房総往還⑦
2011年11月25日
浜金谷駅(JR内房線)・・・金谷川・・・天王川ガード(内房線)・・・鋸山裏登山口・・・観月台・・・石切場跡分岐・・・日本寺北口管理事務所・・百尺観音・・地獄のぞき・・鋸山展望台・・西国観音・・二天門・・百体観音・・あせかき不動・・千五百羅漢道・・大仏・・大黒堂・・表参道管理事務所・・仁王門・・・表参道・・・小磯川・・・JRガード・・・保田駅・・・国道127号・・・保田橋(保田川)・・・七面橋(七面川)・・・磯邊神社・・・保田漁港・・・吉浜橋(吉浜川)・・・(菱川師宣記念館)・・道の駅きょなん・・・砂田橋(砂田川)・・・竜島バス停・・・神明神社・・・源頼朝上陸地碑・八王子神社・・・極楽寺・・・(安房勝山駅)・・・勝山橋(佐久間川)・・・加地山神社・・・勝山交差点・・・下佐久間交差点・旧道・・・大乗院・白幡神社・・・持福寺・・・国道127号・・・勝岩トンネル・・(南房総市)・・・岩井橋(岩井川)・・・岩井駅(内房線)
【ル-ト地図】(保田駅→岩井駅)・(浜金谷駅→鋸山→保田駅は、『鋸山日本寺案内図』)
*『房総往還⑥』からの続きです。
房総往還は海岸沿いを通って安房国に入るが、鋸山を越えて保田駅に下り、房総往還に出て岩井駅まで行く。快晴だし鋸山からの展望がいいだろう。
写真をクリックすると拡大します。
長い階段が続く。
ここから先は日本寺の境内で拝観料を払う。
世界戦争戦士病没殉難者供養と交通犠牲者供養のために、6年の歳月をかけて昭和41年に石切場跡に彫られた磨崖仏。航海、航空、陸上交通の安全を守る観音像。
東京湾フェリーが金谷港から久里浜港に向けて出港した。約40分で着くそうだ。
廃仏毀釈で頭部を落とされた観音像が多い。千五百羅漢も首を欠かれて荒廃し、「羅漢様お首つなぎ」などの復興作業中。
白く剥落しているのが「汗」か?
「身の罪の 重きを恨みたきつせの 不動の力 たのむうれしさ」とある。
総高31mで日本一。日本寺の本尊の薬師瑠璃光如来で、左手に薬壺を持っている。露座の大仏が本尊なのは鎌倉の高徳院の大仏(阿弥陀如来)と同じだ。
天明3年(1783)に大野甚五郎英令が27人の門徒と岩山を3年かけて彫刻したものが原型で、昭和41年から4年かけ修復・復元された。
表参道管理事務所から仁王門、表参道を通り保田駅に出て、房総往還(国道127号)に復帰する。
菱川師宣記念館 【ル-ト地図】の②
師宣は(現)鋸南町の生まれ。記念切手を蒐集し始めた頃、切手趣味週間の「見返り美人」は垂涎(すいぜん)の的、高値の花だった。今では1枚、6千円位するようだ。
橋が架かっている。
石橋山の合戦で敗れ、伊豆の真鶴崎から 小船で脱出し、この地に上陸したという伝承地。
真鶴崎(岬)はその向こうの伊豆半島の付け根の相模湾沿いだ。ここから60km位はあるだろう。
頼朝が上陸の際に祈願したという。
正面の木が文化3年(1806)の竜島村大火の際の焼け跡が残っているというビャクシンか?
山頂に展望台がある。四方の眺めがよさそうだがパスした。
もとは牛頭天王社で、村内の12社を境内社として合祀している。
商店街通りの南側?の住宅地一帯が安房勝山藩陣屋跡だそうだ。遺構は井戸跡しかないようだが。
中世の平群郡の豪族、安西氏の居館跡と伝える。
右端が説明板の山王系庚申石祠だろう。
『南総里見八犬伝』ゆかりの山だ。明日は山麓を通って館山に向かう。
旧道は手前で左折し、内房線を渡り大きく迂回し県道89号に出て、トンネルの先の二部交差点で国道に合流するのだがうっかり通り過ぎた。
岩井橋を渡り岩井駅に向かった。明日は房総往還の最終日だ。館山まで頑張ろう。
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