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2011年9月 2日 (金)

善光寺街道(北国街道)②

2011年8月22日

滋野駅(しなの鉄道)・・・明治天皇牧家小休所跡・・・加沢橋(所沢川)・・・立場茶屋跡小林家・・・県諏訪神社・・・長久寺・・・法善寺道道標・・・田中宿・常田の剣持道祖神・・田中の石造仁王像(薬師堂)・・いぼとり地蔵・・脇本陣跡高木家・・本陣跡・・田中の勝軍地蔵・・・求女橋(求女沢)・・・第二北国街道踏切・・・海野宿・・白鳥神社・・媒地蔵・・海野宿資料館・・本陣跡小野家・・・西海野一号橋(成澤川)・・・御堂澤橋・・・大屋仁王尊・・・大屋神社・・・瀬澤橋・・・明治天皇岩下小休所跡・・・伊波保神社・・・太鼓岩・・・神川橋(神川)・・・馬頭観音・・・(しなの鉄道)・・国道18号・・信濃国分寺跡・国分尼寺跡・・国分寺・・瓦窯跡・・国道18号・国分西交差点・・・上堀交差点・・・信州大学繊維学部・・・上田宿・・科野大宮社・・毘沙門堂・・日輪寺・・宗吽寺・・本陣跡あたり・高市神社・・藩主居館跡・・上田城跡・・問屋跡・・真田太平記館・・柳町・・保命水・・緑橋・・紺屋町・・泉屋跡・・北向観音道標・・常福寺坂・・芳泉寺・・坂下延命地蔵  ・・高橋・・ぜんこうじ道道標・・・生塚延命地蔵尊・・・生塚交差点・国道18号・・旧道・・正福寺・・・秋和杉並木跡・・・長昌寺・・・猿田彦大神塔・・・北国街道一里塚公園・・・(国道18号)・・・(長野新幹線)・・・上塩尻・・・国道18号・・旧道・・・沓掛酒造・・・岩鼻・・・国道18号・坂城町・・・旧道・・・くらかけ橋・・一里塚橋・鼠宿(間の宿)・・会地早雄神社・・国道18号・・明治天皇小休所跡・ねずみ交差点・・旧道・・・白山神社・・・谷川交差点(国道18号)・・・テクノさかき駅(しなの鉄道)

 今日も朝から雨だが途中から晴れ間も見えてきた。晴れるとさすがに陽射しは強く、蒸し暑い。雨傘を日傘にしながら田中宿、海野宿、上田城下から間の宿鼠宿へと進んだ。

  【ル-ト地図】(29.4km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1626明治天皇牧家小休所跡

Img_1628今日も雨の中を行く。

Img_1629旧家

Img_1638立場茶屋跡小林家

雨脚が強くなってきた。

Img_1640県諏訪神社 《地図

Img_1643法善寺道標

「信州信濃の善光寺」、「大阪の法善寺」でもない「信州信濃の法善寺

Img_1646常田の剣持道祖神 《地図

昨日、眼鏡橋の所にあったものよりも大きい。男神がを女神の着物のひだの前に伸ばしている。男女の陰陽を表わしているそうだ。2人(神)とも真剣、深刻そうな顔をしている。何かの儀式でも執り行っているようだ。

Img_1650石造仁王像(薬師堂) 《地図

阿・吽像とも雷電の母にゆかりの仁王像。

Img_1649説明板

Img_1659いぼとり地蔵(いいなり地蔵) 《地図

石室のような中に入った地蔵 。左手の甲に小さなイボがあるとか。説明板の兎らしいものを抱いた地蔵はその右隣か?

Img_1656由来

Img_1660田中宿脇本陣跡高木家

田中宿は寛保2年(1742)の「戌の満水」で壊滅的な被害を受け、宿場機能を隣の海野宿に委譲した。さらに慶応3年(1867)の大火で町並みの大半を焼失した。現在は広い通りに昔風の新しい商店も立ち並び、さっぱりとした小奇麗な町並みになっている。

Img_1664本陣跡の門

「明治天皇田中小休所跡」

Img_1648田中宿の家並み

Img_1665商店

Img_1666西の枡形跡あたり(田中駅前交差点)

ここから田中駅近くにあるという勝軍地蔵を探しに行くが見つからず、聞いても分からずであきらめかけ、3人目の人に聞いてやっと分かった。ここの向い側のもとの位置近くに戻されていたのだ。

