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2012年2月27日 (月)

伊勢街道④(松阪駅→宮町駅)

2012年2月8日

松阪駅(JR紀勢本線)・・・和歌山街道追分・・・愛宕橋・・・菅相寺・・・小津安二郎青春館・・・里中橋(名古須川)・・・荒神山稲荷・・・信楽寺・・・神戸神社・・・徳和坂・庚申祠・・・金剛橋(金剛川)・・・徳和畷・・・極門橋・常夜灯・・・徳和踏切(紀勢本線)・・・女人供養塔・・・北上神社・・・沖玉の夫婦石・・・八柱神社・・・道標・・・浄林寺・・・願証寺・・おもん茶屋跡・・・櫛田交差点(県道38号)・・・豊養稲荷神社・・・櫛田橋(櫛田川)・・・大乗寺・早馬瀬神社・・・稲木地区・・・六字名号碑・・・祓川橋(祓川)・・・道標・・・斎宮歴史博物館・・・伊勢古道・・斎宮遺跡・・斎王の森・・・いつきのみや歴史体験館・・・秋葉神社・観音寺跡・・・斎宮城碑・・・竹神社・・・道標・・・有明六地蔵(六地蔵石憧)・・・盃地蔵・・・道標・・・新笹笛橋(笹笛川)・・・安養寺・明星水・・・(大堀川)・・・そうめん坂・・・水池土器製作遺跡・・・明星地区・・・道標・・・弘法大師堂・・・(伊勢市)・・・徳浄上人千日祈願塔・明野庚申堂・・・へんば屋・・・相合橋(相合川)・・・庚申堂・・・惣之橋(外城田川)・・・小俣町道路元標・・・札の辻(紀州藩高札場跡)・・・離宮道踏切(JR参宮線)・・・離宮院跡・・・浄土寺・・・鳥羽藩本陣跡・・・板田の橋跡・・・鳥羽藩高札場跡・・・参宮人見附碑・宮古橋(汁谷川)・・・(JR参宮線)・・・宮川橋(宮川)・桜の渡し跡・・・茶屋町の道標・・山田上口駅(参宮線)・平清盛幕張松古蹟碑・・・宮町駅(近鉄山田線)

 時折、風に舞って雪が落ちてくる街道を、伊勢市に入り宮川を渡った。もう外宮は間近だ。明日ゆっくりと外宮から間の山を越えて内宮へ参ろう。

  【ル-ト地図】(25.0km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1995 菅相寺

「愛宕の天神さん」で梅鉢紋。正面が本堂で菅原道真を祀る天満宮という変わった寺だ。

Img_1993 説明板

Img_1996小津安二郎青春館 《地図

Img_2004 信楽寺 《地図

右に閻魔堂

Img_2005 閻魔像

Img_2009 神戸神社

Img_2013 徳和坂を上る。【ル-ト地図】の①

4日目にして伊勢街道最初の名前のある坂に出会った。

Img_2014 庚申堂(坂上近く)

青面金剛像が安置。

Img_2019 徳和畷を行く。

白酒を名物とする店が数軒並んでいたという。

Img_2023 常夜灯(文政12年(1829)建立・嘉永2年(1849)に修理)

江戸干鰯問屋などの寄進。

Img_2027 常夜灯・町石(右)

町石には「片岡山大日如来是より三丁」

Img_2029 女人供養塔(明治13年)

由来は?

Img_2032 北上神社

行き倒れた参宮道者の霊が祀られているというが。

Img_2035 沖玉の夫婦石

この石は酒好きで酒をかけると、段々酒を飲まなくなるという。「断ち物信仰」の一種か。

Img_2038 八柱神社 《地図

右は明和5年(1768)の常夜灯

Img_2043 連子格子の家並み

Img_2045 道標(弘化3年(1846))

