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2011年11月 6日 (日)

久留里道②

2011年11月3日

馬来田駅(JR久留里線)・・・久留里街道(県道166号)・・・(圏央道造成中)・・・山王神社・・・(下郡駅)・(君津市)・・・旧道・・殿の下井戸・・・飯高神社鳥居・・・円明院・・・久留里街道(国道410号)・・・神明神社・・・旧道・・・三田の道標・・・国道410号・・三田交差点・・・(小櫃駅)・・・御腹川橋(御腹川)・・・白山神社・白山神社古墳・・・第四久留里街道踏切・・・俵田交差点・俵田の道標・(俵田駅)・・・第五久留里街道踏切・・・君津青葉高校・・・境界石・・・久留里市場交差点・・・久留里商店街・・高澤の水・・・久留里城址・城山神明社・・火薬庫跡・・お玉ケ池・・薬師曲輪跡・・雨城八幡神社・・二の丸跡・久留里城址資料館・・男井戸・女井戸・・本丸・天守閣・・堀切跡・・・国道410号・・・雨城庵の井戸・・・久留里神社・・・久留里駅

  【ル-ト地図】(14.0km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5178山王神社(右)

休日で車の往来も少なめか。

Img_5181神様の小祠と観世音菩薩像(元禄4年(1691))が仲良く並んでいる。

Img_5189旧道らしき道が所々に残っている。

Img_5192左に旧道に入る。

山本の「殿の下井戸」と「舟塚山」の標識が立つ。舟塚山(船塚山152m)は山頂に船塚神社があり、西側の展望が見事らしい。

Img_5197殿の下井戸 【ル-ト地図】の①

名前の由来は、かつてこの地に里見氏の臣下、山本由那之丞の居城があったことからだが、井戸が掘られたのは昭和62年と新しい。水天宮の石柱が立ち、賽銭箱が設置されている。

Img_5196説明板

Img_5201ここにもう一つある。

同じ説明板が立っている。

Img_5212飯高神社鳥居(左)

社殿はここから東にかなり上った所にある。少し行きかけたが遥拝で済ます。最近はすっかり「遥拝おやじ」になってしまったか。

Img_5221神明社(奥)・地蔵祠

Img_5226三田の道標案内板

右折し旧道に入る。

Img_5225道標前の旧家

Img_5229正面に道標 【ル-ト地図】の②

ここを左折して行く。

Img_5230三田の道標(文化2年(1805))と地蔵 

Img_5235説明板

「かさもり」は長南町の笠森観音(笠森寺)、「たかくら」は木更津市矢那の高倉観音(高蔵寺)、「あ称さき」は姉崎。説明板は五井からの久留里道の「中往還」を書いている。

Img_5239今日も久留里線がゆっくりとマイペースで走っている。我も見習うべしだ。

Img_5245案山子の集団がぐるっと取り囲んでいる。人数分の効果はあるのだろうか?

Img_5254白山神社

祭神の一人は壬申の乱で敗れて東国に逃れ、この地で自刃したとされる大友皇子。房総往還には福王神社・おふごの森(袖ヶ浦市)など大友皇子ゆかりの所がある。『房総往還③』 「小櫃」も大友皇子の亡骸をおさめた棺からついた地名という伝説も残る。『君津市の歴史』 各地に残る義経伝説と同様に、判官びいきのなせる技だろう。社殿の後方が白山神社古墳。

Img_5250説明板

Img_5260白山神社古墳(前方部から後円部) 【ル-ト地図】の③

被葬者を大友皇子とする伝えがあるが、築造時期はもっと古く、馬来田国造かその系統の地域の首長のものか。この古墳の奥にある円墳が、大友皇子の墓だともいわれている。

Img_5263第四久留里街道踏切を渡って、久留里線の東側に出る。

Img_5266俵田の道標(俵田交差点) 【ル-ト地図】の④

右の建物の脇

Img_5268道標(元禄2年(1689))

笠付き六角地蔵石幢で、地蔵の下の道標文字はかすれていて読みにくい。

Img_5267説明板

「江戸おかみち」は、北へ久留里道の中往還を通り、五井で房総往還に合流し江戸に向かう陸路で、久留里藩の参勤交代の道。「江戸ふなみち」は、俵田の川岸から小櫃川を船で下り、木更津から木更津船(五大力船)で海路、江戸に至る物資輸送、生活経済の道。

