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2011年11月30日 (水)

中津街道①(常盤橋→苅田駅)

2011年11月14日

常盤橋・・・魚町銀天街・・・旦過市場前・・・(平和通り・都市モノレール小倉線)・・・古船場町交差点・・・中津口門跡・中津口橋(砂津川)・・・(国道3号)・・・足立インター交差点(北九州都市高速)・・・神岳橋・・・県道264号・・・本通寺・・・開善寺・・・湯川交差点・旧道・・・湯川水神社・・・葛原八幡神社・・善ケ追池・・・茶屋本邸御茶屋跡・山寺川・・・(九州自動車道)・・・寺迫北交差点・・・唐戸橋(竹馬川)・・・西迎院・・・新田橋(貫川)・・・庚申谷踏切(日豊本線)・・・帝踏岩・・・始覚寺・・・朽網橋(朽網川)・・・国道10号・・・狸山古戦場跡あたり・・・宇土交差点・・・郡境碑・苅田町・・・松山入口交差点(新北九州空港連絡道路)・・・神田町交差点・旧道・・・里程標・・・浄厳寺・・・木実原神社・・・苅田駅(日豊本線)→小倉駅・・・平和通り・・・森鴎外旧居・・・上砂津橋(砂津川)・・・冨野口交差点・・・大田町・・・へへり坂・・・天疫神社・・・教育大付属中学校・・・小倉駅

 中津街道は周防灘沿いに、小倉城下と中津城下を結ぶ北九州の主要道で、現在では日豊本線、国道10号が走り、けっこう旧道も残っていて見所も多い。部分的に歩いたことがある道で、中津は今回で3度目となり、気分的には楽な街道歩きだ。ゆっくりと3日間かけて歩こう。晴天の下、昨日と同じく常盤橋を出発した。苅田駅まで進み小倉へ戻り、明るい内にちょこっと坂道散歩を追加した。

  【ル-ト地図】(25.0km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5929旦過市場前 《地図

ここを左折し、次の角を右折して行く。

Img_5930昭和館

レトロな映画館前を通る。

Img_5937中津門口跡(砂津川中津口橋) 【ル-ト地図】の①

昨日歩いた門司往還には、砂津川下流の門司口橋に門司口門があった。

Img_5940説明板

Img_5894中津門口の大石

今は小倉城内の八坂神社の参道入口に移されている。この細川の大石(小笠原の割石)の故事が説明板にある。また明治になって小倉へ来た中津や築上の青年達が、この大石をにらむと成功するといわれ、目をむいてにらんだので「大石にらみ」、大石を見上げて「出世して人から見上げられる人物になるぞ」と誓ったので「出世石」ともいったそうだ。

Img_5897大石から小倉城

Img_5944足立インター交差点で左に入り、北九州高速道路をくぐる。《地図

Img_5953中津街道の説明板が立っている。(正面左・足原1-8?)

説明板には「この付近はいくらか昔の面影をとどめている」とあるが、道の曲り具合ぐらいだけか。

Img_5955説明板

Img_5965本通寺 《地図

もとは細川忠興の家来の大隈市正(願覚)の建てた浄光寺。

Img_5972右に寺院の楼門?

「バーデンハウス 北九州健康センター」だが、閉店してしまったようだ。

Img_5977開善寺

福聚寺が建立されるまで小笠原家の菩提寺で、もとは馬借町にあった。境内には享保大飢饉(享保17年(1732))の供養塔の「保享印塔」(宝篋印塔で、享保を逆にして命名した)があるというが、番犬(蕃犬・駄犬か)がぎゃんぎゃん吠えるので、うんざりして引き返した。

Img_5982説明板

Img_5979開善寺裏手からの眺め

Img_5987湯川水神社 【ル-ト地図】の②

Img_5988縁起・由来碑

Img_5989一生池

道鏡により足の筋を切られた和気清麻呂を癒し、たせた温泉跡。背後の足立山の由来で、足湯の元祖とか。

****2005年5月5日に足立山に登った時の写真(2枚)****

Dsc05541和気清麻呂像(足立山登り口の妙見神社内)

