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2011年9月 5日 (月)

善光寺街道(北国街道)③

2011年8月23日

テクノさかき駅(しなの鉄道)・・・(国道18号)・・・往海玄古碑・・・中之条交差点・国道18号・・・文化の館・・・逆木交差点・・・あけぼの橋(御堂川)・・・旧格致学校・・・逆木八幡神宮・・国道18号・・・四ツ屋交差点・旧道・・・栄橋(入田川)・・・田町十王堂・村上義清墓所・・坂木宿・・西宮神社・・心光寺・・本陣表門・坂木宿ふるさと歴史館・・大橋(日名沢川)・・満泉寺(村上氏居館跡)・・善光寺常夜灯・・・横吹坂跡あたり・・(しなの鉄道)・・・国道18号・・・榎坂跡あたり・・笄の渡し跡(苅谷原ミニパーク)・・・泉徳寺・・・(千曲市)・・・岩崎街道踏切(しなの鉄道)・旧道・・・上戸倉宿・・本陣玉井家跡・・問屋玉井家跡・・芝宮神社・・本陣跡小出家・・・磯部踏切・・・国道18号・・・戸倉交差点・・下戸倉宿・・水上布奈山神社・・大正橋(千曲川)・・佐良志奈神社・・下の茶屋(蔵元坂井銘醸)・・・今井交差点・・・旧道・・・信濃宮旧蹟道標・・・(千曲駅)・・・寂蒔水除土堤・・芭蕉塚(松風塚)・・・粟狭神社・・矢代宿・・藤屋旅館・・須々岐神社・・脇本陣跡・・法華寺・松代道(北国街道東脇往還)分岐・・本陣跡(明治天皇小休所跡)・・矢代寺・・・(長野自動車道)・・・矢代の渡し跡(千曲川土手)・・・(長野新幹線)・・・千曲堤防南踏切(しなの鉄道)・・・国道18号・篠ノ井橋・・・千曲堤防北踏切・・・軻良根古神社・・・郡役所・警察所跡碑・・・善光寺西街道合流地点・篠ノ井追分宿碑・・・欣浄寺・・・長野新幹線・第3北国街道踏切(しなの鉄道)・・・見六交差点(県道77号)・見六の道標・・見六橋(岡田川)・旧道・・・香福寺・・・宝昌寺・・・御幣川五差路・歯瘡医殿・幣川神社・・・篠ノ井駅(しなの鉄道)

  【ル-ト地図】(29.4km)

 今日が一番雨の時間が長かったが、千曲川を渡り篠ノ井追分宿まで進んだ。雨で歩きにくいこともあるが、その分涼しいおかげで3日間とも30kmほど歩けた。晴れていればこうは行かないだろう。もう善光寺まではたいした距離ではない。明日は晴れそうだしゆったりした、気分のいい街道歩きになりそうだ。 

 写真をクリックすると拡大します。

Img_2086往海玄古碑(右端)

