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2011年8月28日 (日)

善光寺街道(北国街道)①

2011年8月21日

信濃追分駅(しなの鉄道)・・・(国道18号)・・追分宿(中山道)・神田坂・・堀辰雄文学記念館(本陣門)・脇本陣油屋跡・本陣跡・高札場跡・泉洞寺・茶屋つがるや跡・枡形跡・追分宿交差点・国道18号・・分去れ・北国街道・・追分原刑場跡・・・国道18号・・・三ツ谷東交差点・・・雀ケ谷交差点・・・馬瀬口一里塚跡・・・(国道18号)・・・旧道・・・濁川橋(濁川)・・・三ツ谷西交差点・・・明治天皇馬瀬口小休所跡(高山家)・・・柵口神社・・馬頭観音堂・長泉寺・・・国道18号・・・(新)十石坂・・十石坂(跡)・・・平原跨道橋(上信越自動車道)・・・平原東交差点・・旧道・・平原一里塚跡・・・金山宮・・・長龍寺・・・十念寺(跡)・・・光明寺・・・曲り沢・・平原橋・・国道18号・・・四ツ谷東交差点・国道141号・・・乙女坂・・四ツ谷交差点・・乙女道標・・乙女橋(乙女川)・・県道141号・・・唐松一里塚跡・・・真楽寺道標・・蛇堀川・・小諸宿・北国街道与良館・・高浜虚子記念館・・海応院・・光岳寺・・祇園坂・・ほんまち町屋館・・権兵衛坂・・丁子庵・・鍋蓋城址・・養蓮寺・・闇坂・・浄斎坂・・小諸城大手門・・(しなの鉄道)・・三の門・懐古園・・小諸市観光交流館・・本陣主屋・・脇本陣粂屋跡・・問屋山兼跡(山兼酒造)・・本陣問屋跡・・(しなの鉄道)・・・天王社・・・中沢川・・・諏訪神社・・・栃木川・・布引観音道標・・・花川橋(花川)・・・青木一里塚跡・・・第一北国街道踏切(しなの鉄道)・・・芦原中学校入口交差点・国道18号・・・東山道清水駅跡・・・菱野薬師道標・・・西光寺・・・深沢橋(深沢川)・・・国道18号・・・古民家(たかこの布あそび)・・・深沢交差点・・・旧道・・・眼鏡橋(大石沢川)・剣持双体道祖神・・・多古神社・・・牧家一里塚跡・・・牧家橋・・・雷電の碑・・・櫻井神社・・・宮前橋・・・滋野駅(しなの鉄道)

  【ル-ト地図】(29.6km)

 北国街道は加賀百万石の参勤交代の道、佐渡の金を江戸に運んだ道で、善光寺参りの信仰の道でもあった。中山道追分宿の「分去れ」から善光寺宿までの北国街道の一部の善光寺街道を4回で歩く。

 猛暑はどこへ行ったやら、信濃追分駅へ降りた途端、寒さで身震えした。おまけに冷たい雨で出だしから参ったが、追分宿からは下る一方で、それも追い風で歩き安い。雨も途中から降ったり止んだりで予定通り滋野駅までたどり着いた。だがこの時はまだ3日間も雨に降られ続けるとは思ってもいなかったが。

 参考:『歴史の道調査報告書 北国街道』(長野県教育委員会)・『信濃路を行く 上(中山道の歩き方 付 善光寺街道』(学習研究社)・『北国街道を歩く』(岸本豊・信濃毎日新聞社)  

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1271中山道追分宿

日曜でもこの冷たい雨の中、神田坂を歩いているのは我一人。まだ8時を過ぎたばかりで早いせいもあるか。「宿よし 出女あり」の賑わいは遠い昔のことなのだ。(出女は飯盛女のこと)

Img_1276堀辰雄文学記念館

もとは追分宿本陣土屋家の裏門で、内堀家から軽井沢町に寄贈されここに移築された。

Img_1282旅館油屋

もとは街道の左手に脇本陣油屋があった。この隣が本陣土屋家跡だが「明治天皇追分行在所」の標柱が立つのみ。

Img_1292高札場跡

Img_1289説明板

Img_1299泉洞寺

もうコスモスの季節か。堀辰雄のお気に入りの石仏があるようだが探さなかった。

Img_1306茶屋つがるや跡(追分宿方向を振り返る)

ここは追分宿の西口で枡形となっていた。

Img_1305説明板

Img_1304_2「つがるや」の看板

Img_1307分去れ 【ル-ト地図】の①

右が北国街道、左の中山道はこの先で国道18号から離れ左に入って行く。道標・常夜灯・石地蔵 ・森羅亭万象歌碑・道祖神などが並んでいる。「分去れの碑」には、「さらしなは右 みよし野は左にて 月と花とを追分の宿」で、「更科の里、姨捨の月」の方へ向かう。

Img_1308説明板

Img_1315追分原刑場跡 《地図

幕末の偽官軍事件で赤報隊士の桜井常五郎ら3名が小諸藩に捕らえられ処刑された所。処刑後、浅間山の雲が瞬く間に広がり、土砂降りとなった。人々は「桜井の涙雨」といったとか。