「従是外宮四里」で、伊勢神宮はだいぶ近づいてきた。

Img_2048 旧家

Img_2051 浄林寺

Img_2064 おもん茶屋跡 《地図

へんば餅を名物にしていた。「おかん茶屋」もあった。

「旅人はいづれにこころうつるやとおもんおかんが売れる焼餅」(『東海道中膝栗毛』)、旅人はどっちで買うか、「こころうつる」は、どちらの女に心が移る、焼餅は嫉妬という意を含んでいる。

Img_2071 櫛田交差点を横切って行く。

このあたりに藤堂藩の豊原本陣の奥田清十郎家があったそうだ。

Img_2074 豊養稲荷神社(左) 《地図

櫛田神社の旧地で「櫛田大市」碑が立っている。

Img_2077 旧家

Img_2078 道標(文政2年(1819))

「左さんくうみち」で、左折し右折して櫛田川の堤防上に出る。

Img_2084 櫛田川(櫛田橋から)

冬・春の渇水期には仮橋で、夏・秋の増水期には舟で渡し、橋銭・舟銭を取っていた。

Img_2089 早馬瀬地区

右に地蔵(天保9年(1838))、ここは機殿(はたどの)道との分岐点。

Img_2091 左に近鉄山田線が通る。

Img_2093 稲木地区

かつては茶屋や旅籠が点在していた。

Img_2098 六字名号碑(文化14年(1817))

梵字6文字が刻まれている。

Img_2102 祓川(祓川橋)から 《地図

斎王群行の際には、ここで祓いをして斎宮に向かったというが、今は祓いができるほどきれいな流れではない。

Img_2103 道標(弘化4年(1847))

「従是外宮三里」

Img_2109 竹川地区の家並み

このあたりに駕籠屋の溜まり場、馬の取次ぎ場がある立場茶屋があり、明治以降は人力車、馬車の溜まり場だった。

近鉄山田線の踏切を渡り、斎宮歴史博物館に寄る。

Img_2122 斎宮歴史博物館

ちょうど映像展示室では「斎王群行」が上映される時刻だった。あまり面白味のある内容ではなかったが、致し方なしか。

Img_2132 斎王と命婦の人形

Img_2151 葱華輦(そうかれん)

斎王は斎王群行で都から鈴鹿峠を越え、斎宮にやって来た。

Img_2150 説明板

Img_2136 伊勢古道 《地図

伊勢神宮へ、斎王や使者の通った官道跡。

Img_2119 説明板

Img_2147 斎王の森 《地図

Img_2141 説明板

Img_2145 大伯皇女歌碑

「わが背子を大和にや(遣)るとさ夜ふ(深)けて あかとき(暁)露にわが立ちぬ(濡)れし」

初代の斎王で、弟の大津皇子が謀反の疑いで処刑される直前に訪ねて来た時に詠んだ歌とも。

いつきのみや歴史体験館に寄り、街道に戻る。

Img_2160 斎宮城跡碑

Img_2161 説明板

戦国時代と北畠一族』によれば、野呂三郎の徳政一揆は弘治元年(1555)で、北畠材親(永正14年(1517)に死去)の時代ではないのだが。

Img_2165 竹神社

毎年6月に行われる斎王まつりの斎王行列の出発地点。

Img_2163 説明板

謡曲絵馬

Img_2167 道標

北野天満宮への道標。

Img_2169 旧家

Img_2173 有明の六地蔵(六地蔵石憧) 【ル-ト地図】の②

Img_2172 説明板

Img_2181 盃地蔵 【ル-ト地図】の③

防火にご利益あり。もとは街道沿いにあった。

Img_2183 地蔵

Img_2187 道標2基

手前が「斎宮旧蹟蛭澤之花園」で、天然記念物のどんと花(野花しょうぶ)群生地への案内。

後ろは「斎王隆子女王御墓従是拾五丁」で、天延2年(974)斎宮で病没した斎王の墓への道標。

Img_2195 新笹笛橋を渡る。《地図

Img_2198 旧家

Img_2212 明星水(安養寺境内)

門前の明星茶屋で、浄めの茶として参宮者の喉を潤した。日本三霊水の一つ。 あとの2つは、「忍潮井(忍塩井)おしおい」と、「伏見の直井」(京都伏見のどこにあるのか?)だとか。