江戸時代初期にたばこの栽培を広めた往海玄古の碑。明治になるまで「玄古たばこ」として、この地の名産品だったそうだ。左端は道祖神。

Img_2091旧家

Img_2095文化の館 《地図

坂城町の文化活動施設。元は塚田家住宅。この道路向いを入ったあたりに天領中之条陣屋があったらしい。

逆木交差点で右折し、旧格致学校に向かう。

Img_2105格致学校校舎 《地図

明治初期の擬洋風校舎。現在は歴史民俗資料館。

Img_2108逆木八幡宮

意外と小さな社だった。

Img_2110右に旧道入り、坂木宿に向かう。

Img_2112道標

「堂叡山道」とは東方の上田市との境の大道山(1289m)のことだろう。

Img_2114旧家

Img_2123水野源三(左)歌碑

右は沓掛仲子の「千曲川 ちゞにくだくる 波のうへに うつらふ月の 影の すゞしさ」

Img_2125筆塚・田町十王堂(閻魔堂) 【ル-ト地図】の①

その後ろが村上義清の墓所

Img_2129説明板

Img_2130村上義清墓所

信濃侵攻の武田晴信(信玄)軍を撃破したが、再度、攻められ上杉謙信を頼り、越後へ落ち延びて行った。

Img_2131説明板

Img_2143坂木宿本陣宮原家門 《地図

現在は「坂木宿ふるさと歴史館」(旧春日邸)の門。

坂城駅あたりが坂木藩陣屋跡。幕府領→越後高田藩領→坂木藩領→幕府領→明治維新と変遷した。

Img_2145説明板

Img_2147ふるさと歴史館

昭和4年建築の旧春日邸

Img_2150坂木宿の家並み

坂木宿は飯盛女の多い遊興地で、明治に入ってからも坂木遊郭を形成し、坂木甚句が歌われるなど大いに賑わったという。

Img_2153旧名主坂田家

Img_2154漆喰壁に屋号「さかた」

Img_2155大橋を渡ると大門町で道幅が狭まり、古い家並みが残っている。

Img_2157連子格子戸の旧家

Img_2158山浦家

Img_2164_2満泉寺 《地図

村上氏居館跡で、村上氏の菩提寺。本尊は鎌倉時代の作という「石造釈迦如来菩薩坐像

Img_2169坂城神社の鳥居が見える。

その上が村上氏の葛尾城跡

少し戻って右折し、道幅の広い新町に入る。

Img_2176善光寺常夜灯 《地図

嘉永6年(1853)に坂端の高橋孫七を世話人に建立。

坂木宿の西口で、ここを右折して行く。

Img_2180横吹坂跡

北国街道は右の山腹の断崖沿いを通っていた。「横吹八丁」といわれ、昨日の「岩鼻」と並ぶ難所だった。参勤交代の殿様も駕籠から降りて通ったという。

Img_2182説明板

Img_2198横吹坂を上り、横吹八丁を通り、榎坂を下って「笄の渡し」あたりに下りたのだろう。

Img_2191笄(こうがい)の渡し跡 【ル-ト地図】の②

葛尾城落城にまつわる伝説の地。

Img_2206笄の渡し跡から千曲川

右の橋は「こうがい橋」

Img_2202横吹碑

「灯しの松・裾無川・雲井の橋・舟繋石・弘法の八の字・笄の渡・比丘尼石」が「苅屋原の七不思議」だそうだ。「灯しの松」と「比丘尼石」は横吹八丁の真上、葛尾城跡の南方の姫城跡の近くにあるようだ。

Img_2203由来碑

Img_2211泉徳寺 《地図

Img_2212宮本虎杖の句碑(境内右手)

句はどこに刻まれているのか?

岩崎街道踏切を渡り上戸倉宿に入る。

Img_2218上戸倉宿の家並み 《地図

下戸倉宿と合わせて一宿として機能していた。毎月、22日から晦日まで宿業務を上戸倉宿が務めた。

Img_2222無残にも「上戸倉宿本陣」の説明板がゴミ置場に捨てられていると思ったが、ずっと以前からこんな状態で置かれて(放置されて)いるようだ。

ここが本陣玉井家跡で、幕末に小出家に本陣を譲った。

Img_2221説明板

Img_2224旧家

無住のようだ。

Img_2225問屋跡玉井家

廃屋に近いか。

Img_2234芝宮神社は健在だ。

Img_2227本陣跡小出家

Img_2233本陣の門

Img_2238宿のはずれあたりか。向うにしなの鉄道が走る。

磯部踏切を渡る。

Img_2241歌碑か?

国道18号側に出て左に入る。

Img_2243左に聖徳太子碑?道標か?