好々爺という感じだ。

Dsc05554足立山(598m)から戸上山(518m)への縦走路から、門司市街、関門海峡方向

***************************************

Img_6008葛原八幡神社 《地図

和気清麻呂の嗣子真綱が勅使として宇佐八幡宮へ参内した帰途、この地に弘仁8年(817)創建したと伝える。

Img_6007社殿の背後に足立山

Img_6004和気清麻呂像

白鹿(湯川水神社の縁起碑)ではなく、猪が尻を突き合わせている。

Img_6005葛原新町楽説明板

Img_6016茶屋本邸御茶屋跡 【ル-ト地図】の③

茶屋本氏の姓は藩政時代の御茶屋名跡を示す。茶屋本家には、藩主御成りに際して使用された抹茶碗、傷や病に特効があったという藩主御狩りの「猿の手」が伝えられているそうだ。この奥に家屋がある。

Img_6026塩が奉納されている。何の石塔か? 曽根は製塩が盛んで「曽根の塩浜」で知られていたというが。

Img_6043西迎院 《地図

このあたりは人馬を備えた下曽根の宿場町で、唐戸橋の東のたもと一帯に本宿が置かれていたそうだ。

Img_6054日豊本線の特急「ソニック」が行く。

Img_6066帝踏岩(たいとういわ) 【ル-ト地図】の④

景行天皇が貫山(禰疑山)の土蜘蛛を討つため、この岩を蹴って神意を占ったという、『日本書紀』の伝説地。もっと小高い所にあるのかと思っていたが、JR線の踏切を越えた平地の住宅地の一画だ。貫山(712m)は南西方向にあり、「企救富士」とも呼ばれ親しまれている。

Img_6068岩の上から

Img_6080始覚寺 《地図

ここにあった「堂上の松」(クロマツ)は枯れてしまったようだ。

Img_6087くさみ温泉

温泉の成分が濃くて「臭味」ではない。「朽網」(くさみ)はここの地名。日豊本線の朽網駅もある。

Img_6093狸山古戦場跡方向(このあたり(朽網東6丁目)の北方の丘陵地)

応永の戦乱では松山城を巡って激しい攻防戦があり、長野や貫の国人たちが「狭道の合戦」で敗退したという。また慶応2年(1866)には小倉藩が塁を築いて長州軍と戦った所でもある。

Img_6097郡境碑 【ル-ト地図】の⑤

ここは街道(国道)から左に入った民家の敷地内で庭先に洗濯物が干してある。説明板もあるようだが、これ以上入るのは遠慮して遠方から撮った。「従是西企救郡」・「従是東京都郡」と刻まれているようだ。かつてはここに中津街道が通り、ここが企救郡と京都郡の境だった。現在は小倉南区と苅田町の境。右後方が松山城跡か。

Img_6102高速道路、モノレールではなく、三菱マテリアルの物資輸送設備か?

Img_6106里程標(神田町2丁目)

「従是久保新町迄四里」・「従是椎田迄四里半」・「従是小倉迄三里半」・「従是大里迄四里半」

Img_6113浄厳寺 《地図

文化7年(1810)伊能忠敬一行は、苅田村の庄屋家林田五郎衛門宅と、この寺に泊まったそうだ。

木実原神社の先で左折し、苅田駅に向かった。

****ここからは小倉に戻っての坂道散歩****

Img_6127森鴎外旧居 《地図

Img_6126説明板

Img_6146へへり坂 《地図

大田町から小文字通りに抜け、教育大付属中学校へ上る坂。坂沿いに放屁を芸とする奇人が住んでいたという。

この坂について記載があったHPは削除されてしまったようで、違っているかも。

Img_6149坂上近く

左は天疫神社、先の右に教育大付属中学校。

Img_6152坂下方向

Img_6154天疫神社

Img_6153由緒

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