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2011年10月 5日 (水)

中山道(下諏訪宿→洗馬宿)

2011年9月25日

下諏訪駅(JR中央線)・・・駅前交差点・国道20号・・・旧道・・・魁塚・・・諏訪大社春宮石灯籠・・・富士見橋(砥川)・・・旧道・・・旧渡辺家住宅・・・平福寺・・・長地・東堀交差点・伊那道道標・・・(国道20号)・・・東堀一里塚跡(56)あたり・・・大橋(横河川)・・・明治天皇今井御膳水碑・今井番所跡・・小休本陣今井家・・・丸山坂・・・岡谷IC(国道20号)・・・石船観音・鳴沢清水・・東坂・・大石・・・塩尻峠・・・茶屋本陣跡・・・親子地蔵・夜通道碑・・・東山一里塚跡(57)・・・牛馬守護神塔・・・(国道20号)・・・柿沢橋(長野自動車道)・・・永井坂・・・首塚・胴塚・・・塩尻(柿沢)一里塚跡あたり(58)・・・岩鼻橋(四沢川)・・・永福寺観音堂・永福寺・・・仲町交差点・塩尻宿・阿礼神社御旅所・三州街道分岐点・口留番所跡碑・十王堂跡・五千石街道分岐点・・小野家住宅・上問屋跡・高札場・下問屋跡・本陣跡・脇本陣跡・・鉤の手跡・・・阿礼神社・・・堀内家住宅・・・道祖神など・国道153号・・・塩尻橋(田川)・・・下大門交差点・・・大門神社・・・耳塚神社・・・(JR中央線)・・・平出一里塚跡(59)・・・第一中道踏切(JR中央線)・・・中仙道一里塚交差点・国道19号・・・肱懸松・肱松の坂・・・常夜灯・旧分去れ・・・分去れ道標(現分去れ)・・・邂逅(おおた)の清水・・・洗馬宿・洗馬学校跡・本陣跡・貫目改所跡・脇本陣跡・・・洗馬駅(JR中央線)

  【ル-ト地図】(20.5km)

 今回は①中山道を下諏訪宿から洗馬宿まで行き、②洗馬宿の分去れから善光寺西街道(北国西街道)を篠ノ井追分宿の善光寺街道(北国街道)との合流地点まで歩く。そして③五千石街道を善光寺西街道との合流地点から中山道の塩尻宿の合流地点まで歩く。

 先月は雨の降り続く善光寺街道歩きだったが、今回は好天の下、絶好の街道歩きとなるだろう。これも善光寺にお参りしたお蔭か。いや、お天道さまは誰にでも公平ということよ。

 下諏訪宿は『甲州街道(金沢宿→下諏訪宿)』に記載。

 写真をクリックすると拡大します。

Img_2907駅前交差点から国道20号を少し西に進み、左に旧道に入ると魁塚がある。

Img_2912_2魁塚地図

赤報隊士の墓。中山道の追分宿には隊士らが処刑された追分原刑場跡がある。『善光寺街道①』に記載。時代(明治維新)の「魁」(さきがけ)の意で、ここ魁町の地名にもなっている。

Img_2909説明板

Img_2917こんなに細くなってしまった中山道。これが天下の五街道とは・・・・。《地図》(道の標示はない)

Img_2918砥川に突き当たる。

簀之子(すのこ)橋は跡形もなく、富士見橋を渡り、少し進み左折し旧道の跡をたどる。

Img_2923路地のような道を行き、十四瀬(とうしせ)川を渡り岡谷市に入る。

Img_2926旧渡辺家住宅(長野県宝) 《地図

渡辺千秋ら3人の大臣を輩出した出世一家か。ノーベル化学賞を受賞した野依良治は縁戚にあたるそうだ。

Img_2927説明板

Img_2935平福寺

日限地蔵尊(おひぎりさま)の寺

Img_2938伊那道道標(長地・東堀交差点を渡った所)

Img_2940「右中仙道 左いなみち」(寛政3年(1791)建立)