庚申塔、二十三夜塔などの石造物の奥に、なぜかシャーロック・ホームズ像が立つ。

Img_1317シャーロック・ホームズ像

犯人を割り出し、刑場へ送ってきたのに自分が刑場の中に立とうとは・・・。

Img_1318説明板

Img_1330国道18号の長い下り。

軽井沢町から御代田町に入った所でもまだ標高929m。涼しいというより寒いはずだ。

この先、街道から離れ三ツ谷東交差点から馬瀬口一里塚跡に向かう。

Img_1344馬瀬口一里塚跡 【ル-ト地図】の②

説明板には東塚も良好に現状を留めているというが、林か藪の中にあるのかはっきり見えない。塩野に通じる北国街道の支道の一里塚というが、旧北国街道はここを通っていたのかも。一里塚は江戸時代になって築かれたものだから、東山道の一里塚ということはありえない。

Img_1343説明板

Img_1351濁川(濁川橋)から

その名の通りだ。

Img_1362明治天皇馬瀬口小休所跡(高山家)

Img_1364説明板

Img_1373柵口(ませぐち)神社 《地図

柵(ませ)とは「馬塞」で、馬が出られないようにした柵(さく)のこと。

Img_1375馬頭観音堂

大きな馬の石像が台座に乗っている。やはり狛犬や石灯籠のように対になっていないとバランスが悪いようで変な感じだ。

Img_1378長泉寺

雨で光っている赤屋根

Img_1382(新)十石坂を下る。《地図

Img_1384このあたりから下って繰矢川を渡って上り返すのが十石坂だが下り口が見当たらない。国道を進み左カーブして行く。

このあたりに十石城があったようだが詳細不明。

Img_1401旧十石坂はここへ上って来るようだ。下って見る。

Img_1394_3十石坂の横穴(繰矢川の対岸の正面の岩壁の下)

戦時中に勤労奉仕の学生らに掘らせた軍事用貯蔵庫。残り少なくなった航空燃料や爆弾を格納して、本土決戦に備えようとした作戦の一つだったという。

Img_1395この先は草に覆われ道跡が分からず。雨で膝から下、靴の中はぐっしょりとなった。

国道に戻り、平原跨道橋(上信越自動車道)を越える。

Img_1407平原東交差点の先で左に旧道に入る。

Img_1408平原一里塚跡

Img_1415十念寺(跡)

寺はないようだが、今でも二十五菩薩来迎会は行われているようだ。

Img_1416説明板

Img_1420平原の家並み

右の家の土蔵前の「平原の松」が這っている。

Img_1424平原の松

参勤交代に通った加賀の殿様も絶賛したとか。

Img_1426_2懸け樋か?

Img_1427平原の家並み

雨が上がって夏休みの子どもたちが出てきた。

Img_1436曲り沢

下って左折し、平原橋(北川)を渡り国道へ出る。

Img_1446乙女坂を下る。《地図

Img_1451乙女道標(右角) 【ル-ト地図】の③

振り返って見ている。

Img_1450「右甲州街道 左江戸街道」

Img_1453_2乙女川だが川は濁っている。

ここから県道へ上り返すのも乙女坂か。

Img_1458_2唐松一里塚跡 《地図

2つの塚の間の道は北国街道ではない。一つの塚を分断してここに築いたそうだ。いい加減なことをするものだよ、まったく。説明板にはそのことに全く触れていない。お粗末の極み。

Img_1459説明板

Img_1463真楽寺道標・馬頭観音など(正面右) 《地図

唐松一里塚からこのあたりまでは美しい松並木があったそうだ。

Img_1464真楽寺道標・馬頭観音・地蔵

道標には「浅間山別當真楽寺 従是一里拾丁」で追分宿へは北国街道より半里近道。御代田町塩野の真楽寺は北国街道よりずっと北側の浅間サンラインの南側にある。厄除観音で有名のようだ。 《地図

Img_1467小諸宿へ入る。

「現金○○屋」の看板が多い。掛け売りはしないということだろう。

Img_1476案内図

祇園坂・権兵衛坂・闇坂・浄斎坂が載っている。 

Img_1473北国街道与良館

小諸藩の御用金の銭蔵も移築され、土蔵の床下に石室があるそうだ。

Img_1477高浜虚子記念館

Img_1478元庄屋小山家

小諸城主も時々訪れ、座敷の床の間には殿様が身を隠すための隠し扉が残っているとか。

Img_1479_2レトロな商店

もう営業はしていないか?