この先で国道18号に出る。戸倉交差点の右手が「上の酒屋」とも呼ばれた柳沢本陣跡で、「明治天皇行在所跡」碑が立つというが気づかず。

Img_2250水上布奈山神社 《地図

下戸倉宿の鎮守。

Img_2249説明板

Img_2253下戸倉宿の飯盛女が寄進した石灯籠(右)。左は旅籠屋の主人の寄進。(水上布奈山神社境内の稲荷社)

Img_2251説明板

みんな2文字。

Img_2252飯盛女の名前がぎっしり刻まれた台石。

千曲川の向うの佐良志奈神社に向かう。緩やかに上って行くようで、意外と遠かった。

Img_2272大正橋から千曲川

対岸の戸倉上山田温泉方向。

Img_2268橋の欄干に「恋しの湯伝説」

戸倉上山田温泉発祥にまつわる逸話で、赤い「小石」と「恋し」を掛けている。大正橋には100個(99個?)の赤い小石が埋め込まれているそうだ。

Img_2267佐良志奈神社 《地図

Img_2262由緒

Img_2266宝篋印塔(佐良志奈神社境内)

北朝の永和2年(1376)の銘があるそうだ。南朝方の兵士たちの逆修塚(生前に建てた自分の墓)とも伝えるというが、北朝の年号を刻むだろうか。

Img_2264説明板

Img_2279下戸倉宿の「下の酒屋」と呼ばれた「蔵元坂井銘醸」 《地図

「蕎麦料理処萱」もある。「そばきり」で昼食とした。自分ですったわさびが効いて美味かった。

 

Img_2275カフェや資料館もある。

駅入口交差点の右手北側が後の本陣宮本家跡。

Img_2280道標(明和元年(1764)・戸倉駅入口交差点先の左側)

「左おばすて・やはた」、月の名所の姥捨山への道。初日の中山道との追分の「分去れ」の碑を思い出した。

この後ろが助問屋跡児玉家らしいが、ブルーシートが掛かっていた。

Img_2282今井交差点の先で右に旧道に入る。《地図

Img_2285火の見の下に石碑が立つ。

Img_2286「信濃宮御古蹟迄二町」

ここを右折してしなの鉄道を渡った先の柏王神社にある、宗良親王(信濃宮)の髻塚のこと。この地で病にになり髻(もとどり)を切って快癒を願った。病も癒え髻を地に埋めて旅立ったという。

Img_2287道祖神・二十三夜塔などが並ぶ。

Img_2289古い家並みが残っている。

Img_2291_3宮本醤油味噌

営業していないか?

千曲駅は気づかずに通り過ぎてしまった。駅の近くに一里塚があったようで、一里塚踏切にその名を残している。

Img_2295寂蒔水除土堤跡(右)

すぐ先の左側に芭蕉塚がある。寂蒔には茶屋本陣があり、千曲川を隔てて姥捨山を眺望した眼鏡場が残っているという。

Img_2296説明板

Img_2302芭蕉塚(松風塚)

Img_2300説明板

Img_2304何の物語の壁画か?

右手に永昌寺参道を見て、鋳物師屋町を通り、矢代宿へ向かう。

Img_2312粟狭神社 《地図

落雷で空洞になったケヤキ

Img_2317旧家

屋代小学校に保存されている擬洋風旧校舎を見るつもりだったが、この先で粟佐交差点から横町交差点に出てしまい、かなり(少しか)通り過ぎてしまったのでパスした。

Img_6879 屋代小学校旧本館(明治21年建築・2012年5月1日撮影)

北国街道松代道の歩き始めに訪れた。ちょうど登校時で、生徒たちに「いい校舎だね」と声を掛けたら、きょとんとした顔で見上げていた。まあ、そんなもんだろう。

Img_2324


藤屋旅館 《地図

Img_2319「ふぢや作治衛門」の看板

Img_2318須々岐水神社

ここを右折し、すぐ先を左折して行く。

Img_2330
旧家

右の電柱にに森将軍塚古墳の看板が立っている。ここから1.5kmくらいか。寄って見たかったが、雨だし先が長いのでここもパスだ。まあ北国街道沿いではないから、よしとしよう。

Img_2333雨宮渡2.6km」の標識(高見町交差点) 《地図

川中島の戦いで上杉謙信軍が夜に千曲川を渡った所で、渡しの跡地には頼山陽の「鞭声粛々夜河を渡る……」の有名な詩碑が建っているそうだ。今の千曲川の流れからはだいぶ離れているようだ。

