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2011年9月 7日 (水)

善光寺街道(北国街道)④

2011年8月24日

篠ノ井駅(しなの鉄道)・・・秋葉神社と天神社・・・薬師・地蔵堂・・・原村役場跡・・・蓮香寺・・・明治天皇原御膳水・・・中津村・昭和村村役場跡・・・北原区薬師堂遺跡・・・(国道19号)・・・親鸞上人旧跡碑・・唯念寺・・・新田共同井戸・・・丹波島宿・・浄生庵(観音堂)・・於佐加神社・・高札場跡・・脇本陣問屋跡柳島家・・本陣跡柳島家・・・丹波島の渡し跡(碑)・・・丹波島橋(犀川)・・善光寺常夜灯・・荒木交差点・・旧道・・・赤い馬頭観音・・・吹上地蔵堂・・・蓮心寺・・・木留神社・・・観音寺・・・(長野新幹線)・・・柳原神社・・・こうじ屋・・・西光寺・・・栽松院・しまんりょ小路(栗田街道)・・・十念寺・・・北野文芸座・・・鳴子清水・・・善光寺宿本陣跡・・・善光寺・仁王門・駒返し橋・濡れ仏・山門・本堂・・・長野駅

 4日目にしてやっと晴れた。少々暑いが丹波島宿から犀川を渡り、善男善女が行き交う善光寺までの道のりを楽しんだ。

  【ル-ト地図】(13.4km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2442秋葉神社・天神さん(右・芝沢地区)

隣に蚕神の石塔が並んでいる。

Img_2443説明板

Img_2450
石造薬師如来・地蔵堂

Img_2447説明板

Img_2448右が薬師如来で左が地蔵だろう。

Img_2455蓮香寺 《地図

長野オリンピックでドイツのゲストハウスとなったそうだ。

Img_2460明治天皇御膳水

蓮香寺の手前の火の見が立つ所が茶屋本陣跡で、右に入った南原公民館の所に、「明治天皇小休所跡碑」が立っているようだ。

Img_2463北原区薬師堂遺跡

節婦おせんの顕彰碑(右端)は、明治4年に今井村の農民の妻のせんが、東京から来た祈祷師に言い寄られたが撥ね付けたため殺害された。国は金を下賜して表彰したそうだ。

Img_2464説明板

Img_2476親鸞上人旧跡碑 《地図

奥が唯念寺

Img_2477新田共同井戸

Img_2478説明板

Img_2482川中島地区の旧家

Img_2485浄生庵(観音堂) 【ル-ト地図】の①

中央に小さな観音像と右に延命地蔵。堂の外に徳本名号碑がある。

Img_2483説明板

Img_2515丹波島宿マップ

慶長16年(1611)、松平忠輝はそれまで松代道(北国東往還)が正式の北国街道であったのを、矢代宿、丹波島宿から善光寺へのコースを正式の北国街道とし、丹波島宿を伝馬宿に指定した。

Img_2493於佐加神社 《地図

右は石柱の上に乗せられた秋葉社。洪水で流されるのを防止したのか?

Img_2490説明板

Img_2488屋根に鍾馗さんが乗る民家

Img_2487説明板

Img_2494丹波島宿の家並み

住宅街だが所々に宿場風情が残っている。

Img_2503高札場・脇本陣問屋跡柳島家

Img_2501説明板①

Img_2506説明板②

Img_2509本陣跡柳島家

Img_2510説明板

Img_2511旧家

Img_2519丹波島の渡し跡碑

舟渡し(綱渡し)→舟橋→木橋→鋼橋→現在の橋と変遷した。

Img_2523碑文

Img_2521丹波島の渡し跡あたりから犀川 【ル-ト地図】の②

Img_2526丹波島橋から犀川

Img_2528渡しの変遷のレリーフ(橋の欄干)