Img_1480銀座堂

Img_1482嶋田屋

Img_1485「御味噌」の屋根付き看板を掲げる「山吹味噌」の酢久商店

Img_1490潜竜の松(海応院

Img_1491光岳寺境内から北国街道本町の通り。

山門は小諸城の足柄門を移築。

Img_1496つたや旅館とつるやホテルの間を上って左折するのが祇園坂で、健速神社方向に下って行く。《地図

健速神社の祇園祭にちなむ坂名だろう。

Img_1499本町の通り

ここが小諸宿の中心部だったが、寛保2年(1742)「戌の満水」の大洪水で流失し、本陣などはこの先の市町に移った。昔は中央に水路があったそうだ。

Img_1503大塚味噌醤油店

Img_1505
そば七

江戸末期の建物。

Img_1507浅間山は右方向で晴れていても裾野しか見えないようだ。(本町町屋館の庭から)

Img_1511権兵衛坂を少し下って、丁子庵の前を左折するのが北国街道。小諸城の鍋曲輪があって迂回させられた。《地図

Img_1512_2丁子庵(右)の前を通り、車道を横切って養蓮寺の前まで下って行く。

昼時で混んでいたがここで昼飯とする。美味いそばだった。

Img_1513丁子庵

Img_1514養蓮寺

雷電が江戸から着物のたもとに入れて持ち帰ったという「雷電の袂(たもと)鐘」を吊るす鐘楼。雷電は幼少期にこの寺で寺男をしていたともいう。

Img_1517闇坂を上って本町の通りへ戻る。「くらやみ」か「やみ」か? 《地図

養蓮寺の前の坂で昔は昼でも暗かったのだろう。今はまったくその面影はない。この左側が小諸ではじめての平城の鍋蓋城跡(長享元年(1487)大井光忠が築城)だが遺構は残らず。江戸時代は家老屋敷だったそうだ。

Img_1522浄斎坂を上る。 《地図

小諸観光交流館の管理人の話では浄斎とは僧の名らしい。坂沿いに寺院はないようだが。

Img_1525大手門

Img_1526説明板

Img_1528三の門をくぐれば小諸城址の懐古園

Img_1533本陣主屋  《地図

もとは本陣問屋の隣のしなの鉄道の線路の所にあったそうだ。明治になって佐久市の桃源院に売却されたが、平成7年に寄贈されここに移築復元された。しかし平成17年から休館中で近づけず、線路側へ回り込んで遠くから撮影した。それにしても6年間も休館とは長過ぎる。何かもめ事でもあるのか?
(平成24年より「城下町にぎわい協議会」で実験的に開館しているそうだ)

Img_1538脇本陣粂屋跡 《地図

Img_1539問屋山兼跡(山兼酒造)

Img_1543本陣問屋跡

出梁(だしばり)造りで、2階部分が張り出ている。ここは今では宿のはずれという感じだ。

Img_1544説明板

Img_1549新町の家並み

昔の清水町で茶屋が数軒あったそうだ。

Img_1550諏訪神社前 《地図

神社入口左に臼田亞浪の歌碑がある。ここを右にカーブして行く。

Img_1554布引観音道標(正面の大きな石柱) 【ル-ト地図】の④

老婆を「牛に引かれて善光寺参り」させた牛に化身した布引観音へは左折する。《地図》 北国街道は直進。

Img_1561北国街道道標に従い右へ入る。《地図

Img_1562青木一里塚跡(第一北国街道踏切手前)

第一北国街道踏切でしなの鉄道を渡り、芦原中学校入口交差点で北国街道から離れ、国道18号を右へ東山道清水駅跡へ行く。

Img_1569東山道清水駅(しみずのうまや)跡 【ル-ト地図】の⑤

Img_1570説明板

Img_1571菱野薬師道標(左下・西光院近く)

菱野温泉がある菱野薬師への道標 《地図

Img_1574
旧家

Img_1578たかこの布あそび」の古民家

Img_1583芝生田の家並み

Img_1584多古神社

長野県神社庁のHPに、「北方に多古駅と称すあり、明治14年(1881)に多古神社と改称する」とある。東山道の多古駅(うまや)は篠ノ井あたりともいうが。
近くに芝生田城跡があるのだが分からず。東漸寺との間あたりか?

Img_1594眼鏡橋(大石沢川)

明治14年完成の石橋で、それまでの迂回路を通らずともよくなった。今は上の道路は盛り土(石)されて平坦になっているが、当時はここまで下って眼鏡橋を渡っていたのだろう。

Img_1597剣持双体道祖神(眼鏡橋を渡った右側)

男神の持つ剣が女神の着物の前に伸びている。男女の陰陽を表わしているらしい。

Img_1598牧家の家並み

Img_1607牧家一里塚跡 《地図

Img_1615雷電の碑(右向う)の立つ交差点を左折し、滋野駅に向かった。《地図

ここを右折すると雷電の生家跡がある。雷電は晩年を成田街道臼井宿(千葉県)で過ごした。浄行寺跡の墓地には雷電夫妻の墓がある。『成田街道③』  東京港区の三分坂の報土寺にも墓がある。『港区の坂-6』 

さらに北西に東町の歌舞伎舞台がある。

Img_1619新(左)旧(右)雷電の碑

雷電にあやかり立身出世、勝負事に強くなるように、削ったり欠いたりして持ち去られ、碑文が読めなくなって新しい碑が立てられた。

Img_1617説明板

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