Img_5280君津青葉高校を過ぎ坂を下る。このあたりに「雨城楊枝」の森氏宅がある(あった)ようだ。(雨城は久留里城の別称) 《地図

Img_5286_2境界石(大正4年建立・坂を下る途中の右側)

右は「従是北千葉縣君津郡小櫃村」・左は「従是南千葉縣君津郡久留里町」

Img_5290久留里商店街通り 《地図

右は上総掘りの自噴井戸だが、ここのは飲めない。 前方のアーケードの上に久留里城の模型を乗せている。

Img_5291生きた水・久留里」説明板

Img_5335上総掘りの井戸掘り櫓(久留里城址資料館に展示のもの)

Img_5333説明板

Img_5294久留里商店街の家並み

木村屋金物店

Img_5296割烹旅館大島屋

もう営業していないようだ。

Img_5298吉崎酒造

斜め向いに「高澤の水」がある。自転車ツーリングの連中が美味そうに飲んでいた。

Img_5301紙屋金物店

Img_5305久留里城跡へ

トンネルの手前で左に旧道に入る。城山神明社からトンネルの上を通り、二の丸跡、本丸跡へと通じている。

Img_5309城山神明社

Img_5306由来

Img_5310狛犬

愛嬌のある顔だ。向いの相棒は鼻がつぶれていた。

Img_5311石段下から荒れている道を上る。本丸は標高152mある。けっこうな上りで汗を拭き拭きの上りとなった。この先に火薬庫跡がある。《地図

Img_5319お玉ケ池

「城主の里見義堯の命を受け、家臣の兵馬が水源の池を掘っていた時に兵糧庫が焼失した。火の不始末の疑いで、兵馬は捕らわれ打ち首となった。城将小川秀政の娘の「お玉」は、これを哀れんで、代わりに池を掘りはじめた。その後、兵馬の疑いが解けると、お玉は髪を切り、兵馬を弔ったという」 女手で池を掘るとは、お玉はよほど兵馬に惚れていたのか。

Img_5323薬師曲輪から

下が三の丸御殿跡・中央あたりが大手門跡・右上が里見と北条の古戦場跡。

Img_5327雨城八幡神社

左の後ろ向きの像は新井白石。白石の父は久留里藩の目付を務めていた。久留里小学校の敷地内に居宅があった。

久留里城址資料館に寄り、天守閣へと向かう。

Img_5337男井戸・女井戸

Img_5336説明板

Img_5338_2久留里城天守閣(模擬天守) 【ル-ト地図】の⑤

Img_5343堀切跡

平時には木橋が架けられていたそうだ。トンネルを抜け、城外へ出て国道に戻る。

Img_5349雨城庵の井戸(自噴井戸)

個人所有の井戸を開放しているそうだ。

Img_5345久留里神社

治安元年(1021)に上総介平忠常の創建と伝える。もとは細田妙見といわれ、両総(千葉)六妙見の一社。祭神は天御中主命ほか4柱。

Img_5347本殿には明治彫刻界の先駆をなした小倉惣次郎の青年時代の作品があるそうだ。

無事に久留里道を歩けたことを感謝し、久留里駅まで戻る。

Img_5350久留里駅

バラックのような駅舎だが、右隣には城郭のような新しいトイレが建っている。

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コメント

 初めまして。高山正雄氏の血縁の方に見て頂くとは、私もびっくりしました。
 掲載した写真の門内の左側に石灯籠が見えますね。その左に「九州帝国大学総長 法医学之権威 勲一等 高山正雄〇〇」の石碑が立っています。
 自転車も置いてあり、現住家屋のようでもあり、門の下から急いで撮った写真なので、〇〇の部分は切れてしまいました。〇〇の部分の文字数と、何の文字が刻まれているか、思い出せず悔やまれます。
 以上がお教えできる限りです。少しでもお役に立てれば幸いです。

投稿: 玉兎さんへ(坂道散歩) | 2011年11月21日 (月) 17:24

初めまして(^o^)丿五千石街道に掲載の「高山正雄(生家)」の曾孫です。曾祖父の名前を検索した際、偶然見つけ驚いています。(孫の)父もこの生家へは行ったことがなく、何度もこちらを閲覧しているようです。沢山の写真や記録が掲載されており、五千石街道を歩いている感じになれると喜んでおりました。是非一度訪問したい…というのですが、血縁者は住んでいない筈、この門の奥はどのようになっているのでしょう。もし、ご存知でしたら教えてください。よろしくお願いいたします。

投稿: 玉兎 | 2011年11月21日 (月) 14:58

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