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2011年8月 7日 (日)

唐津街道⑤(箱崎駅→箱崎宿→博多宿→福岡城下→姪浜宿→姪浜駅)

2011年7月21

箱崎駅(JR鹿児島本線)・・・県道21号・・・箱崎宿・・筥崎宮・・表粕屋郡境石・・恵光院(燈籠堂)・・・九州大学病院・・・崇福寺・・・博多宿・・水茶屋跡・・濡れ衣塚・石堂橋(御笠川)・・綱敷天満宮・・鏡天満宮・・東中島橋(博多川)・・国広神社・・・西中島橋(那珂川)・枡形門跡・・福岡宿・・赤煉瓦文化館・・・水鏡神社・・・福岡藩東学問所跡・・鴻臚館跡・・福岡城跡(扇坂・松ノ木坂)・・・大濠公園・・・黒門跡・・・唐人町商店街・・(西学問所跡)・・・善龍寺・・・簗橋跡・・・平野神社・・・鳥飼八幡宮・・・大通寺・・・金龍善寺・・・今川橋(樋井川)・・・元寇防塁跡①・元寇神社・・・元寇防塁跡②・・・千眼禅寺・・・猿田彦神社・・・藤崎一里塚跡・・・飛石橋(金屑川)・・・室見橋(室見川)・・・地蔵院・・・音次郎稲荷神社・・・愛宕神社・・・観音寺・・・姪浜宿東構口跡・探題塚・埴安神社・・・姪浜駅(地下鉄空港線)→博多駅 

 筥崎宮から中洲、天神と博多の繁華街を通り、福岡城跡、大濠公園から元寇防塁跡に寄り道し、室見橋を渡り愛宕神社に上って下り姪浜宿に入った。今日も拍子抜けするほど涼しい一日だった。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0501_2筥崎宮楼門

敵国降伏」の扁額を門前の外人女性は何と見るか。

 

Img_0506_2説明板

 

Img_0504_2蒙古軍船碇石

 

Img_0503_2説明板

 

Img_0508_2レトロなパン屋

 

Img_0510_3粕屋表郡境石(文久元年(1861)) 【ル-ト地図】の22

粕屋郡は粕屋表郡と裏郡に分かれていた。

 

Img_0514燈籠堂 (恵光院)

ここで秀吉のために千利休が茶会を催した。

 

Img_0513説明板

 

Img_0519九大病院

構内に「利休釜掛松跡」がある。当時はこのあたりは浜辺で、松の枝に釜を掛けて茶会を開いたそうだ。「驕れる太閤、茶会にうつつを抜かす」か。

 

Img_0520崇福寺山門

もとは福岡城本丸表門

 

Img_0522説明板

 

Img_0524旭地蔵堂(崇福寺境内)

開基の湛慧が横穴を掘って隠棲し、息絶えたとされる地に石塔が立てられ、のちに地蔵が祀られた。崇福寺が現在の地に移転した際に地蔵も移され、百度参りの地として崇敬を集めているそうだ。

 

Img_0529唐門

名島城からの移築と伝える。

 

Img_0536水茶屋券番跡? 《地図

博多芸妓の券番(料亭への芸妓の手配、出入りなどを取り仕切る事務所。検番、見番)があったあたり。ここは「茶房水茶屋

以前はこのあたりは料亭街で、明治の一時期には遊郭を兼ねていたこともあったそうだ。

 

Img_0543濡れ衣塚 【ル-ト地図】の23

「濡れ衣を着せる」の語源となったという由来話。

 

Img_0546濡衣塚(康永3年(1344)銘)

濡れ衣を着せられて死んだ娘を供養する板碑。もとは聖福寺の西門近くにあったという。

 

Img_0545説明板

 

Img_0537石堂橋

 

Img_0541橋の欄干

濡衣塚の由来話の一場面。

 

Img_0542こちらは「石堂(童)丸」のお話

石堂橋と石堂大橋の間に石堂地蔵堂があるようだが見逃した。
高野街道には「石童丸物語玉屋宿跡」、高野山には「刈萱堂」がある。『高野街道②
善光寺街道の西光寺には、刈萱塚、親子の対面像がある。『善光寺街道④

 

Img_0555綱敷天満宮 《地図

 

Img_0554説明板

 

Img_0558鏡天満宮 《地図

菅原道真が博多に到着した時に鏡に姿を映した場所で、その鏡を神体とする。

 