Img_2337矢代宿脇本陣跡

Img_2339松代道(北国街道東脇往還)は右へ 【ル-ト地図】の③

江戸時代初期までの北国街道の本街道だった。

Img_2342本陣跡

「明治天皇屋代御休所」碑が立つ。

この先、矢代の渡し(跡)へ向かう道筋は更埴IC・長野新幹線などで姿を消している。

Img_2346長い分かりづらい地下道をくぐって国道18号の反対側に出る。屋代小学校の生徒の壁画で飾られている。

ここを出てうっかり長野自動車道へ上る自動車道に入ってしまった。途中でおかしいと気づき引き返す。危ない、危ない。

Img_2353矢代の渡し跡へと向かう。

正面は長野自動車道、上は長野新幹線。

Img_2354千曲川の土手を行く。【ル-ト地図】の④

矢代の渡し跡あたりだが説明板はなく、河川敷が広く川の流れは見えなかった(と思う)。本降りの雨となり風も強くなってきて歩きにくい。

新幹線をくぐり、しなの鉄道を渡り、篠ノ井橋まで進む。

Img_2365篠ノ井橋から千曲川 《地図

明治天皇の北陸巡幸の際にはまだ橋はなく、軻良根古神社の宮司が天皇を板に乗せ担いで渡ったという。天皇は神だったからまさに御神輿だ。

篠ノ井橋には左右に歩道がついている。右だけにしか歩道はないと思い込み、ずいぶんと遠回りしてしまった。【ル-ト地図】には歩いた経路を示している。対岸に渡って再びしなの鉄道を渡り、新幹線をくぐって軻良根古神社前引き返す。

Img_2375矢代の渡し説明板(軻良根古神社前)

Img_2374矢代の渡し跡あたりから 《地図

河川敷が広がっている。右に千曲川の流れが見える。左は新幹線。

Img_2377軻良根古(からねこ)神社

①大鼠と壮絶な死闘を演じた唐猫を祀るとも(昨日の鼠宿の所に記事あり)、②「韓根古」で渡来系氏族との関わりがあるとも ③「唐禰子」とも書いて、平安時代以前の貴族の尊称など、いろんな説があるようだ。明治になって養蚕・養種業が盛んになり、ネズミによる被害が死活問題となった。唐猫神社がネズミ除けに霊験あらたかと崇敬され、寄進も多く受けていたという。

ただし、祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)で、長野県神社庁のHPには、(唐)猫のことなどの記述は一切ない。

Img_2382郡役所跡・警察所跡碑(左の電柱脇)

かつては更科郡の中心地だったのだ。

この先の突き当りで左から中山道の洗馬宿からの善光寺西街道が合流する。

Img_2387篠ノ井追分宿碑・善光寺西街道(洗馬宿方向) 《地図

間の宿で正式な宿ではなかったが、追分で矢代の渡しもあり旅人も多く、無許可の旅籠屋もあり結構繁盛していたそうだ。

洗馬宿からここまでは、翌月に『善光寺西街道①~③』で歩いた。

ここからまた新幹線をくぐり、しなの鉄道の踏切を渡って行く。いい加減疲れてきた。

Img_2396見六の道標(嘉永2年(1849)造立) 【ル-ト地図】の⑤

指さしの親切な道標。見六橋の架け替え工事中に川の中から発見された。

Img_2394説明板

Img_2403宝昌寺薬師堂

もとは茅葺だったが、平成16年の台風で被害を受け、何の変哲もない堂に新築されていた。平惟茂の戸隠山の鬼女「紅葉」退治にまつわる縁起の像を安置する。謡曲『紅葉狩

Img_2402縁起

Img_2408御幣川五差路・歯瘡医殿 《地図

交差点向うの左側に歯瘡医殿。北国街道は直進(右斜め)方向。

Img_2411説明板

篠ノ井駅前の通りまで行き、左折して駅に向かった。

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