下田街道③
2011年12月12日
修善寺駅(伊豆箱根鉄道)バス→昭和の森会館・・踊子歩道・・井上靖旧邸・・・山神社・・太郎杉分岐・・・天城ゆうゆうの森・踊子歩道二本杉歩道分岐点・・二本杉峠上り口・・・二本杉峠(830m)・・・六趣能化尊・・・地蔵・・・峠の茶屋跡・・・林道・宗太郎園地下り口・・・(伐採作業中)・・・宗太郎園地・踊子歩道合流地点・・宗太郎杉並木・・・猿田淵・・・釜滝(河津七滝)・・・国道414号・・・河津七滝ループ橋・・・梨本橋・・・梨本神社・・・慈眼院 バス→伊豆急下田駅(伊豆急行)
【ル-ト地図】
今日は厄日だった。二本杉峠(旧天城峠)への上りで道を間違え引き返し、かなりのロスタイムだ。二本杉峠からは荒れている山道を下り、いったん林道に出てやれやれと思ったら、そこから宗太郎園地までの下りが伐採作業中で通行止めだ。林道で迂回しようとして進んだが行き止まりになるようで(未確認)、伐採作業中だろうが開き直って本来の道を行くことにした。倒木が道を塞ぎ荒れているし、沢を幾度も渡り返し注意深く進むが、分かりづらい箇所が多く何度も道を間違えそうになる。その内に伐採木が道を覆い行く手を阻む。木の上によじ登ったり、木の下をくぐったりしながらの難行苦行となった。作業車輛が通った道は掘り返されてどろんこの不良馬場となっている。途中、作業用の道が何本か分岐していて、ついそっちに入ってしまい引き返す。やっと宗太郎園地にたどりついた時は、靴とズボンは泥んこだった。結局、二本杉峠の上り口からここまで標準タイム+20分ぐらいで来たのだが、気分的には3倍くらい疲れた。
踊子歩道を河津七滝(ななだる)へ向かう。釜滝への下り口に、落石で七滝の遊歩道は通行止めの標識が掛かっている。釜滝へは行けるようだ。昨日、旭滝と浄蓮滝を見ているし、七滝めぐりが目的でもなし釜滝だけで十分だと己に言い聞かせる。釜滝のしぶきを浴びながら小休止して、遊歩道に張られた落石通行止めのバリケートを横目に、絶壁のような石段を上り国道へ出た。
国道を下り、いくら進んでも前へ進まない蟻地獄のようなループ橋を通り、ハリスの宿泊地の慈眼院へ着いた。今日の予定はこの先の小鍋峠を越えるのだが、また峠越えの山道に入る気分にはなれない。ここからは湯ケ野温泉が近く、そこに泊まった方が明日は楽なのだが、下田駅近くに宿を予約してある。ちょうど下田駅行きの直通バスが来る時間でグッドタイミングだった。明日は小鍋峠越えがあり予定より距離はあるが、下田街道歩きの終点とする下田港までは明るい内には着くだろう。夜は下田駅近くの居酒屋で今日の反省と明日の英気を養った。店の人とも話をしながらけっこう飲んでかなり酔った。明日は大丈夫か、ケセラセラよ。
写真をクリックすると拡大します。
井上靖旧邸(昭和の森会館敷地内)
湯ヶ島から移築したもの。
太郎杉分岐
二本杉峠は直進、太郎杉へは右折し橋を渡る。
『伊豆の踊子』(川端康成)・『天城越え』(松本清張)に登場する旧天城トンネルへは踊子歩道を進む。現在では旧天城峠というと、明治38年に完成し昭和44年まで続いた旧天城トンネルのことを指すようだが、江戸期の下田街道の天城峠は二本杉峠のこと。それ以前は古峠を越えていた。二本杉峠へは直進する。
このあたりは大川端キャンプ場(跡)か。
二本杉峠(830m・旧天城峠) 【ル-ト地図】の11(正確ではない)
正面に二本杉。文政2年(1819)に梨本村板垣仙蔵により、河津側よりこの峠に至る道が開かれ、以後明治38年の旧天城トンネル完成までこの道が天城越えの主要路(下田街道)だった。
六道能化地蔵と同じ意か。もとは6体あったらしい。
首が下に置いてある。新道完成記念で造立されたか。
二本杉峠への道が完成した、文政2年に開業した茶屋跡。
林道は「行止め×」の標示
「伐採作業中」・「立入禁止」だが、ここを下るしかない(と思った)。
伐採木をまたいだり、くぐったりの障害物競争が続く。木が被さり道筋も分かりづらい。地震でも起きて木が動いたらアウトだ。
作業車が掘り返した泥んこ道となる。実際伐採作業をしている箇所もあった。通行禁止なのに通ってきて怒られるのは覚悟していたが、「気をつけて行ってください」といわれ助かった。うっかり山道から分岐した作業用の道に入ってしまい、引き返す消耗戦もくり返した。
やっと宗太郎園地に出た。橋の向う側に通行止めの標識が架かっている。ここで旧天城トンネルを抜けて来る踊子歩道と合流する。今はそっちを通るハイカーが多く、本来の下田街道の天城峠(二本杉峠)越えの道は荒れてきているのだろう。橋向うは休憩所になっている。踊子歩道を通って来た人と情報交換し、しばし休憩した。彼は河津七滝の遊歩道が落石で通行止めなのを知っていた。
宗太郎杉林(宗太郎人工杉学術参考保護林)を行く。《地図》
江戸時代より行われた冥加植栽(お礼杉)の名残で、ここの杉は明治初期に植えられた。宗太郎とは、この地を開発した人の名の名だろう。
もう強行突破する気はない。
河津七滝(ななだる)の最上流部にある。流量が豊富で迫力がある。
あとの6滝はあきらめ、絶壁のような石段を上り国道に出る。
河津七滝ループ橋(全長1064m)に入る。【ル-ト地図】の13
グルグルと回わらせられる。その間、前には進まないからやり切れない。人間の歩く道ではない、と思ったら途中にバス停があった。歩く人もいるのだ。
ここまでたどり着けたことを感謝し小休止。
右に「ハリス公使舊蹟」の石碑。ハリス一行は翌日(10月8日)は天城越えをして、湯ヶ島の弘道寺に泊まっている。
旧道への下り口を確認し、慈眼院前バス停から下田駅に出る。
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