土気往還①
2011年10月24日
本千葉駅(JR内房線)・・・房総往還・・・旧東金街道分岐点(大和橋交差点)・お茶の水跡・(猪鼻城跡)・・・病院坂・・・千葉大医学部・七天王塚・・・青葉の森公園・舟田池・旧東金街道・・県道20号・・・(京葉道路)・・・道標地蔵・松ケ丘バス停・土気往還分岐点・・・(松ヶ丘小学校)・・・鎌池公園・・・千葉東病院・・・県道20号・・・鎌取配水池・・・鎌取十字路・・・(鎌取駅)・・・(JR外房線ガード)・・・野田上宿・・野田十字路・・誉田八幡神社・・中宿・・五日堂・・・誉田駅(外房線)
千葉市中央区の大和橋(都川)を渡って左折し房総往還から分かれ、鎌取、誉田(野田)から土気、大網までの土気(とけ)往還を2回で歩く。かつては外房、九十九里海岸からの海産物などの重要な輸送路だったが、今はさほど面白味のある道筋ではない。
*参考:『歴史の道調査報告書 土気往還』(千葉県教育委員会) ・ 『房総往還②』にも記事あり。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
房総往還は直進、旧東金街道(途中までは土気往還と同じ道筋)は左折し、お茶の水跡の前を通り、旭橋交差点を右折し、病院坂を上って行く。
千葉大医学部付属病院方向へ上る坂。正面奥は猪鼻(千葉)城跡の千葉市立郷土博物館
七天王塚①(千葉大構内) 《地図》
猪鼻城の大手口に千葉氏にゆかりの北斗七星の形に配したとも、千葉氏兄弟の墓ともいう。また平将門の「七騎武者の墓」という伝承もある。『将門マップ』
残りの4つは探さず。
青葉の森公園案内図(南北が逆・旧東金街道の道筋の標示がある)
土気往還(旧東金街道)は、舟田池の右側(南側)を通っていた。旧道の一部が残り保存されている。今日は中央博物館の休館日で、右下の入口は閉まっていた。
青葉の森公園はもとは畜産試験場で、街道の一部がほぼ当時のままで残っていた。(案内図の道)
右の塀の窪みに道標地蔵が分岐点から移され保存されている。
地蔵の右側に「これより右とけ道」、左側に「これより左とうかね道」。
千葉東病院の敷地にぶつかり左へ迂回して県道20号に出る。病院の南角には椎の木があり、「一里塚」といわれていたそうだ。《地図》
鎌取は継場ではなかったが立場で、一膳飯屋などがあったという。
後ろの額に「新四国八十八箇所」とある。
野田村には大網、本納方面、東金方面から内房に送られる物資が集まる継立場だった。今は往時の面影はなく、バス停の上宿、食堂「かみじく」に名をとどめるか。
誉田八幡神社 《地図》
祭神の「誉田別命」(応神天皇)は、ここ誉田の地名となった。
寛永12年(1635)9月5日に処刑された、不受不施派の日浄上人の首を葬った所に建てられた堂。
日浄を祀る供養塔
誉田小学校の手前で県道から離れ右に入る。別に見所はない。《地図》
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2023年11月~)追加分(2023.12.14)
- 「歩いた坂」追加分(2023.12.10)
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント