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2012年1月19日 (木)

東高野街道②

2012年1月3日

四条畷駅(JR片町線)・・・(大東市)・・・瑞玄寺・・・十念寺・・旧道・・・野崎観音(慈眼寺)・・・メノコ橋欄干石・・・七つ橋地蔵尊・・・(阪奈道路)・・・国道170号・・・鍋田橋(鍋田川)・・・(東大阪市)・・・楯津濱碑・・・旧道・・・大峯山供養塔・・・唐櫃石・・・石切剣箭神社・・・暗越奈良街道交差地点(箱殿東交差点)・地蔵堂・道標・・・枚岡神社鳥居・・・鳥居地蔵・・・大師堂・・・喜里川町南交差点・国道170号・・・瓢箪山駅(近鉄奈良線)・・・太閤橋・・瓢箪山稲荷神社・・・発掘ふれあい館・・・六万寺中交差点・・・梶無神社・・・(八尾市)・・・心合寺山古墳・・・八尾市歴史民俗資料館・・・服部川駅・近鉄信貴線ガード・・・(府道177号)・・・教興寺・・・信貴山道標・・垣内村一里塚跡・・・善光寺・・・来恩寺・・・恩智神社・・・恩智城址・・・シュミイ地蔵・・・八王子神社・・・神宮寺・・・(柏原市)・・・山井寺・・・瑠璃光寺・若倭姫神社・・・禅林寺・・若倭彦神社・・・遠慶寺・・・鐸比古鐸比売神社・・・地蔵堂・・・円林寺・・安明寺・・・観音寺・・・石神社・・・国道170号・・・安堂駅(近鉄大阪線)

  四条畷市→大東市→東大阪市→八尾市→柏原市と進んだ。単調で見所も少ない国道歩きを避けて、少し東側の道をあちこちと寄り道しながらの行程だった。南に向かって行くので追い風で寒くなく快調だ。それにしても大阪は小さな市が多い。大阪都構想が実現すると全部特別区になるのか? 統廃合されるのか? 別にどうでもいいが。

  【ル-ト地図】(24.2km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9244十念寺 《地図

楠正行と一族の菩提寺

Img_9248すぐ先で左に旧道に入る。

大東市の東高野街道の標柱が立つ。

Img_9249標柱

Img_9253説明板

Img_9254野崎観音(慈眼寺)参道

上方落語散歩②』で訪れているのでここから遥拝しパスした。近くには「臍(へそ)の王神社」という変わった神社もある。

Img_9261メノコ橋の欄干石 【ル-ト地図】の①

弘法大師が欄干を枕にして寝たのでネノコ橋で、それがメノコ橋と呼ばれるようになったとか。民話『メノコ橋』(「大東我が街」より)

Img_9259中央から左に「メノコ橋」と刻まれている。

Img_9258寺川の家並み

Img_9262七つ橋地蔵尊

Img_9275楯津濱碑(左・春日神社参道) 《地図

神武天皇の東征の折、孔舎衛坂(くさえざか)の戦で兄の五瀬命が負傷した。神武軍は進めず草香津へ引返し、を立て並べて雄叫びして士気を鼓舞したので、この津を「盾津」と改めた。という日本書紀の話から由来するのだろう。南に孔舎(くさか)小学校がある。

Img_9277旧道は左へ 《地図

Img_9281石切の家並み

Img_9284唐櫃石

役の行者がこの上で座禅したしたという石。「石切の三名石」の一つ。

Img_9283説明板

Img_9287石切剣箭神社

「デンボ(腫れ物)の神様」、がん封じの霊験あらたかで、「石切さん」で親しまれている。

Img_9290参道

正面は絵馬殿で、屋根上には剣箭が天に向かっている。

Img_9293暗越奈良街道交差地点(箱殿東交差点) 【ル-ト地図】の②

東高野街道は直進、暗越奈良街道は右から左へと進む。

Img_9294地蔵堂の脇に道標

Img_9295「東江 すぐなら いせ道」が竹内街道で、「南江 すぐ かうや道」が東高野街道。

Img_9296説明板

Img_9300枚岡神社鳥居

ここも暗越奈良街道で参っているので遥拝のみ。

Img_9301鳥居地蔵堂

鳥居はこのあたりの地名。枚岡神社の鳥居からの地名だろう。 

Img_9303鳥居地蔵

Img_9315瓢箪山の中央商店街を抜けて行く。

Img_9317瓢箪山駅前

瓢箪山古墳はこんな形だったか。

Img_9318瓢箪山稲荷神社参道

「淡路島かよう千鳥の河内のひょうたん山恋の辻占」。このあたりは「みこの辻」と呼ばれ辻占の占場、総本山だった。往来する人の服装、態度、持ち物などを見て判じたという。今は占場は東参道に移されている。