渡し舟の時代:対岸を結んだ綱をたぐりながら舟で渡っていた。

Img_2532舟橋の時代:明治6年に46隻の舟を連ねた舟橋となった。

Img_2535木橋の時代:明治23年に初代の木橋が架けられた。

Img_2537鋼橋の時代:昭和7年から昭和61年。

Img_2525現在の橋を渡って長野市街地へ。

北から裾花川が流れ込んでいる。

Img_2538善光寺常夜灯

Img_2541馬頭観音

帽子を被ったしかめつらをしたおっさんにしか見えないが。

Img_2543帽子を取ると確かに赤い馬頭が乗っている。

Img_2545吹上地蔵堂

この前に高札場があった。

Img_2546吹上地蔵 

これもユニークな地蔵さんだ。「安産子育安穏延命長寿」だそうだ。

Img_2547蓮心寺

本尊の吹上如来は善光寺の建築用材を犀川から陸揚げする時、南風を吹かせて木材を揚げやすくしたという。

ここに茶屋があり、そばと餅が名物だったそうだ。

Img_2550木留(きとめ)神社

洪水で流されそうになった善光寺造営用のをこの地の神がこのあたりにめたという。大ケヤキは弱ってきているようで、「近寄らないで」との注意書きが貼ってある。

Img_2553観音寺 【ル-ト地図】の③

建久8年(1197)、源頼朝が善光寺参詣の際に創建。本尊の髻(もとどり)馬頭観音は、頼朝が石橋山の合戦で敗れ、木の洞に隠れた時、白鳩に化身して飛び立ち危難を救ったという。また政子の守仏の厄除正観音菩薩像を安置している。

この先で街道は途切れる。JR線のガードをくぐって反対側に出る。Img_2565

こうじや

味噌と醤油の店

Img_2570石童丸と父の対面像(西光寺) 《地図

先月、唐津街道の博多で石童(堂)丸ゆかりの地を通ったばかりで、なんとなく親しみを覚える。『高野街道』にもゆかりの所がある。

Img_2569説明板

Img_2578刈萱塚

石童丸の墓(右)・刈萱上人の墓(中)・千里御前(石童丸の母)の墓(左)

Img_2571説明板

Img_2583蛇塚

Img_2584説明板

Img_2586栽松院(島の寮)に沿う、栗田街道「しまんりょ小路」 【ル-ト地図】の④

Img_2585説明板

Img_2600道歌碑(十念寺)

Img_2598説明板

Img_2655北野文芸座

江戸時代には善光寺参道に芝居小屋が連なり、役者はここで舞台に立てないと佐渡まで回らなければならず、「どさ回り」 という言葉が生まれたとか。

Img_2653鳴子清水・鳴子大神(大門南交差点を西に入った先)

Img_2654説明板

Img_2610酒饅頭店つるや

Img_2612中沢時計本店

Img_2613柏與紙廛店

文政11年(1828)の創業。

Img_2650新しいがレトロっぽい店が並ぶ善光寺参道

Img_2619八十二銀行

大門交差点で左右に常夜灯が立つ。

Img_2648善光寺郵便局

Img_2625本陣跡藤屋旅館 【ル-ト地図】の⑤

THE FUJIYA GOHONJIN

Img_2626北国街道は右折し新町宿へと続いて行く。

Img_2627
善光寺仁王門

Img_2631仲見世通り

Img_2633旧本堂如来堂跡地蔵尊

Img_2632説明板

Img_2636駒返し橋

右の石橋跡に源頼朝の馬の蹄が入った穴が残る?

Img_2634説明板

Img_2645濡れ仏(お七地蔵)

なるほど八百屋お七のような若い娘の優しい顔立ちだをしている。

Img_2638説明板

Img_2640山門の扁額(鳩字の額)

「善」は牛の顔に見えるか?

Img_2642
本堂

戒壇巡り」は以前やったことがある。真っ暗な中、「極楽の錠前」にさわり本尊の阿弥陀如来と結縁し、地獄行きの片道切符は入手済みだ。
善光寺を題材にした落語『お血脈

参道近くの市立図書館に寄り、長野駅まで引き返し新幹線で帰京した。

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