Img_0562中洲国広稲荷神社

天保5年(1834)、中洲岡新地繁栄のため、それまで小さな社であった中洲稲荷神社を改築し改名した。
祭神は、倉稲魂命、稲荷大明神の二柱。

中洲の守り神、商売繁盛の神としてはビルの谷間の細い路地で窮屈そうだ。

 

Img_0571西中島橋(那珂川)から(右に薬院新川が分岐)

博多町と福岡城下をつなぐ橋で、枡形門が設けられていた。北門は唐津街道に通じ、南門は福岡城の大手門へ通じていた。

 

Img_0567枡形門の図

 

Img_0569説明板

 

Img_0573赤煉瓦文化館(福岡市文学館)《地図

 

Img_0578水鏡神社

水鏡天神、容見(すがたみ)天神と呼ばれていた。繁華街「天神」の名の由来という。

 

Img_0577説明板

 

Img_0584福岡藩東学問所跡(右の三井住友海上ビル) 《地図

天明4年(1784)、福岡城下に創設された藩校・修猷館の跡。説明板があるはずだが見つからず。

 

Img_0586福岡城案内図

扇坂と松ノ木坂門跡がある。

 

Img_0598扇坂

 

Img_0603祈念櫓

本丸の鬼門封じのための二層の櫓。

 


Img_0602説明板

 

Img_0606_2天守台へ

 

Img_0610_2大濠公園公園方向

 

Img_0619松ノ木坂を下る。

 

Img_0625長屋門

「黒田節」の豪傑、母里太兵衛の屋敷の門。天神2丁目から移築した。

 

Img_0626説明板

 

Img_0627(伝)潮見櫓と下之橋御門

 

Img_0957大濠公園

福岡城の外堀でもとは草香江という入江だったそうだ。

 

Img_0962唐人町商店街を抜ける。《地図

唐津街道沿いで商売をしていた町家が起源というが古い家並みは残っていないようだった。一本北側の通りに西学問所があったようだ。

 

Img_0964ここを左折する。正面奥は善龍寺

 

Img_0967簗橋跡 《地図

ここを流れていた菰川に架かっていた。今は「やなばし交差点」

 

Img_0968説明板

 

Img_0971平野神社 《地図

平野国臣を祀る。

 

Img_0970説明板

 

Img_0976鳥飼(とりかい)八幡宮

神功皇后ゆかりの神社。

 

Img_1147元寇防塁跡① 【ル-ト地図】の24

高さ2.5~3mというから実際はもう少し高かったのか? そばに元寇神社がある。

 

Img_1143説明板

 

Img_1140元寇防塁跡② 《地図

 

Img_1138説明板

 

Img_0984西新中央商店街を抜ける。

 

Img_0985旧家

 

Img_0987猿田彦神社

 

Img_1159藤崎一里塚跡 【ル-ト地図】の25

建物前左に一里塚碑と説明板が立っている。福岡城の上の橋御門が起点という。

 

Img_1157説明板

 

Img_0995室見橋(室見川)から博多湾方向

右奥に福岡タワーが見える。

 

Img_0996地蔵院前の坂を上る。 《地図

日切地蔵を祀っている。

 

Img_1004音次郎稲荷神社

吉太郎、音吉郎、音平、松下稲荷を合祀しているそうだ。お狐さんにもいろいろ名前があるのだ。

 

Img_1007説明板

 

Img_1014愛宕神社  《地図

日本三大愛宕(東京港区・京都市右京区)の一つ。それよりも境内からの眺めが好い。夜景も見事なようだ。

 

Img_1012説明板

 

Img_1016室見川・博多湾・福岡タワー方向

 

Img_1019能古島だろうか?

 

Img_1028愛宕山ケーブルカー(昭和3年~18年)

日本で2番目、九州では初だった。

 

Img_1027説明板

 

Img_1037姪浜宿東構口跡 《地図

神功皇后が三韓遠征の帰途、浜に上陸する際に下着の袙(あこめ)が濡れたので砂浜で乾かして、そこが「あこめのはま」となり、それが訛って「めいのはま」になったとか。

姪浜宿は、『唐津街道姪浜まちづくり協議会』が参考になる。

 

Img_1047

宿場案内図

 

Img_1040説明①~④

 

Img_1041説明⑤・⑥

 

Img_1045説明板⑦~⑩

 

Img_1046説明⑪・⑫

 

Img_1056⑩探題塚・埴安神社 【ル-ト地図】の26

九州探題最後の渋川尭顕の墓という。

右の鳥居の先は道は途切れ、埴安神社の社殿もないようだ。

姪浜宿の途中だが今日はここまでとし、姪浜駅から博多に戻った。

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