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2011年8月 5日 (金)

唐津街道④(赤間駅→畦町宿→青柳宿→箱崎駅)

2011年7月20日

赤間駅(JR鹿児島本線)・バス→自由が丘1・・自由が丘2交差点・県道503号・・・宮田橋(朝町川)・・・野坂交差点(国道3号)・・原神社・・原町・・・(県道503号)・・・正覚寺・・・蛭子神社・・・大穂橋(高瀬川)・・・県道503号・・・太閤水①・・・月ケ森池・・このみ窯・・・畦町橋(西郷川)・・畦町宿・・八幡宮・・護念寺・・観地山地蔵尊・・西構口跡(畦町入口交差点)・・・・大道橋(本木川)・・・内殿橋(大内川)・・・ならの木坂・・・駕籠立場跡・玄望峠・・・飯盛山登山口・・・旦ノ原井戸・・・鷺白橋(大根川)・・・福岡県馬術競技場・・・粕屋北部13番霊場・・浄土院・・・(九州自動車道)・・・川原橋(谷山川)・・・青柳交番前交差点・県道504号・・・青柳四ツ角・為息庵・・青柳宿東構口・・託乗寺・・青柳醤油・・西構口跡・青柳村役場跡・・・橋本橋(青柳川)・・・五所八幡宮・・・長泉寺・・・太閤水②・子宝地蔵堂・・・祥雲寺・・・千田交差点・・夜泣き観音・・・原上交差点・・・旧道・・駕籠立場跡・・・国道3号・・・下原交差点・県道504号・・・旧道・・・浄光寺・・・石原橋(唐原川)・・・県道504号・・・九産大九州高校・・・馘塚・・・香椎跨線橋(鹿児島本線)・・・冑塚・・・鎧坂・・県道504号・・浜男橋(浜男川)・・・浜男神社・・・香椎橋(香椎川)・・・(鹿児島本線)・・・博多高校・・・国道3号・・・蓮華坂・わくろ石・・・火の見下交差点・・・大橋(多々良川)・・・(国道201号)・・・浜田橋(多々良新川)・・・(国道3号)・・・原田橋(須恵川)・・・筥松新橋(宇美川)・・・箱崎駅(鹿児島本線)

 台風の影響からかやけに涼しい。今日は起伏のある長い道のりだがこれはありがたい。赤間宿と畦町宿の間の原町の街並みは予想以上に見事だった。おそらく唐津街道沿いでは一番の街並み風景だろう。夏草に覆われたならの木坂では、ちょっと立ち往生するも無事にクリアーでき、鎧坂では真新しい立派な石柱にも出会えた。まあ「坂道散歩」としては満足の1日というべきか。香椎駅から先は所々歩いたこともあり、電車も近くなり気が楽だ。博多の中心部が近づいてきた箱崎駅まで足を伸ばした。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0635自由ヶ丘2交差点から上って、宮田橋の方へ下る。正面は「許斐山」

通りかかった中年の女性に向うの山は何という山か尋ねる。「このみ山」という答え。どういう字を書くのかの聞くと説明しにくい様子で、このあたりに多い姓と同じ字という。関東には少ない名で分からず、後で地図を見てやっと分かった。許斐氏の築いた許斐城跡がある。このあたりでは今でも許斐姓が多いのだろうか。

 

Img_0636唐津街道道標

宮田とある。

 

Img_0644原神社 《地図

 

Img_0642説明板

 

Img_0646原町(はるまち)地区に入る。【ル-ト地図】の14

赤間宿と畦町宿の間の中継点で休憩所的な役割の所だった。

 

Img_0647説明板

 

Img_0654風情ある家並みが続く。

 

Img_0657「街なみ整備事業」(平成20年度竣工)で整備、保存された景観。

 

Img_0658右は「丸正本店」

 

Img_0660丸正本店

 

Img_0662さらに静かで落ち着いた雰囲気のいい家並みが続く。

 

Img_0667旧家

 

Img_0672経石様(右)・幸福稲荷大明神(左)

 

Img_0670説明板

 

