善光寺街道(北国街道)②
2011年8月22日
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今日も朝から雨だが途中から晴れ間も見えてきた。晴れるとさすがに陽射しは強く、蒸し暑い。雨傘を日傘にしながら田中宿、海野宿、上田城下から間の宿鼠宿へと進んだ。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
雨脚が強くなってきた。
県諏訪神社 《地図》
「信州信濃の善光寺」、「大阪の法善寺」でもない「信州信濃の法善寺」
常田の剣持道祖神 《地図》
昨日、眼鏡橋の所にあったものよりも大きい。男神が剣を女神の着物のひだの前に伸ばしている。男女の陰陽を表わしているそうだ。2人(神)とも真剣、深刻そうな顔をしている。何かの儀式でも執り行っているようだ。
石造仁王像(薬師堂) 《地図》
阿・吽像とも雷電の母にゆかりの仁王像。
いぼとり地蔵(いいなり地蔵) 《地図》
石室のような中に入った地蔵 。左手の甲に小さなイボがあるとか。説明板の兎らしいものを抱いた地蔵はその右隣か?
田中宿は寛保2年(1742)の「戌の満水」で壊滅的な被害を受け、宿場機能を隣の海野宿に委譲した。さらに慶応3年(1867)の大火で町並みの大半を焼失した。現在は広い通りに昔風の新しい商店も立ち並び、さっぱりとした小奇麗な町並みになっている。
「明治天皇田中小休所跡」
ここから田中駅近くにあるという勝軍地蔵を探しに行くが見つからず、聞いても分からずであきらめかけ、3人目の人に聞いてやっと分かった。ここの向い側のもとの位置近くに戻されていたのだ。
馬に跨る地蔵さん。
「数回移転され、旧来の設置場所近くに安置された」とある。
白鳥神社 《地図》
ここが海野宿の入口だ。神社近くの千曲川の白鳥河原が木曽義仲挙兵の地。
海野宿 【ル-ト地図】の10
うだつ・海野格子・出桁造り・気抜きの小屋根の残る家並み。
電線はなく東海道の関宿のように宿場風情が残る家並みが続いている。
寛政年間(1790年頃)に建てられた旅籠屋で、明治以降に養蚕農家に改造された。
手前の屋根に乗るのが、明治時代以降に造られた「袖うだつ」で装飾に重点を置いている。奥が江戸時代の防火壁の「本うだつ」で家屋と一体になっている。その他、小屋根のない「脇うだつ」と「軒うだつ」があるそうだ。
2階の出格子は長短2本づつ交互に組み込まれた海野格子
塩をなめてまでも働かされる馬たち。馬頭観音に祀ったくらいでは浮かばれないか。
明治になり旅籠は蚕室に改造され、室内を保温した煙出し用の「気抜き」(小屋根)を造った。
少雨乾燥の地で養蚕・養種業に適していたという。
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西の枡形跡を抜け街道を進む。
背後に千曲川が流れる。
「戌の満水」で一度は千曲川に転落流失はしたが、慶安年間以来(1648~)の水害犠牲者、河川鎮護の守護神。可笑しみ親しみのある顔をしている。
大屋神社 《地図》
千曲川の中にあった大石の一部。説明板の民話、言い伝えの一つ。「東山道を通り、蝦夷征伐に向う征夷大将軍の坂上田村麻呂の軍は千曲川を渡ろうとしたが、橋はなく浅瀬の位置が分からなかった。そこに猫があらわれ、川の浅瀬を渡ってこの大石へ登り、向こう岸に渡って行った。田村麻呂たちは猫の渡った所を通り、無事千曲川を越えた。それ以来、この大石を猫岩と呼ぶようになったという」 水が嫌いな猫に川を渡らせるとは、面白い話だ。
右の「仁和寺宮嘉彰親王御遺跡」碑は、明治元年に中山道から北国街道に入り、会津征討に向かう仁和寺宮嘉彰の軍がここで休憩した記念碑。
伊波保神社 《地図》
石の鳥居は寛保3年(1743)の建立。
昭和34年までこちら側の河岸との間に吊り橋が架かっていた。
吊り橋の写真がある。
平将門と平貞盛の千曲川合戦の地あたりだ。
馬頭観音の立つ辻 《地図》
北国街道は直進するが、右折して信濃国分寺跡に向かう。北国街道を進めば上田宿海野町から明治になって移転した本陣柳沢家がある。
加賀の飛脚たちが建立。
信濃国分寺跡(講堂跡手前から) 《地図》
ちょうど金堂跡と中門跡の間をしなの鉄道が通過中。
国分西交差点まで国道18号を進み、左折して上堀交差点で北国街道に戻る。
北国街道踏入(ふみいり)村の生活用水、旅人の喉を潤した井戸。今年の3月に復元・新築・整備された。
門と井戸は昔のままか。ここは枡形跡。
信州大学繊維学部講堂(昭和4年完成) 《地図》
信濃国の総社と推定され、国府も当初、このあたりにあったともいう。
上田は真田一色という感じだ。
活文禅師が寺子屋を開いた所。教え子の中には佐久間象山もいるそうだ。
南朝の年号が彫られた家型地蔵石憧。左右に空けた日月は石憧の意味を知らない後人の改造だそうだ。
高市神社 《地図》
海野町の商売繁盛の神。この道路向かいが本陣跡(移転した柳島家)で石柱が立っているというが見当たらなかった。
上田藩主居館跡で「御屋形」と呼ばれていた。今は上田高校の敷地になっている。 【ル-ト地図】の13
居館跡の門は上田高校の正門になっている。毎日ここをくぐって登下校する生徒は藩主気分か? まあ、何も感じていないだろう。
本丸櫓と東虎口櫓門
六連銭(六文銭)があちこちに。境内ではNHK大河ドラマで「真田幸村」実現の署名活動が行われていた。
「抜け穴」になっているという。大阪の真田山の三光神社にも真田の抜け穴があった。『大阪市の坂』
和歌山県九度山町にも、「伝真田の抜け穴」がある。
すぐ先の右側に「池波正太郎真田太平記館」がある。
左は岡崎酒造、呉服屋が25軒もあったというが、今は皆無か?