鳥居の下に小さな太閤橋が架かっている。

Img_9321瓢箪山稲荷神社 《地図

双円墳の瓢箪山古墳の上に建っている。

Img_9320説明板

Img_9326東参道のうらば(占場)碑

Img_9332発掘ふれあい館(埋蔵文化財センター)

Img_9331縄手遺跡説明板

六万寺中交差点で単調で見所も少ない国道170号から離れ、東側の道を南下する。

Img_9336梶無神社地図

江戸時代までは航海安全の神として崇敬されていたという。

1kmほど東方に往生院六萬寺がある。そこにも楠正行の墓所がある。

Img_9343横小路の家並み

Img_9346東高野街道の道筋ではないが、国道歩きよりは気分がいい。

Img_9369心合寺山古墳(新池から) 【ル-ト地図】の③

史跡公園として復元整備されている。正月の休みで墳丘内には入れず。

Img_9375説明板

Img_9373前方部の後方から

Img_9386八尾市立歴史民俗資料館

Img_9401左に「史跡の道 八尾市」の標柱。

その向こうの電柱下に岩谷弁財天への道標が立つ。

ここを右折して教興寺へ向かう。

Img_9396岩谷弁財天(岩戸神社)への道標

Img_9406教興寺地図

このあたりは戦国時代の三好長慶と畠山高政との教興寺合戦の地。

Img_9413湯川直光勇戦の地碑(教興寺境内)

Img_9412説明板

Img_9418信貴山道標の辻(国道170号) 《地図

Img_9417信貴山毘沙門天王への道標

Img_9422垣内村一里塚跡 【ル-ト地図】の④

右が西塚跡で、法華塔と一里塚跡標柱が立つ。

Img_9425東塚跡

Img_9426説明板

Img_9433道標「右 善光寺」

Img_9434善光寺  《地図

信濃の善光寺を建立した本田善光の建立という。

Img_9435説明板

Img_9440善光寺の大楠

Img_9447恩智中町の旧家

Img_9449恩智神社

Img_9453

来恩寺

河内西国霊場の11番霊場。恩智神社のすぐ下の感応院が12番。

Img_9457恩智神社参道

Img_9459恩智神社

Img_9461由緒

Img_9468恩智城址(二の丸跡) 【ル-ト地図】の⑤

ここは後の恩智小学校跡で、校門の門柱が残っている。

Img_9467説明板

Img_9472恩智城址から国道170号へ下る坂。

Img_9475シュミイ地蔵堂  《地図

Img_9477シュミイ地蔵(天文13年(1544))

「シュミイ」の由来は不明だそうだ。

Img_9476説明板

再び国道から離れ、東へ八王子神社から神宮寺方向へ入る。

Img_9479八王子神社(右の塀内)

Img_9482説明板

Img_9498瑠璃光寺 《地図

Img_9497境内の如来形坐像(中・鎌倉初期)・菩薩形立像(左)

いずれも古墳の家形石棺の蓋を転用して造られた石像。

Img_9492説明板

Img_9500若倭姫(わかやまとひめ)神社(瑠璃光寺境内)

Img_9505このあたりは細い道と旧家が多い。

Img_9511若倭神社 《地図

平野地区の産土神で別名を「あかざ八幡」

Img_9512説明板

Img_9519鐸比古鐸比売(ぬでひこ ぬでひめ)神社  《地図

Img_9522由緒

Img_9525路地のような道を抜けて行く。

Img_9531観音寺への上り坂 《地図

途中に民家風な円林寺、安明寺がある。

Img_9537途中から振り返る。なかなか風情のある坂だ。

Img_9538観音寺

知識寺の法灯を継ぐ寺。このあたりには柏原ぶどう畑が広がっている。「柏原ワイン」もある。

Img_9542説明板

Img_9544

観音寺からの眺め

Img_9556石神社の大楠

樹齢500年近く

Img_9554説明板

Img_9557石神社

Img_9565知識寺東塔の礎石

Img_9563説明板

国道170号に出て安堂駅に向かった。

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