Img_0677お大師さま

 

Img_0676説明板

 

Img_0683許斐山(このみやま・271m)

許斐氏の許斐山城跡がある。

 

Img_0685大穂町に入る。

 

Img_0703太閤水① 《地図

 

Img_0707説明板

 

Img_0711月ケ森池沿いに進む。《地図

正面に「このみ窯」の煙突が見える。

 

Img_0715このみ窯

ギャラリーと喫茶店もあるようだ。

 

Img_0724八幡宮参道の大蘇鉄(ソテツ) 《地図

このあたりが畦町宿の東構口あたりか。

 

Img_0748畦町宿説明板

 

Img_0726畦町宿の家並み 【ル-ト地図】の15

左は廃屋のようだ。御茶屋(本陣)、町茶屋(脇本陣)などの宿泊施設はなかった。

 

Img_0732旧家

造り酒屋だったようだ。

 

Img_0734護念寺

宗像四国霊場畦町8番札所

 

Img_0736観地山地蔵尊 《地図

 

Img_0739観地山地蔵は中央だろうか。石の表面に地蔵を彫ってあるのか? 

 

Img_0742由来①

哀れで、救われない、やりきれない由来話だ。

 

Img_0741由来②

 

Img_0746西構口跡から振り返る。【ル-ト地図】の16

県道503号(左)との合流地点

 

Img_0750一里塚跡みたいだが戦死した軍馬の墓だとか。

 

上西郷小交差点の先で右に旧道に入る。

Img_0757右へ「ならの木坂」に向う。

 

Img_0761山道風になる。この先は雑草に覆われ道筋は見えなくなり一度引き返すが、再度突進する。背丈以上ある雨に濡れた雑草や蔦をかき分けて行ったらすぐ開けた所に出た。「ならの木」があるのか、どれがならの木なのかも分からず。

 

Img_0762抜け出て振り返るとこんな様子

 

Img_0763この先で舗装道路に出て下り県道503号に合流する。【ル-ト地図】の17

 

Img_0768県道503号に下って行く。このあたりが駕籠立場跡か?県道の左上あたりが玄望峠のようだ。正面は飯盛山だろう。

 

Img_0775飯盛山(157m) 【ル-ト地図】の18

この先の登山口から10分ほどで登れるが遠慮した。戦国時代には飯盛山城が築かれ、合戦の舞台にもなったという。

 

Img_0783_2旦の原井戸 《地図

右は井戸を掘った伊東忠平の顕彰碑

 

Img_0781説明板

 

Img_0785起伏のある道を行く。右奥は西部清掃工場の煙突。

 

Img_0790湯釜池 【ル-ト地図】の19

 

Img_0793道標

「右 青柳町 一里」・「左 畦町 二里」

ここを左に旧道に入る。

 

Img_0795小祠 《地図

右の鉄柵の中には・・・。

 

Img_0799秘宝館ではありません。五穀豊穣、夫婦和合、安産、縁結びの守護神で、この前には女陰石のような物も置いてある。

 

この先ですぐ県道503号に出て下り、鷺白橋を渡り、福岡県馬術競技場前を通り、浄水場交差点を過ぎて右に旧道に入る。

Img_0807粕屋北部四国霊場の13番の十一面観音堂 《地図

 

Img_0810十一面観音

 

Img_0817青柳四ツ角 《地図

右は粕屋北部四国霊場10番の為息庵(いそくあん)と11番薬師堂・12番大師堂。

ここは青柳宿の東構口跡

 

Img_0821説明板

 

Img_0822この観音像の体内に川原観音があるのか?