屋根に乗る袖うだつ、2階は長いもの(親)と短いもの(子)の「親付き切り子格子」。海野格子と同種類のものだろう。
保命水 《地図》
冷えたすいかが美味そうだ。
保命水から左折して紺屋町へ入って行く。
藍染商→穀類商→蚕種業と変遷したようだ。小屋根は蚕種製造業の煙出しのため明治になってから付け加えられた。
北向観音道標 《地図》
左が北国街道で振り返って見ている。左折して常福寺坂、芳泉寺に向かう。北向観音はどこにあるのか?
山門は六文銭でなく、永楽通宝だ。本堂には六文銭と三つ葉葵の紋(小松姫は徳川家康の養女)がついているそうだが。建物などは新しく、境内はいろんな物が並び一風変わっている。さっと通り過ぎ、本堂裏手の小松姫の墓所に向かう。
真田信之の正室。
芳泉寺のもとの名は常福寺。
高橋を渡って左折し、道標の所で右折して行く。橋の手前が上田宿の西の枡形跡。
千人塚(正福寺) 《地図》
寛保2年の「戌の満水」の犠牲者の供養塚。石碑は老朽化したため新しくなっている。
宝永3年(1706)には267本あったという。
右前に道標「北国街道」が立つ。
大蔵京古墳への道でもあるようだ。
寛政12年(1800)に村人と北国街道の旅人の安全のために建立された。前のトラックが邪魔で正面からの写真は撮れず。
「右北国街道 左さくば道」、「さくば」は「作場」?で農道のこと。
上塩尻の家並み 《地図》
色違いの長い土塀が続いている。蚕種業で財を成した藤本善右衛門家か。
江戸時代は庄屋から養種業、明治になって上田紬の織り元になった。
仲良く手をつないだ道祖神。剣持道祖神よりこっちの方が親しみがわく。
猫が2匹、車に轢かれたのかと思いきや、寝そべってくつろいでいるだけだった。いつもこうしているのだろう。
岩鼻の崖下を行く。昔は千曲川が崖下まで迫っていたので崖の中腹まで上って越したそうだ。参勤交代の加賀の殿様は岩鼻を通過できると国元へ飛脚で無事を伝えたという。
この上に村上氏の築城した和合城跡があるようだ。
坂城町に入る。まだ標高415mもある。また空模様が怪しくなったきた。
すぐ先に鼠宿の説明板がある。
車輪のような太鼓橋? とても渡れない。
『万葉歌碑巡り』
明治天皇小休所跡(ねずみ交差点の手前左側) 《地図》
鼠宿は上田宿と坂木宿の間の宿で、松代藩の設けた私宿だった。本陣、脇本陣、問屋、馬宿、茶屋もあって賑わっていたというが、宿場の面影は残っていない。「ねずみ」宿の由来については、①松代藩と上田藩の境で、越境者を門番が「寝ず見」張っていたとも、②篠ノ井の軻良根古(唐猫)神社にゆかりの唐猫と壮絶な死闘を演じ、岩鼻に噛みつき食いちぎり息絶えた大鼠に由来するともいう。民話『神ネズミと唐猫様』
民家の敷地内なので堂内は覗かなかった。
この先の小川の所で左折し、谷川交差点を渡り「テクノさかき駅」へ向かった。
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コメント
貴殿の攻城は順調のようですが、こちらは炎天下の強い紫外線の攻撃を受け、その後遺症がまだ残っています。
少し涼しくなるまでは、しばし休戦、我慢の籠城の日々を続ける覚悟です。
投稿: らんまる殿(坂道散歩) | 2012年8月19日 (日) 17:03
お疲れ様です。
この真夏でも歩かれるんですね、凄い!
貴殿の記事に触発されて北国街道の下塩尻~屋代までを盆休みに歩いてみました。熱中症で倒れるかと思いましたが・・・(笑)
おかげ様で歩かなければ見えない風景と風情を感じる事が出来ました。
涼しくなったら善光寺西街道を歩いてみたいと思います。
これからもシュールな紀行文を楽しみにしています。頑張って下さいネ!
投稿: らんまる | 2012年8月19日 (日) 12:46