img_8319昔話「天狗手がた」

本堂の縁に残るという「手形」は、どれか分からなかった。

 

Img_8339_2 橘本土橋跡 《地図

熊野詣での帰途、険しい藤白坂を避け、ここから加茂川に沿って下り、舟の津(今の塩津)から船で和歌浦に到ったことが天仁2年(1109)の中御門右大臣藤原宗忠の旅行記「中右記」に記されている。

 

Img_8342 説明板

 

Img_8343 三界万霊塔(寛政5年(1793))

 

Img_8344旅籠が並び伝馬所があった道筋。

 

Img_8345_2 所坂の途中に橘本神社(右)

このあたりに(トコロ)(ヤマノイモ(山芋)で別名を野老(ヤロウ))が自生していた。トロロ≒トコロか?

 

Img_8347所坂王子跡(橘本神社境内)

橘本神社は、蜜柑と菓子の神様として全国のみかん、菓子業者の信仰が篤い。

 

Img_8346 説明板

 

Img_8352 橘の樹(橘本神社境内)

垂仁天皇の命を受けた田道間守が常世の国から持ち帰ったという「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)で、紀州蜜柑の原種という。

 

Img_8367 一壺王子(山路王子神社) 《地図

泣き相撲」の土俵

 

Img_8362 説明板

 

Img_8370 市坪地区を抜け沓掛から拝ノ峠へと上る。

 

Img_8374風力発電用の風車か?

 

Img_8378 傾斜がきつくなってくる。

 

Img_8384 沓掛の松・弘法井戸・爪書地蔵の説明板(沓掛児童会館・地蔵堂(大師堂)?前)

 

Img_8385 沓掛の松

 

Img_8386 弘法井戸

 

Img_8387 爪書地蔵 

 

Img_8389 爪書地蔵の写真

 

Img_8396 拝ノ峠への急登が始まる。

 

Img_8403 拝ノ峠 《地図

神武天皇東征の折り、八咫烏が先導されたのでこの名があると伝える。ここには茶屋があったという。

 

Img_8406 拝ノ峠あたりから

標高300mくらいか

 

Img_8407蕪坂を下る。

矢もて鹿を打ちし坂なれば坂と名付しにや」(紀伊国名所図会)

 

Img_8427 説明板

 

Img_8422 蕪坂の途中から有田市方向

 

Img_8435 蕪坂塔下王子跡

宮原神社に合祀されが、平成元年に小祠が再建された。

 

Img_8433 説明板

 

Img_8430 万葉歌碑

 

Img_8431 説明板

 

Img_8439 太刀の宮

猿田彦を祀る道中安全の道祖神的な神社で、今は宮原神社の道祖神社(太刀の宮)の奥宮になっている。

 

Img_8440 由緒

 

Img_8441 奉納された太刀

いずれもプラスティック製のおもちゃ。

 

Img_8450 湯浅方向の眺め

 

Img_8452 爪書地蔵堂(金剛寺) 【ル-ト地図】の29

 

Img_8453 説明板

 

Img_8454 阿弥陀と地蔵というが、はっきり見えず。弘法大師が爪で書いたが、爪を痛めたので椿油を塗ろうとしたが手に入らず、以来この地では椿の実から油がとれなくなったという。むろん伝説でこの線彫石仏は室町時代以降のもの。

 

Img_8455 写真 

 

Img_8469宮原町へ下って行く。

 

Img_8471 山口王子跡

宮原神社に合祀されたが、平成3年に小祠が再建された。

 

Img_8472 説明板

 

Img_8481 伏原の墓

行き倒れなどの無縁仏の供養墓

 

Img_8479 説明板

 

Img_8485 宮原神社 《地図

本殿の左端に道祖神社がある。

 

Img_8488 道祖神社(太刀の宮)

街道沿いの「太刀の宮」(前記)の本宮で、ここに「蕪坂塔下王子」が合祀されている。

 

Img_8490 宮原町の家並み

 

Img_8503 くまの古道ふれあい広場 (宮原小学校前)

このあたりは熊野参詣道と高野参詣道が合流して賑わった所。

 

Img_8508 札場地蔵 【ル-ト地図】の30

有田川が増水した時に、ここに川止めの制を立てた。

 

Img_8515 宮原の渡し跡

ここから川向いの糸我稲荷神社のお旅所付近に渡ったという。このあたりに熊野御幸の頓宮の「お茶屋の芝」があった。今は宮原橋を渡る。

 

Img_8511宮原渡場の図

 

Img_8520 宮原橋から有田川

台風の雨で増水しているか。

 

Img_8528 有田川を渡り、中将姫ゆかりの得生寺に向かう。

 

Img_8534 得生寺 《地図

平地にあり樹木は少なく、代わりに処世訓じみた標語の立札がいくつも立っていて、中将姫のイメージも湧かない興ざめの境内だった。

 

Img_8533 説明板

 

Img_8531 万葉歌碑

 

Img_8532 説明板

 

Img_8540 糸我の一里塚跡

 

Img_8539 説明板

 

Img_8546 糸我稲荷神社

日本最古の「お稲荷さん」とか。境内には樹齢500年以上という大楠が3本聳えている。

 

Img_8544 説明板

 

Img_8559 道標(文久4年(1864))

「すぐ熊のみち」

 

Img_8564 雲雀山(208m)道標

中将姫ゆかりの山で、「親子対面岩」、「写経の岩」などがあるそうだ。

 

Img_8566 説明板

 

Img_8567 徳本名号塔

手前は熊野道道標。

 

Img_8574_2 糸我王子跡

糸我稲荷神社に合祀されたが、平成7年に小祠が再建された。

 

Img_8573 説明板

 

Img_8580 熊野道道標(右)・糸我王子社跡碑(左)

 

Img_8579 説明板

 

Img_8586糸我峠への途中から振り返る。下は新池か?

