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2011年12月 1日 (木)

中津街道②(苅田駅→椎田駅)

2011年11月15日

苅田(かんだ)駅(JR日豊本線)・・・地蔵堂・・・宇原神社石灯籠・・西国三十三所堂・・・緑橋(殿川)・・・浮殿神社・石塚山古墳・・・富久町交差点・国道10号・・・近衛橋・旧道・・・苅田港線跡・・・覚法寺・・・白庭神社・御所山古墳・・・塩竈神社・・・交通安全道標・・・明増寺・・・二崎交差点・・・小波瀬橋(小波瀬川)・・・浦川橋・・・行事飴屋跡・・・万年橋(長峡川)・・・宮市橋・・旧百三十銀行・・・旧縁寺・・大橋三叉路・道標・・・正八幡神社・・・万福寺・・今川橋(今川)・・・京都高校・・・小犬丸橋(江尻川)・・・県道28号・・・旧道・・・県道28号・・・辻垣橋(祓川)・・・旧道・・・(行橋バイパス)・・・今井入口交差点・・・ぎおん道道標・・・勝手神社・・・石堂池・中池・・・行橋市稲童交差点・国道10号・・・小迫池・弘五郎池・・旧道・・・国道10号・・・音無橋・・・航空自衛隊築城基地・・・旧道・・・十箱池・・自衛隊前交差点(国道10号)・・・築城踏切・・・(築城駅)・・・徳光池・・・法然寺・・・道標・・・二口橋(城井川)・・・西高塚の道標・・・高塚踏切・・・高塚交差点(国道10号)・・・西之橋(岩丸川)・・・椎田駅(日豊本線)

  【ル-ト地図】(22.7km)

 写真をクリックすると拡大します。

Img_6161宇原神社参道

秋祭りの「かんだ山笠」は福岡県の無形文化財。石塚山古墳から出土した三角縁神獣鏡が保存されている。

Img_6170浮殿神社・石塚山古墳 【ル-ト地図】の①

Img_6169説明板

Img_6178後円部から前方部方向

Img_6186苅田港線跡 《地図

小波瀬西工大前←→ 苅田港間を結んでいた貨物線路

Img_6194白庭神社・御所山古墳 《地図

Img_6191説明板

Img_6195古墳の上に立つ白庭神社

毎年2月12日「福焼き(どんど焼き)」が行われ、参拝者がしめ飾りや古いお札をくべて無病息災を願う。

Img_6192墳丘写真

中央が白庭神社

Img_6203塩竈神社(右の石段上)

ここは円墳の石塚古墳だそうだが。

Img_6205塩竈神社

享保年間(1716~36)に与原の製塩業の繁栄を願って、宮城県塩釜市の塩竈神社から勧請した。神社から東方を見ると、その昔賑わった塩浜・塩釜の跡地が広がっているというが、今は住宅地となっているようだが。

Img_6208交通安全道標

「行通安全 西 白川 東 蓑嶋」 大正十四年 増田荘市之建」 増田氏はここで酒、雑貨の店を営んでいたそうだ。

Img_6218小波瀬川沿いを進み、小波瀬橋を渡る。《地図

蜆(シジミ)は今でも採れるだろうか?

Img_6226行事飴屋跡 【ル-ト地図】の②

小倉藩屈指の豪商で、藩主もくぐった御成門。飴屋は屋号で本姓は玉江といい、三代目の宗利が宝永6年(1709)に珍しい飴を創作して成功し、質商、酒造業、醤油醸造など商いを広げて、小笠原藩から私札(飴屋札)の発行まで許された。飴屋は豊前国の経済を支配したが、維新後の急激な社会の変動には勝てず小笠原藩と盛衰を共にした。

Img_6227説明板

Img_6230万年橋から長狭(ながお)川

河口は、かつて豊前の国内では有数の港として栄え、川の両岸、行事村や大橋村には小倉藩の御蔵所や在郷商人の浜倉が並んでいた。長峡の名は景行天皇がこの地に行宮を置いて京(みやこ)と呼ぶようになり、この時に長峡県(ながおのあがた)を設けたことに始まるという。

Img_6241旧百三十銀行 《地図

現在は「行橋赤レンガ館」の市民ギャラリー。

Img_6243説明板

Img_6248大橋三叉路 【ル-ト地図】の③

山本寝装店前に道標。ここは曲りがきつく、馬車馬が暴れ込んでは大変と立てたが、三叉路で道をよく聞かれるので道しるべも兼ねるようにしたそうだ。山本寝装店は廃業してしまったか、馬が暴れ込んだような状態になってしまっている。

Img_6249道標

指差しで、「南中津道 西小倉道 東今元道」

Img_6264大橋正八幡神社 《地図

応神天皇、神功皇后、此売大神を祀る。寛永年間(1624~43)に、京都郡草野村の草野正八幡神社から分社して、仲津郡大橋、宮市、小部野の3村の産神として建立された。

Img_6262今日は「七五三」だ。

Img_6273京都(みやこ)高校(左)沿いに進む。

Img_6296自宅劇場とは?

Img_6297ぎおんみち道標(明治19年建立) 【ル-ト地図】の④

指差しで「ぎをんみち」で、今井祇園の須佐神社への道しるべ。ここから2.5kmほどか。《地図

この道を少し行くと右側に勝手神社がある。

Img_6306勝手神社

参考にした『中津街道を歩く』には、「社伝によると、天慶元年(938)に覗城主の高橋太郎種忠が創建した」とある。覗城(のぞきじょう?)のことは調べても分からず。

Img_6305自然崇拝の巨石信仰だろう。

Img_6315石堂池(左)と中池(右)の間を進む。《地図

Img_6342航空自衛隊築城基地

ここは松原展望台で戦闘機やブルーインパルスのの訓練飛行が見学できるようで、車で来て双眼鏡を覗いている人たちがいた。

Img_6349基地沿いに左折して行く。《地図

Img_6351築城基地

Img_6361築城(ついき)駅前を通過

人通りもなく寂しい感じなのは、どこの地方の駅前でも同じか。時間帯にもよるのだろうが。

Img_6366徳光池沿いに進み法然寺に寄る。

Img_6367法然寺 《地図

永正年間(1504~20)に当寺を再興した行信は晩年、境内に土倉を掘らせ即身成仏の願こ込めて入定した。七日七夜土倉から鐘の音と読経が聞こえたが、遂に声と音とも消えた。門徒たちは、行信を土葬にし、その上に松を植えて「行信松」と呼んだ。松は大木となったが枯死してしまった。4代目の松が植えられているというが見当たらず。(見逃したか)

この寺には天正15年(1587)、秀吉から豊前国六郡を与えられた黒田孝高(如水)が暫く滞在したという。

Img_6376_2江戸時代の道標 《地図

(道)の所で折れたのをそのまま、修復したようで下の部分はない。

Img_6377説明板

すぐ先で城井川の土手に上がり左折し、二口橋を渡る。

Img_6384二口橋から日豊本線

Img_6386特急にちりん?も行く。

Img_6388西高塚の道標(正面の角、MITSUBISHIの看板下) 【ル-ト地図】の⑤

Img_6389道標

「従是南求菩提道」「従是北小倉道」「従是東中津道」

「求菩提道」は修験道の山、求菩提山への道。

高塚踏切、高塚交差点、岩丸川を渡り、椎田地区に入り椎田駅に向かった。

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