「いなみち」は伊那街道で、飯田へ通ずる道。

Img_2941端正な生垣が続く街道。

 国道20号を横切った50mほど先が東堀一里塚跡(56)で、右手に石碑が立っているのだが見逃した。

Img_2962今井番所跡

手前に「明治天皇今井御膳水碑」が立つ。

Img_2964小休本陣今井家 《地図

Img_2965説明板

Img_2969門から中を失礼。

Img_2970丸山坂を上る。右に道標と案内図。

Img_2972道標

「右 しもすは 左 しほじり峠」、これから塩尻峠へ向かうのだ。

長野ICの分かりにくい所を通り、旧道を上って行く。

Img_2991岩船観音堂 【ル-ト地図】の①

足腰にご利益ありで、わらじ、松葉杖、ギブスが奉納?されている。

Img_2989岩船観音

本尊は船の形をした石に乗っている馬頭観音だから右だろう。船の形はよく分からないが。

Img_2993鳴沢清水

岩船観音堂脇から流れ落ちている。

Img_2996諏訪湖の眺め

Photo英泉画「塩尻嶺 諏訪ノ湖水眺望」

Img_2997大石

昔から「大石」と呼ばれていて、「木曽路名所図絵」にも「大石、塩尻峠東坂東側にあり。高さ二丈(約6m)ばかり、横幅二間余(約3.6m)」と記されているそうだ。

《伝承》 昔、この大石にはよく盗人が隠れていて、旅人を襲った。ある時、この大石の近くで旅人が追いはぎに殺され、大石のたもとに埋められた。雨の降る夜に下の村から峠を見ると、大石の所で青い炎がチロチロと燃えていたという。またこの辺は昔よくムジナが出て、夜歩きの旅人を驚かし、そのすきに旅人の持っている提灯のロウソクを奪ったという。(ムジナはロウソクの油が大好物だとか)

この先、峠までは舗装された東坂の急坂が続く。

Img_3008塩尻峠(1060m) 【ル-ト地図】の②

松本領、諏訪領の郡境として祀られた富士浅間神社の石祠。左奥には御嶽遥拝所があるようだ。

Img_3013塩尻峠展望台から諏訪湖、右奥に富士山、左奥に八ヶ岳連峰が霞んでいる。

 塩尻宿へと下って行く。

Img_3014茶屋本陣跡

皇女和宮もここで休憩したそうだ。

Img_3019親子地蔵

天明3年(1783)の大飢饉の折り、塩尻峠で行き倒れになった旅人たちを弔うという。

このあたりは夜通道(よとうみち)と呼ばれる、夜道もいとわぬ逢瀬の恋路だ。

Img_3020説明板

Img_3021東山一里塚跡(57)

南塚が現存

Img_3022説明板

この先の「犬飼の清水」はうっかり通り過ぎてしまった。国道20号に出て、すぐに右の旧道に入る。

Img_3027コスモスが咲き乱れる気分のいい道

Img_3029牛馬守護神塔

国道20号をくぐり、長野自動車道を越えて西に進む。

Img_3038永井坂を下ると塩尻の町が見えてきた。【ル-ト地図】の③

途中、左に「首塚・胴塚」の標識がある。

Img_3040_2

Img_3041首塚・胴塚

武田晴信(信玄)軍との塩尻峠の戦いに敗れた小笠原長時軍の戦死者たちを村人が埋葬した塚。この合戦では両軍合わせて1000人以上が死んだという。

Img_3043由来碑

Img_3046柿沢の家並み

この先の下柿沢交差点と仲町交差点の間あたりが塩尻(柿沢)一里塚跡(58)のようだが、何の標示もなかった。

Img_3047本棟造り、雀おどり(おどし)の棟飾りの旧家

Img_3055永福寺観音堂 《地図

木曽義仲信仰の馬頭観世音が本尊。

Img_3057説明板

Img_3060永福寺仁王門

明治29年の建立。

Img_3062説明板

Img_3071塩尻宿へ入る。(仲町交差点)