 

Img_0833青柳宿東構口(青柳四ツ角)

左に辻行燈と説明板が立っている。

 

Img_0828説明板

 

Img_0831宿場図

 

Img_0835青柳宿の家並み

 

Img_0836託乗寺

 

Img_0843青柳醤油 《地図

ここが制札場、下の茶屋跡あたり。

 

Img_0848西構口跡

左に構口の石積みの一部と説明板がある。右の白壁屋根の所は青柳村役場跡

 

Img_0849説明板

 

Img_0853構口碑と石積み跡

 

Img_0864

丘越山長泉寺

背後が丘越山

 

Img_0873太閤水② 【ル-ト地図】の20

後ろの子宝地蔵堂の後ろから湧き水をポンプで汲み上げている。

 

Img_0872説明板

 

Img_0877今も湧き水は絶えることなし。車で来た女性がポリタンクに水を詰めていた。水道水とはだいぶ違ういい水と言っていた。

 

Img_0876こんな注意書も貼られていた。

 

Img_0874子宝地蔵だが姿がはっきりしない。「ぽっくり地蔵」ともいうようだ。あまり熱心に見ると「ぽっくり」いきそうなどで引き上げる。 

 

Img_0882旧家

 

Img_0895夜泣き観音堂 《地図

夜泣き観音の由来話に出てくる立花城のあった立花山(367m)は向うの山の後ろあたりか? 

 

Img_0894由来

×1568年→〇1586年だろう。

 

Img_0891立花城落城の昔話の観音像としては随分と新しそうに見える。木彫り像のようだ。

 

原上交差点で国道3号を渡り、旧道に入る。

Img_0897国道3号の西側の旧道を行く。

 

Img_0901未舗装の道になる。駕籠立場のあったのはこのあたりか?

 

Img_0904薄暗い道を行く。正面の明るい所へ出てに進む。

 

Img_0906しばらく行くと雑草に覆われ道跡が見えなくなる。名のある坂でもないし、だいぶ疲れてきたので「ならの木坂」のように突進する気力はない。さっきの地点引き返し、に行き国道3号の下をくぐる。平山交差点の先で国道3号に出る。

 

Img_0916下原交差点から左に県道504号へ入る。《地図

 

浄光寺の手前で右に旧道に入り、石原橋を渡り、塚本池の南側を通り、九産大九州高校の手前で県道504号に出る。

Img_0930馘塚(みみづか・きりみみづか) 

秀吉の朝鮮侵攻での耳切り・鼻削ぎの刑の供養塔という。香椎駅の東側の民家の庭にあり説明板などはない。

 


Mimituka馘塚絵図

正面上の小高い所。下には蒸気機関車が通っている。

 

Img_0936冑塚 《地図

右はこの塚から発掘された冑に似た石で、左は花崗岩を冑のように彫った物。神功皇后伝説の地。

 

Img_0935説明板

 

Img_0943鎧坂(よろいざか) (坂上方向) 《地図

神功皇后のこの坂で鎧を着けたという伝説地。右に平成23年春に鎧坂町内有志で建てた立派な坂柱が立つ。「坂道散歩」としては嬉しいね。

 

Img_0947坂上方向

緩やかに北に上る長い坂だ。鎧坂町という地名は今はなくなったようだが、坂の途中には「よろい坂ハイツ」もある。

 

Img_0955香椎駅前の通りを横切る。《地図

JR香椎駅・西鉄香椎駅は松本清張の『点と線』の舞台になった。

 

Img_0466浜男神社

神功皇后が頭だけ男装にして浜に渡ってきたので、そこは半分男の「片男佐」海岸となり、鎧坂で鎧をまとい、冑塚で冑を被って立派な男になって浜を歩いたので「浜男」になったとか。

 

県道504号を南下し、博多高校の先で国道3号に合流する。

Img_0474わくろ石・蓮華坂 【ル-ト地図】の21

水利に苦労していた松崎の農民たちは、この雨ガエルに似たこの石を「雨乞いの神」として祀り、五穀豊穣、実りの秋を祈願した。以前は池のほとりに鎮座していたが、昭和57年の農地から宅地化への区画整理事業に伴い現在地に移転した。「わくろ」とはカエルのことなのか?

この前の坂が蓮華坂。

 

Img_0473蓮華坂を下る。

今は何の変哲もない坂だ。坂名の由来は分からず。

火の見下交差点で左に県道504号に入り、大橋を渡り、県道21号に合流し、原田橋、筥松新橋を渡って箱崎駅で今日の終点とした。

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