Img_2211 説明板

Myoujyou明星(茶屋)(伊勢参宮名所図会

弥次喜多もここで休憩し、派手な大縞の着物の上方者と出会う。弥次さんと上方者は二宝荒神(馬の背に2つの鞍をつけて乗る)で、相手の土地の習慣、風俗を腐しながらの道中となる。『東海道中膝栗毛』

Img_2219 そうめん坂を上る。 【ル-ト地図】の④

明治初年まで参宮者相手のそうめん屋があったそうだ。

Img_2220 坂標

Img_2233 水池土器製作遺跡

手前が土師器焼成坑跡か?

Img_2224 説明板

Img_2235 明星地区

Img_2237 旧家

Img_2242 旧家

Img_2248 道標(嘉永6年(1853))

「従是外宮二里」

Img_2253 新茶屋地区

屋号「かめや」

Img_2254 弘法大師堂

参宮者の信仰を集めていたという。

Img_2255 大師像

Img_2266 伊勢市に入ったとたんに風に雪が舞ってきた。

Img_2269明野庚申堂・徳浄上人千日祈願塔(明野庚申前交差点の所)

Img_2270 説明板

Img_2272 庚申塔

Img_2273 旧家

Img_2274 へんば屋 《地図

三方荒神(3つの鞍を置いた馬)などでの参宮者が、ここで馬を返し(返馬)一休みしたことから名づけられた。

Photo 三方荒神で行く東海道吉原

Img_2276 「へんば餅」を買おうとしたが、店内は客が列をなしているのでやめた。

相合(そうごう)橋(相合川)を渡る。

Img_2280 庚申堂(左)

Img_2283 新出地区の家並み

Img_2286 外城田川(惣之橋から)

平時は水量が乏しいが、雨が降るとすぐ増水することから「貧乏川」と呼ばれた。

Img_2288 小俣町道路元標

Img_2292 札の辻(紀州藩高札場跡) 《地図

街道は左折だが直進し、離宮院跡に寄る。

Img_2305 離宮院跡の土塁跡

Img_2308 説明板

Img_2311 屋号「丸吉」

煙草入れ、薬などを商っていた。

Img_2315 鳥羽藩本陣跡

このあたりは紀州藩と鳥羽藩が接近していたようだ。

Img_2317 板田の橋跡碑(手前)、民家の向うに鳥羽藩高札場跡碑。

板田の橋跡碑には、「名木 板田の薄紅葉跡」とある。むろん橋も紅葉もない。

Img_2321 宮古橋(汁谷川)を渡る。

左に「参宮人見附碑」。元は常夜燈で、夜間の参宮者を監視する参宮人見附を灯していたという。

Img_2334 宮川橋(宮川)から宮川

「桜の渡し」(宮川の渡し)は無料で、泳いで渡る人もいたようだ。明治30年に参宮線が開通するまで続いていた。

日永の追分で鳥居をくぐった「おかげ参りの犬」も無事に川を泳ぎ渡ったようだ。『宮川の渡し』の広重の絵に元気な姿が描かれている。

Img_2335「桜の渡し」説明板(左) 《地図

Img_2336説明板

Miyakawa宮川東岸(伊勢参宮名所図会)

Img_2339 宮川地区の家並み

Osi御師の手代の出迎え(伊勢参宮名所図会)

Img_2341

茶屋町の道標 【ル-ト地図】の⑤

Img_2345 説明板

「すぐ 外宮江十三丁半 内宮江壱里三十三丁半」だが、今日はここまでとし左折して宮町駅へ向かう。

Img_2349 平清盛幕張松古蹟碑(山田上口駅前) 《地図

治承年間(1177~80)に、平清盛がこの地域を水害から守るため「清盛堤」を築いた。その時に清盛の屯所に張られた幕張の松という伝承。すぐ南の大間国生神社の後方の、土を盛ってやや高くなっている所が、清盛堤の一部ではないかと考えられているそうだ。

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