下田街道④
2011年12月13日
伊豆急下田駅→河津駅 バス→慈眼院前・・・小鍋橋・・・小鍋神社・・・小鍋峠上り口・・・普門院分岐点・・・小鍋峠(290m)・・・子安地蔵祠・・・道標・・・大楠・・・法雲寺・・・国道414号・・・北の沢橋・・・下河原橋・・・蛇地蔵・・・旧道・・・西峰橋・・・あずさ山の家・・・目金(めがね)橋・・・国道414号・・・日枝神社・・・宮の前橋・・・竜巣院・・・米山薬師・・・落合橋・・・志戸橋・・・満昌寺・・・お吉ヶ淵・・・向陽院・・・河内温泉・・・立野橋・・・仏源寺・・・本郷橋(稲生沢川)・・・竹麻神社・・・反射炉跡バス停・・・福泉寺・・・伊豆急下田駅・・・稲田寺・・・神明宮・・・海善寺・・・宝福寺・・・下田八幡神社・・・吉田松陰投宿の跡・・・黒船橋・了仙寺・御獅子神社・・・安直楼跡・・・弁天橋・・・下田港・ペリー上陸の碑・・・稲荷神社・・・伊豆急下田駅
河津駅から8時40分の修善寺駅行きの始発バスに乗る。慈眼院の前のガードレールの切れ目から下り、旧道に出て小鍋神社に寄る。今日の武運長久を願い小鍋峠へ向かう。昨日の二本杉峠のこともあり、ちょっと不安だったが難なく峠を越せた。後は下田港に向かって車道を行くだけだ。下田の市街地に入ると、さすが観光客の多い。あちこちと立ち寄り下田港のペリー上陸の碑の前に立った。しばし海を見ながら小休止して、昔風情の残る家並みの間を通り下田駅に向かった。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
源氏再興にまつわる源頼朝と文覚上人の伝承と、小鍋、大鍋の地名由来がある。
頭は丸石が乗せてある。
道標(元文2年(1737))には、「従是下田道」・「従是普門院道」。普門院は鎌倉公方足利持氏の開基といい、末寺49寺を有していたという。
小鍋峠は直進する。
下田から江戸へ向かうハリス一行もここを通った。いくつかの石造物がある。
後ろに峠の一本杉が立っていたそうだ。
読めない。
右は塞(さい)の神の石祠。古くなったお雛さまを供える慣わしがあるという。
「左 三しま 右下川津東浦 道」
この先で国道に出る。
石の前に小地蔵が2体。石の上に蛇に似た溝があるのでこう呼ばれているそうだ。
溝に水が溜まっている。この水が涸れると干ばつになるという。その上にも溝がありそっちの方が蛇に似ているか。そこに水はないから干ばつになるかも。
いろんな銘柄の酒がぎっしり。
深根城跡方向(龍巣院の南方)
下田街道①で訪れた願成就院に足利茶々丸の墓があるが、深根城跡の近くにも茶々丸の墓と伝える宝篋印塔あるようだ。ここまで落ち延びて来たという判官びいき伝承だろうか。
行基が山芋と茶がらで作ったといわれる薬師如来は、日本三大薬師の一つというが。
唐人お吉が身を投げたという淵(稲生沢川)。今は浅くて入水自殺は無理だろう。
千人風呂が有名のようだ。
全国で一番低い富士。器量が悪いとか。『富士山三姉妹の民話』
韮山反射炉の前に、このあたりに反射炉を築いたのか? 遺構などは残っていないようだ。
稲田寺(とうでんじ) 《地図》
宝福寺に次ぐ仮奉行所跡。その後、安政2年(1855)に中村に約1万坪の田地を埋め立て、1万6千両の建設費を投じて、堀や塀をめぐらせた奉行所が完成した。(下田市東中14)
*『下田歴史散策』
安政元年(1854)の東海地震の津波犠牲者供養塔
海善寺 (伊豆88ヶ所霊場の41番)
あじさい寺として有名で、博徒の伊豆の金平の墓があるそうだ。
宝福寺 【ル-ト地図】の18
「唐人お吉」こと、斎藤きちはこの写真通りの美人だったのか?
黒船橋・了仙寺
この寺で日米和親条約の細則を定めた下田条約を締結した。
お吉が営んだ小料理屋跡
2人は当方とは関わりなし。
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