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2011年7月31日 (日)

唐津街道②(二島駅→芦屋宿→海老津駅)

2011年7月18日

小倉駅(JR鹿児島線)→折尾駅(JR若松線)→二島駅・・・県道26号・・・新法寺川・・・(竹並バイパス)・・・払川交差点・・・魚鳥池跡・・・魚鳥池神社・・・汐分橋(江川)・・若戸病院・・・汐分地蔵  ・・・太閤水・・太閤橋・・・県道26号・・・向田橋交差点・県道202号・・・大君交差点・・・咳地蔵・・安徳天皇行在所跡・・大君神社・・・唐戸橋(汐入川)・・・山鹿城跡・・・城山神社・・・天満宮・・山鹿魚町跡碑・芦屋橋(遠賀川)・・芦屋渡し場跡碑・・芦屋宿・・福岡藩焚石会所跡・・金台寺・・光明寺・・蛭子神社・・遠賀郡役所跡・・芦屋宿構口跡・火切地蔵堂・・白浜稲荷神社・岩津宮・・芦屋小学校・・・航空自衛隊芦屋基地(唐津街道消滅・迂回)・・・神武天皇社・・・白浜町交差点・国道495号・・・(芦屋競艇場)・・・唐津街道復活・・(粟屋バス停)・・・(岡垣町)・・・岡垣四国霊場73番・・・須賀神社・・・前牟田橋交差点・・・宝樹院・・氏森神社・・・(国道3号)・・・山田橋(矢矧川)・・・県道287号・・・海老津駅(JR鹿児島本線)

 少しでも早く二島駅に着こうと、小倉駅から折尾駅まで短い間だが特急に乗ったら、どこかの人身事故の影響で折尾駅で若松線を30分以上待たされた。汐分橋あたりの江川沿いは大規模な改修工事中で道も寸断され、汐分地蔵堂もどこへ行ったやら、若戸病院付近をあちこちとうろつくも見あたらず。あきらめかけていたら汐分地蔵を仮に移設したプレハブ小屋をやっと見つけやれやれだ。

 昨日の紅影池の二の舞を踏まないように、太閤橋で自転車に乗ったお兄ちゃんに太閤水の場所を聞いたら、ここが太閤水という地名で、太閤水バス停はあっちと連行されそうになった。実際の太閤水跡はどこかと聞いても分からず、笑いながら礼を言って立ち去ってもらう。何てことはない、太閤水は太閤橋から50mも離れていなかった。

 どうも今日は歩くリズムに乗れないと思いながら歩いていると雨が降ってきた。蒸し暑いことこの上ない。大君神社では藪蚊の恰好な餌食になり、わが身の不幸を嘆きながら芦屋橋を渡って芦屋宿へと入った。まあ、その後は予定の見所を消化し、道を間違えることもなく、雨風も強まらず、おおむね順調な道中で3時半頃には海老津駅に着いた。「終わりよければ、すべてよし」としておこう。でも台風が近づく中、唐津街道歩きは続くが、明日のことは「ケセラセラ」よ。

 *参考:『芦屋案内記

  【ル-ト地図】(25.6km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0215 魚鳥池(ぎょちょうが池) 【ル-ト地図】の①

神功皇后の伝説地だが、正面の囲いの中のとても池とは呼べない湧き水の井戸跡。

Img_0217 説明板

Img_0213 魚鳥池神社 《地図

祭神は神宮皇后。隣には観音堂がある。

Img_0223 江川沿いを進む。

対岸は工事中で、この先の塩屋橋から先は両岸とも工事中で通行できず。

Img_0231 汐分橋 《地図

昔は、洞海湾と遠賀川から江川に満ち上がって来る潮がこの付近で合流し、また両側へ引き退いて行く潮の分岐点、江川の分水嶺だった。橋を渡って若戸病院あたりと工事現場を汐分地蔵を探すが見つからず。《地図》の「笠地蔵」(汐分地蔵は笠を被っている)が汐分地蔵の元の位置の所だろう。(いつの間にか標示はなくなってしまった。若戸病院の東側あたりだったと思う)