Img_3067説明板

「・・・塩尻宿の東端に一里塚・・・」とある。距離的には下柿沢交差点と仲町交差点の間あたりに塩尻(柿沢)一里塚(58)があったのだろう。

Img_3099宿場図①

東西が逆になっている。文政と明治の大火で宿場の建物は焼失してしまった。残るは小野家のみか。

Img_3100

Img_3078口留番所跡

Img_3080五千石街道分岐点

この街道も29日に歩く。

Img_3082十王堂跡

遺構はないが庚申塔・双体道祖神などが並ぶ。

Img_3091小野家住宅

右棟は修理中。

Img_3088説明板

Img_3104本陣跡

Img_3108脇本陣跡

Img_3115笑亀酒造(国登録有形文化財)

Img_3117鉤の手(枡形) 《地図

右に曲がって行く。

Img_3121阿礼神社

神社前が塩尻宿の西端。

Img_3122「是より東 中山道塩尻宿」

Img_3126堀内家住宅

豪農の旧名主家。右端は手を握り合う♥♡道祖神。

Img_3130説明板

Img_3132本棟造り、雀おどりの棟飾り

Img_3134旧家

Img_3138蠺玉(こだま)大神・秋葉大神・庚申塔・道祖神 《地図

蠺玉大神は蚕(かいこ)の神。養蚕が盛んだった地域に多い。

Img_3142大門神社地図

樹齢500年?の大ケヤキがそびえる。もとは芝宮八幡社だった。境内に「柴宮銅鐸出土の地」碑が立つ。

Img_3153耳塚神社 (大門神社の隣)

Img_3155穴の開いたおわんを奉納をすると、耳の聞こえが良くなるという。

Img_3158旧家

軒下灯にのマークがついている。簡易郵便局なのか?

Img_3159何の店だったか。

Img_3164平出(ひらいで)一里塚跡(59) 【ル-ト地図】の④

道路を挟んで民家の隣に北塚も残っている。

Img_3167説明板

Img_3166北塚

Img_3171史跡公園・平出博物館標識

平出遺跡

Img_3173この先で第1中道踏切を渡る。

Img_3178左に少し旧道が残っている。《地図

Img_3230肱懸松碑から右へ肱松の坂を下るのが旧中山道。直進すれば道標が立つ現在の分去れ(追分)に出る。

Img_3183説明板

Img_3231_2肱松の坂(相生坂)を下る。【ル-ト地図】の⑤

右が肱懸松跡。細川幽斎がこの松に肱を懸け、風景を堪能し、歌を詠んだという。

Img_3233旧分去れ 《地図

常夜灯の所が善光寺西街道(北国西街道・正式には北国西脇往還)との分岐点。道標は西側の新道との分岐点(現在の分去れ)に移された。

Img_3224現在の分去れ 《地図

分岐に常夜灯の所から移された道標が立つ。明日から左の善光寺西街道を歩く。

Img_3205点線が新道

②が旧分去れ、③が現分去れ

Img_3193道標

「左 北国往還 善光寺道」・「右 中山道」

Img_3192説明板

Img_3221邂逅(かいこう-会ふた-あふた-太田)の清水 《地図

木曽義仲は、幼くして父を失い、信濃権守中原兼遠に木曽の地で、その子兼平とともに養育された。その後、兼平は今井を治めていたが、義仲の旗挙げを知ってただちに馳せ参じ、この清水で邂逅(巡り会った)した。義仲の馬は強行軍にたいそう疲れていたが、兼平が馬の脚をこの泉の水で洗ってやると、たちまち元気を取り戻した。『しおじり学びの道』から

Photo_2広重画 洗馬

邂逅の清水から望んだ奈良井川の夕景ともいう。

Img_3200洗馬宿に入る。

Img_3206案内図

昭和7年の火事で宿内が全焼し、街道沿いに宿場の面影は残っていない。

Img_3204説明板

Img_3213本陣跡

Img_3208貫目改所説明板

Img_3211脇本陣跡

「明治天皇御駐輦之處」が立つ。小休所のこと。

洗馬宿はここまでとし、洗馬駅に向かった。

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