Img_1669勝軍地蔵  【ル-ト地図】の①

馬に跨る地蔵さん。

Img_1670説明板

「数回移転され、旧来の設置場所近くに安置された」とある。

Img_1679しなの鉄道沿いの遊歩道を進み、海野宿に向かう。

Img_1686白鳥神社 《地図

ここが海野宿の入口だ。神社近くの千曲川の白鳥河原が木曽義仲挙兵の地。

Img_1684説明板

Img_1688海野宿

うだつ・海野格子・出桁造り・気抜きの小屋根の残る家並み。

電線はなく東海道の関宿のように宿場風情が残る家並みが続いている。

Img_1691媒(なかだち)地蔵

Img_1689説明板

Img_1694海野宿資料館

寛政年間(1790年頃)に建てられた旅籠屋で、明治以降に養蚕農家に改造された。

Img_1696うだつの上がる家並み

手前の屋根に乗るのが、明治時代以降に造られた「袖うだつ」で装飾に重点を置いている。奥が江戸時代の防火壁の「本うだつ」で家屋と一体になっている。その他、小屋根のない「脇うだつ」と「軒うだつ」があるそうだ。

Img_1732旧家

2階の出格子は長短2本づつ交互に組み込まれた海野格子

Img_1704本陣跡の長屋門

Img_1706馬の塩舐め石

塩をなめてまでも働かされる馬たち。馬頭観音に祀ったくらいでは浮かばれないか。

Img_1713明治になり旅籠は蚕室に改造され、室内を保温した煙出し用の「気抜き」(小屋根)を造った。

少雨乾燥の地で養蚕・養種業に適していたという。

Img_1721本うだつ・出桁造りの旧家

Img_1722海野格子の旧家

Img_1726矢島家?

西の枡形跡を抜け街道を進む。

Img_1757大屋仁王尊 【ル-ト地図】の②

背後に千曲川が流れる。

Img_1756説明板

Img_1752仁王像

「戌の満水」で一度は千曲川に転落流失はしたが、慶安年間以来(1648~)の水害犠牲者、河川鎮護の守護神。可笑しみ親しみのある顔をしている。

Img_1759大屋神社 《地図

Img_1761猫石(大屋神社境内)

千曲川の中にあった大石の一部。説明板の民話、言い伝えの一つ。「東山道を通り、蝦夷征伐に向う征夷大将軍の坂上田村麻呂の軍は千曲川を渡ろうとしたが、橋はなく浅瀬の位置が分からなかった。そこにがあらわれ、川の浅瀬を渡ってこの大石へ登り、向こう岸に渡って行った。田村麻呂たちは猫の渡った所を通り、無事千曲川を越えた。それ以来、この大石を猫岩と呼ぶようになったという」 水が嫌いな猫に川を渡らせるとは、面白い話だ。

Img_1760説明板

Img_1768明治天皇小休所跡あたり

Img_1771明治天皇岩下小休所跡(尾崎家跡・明治11年の北陸巡幸)

右の「仁和寺宮嘉彰親王御遺跡」碑は、明治元年に中山道から北国街道に入り、会津征討に向かう仁和寺宮嘉彰の軍がここで休憩した記念碑。

Img_1774伊波保神社 《地図

石の鳥居は寛保3年(1743)の建立。

Img_1773説明板

Img_1781太鼓岩

昭和34年までこちら側の河岸との間に吊り橋が架かっていた。

Img_1779説明板

吊り橋の写真がある。

Img_1783吊り橋跡の鉄材が残っている。

Img_1785長野新幹線のハープ橋(斜張橋の第二千曲川橋梁)

Img_1788神川が勢いよく千曲川に流れ込む。(神川橋から)

Img_1789馬頭観音の立つ辻 《地図

北国街道は直進するが、右折して信濃国分寺跡に向かう。北国街道を進めば上田宿海野町から明治になって移転した本陣柳沢家がある。

Img_1790馬頭観音

加賀の飛脚たちが建立。

Img_1791説明板

Img_1802信濃国分寺跡(講堂跡手前から) 《地図

ちょうど金堂跡と中門跡の間をしなの鉄道が通過中。

Img_1821伽藍配置図

Img_1805現国分寺仁王門

Img_1810説明板

Img_1809本堂(長野県宝)

Img_1819三重塔(国宝)

Img_1817説明板

Img_1827瓦窯跡観察施設

Img_1823説明板

国分西交差点まで国道18号を進み、左折して上堀交差点で北国街道に戻る。

Img_1835北国街道踏入(ふみいり)村の生活用水、旅人の喉を潤した井戸。今年の3月に復元・新築・整備された。

Img_1840元名主平尾家

門と井戸は昔のままか。ここは枡形跡。

Img_1843信州大学繊維学部講堂(昭和4年完成) 《地図

Img_1842説明板

Img_1848科野(しなの)大宮社

信濃国の総社と推定され、国府も当初、このあたりにあったともいう。

Img_1846説明板

Img_1851上田宿に入る。

常田の街並み

Img_1849説明板

上田は真田一色という感じだ。

Img_1853毘沙門堂

活文禅師が寺子屋を開いた所。教え子の中には佐久間象山もいるそうだ。

Img_1852説明板

Img_1857昔風情の残る家並み

Img_1862宗吽(そううん)寺

Img_1868南朝の年号が彫られた家型地蔵石憧。左右に空けた日月は石憧の意味を知らない後人の改造だそうだ。

Img_1863説明板

Img_1872高市神社 《地図

海野町の商売繁盛の神。この道路向かいが本陣跡(移転した柳島家)で石柱が立っているというが見当たらなかった。

Img_1870海野町説明板

Img_2434上田藩主居館跡で「御屋形」と呼ばれていた。今は上田高校の敷地になっている。 《地図

Img_2435説明板

 

 

Img_2439居館跡の門は上田高校の正門になっている。毎日ここをくぐって登下校する生徒は藩主気分か? まあ、何も感じていないだろう。

Img_2419上田城跡

本丸櫓と東虎口櫓門

Img_2425真田神社

六連銭(六文銭)があちこちに。境内ではNHK大河ドラマで「真田幸村」実現の署名活動が行われていた。

Img_2433由来

Img_2426真田井戸

「抜け穴」になっているという。大阪の真田山の三光神社にも真田の抜け穴があった。『大阪市の坂
和歌山県九度山町にも、「伝真田の抜け穴」がある。

Img_2427説明板

Img_1876問屋跡

すぐ先の右側に「池波正太郎真田太平記館」がある。

Img_1878説明板

Img_1883柳町に入る。 《地図

Img_1886柳町の家並み

左は岡崎酒造、呉服屋が25軒もあったというが、今は皆無か?

Img_1889_2森文(喫茶と食事の店)

屋根に乗る袖うだつ、2階は長いもの(親)と短いもの(子)の「親付き切り子格子」。海野格子と同種類のものだろう。

Img_1898保命水 《地図

冷えたすいかが美味そうだ。

Img_1897説明板

保命水から左折して紺屋町へ入って行く。 

Img_1899ここも宿場風情ある家並みが続いている。

Img_1909泉屋跡

藍染商→穀類商→蚕種業と変遷したようだ。小屋根は蚕種製造業の煙出しのため明治になってから付け加えられた。

Img_1907説明板

Img_1916大島屋商店

Img_1925北向観音道標 《地図

左が北国街道で振り返って見ている。左折して常福寺坂、芳泉寺に向かう。北向観音はどこにあるのか?

Img_1923説明板

Img_1929芳泉寺

山門は六文銭でなく、永楽通宝だ。本堂には六文銭と三つ葉葵の紋(小松姫は徳川家康の養女)がついているそうだが。建物などは新しく、境内はいろんな物が並び一風変わっている。さっと通り過ぎ、本堂裏手の小松姫の墓所に向かう。

Img_1931説明板

Img_1937小松姫の墓

真田信之の正室。

Img_1927説明板

Img_1944常福寺坂 【ル-ト地図】の③

芳泉寺のもとの名は常福寺。

Img_1945坂下延命地蔵堂

Img_1947高橋を渡って左折し、道標の所で右折して行く。橋の手前が上田宿の西の枡形跡。

Img_1949善光寺道道標 【ル-ト地図】の④

Img_1951「右 ぜん加ヲし道」(元禄5年(1692))