Img_0234 やっと見つけた。この「お地蔵さん」が「汐分地蔵」のこと。矢印に進んで、左折して唐津街道を進むと写真のプレハブがある。

Img_0235 右のプレハブ小屋に汐分地蔵は移されている。《地図

Img_0236 四国中央三十九番が汐分地蔵 

Img_0242 汐分地蔵

ここに仮安置して工事が終わればもとの所へ戻されるのだろうか? お堂は新しく作ってもらえるのか?

Img_0240嘉永7年(1854)の石柱ももとは汐分地蔵堂にあったもの。

Img_0239 この地蔵も移されてきたようだ。 

Img_0248_2 太閤水へ

この太閤橋を渡らず川沿いに行く。

Img_0247 太閤水 【ル-ト地図】の②

Img_0246 説明板

Img_0255 咳地蔵

咳が止まればお礼に豆腐を供えるそうだ。 

Img_0259 安徳天皇行在所跡 【ル-ト地図】の③

壇ノ浦では死ななかったという判官びいきの逸話の地だろう。

Img_0257 大君神社へ

Img_0258 大君神社

大君とは安徳天皇で、拝殿の奥に天皇を祀る石祠が見える。

Img_0266 曲川(手前)と遠賀川(突堤の向う側)の合流地点

Img_0268 唐戸橋から山鹿城跡 《地図

Img_0270 城山神社

Img_0272 天満宮

Img_0279 芦屋橋から遠賀川

Img_0282 蘆屋の渡し場跡碑(芦屋橋を渡った右側)

Img_0290 福岡藩焚石会所跡  【ル-ト地図】の④

焚石とは石炭のこと。

Img_0289 金台寺

体内に源頼朝の念持仏の小地蔵を宿していた子安地蔵を安置。

Img_0287 説明板

Img_0291 旧家

芦屋千軒といわれた名残か。

Img_0293 みさき食品

「あしやみりん」の店

Img_0296 蛭子神社 《地図

Img_0297 振り返ると遠賀川

Img_0298 遠賀郡役所跡

この少し西側に大国座があった。

Img_0309 芦屋宿構口跡

西構口か?それとも構口はここ一か所だけなのか? 左は火切地蔵堂(火除延命地蔵)

Img_0306 構口跡碑

Img_0317 唐津街道は芦屋小学校の校庭、自衛隊基地を突っ切っていた。かつては「鈴の松原」があった所だそうだ。今は大きく東から南側を迂回する。

Img_0319 旧家

神武天皇社前

Img_0321 神武天皇社

参道の石畳が大きく盛り上がっている。大もぐらでも通ったのか。

Img_0324 寂しげな芦屋の町並みを抜ける。ここは唐津街道ではないが。

Img_0325 右の自衛隊基地を迂回する。

Img_0326芦屋競艇場を横目に進む。

今日はレース開催日だ。

Img_0328唐津街道復活地点(粟屋バス停そば)

右に入ると街道跡が少し残っている。

Img_0329街道は自衛隊基地を横切りここへ通じていた。《地図

(糠塚)公民館前交差点から左に旧道に入る。

Img_0335 岡垣四国霊場七十三番(正面右の小堂)

本尊は四国八十八ヶ所の73番出釈迦寺と同じ阿弥陀如来。

Img_0340 須賀神社 《地図

糠塚の氏神、境内裏手に岡垣四国霊場72番の大日如来堂があるそうだ。

前牟田橋交差点で県道287号に入り南下する。

Img_0346 かわせみ日暮し館

これがデイサービス(通所介護施設)とは、なかなかいい雰囲気の建物だ。

Img_0352 氏森神社 【ル-ト地図】の⑤

安産の守り神

Img_0354 安産腰掛石(社殿の後ろ)

身重の女性が座るとバランスを崩しそうだが。

Img_0353 説明板

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