唐津街道①(小倉駅→常盤橋→若松宿→二島駅)
2011年7月17日
小倉駅(山陽新幹線)・・・常盤橋(紫川)・・・室町商店街・・・大門跡・・妙乗寺・・長崎街道分岐・・・(溜池口門跡)・・鋳物師踏切(JR日豊本線)・・・長圓寺・・・八坂神社跡・・・立法寺・・・(北九州都市高速道)・・・(山陽新幹線)・・・極楽橋(板櫃川)・・・日明浜刑場跡・無縁法界塔・首切り地蔵・・・きんたま坂・・・貴船神社・・・宮川橋(境川・豊前国と筑前国境)・・・向江橋(新日鉄鉱滓鉄道)・・・宝福寺・・・戸畑一里塚跡(碑)・・・戸畑跨線橋(JR鹿児島本線)・・・照養寺・・東光禅寺・・戸畑恵美須神社・・お汐井汲の場碑・若松渡船(戸畑渡船場→若松渡船場)・・若松宿・洲口番所跡・・蛭子神社・・六地蔵堂・・御茶屋跡(本陣跡・金光教若松教会)・・善念寺・・吉祥寺・・ごんぞう小屋・・厳島神社・・林芙美子住居跡・・(国道495号)・・・極楽寺・・・(修多羅小学校)・・・(古前小学校)・・・善光寺・・・白山神社・・・畑堀地蔵尊・・・日吉神社・・・(紅影池)・・・徳雲寺・・・国道199号・・・二島駅(JR若松線)
【ル-ト地図】
今年の夏は奥州街道の続きを仙台から盛岡まで歩く予定だったが、まだ東北地方を歩く気にはなれない。そこで180度方向転換し九州へ向かった。まずは小倉の常盤橋を起点とする九州の五街道(長崎街道・唐津街道・中津街道・秋月街道・門司往還)の一つ唐津街道だ。猛暑→台風→梅雨寒のような天気で思ったより歩きやすく、歩きながら飲んだペットボトルも4本、3本、1本と日毎に減っていった。とはいえ夜のビールの量は相変わらずだったが。
今日は常盤橋から西へ向い、大門跡の先で長崎街道と分かれ、戸畑一里塚跡を過ぎ、若戸大橋下で洞海湾を若戸渡船で渡り若松宿へ入った。さらに洞海湾の北側の起伏ある道を西に向かい、二島駅までの道のりだった。覚悟していたが、やっぱり暑さは応えた。
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赤間宿までの街道の道筋はいくつかあり、江戸時代以降は長崎街道を進み、木屋瀬宿から分かれて赤間宿へ向かうルートが主流となったようだ。今回は説明板と同じ、若松宿から芦屋宿への道筋をたどる。道筋には神功皇后ゆかりの伝説、朝鮮半島へ侵攻した太閤秀吉の遺跡などが残っている。
常盤橋 【ル-ト地図】の①
当初は大橋と呼んでいたが、元禄5年(1692)に架け替えた時に「常盤橋」とした。
極楽橋 《地図》
江戸時代までは「地獄橋」と呼ばれていた。日明浜へで処刑される罪人が裸馬に乗せられて、泣く泣くこの橋を渡ったからという。
「日明浜処刑諸霊塔」 江戸時代は響灘に面した砂浜だった。現在は共同墓地になっている。
天明7年(1787)に建立された無縁仏法界塔の上に、文化年間(1804~17)に起こった小笠原藩の白黒騒動で犠牲となった、儒者の上原与一らの処刑者を供養する地蔵が乗せられている。
きんたま坂(坂上方向) 《地図》
昔、この坂にひとりの木こりが住んでいた。冬の日にたき火をして居眠りをしていたところ、睾丸(きんたま)に火がついて大やけどのすえ、とうとう死んでしまった。以後、誰がいうともなく、「きんたま坂」と呼ぶようになったという。
宮川橋(境川) 《地図》
豊前国と筑前国の境で、「国境石」が置かれていた。
「くろがね線」(新日鉄鉱滓鉄道)を渡る。
恵美須神社 《地図》
ここで戸畑祇園が始まる前の山笠の柱の清め、安全祈願の海水を汲む。上は若戸大橋。
若戸渡船で若松宿へ 【ル-ト地図】の④
乗船料100円。対岸の若松渡船場までは500mもない。
「若松」の地名の起源となったともいう神社。
後ろにも薬師堂、観音堂、大師堂などが並んでいる。
本陣のことで、現在は金光教若松教会。
地蔵は享保4年(1719)に石井正五郎重勝によって寄進されたもの。
旧古河鉱業若松ビル(大正8年建築)
貞享2年(1685)、洞海湾の守護神に宗像郡玄海村に鎮座する市杵島姫命の分霊を祀ったのが起源とされ、海上交通の神として漁師や船乗り達の参詣で賑わった。
林芙美子住居跡
明治40年から3年間、若松で過ごした住居があったのが「オーモリ時計店」(右・店は閉じたようだ)という。芙美子4歳から6歳の頃、まだ砂浜のあった海岸で貝拾いなどをして遊んだそうだ。
広島県尾道市には文学記念室、尾道駅のそばにはブロンズ像、『尾道市の坂①』
東京の世田谷区太子堂には住居跡、『滝坂道①』
新宿区中井の「四の坂」には林芙美子記念館がある。
美術館計画は進んでいるのだろうか?
極楽寺 《地図》
「飛梅」伝説がある。
修多羅小学校前の坂 《地図》
近くに火野葦平旧居の「河伯洞」、福岡藩修多羅米蔵跡(碑)があるのだが気づかずに通り過ぎてしまった。
この先は国道199号の西側の起伏のある道を行くが、唐津街道の道筋ははっきりしない。
川のようにも見え、大渡川とも呼ばれていたそうだ。
白山神社 《地図》
日吉神社前から左に紅影池へと向かう。
神功皇后の伝説の紅影池と思いきや、ただの溜池だった。何の標示も案内板などもなく、おかしいとは感じていたのだが。昭文社の「県別マップル福岡県」もこの池を紅影池としている。MapFanの《地図》もそうなっている。神功皇后の頬紅の赤さまできれいに水面に映ったという。甲冑を身にまとった男勝りの偉丈婦のイメージしか湧かないが、やはり頬紅もさす女性だったと知ってほっとした。まあ、神功皇后自体が伝説だろうが。
実際の「紅影池」は日吉神社の北東側にある小さな湧水池(跡)で石碑と説明板も立っているようだ。
慶長9年(1604)の創建で、道公(黒崎の麻生氏という)が開山したといわれている。
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