Img_1953生塚(うぶづか)延命地蔵堂

Img_1955説明板

Img_1964千人塚(正福寺) 《地図

寛保2年の「戌の満水」の犠牲者の供養塚。石碑は老朽化したため新しくなっている。

Img_1962説明板

Img_1966秋和杉並木跡

宝永3年(1706)には267本あったという。

Img_1970杉の亡骸が祀られている。

Img_1974旧家

Img_1978秋和公会堂

右前に道標「北国街道」が立つ。

Img_1976道標「北国街道」

Img_1986豊秋霧原野神社の常夜灯・猿田彦大神の並ぶ辻

大蔵京古墳への道でもあるようだ。

Img_1983猿田彦大神塔

寛政12年(1800)に村人と北国街道の旅人の安全のために建立された。前のトラックが邪魔で正面からの写真は撮れず。

Img_1984

Img_1988北国街道一里塚公園(右) 【ル-ト地図】の⑤

Img_1989地蔵がぽつんと。公園といってもこの上に道標が立つのみ。 

Img_1991道標(文久元年(1861))

「右北国街道 左さくば道」、「さくば」は「作場」?で農道のこと。

Img_1990説明板

Img_2001上塩尻の家並み 《地図

Img_2004振り返って見る。

Img_2007色違いの長い土塀が続いている。蚕種業で財を成した藤本善右衛門家か。

Img_2015路地にも昔風情がある。

Img_2018緩やかに下って行く。

Img_2020小岩井紬工房

江戸時代は庄屋から養種業、明治になって上田紬の織り元になった。

Img_2022国道に出る手前に右に旧道が短く残っている。

Img_2024仲良く手をつないだ道祖神。剣持道祖神よりこっちの方が親しみがわく。

Img_2025国道18号に出て、再び右に旧道に入る。

Img_2027沓掛酒造の間を通って行く。 《地図

Img_2029猫が2匹、車に轢かれたのかと思いきや、寝そべってくつろいでいるだけだった。いつもこうしているのだろう。

Img_2036岩鼻の崖下を行く。昔は千曲川が崖下まで迫っていたので崖の中腹まで上って越したそうだ。参勤交代の加賀の殿様は岩鼻を通過できると国元へ飛脚で無事を伝えたという。

この上に村上氏の築城した和合城跡があるようだ。

Img_2045坂城町に入る。まだ標高415mもある。また空模様が怪しくなったきた。

Img_2054一里塚橋

すぐ先に鼠宿の説明板がある。

Img_2056鼠宿説明板

Img_2057会地早雄(おうぢはやお)神社

車輪のような太鼓橋? とても渡れない。

Img_2059_2境内に万葉防人歌碑がある。

万葉歌碑巡り

Img_2063明治天皇小休所跡(ねずみ交差点の手前左側) 《地図

鼠宿は上田宿と坂木宿の間の宿で、松代藩の設けた私宿だった。本陣、脇本陣、問屋、馬宿、茶屋もあって賑わっていたというが、宿場の面影は残っていない。「ねずみ」宿の由来については、①松代藩と上田藩の境で、越境者を門番が「寝ず見」張っていたとも、②篠ノ井の軻良根古(唐猫)神社にゆかりの唐猫と壮絶な死闘を演じ、岩鼻に噛みつき食いちぎり息絶えた大に由来するともいう。民話『神ネズミと唐猫様

Img_2070釈迦如来堂

民家の敷地内なので堂内は覗かなかった。

Img_2069説明板

Img_2079旧道を進む。

Img_2081旅人の喉を潤した井戸だろうか。

この先の小川の所で左折し、谷川交差点を渡り「テクノさかき駅」へ向かった。

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コメント

 貴殿の攻城は順調のようですが、こちらは炎天下の強い紫外線の攻撃を受け、その後遺症がまだ残っています。
 少し涼しくなるまでは、しばし休戦、我慢の籠城の日々を続ける覚悟です。

投稿: らんまる殿(坂道散歩) | 2012年8月19日 (日) 17:03

お疲れ様です。
この真夏でも歩かれるんですね、凄い!

貴殿の記事に触発されて北国街道の下塩尻~屋代までを盆休みに歩いてみました。熱中症で倒れるかと思いましたが・・・(笑)
おかげ様で歩かなければ見えない風景と風情を感じる事が出来ました。
涼しくなったら善光寺西街道を歩いてみたいと思います。
これからもシュールな紀行文を楽しみにしています。頑張って下さいネ!

投稿: らんまる | 2012年8月19日 (日) 12:46

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