唐津街道⑥(姪浜駅→姪浜宿→今宿→前原宿→筑前前原駅)
2011年7月22日
姪浜駅(地下鉄空港線)・・・姪浜宿・・万正寺・・光福寺・・旦過だるま堂・・住吉神社・・順光寺・・法蔵院・・西構口跡・・・(興徳寺)・・興徳寺橋(名柄川)・・・壱岐橋(十郎川)・・・生の松原元寇防塁跡・・・壱岐神社・・鯰川橋・・・今宿・・享保飢饉地蔵尊・・二宮神社・・馬つなぎ石・・徳正寺・・天満宮・・(JR筑肥線)・・・湯溜池・・・丸隈山古墳・・・龍松禅寺・・・女原踏切(JR筑肥線)・・・金剛橋(周船寺川)・・・伊覩神社・・・池田川橋(瑞梅寺川)・・波多江小学校・・・潤橋(雷山川)・・・専徳寺・・・浦志八幡宮・・・前原宿東構口跡・・綿屋跡・・人馬継立所跡・・代官所跡・・町茶屋跡・・郡屋跡・・御茶屋跡(本陣跡・法林寺)・・・筑前前原駅(JR筑肥線)
姪浜宿の続きを歩き、生の松原元寇防塁跡、下山門駅の先の壱岐神社に寄る。生の松原の先で海岸沿いの道となり、海からの風が強い。今宿には往時の宿場の面影はなかった。開発工事中の九大学研都市駅周辺を過ぎ、丸隈山古墳から周船寺、波多江と通って行く。このあたりは以前に所々歩いたことがあるが、当時の様子はすっかり忘れている。なんとか宿場風情が残る前原宿に入りやれやれだ。今回の唐津街道歩きはここまでとして帰路についた。
*『唐津街道⑦』へ続く。
【ル-ト地図】
*参考:『唐津街道姪浜まちづくり協議会』
写真をクリックすると拡大します。
最後の九州探題、渋川尭顕(たかあき)の菩提所。
旧網屋町の旧家 《地図》
唐津街道の一本北側の通り。
門前の桜、横には細い路地が通っている。
旦過だるま堂 【ル-ト地図】の27
興徳寺を訪れた旅の僧の宿泊施設。
漁師の帰港の目印にもなったという樹齢700年のイチョウの大木。
「まちづくり協議会」(味噌蔵「マイヅル味噌」) 《地図》
ここに姪浜宿のパンフ・マップが置いてある。
姪浜宿西構口跡 《地図》
「生の松原」も神功皇后が戦勝を祈念して逆さに差した松の枝が生えてきたという伝説の地。
ここへ蒙古軍船が押し寄せたのだろう。向うは能古島か。
壱岐神社 《地図》
武内宿禰の伝承がある。
海とJR筑肥線の間を行く。太閤水があるのだが見逃した。線路の反対側のようだ。
鳥居が立っているとは、まさに神仏一体か。
社殿の背後は今宿海水浴場だが、このところ海水浴の暑さではない。
今宿には街道沿いには宿場の名残りが見当たらない。駅名と町名、この馬つなぎ石くらいなものか。
工事中で街道の道筋から離れる。上はJR筑肥線、九大学研都市駅周辺は大規模な開発工事中。
街道沿いの後方部の後ろ側から石段で上れる。ここは2003年に訪れたことがある。まさか2度も来るとは思わなかった。よほど被葬者に縁があるのかも。
祭神の一柱、伊覩県主命が丸隈山古墳の被葬者ともいう。
潤橋の手前に旧道が残っている。潤橋を渡ってまた右に旧道に入る。《地図》
前原(まえばる)宿東構口跡 《地図》
福岡藩最後の宿場で、隣の深江宿は中津藩の宿場。
寛政7年(1795)の創業という、米・麦・櫨蝋・金融・呉服などの多角経営で発展し、福岡藩にも多くの献金をして、「西に前原綿屋あり」といわれた豪商だった。今は「古材の森」という食事処、喫茶になっている。
左の光文堂楽器店に文字が薄れた「御代官所」の木の看板が立つ。代官所の隣に法林寺があった。
町茶屋跡
伊能忠敬も泊まった宿。現在は陶磁器の辰美商店。左隣に郡屋があった。
前原宿の御茶屋跡(本陣跡)で、その後前原小学校となり、その跡地へ唐津街道沿いから移ってきた。
前原宿の資料が少しある。
宿の西構口に関番所、追分石があるが次回とし前原駅に向かった。
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