 

Img_8592 木の柵沿いに七曲りを上って行く。

 

Img_8597 糸我峠

道を挟んで2店の茶屋があった。今はみかん畑だけの殺風景な所。

 

Img_8598 説明板

 

Img_8558 糸我峠茶店の図

往時はこんなに賑わっていようとは。TVの「仁」のようにタイムスリップして行ってみたいものだ。

 

Img_8604峠から湯浅方向へ下る。

 

Img_8614 夜泣松跡

 

Img_8615 説明板

 

Img_8625 行者石

もとは逆川沿いの祓い井戸のそばにあって、旅人はこの石の上で体を清め、道中の安全を願った。

 

Img_8627 説明板

 

Img_8635 周辺図

 

Img_8632 道六路 《地図

六道路から転訛したという。

 

Img_8634 説明板

 

Img_8637 逆川王子(逆川神社)

国津神社に合祀されたが、昭和12年に社殿と石段を新たに建立し、再建された。

 

Img_8638 説明板

 

Img_8649 巡礼橋から逆川

確かに海とは逆方向に流れている。東に流れて山田川に合流し、湯浅湾に入るそうだ。「」を嫌って村の名を川にしたが、川の逆川はそのままのようだ。

 

Img_8622 説明板

 

今日最後の上りの方津々坂(程遠坂)を方津戸峠へと上って行く。峠といっても100mの高さもないが。

Img_8650 腰掛岩跡碑(左)

後白河法皇が熊野詣の折に腰掛けた岩だったという。

 

Img_8654 説明板

 

Img_8660 弘法井戸

水は溜まっているが飲める代物ではない。

 

Img_8662 方津戸峠 《地図

左へ直進し、すぐに右へ未舗装の道に入り下る。

 

Img_8666 説明板

 

Img_8668 説明板

 

Img_8672 未舗装道に入るがすぐ車道に出る。

 

Img_8676 湯浅の一里松跡(郡民体育館前) 《地図

 

Img_8677 説明板

 

Img_8682 山田川沿いを進み、北栄橋を渡って熊野古道から離れ、湯浅の町並みを散策する。

 

Img_8691 湯浅案内図

まち歩きマップ

 

Img_8690 説明板

 

Img_8692 麹屋資料館

 

Img_8693 説明板

 

Img_8702 北町通りの家並み

 

Img_8703戸津井醤油醸造所

 

Img_8707北町茶屋いっぷく(左)

江戸後期の民家を改装。右は戸津井家の樽蔵

 

Img_8711 加納家   

 

Img_8720 甚風呂

今は民俗資料館になっている。

 

<

Img_8719 説明板

 

Img_8723 御影石の深い浴槽(手前)と金属製の洗い桶。ここは女湯

 

Img_8728 湯浅醤油の角長

 

Img_8730 説明板

 

Img_8737 北恵比須神社

 

Img_8738 説明板

 

Img_8745 大仙堀(しょうゆ堀) 《地図

山田川から湯浅港へと醤油などを運送した。右は角長。今は山田川とはつながっていない。

 

Img_8743 大正~昭和初期の大仙堀

 

Img_8742説明板

 

Img_8747 あら玉屋旅館跡

 

Img_8752 玉井醤大三味噌

「古伝径山寺味噌大坂屋三右衛門」の看板を掲げる。

 

Img_8754懐かしさを感じさせる小路

 

Img_8763 深専寺 《地図

山門左に「大地震津なミ心え之記」碑

 

Img_8758 説明板

 

Img_8765 立石の道標 【ル-ト地図】の31

左は「立石茶屋」、この先で左折し湯浅駅方向に向かうのが中世以前の熊野街道で、右折して広川へ向かうのが近世の熊野街道。

 

Img_8767立石の道標・銅板張りの商家

道標の立つ1坪ほどの空き地は、聖護院の門跡が熊野入峯の途次に、護摩修法を行った護摩壇の跡という。

 

Img_8770 説明板

 

Img_8774 左折が中世以前の熊野街道、右折して近世の道筋を広川近くまで行ってみた。

 

Img_8775 布袋湯

甚風呂の管理人の女性が言っていた明治時代(大正かも)から続く風呂屋。

 

Img_8780熊野古道は直進しJR線のガードをくぐる。今日はここまでとし、左折して湯浅駅に出た。

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コメント

私も行ってきました
素敵なルートですよね

投稿: 熊野古道ガイド | 2011年6月16日 (木) 02:16

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