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2011年12月22日 (木)

下田街道④

2011年12月13日

伊豆急下田駅→河津駅 バス→慈眼院前・・・小鍋橋・・・小鍋神社・・・小鍋峠上り口・・・普門院分岐点・・・小鍋峠(290m)・・・子安地蔵祠・・・道標・・・大楠・・・法雲寺・・・国道414号・・・北の沢橋・・・下河原橋・・・蛇地蔵・・・旧道・・・西峰橋・・・あずさ山の家・・・目金(めがね)橋・・・国道414号・・・日枝神社・・・宮の前橋・・・竜巣院・・・米山薬師・・・落合橋・・・志戸橋・・・満昌寺・・・お吉ヶ淵・・・向陽院・・・河内温泉・・・立野橋・・・仏源寺・・・本郷橋(稲生沢川)・・・竹麻神社・・・反射炉跡バス停・・・福泉寺・・・伊豆急下田駅・・・稲田寺・・・神明宮・・・海善寺・・・宝福寺・・・下田八幡神社・・・吉田松陰投宿の跡・・・黒船橋・了仙寺・御獅子神社・・・安直楼跡・・・弁天橋・・・下田港・ペリー上陸の碑・・・稲荷神社・・・伊豆急下田駅

  河津駅から8時40分の修善寺駅行きの始発バスに乗る。慈眼院の前のガードレールの切れ目から下り、旧道に出て小鍋神社に寄る。今日の武運長久を願い小鍋峠へ向かう。昨日の二本杉峠のこともあり、ちょっと不安だったが難なく峠を越せた。後は下田港に向かって車道を行くだけだ。下田の市街地に入ると、さすが観光客の多い。あちこちと立ち寄り下田港のペリー上陸の碑の前に立った。しばし海を見ながら小休止して、昔風情の残る家並みの間を通り下田駅に向かった。

  【ル-ト地図】(20.6km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8640小鍋神社 【ル-ト地図】の①

源氏再興にまつわる源頼朝と文覚上人の伝承と、小鍋、大鍋の地名由来がある。

Img_8641由来

Img_8642右に小鍋峠へ

Img_8643説明板

Img_8648山道となる。

Img_8653地蔵(文政10年(1827))

頭は丸石が乗せてある。

Img_8657普門院分岐(左折)

道標(元文2年(1737))には、「従是下田道」・「従是普門院道」。普門院は鎌倉公方足利持氏の開基といい、末寺49寺を有していたという。

小鍋峠は直進する。

Img_8660石仏

Img_8668小鍋峠(290m)

下田から江戸へ向かうハリス一行もここを通った。いくつかの石造物がある。

Img_8667題目塔(安政6年(1859))

後ろに峠の一本杉が立っていたそうだ。

Img_8670地蔵か

Img_8672歌碑?

読めない。

Img_8675峠からの下り

Img_8677気分のいい道だ。

Img_8678明るい道となる。

Img_8681舗装された道となり下って行く。

右は塞(さい)の神の石祠。古くなったお雛さまを供える慣わしがあるという。

Img_8682子安地蔵の祠 

Img_8688道標(安政2年(1855)))

「左 三しま 右下川津東浦 道」 

Img_8689ハリスの見た大楠の孫?

この先で国道に出る。

Img_8695蛇地蔵

石の前に小地蔵が2体。石の上に蛇に似た溝があるのでこう呼ばれているそうだ。

Img_8696溝に水が溜まっている。この水が涸れると干ばつになるという。その上にも溝がありそっちの方が蛇に似ているか。そこに水はないから干ばつになるかも。

Img_8710つちたつ酒店

いろんな銘柄の酒がぎっしり。

Img_8712深根城跡方向(龍巣院の南方)

下田街道①で訪れた願成就院に足利茶々丸の墓があるが、深根城跡の近くにも茶々丸の墓と伝える宝篋印塔あるようだ。ここまで落ち延びて来たという判官びいき伝承だろうか。

Img_8715米山薬師

行基が山芋と茶がらで作ったといわれる薬師如来は、日本三大薬師の一つというが。

Img_8716由来

Img_8749お吉地蔵・お吉ケ淵 【ル-ト地図】の② 

唐人お吉が身を投げたという淵(稲生沢川)。今は浅くて入水自殺は無理だろう。

Img_8745_2説明板(お吉地蔵)

Img_8736池の向うに小堂(お吉ケ淵の前)

Img_8739小堂前

Img_8735今にも身投げしそうな鴨ちゃん。

Img_8751お吉ケ淵交差点で右に旧道に入る。

Img_8757河内温泉の一軒宿金谷旅館地図

千人風呂が有名のようだ。

Img_8769下田富士(187m) (本郷橋から)

全国で一番低い富士。器量が悪いとか。『富士山三姉妹の民話

Img_8770伊豆急が走る。もう下田のゴールは近い。

Img_8771竹麻神社と旧家

Img_8772反射炉跡バス停

韮山反射炉の前に、このあたりに反射炉を築いたのか? 遺構などは残っていないようだ。

Img_8784稲田寺(とうでんじ) 《地図

宝福寺に次ぐ仮奉行所跡。その後、安政2年(1855)に中村に約1万坪の田地を埋め立て、1万6千両の建設費を投じて、堀や塀をめぐらせた奉行所が完成した。(下田市東中14)

下田歴史散策

Img_8786津なみ塚(嘉永7年(1854))

安政元年(1854)の東海地震の津波犠牲者供養塔

Img_8785説明板

Img_8791海善寺

あじさい寺として有名で、博徒の伊豆の金平の墓があるそうだ。

Img_8793宝福寺

Img_8792「唐人お吉」こと、斎藤きちはこの写真通りの美人だった。

Img_8794説明板

Img_8799吉田松陰投宿の跡 【ル-ト地図】の③

Img_8800黒船橋・了仙寺

この寺で日米和親条約の細則を定めた下田条約を締結した。

Img_8806安直楼 【ル-ト地図】の④

お吉が営んだ小料理屋跡

Img_8808説明板①

Img_8807説明板②

Img_8818ペリー上陸の碑 【ル-ト地図】の⑤

Img_8813説明板

Img_8823松本旅館

Img_8826旧家

Img_8831旧家(前の写真の家の側面)

2人は当方とは関わりなし。

Img_8634寝姿山

Img_8833伊豆急下田駅

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