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2012年2月24日 (金)

伊勢街道③(阿漕駅→松阪駅)

2012年2月7日

阿漕駅(JR紀勢本線)・・・(国道23号)・・・(県道114号)・・・伊勢街道・薬師如来庵跡・・・八幡神社石標・・・結城神社・津八幡宮・・・地蔵堂・松源寺・・・明治天皇八幡町小休所跡碑・・・八幡神社石標・・・藤枝地区・・・香良洲街道追分・思案橋・・・垂水南交差点(国道23号)・・・藤枝踏切(紀勢本線)・・・成就寺・・金剛寺・・南昌寺・・・須賀神社・・・常夜灯・・・加良比乃神社・・・西福寺・・・相川橋(相川)・・・真光寺・・浄誓寺・・・常夜灯・・・高茶屋地区・・・天神橋(天神川)・・・称念寺・・・高茶屋神社・・・(国道165号)・・・高茶屋踏切(紀勢本線)・・・玉造院・・・明治天皇島貫小休所跡碑・・・道標・・・円福寺・・・島貫の松跡・毘沙門堂跡・・・常夜灯・雲出橋(雲出川)・・・(松阪市)・常夜灯・小野古江渡跡碑・・・小野江地区・・本楽寺・・貴船神社・・松浦武四郎生家・・・常夜灯・・金剛寺・・・平五郎橋・・・香良洲道追分・道標・・・月本追分(奈良街道分岐地点)・・・香良洲道道標・・・勅使塚・・・道標・石灯籠・・・常夜灯・道標(中道公会所)・・旧養命寺跡・・・道標・・・的屋跡・・・(国道23号)・・・小津一里塚跡碑・・・旧法導寺跡・・・常夜灯・道標・・・三渡橋(三度川)・・初瀬街道追分・道標・常夜灯・・・市場庄地区・・忘れ井・・・神楽寺・・・(近鉄山田線)・・久米地区・・地蔵・・道標・常夜灯・・・舟木家長屋門・・・柳福寺・・・古川水神社・・・塚本橋(百々川)・常夜灯・・・踏切(紀勢本線)・・・薬師寺・・・大橋(阪内川)・・・松阪商人の館・・三井家発祥の地・・本陣跡・・馬問屋跡・・新上屋跡・・和歌山街道追分(日野町の道標)・・・松阪駅(紀勢本線・近鉄山田線)

  【ル-ト地図】(20.9km)

 松阪城下散策(松阪駅・・継松寺・・御厨神社・・矢下小路・・長谷川邸・・本居宣長旧宅跡・・小泉見庵邸跡・・歴史民俗資料館・・松阪城跡・・鈴屋・・御城番屋敷・・同心町・・松阪神社・・常教寺・・来迎寺・・真台寺・・樹敬寺・・龍泉寺・・松阪駅)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1585 薬師如来庵跡 《地図

平成18年に火災で焼失。

Img_1583 石碑

Img_1593 結城神社

南朝方の忠臣結城宗広を祀る。しだれ梅の名所。

Img_1601 津八幡宮

室町時代、足利将軍が男山八幡宮の分霊を垂水の千歳山に祀った。時代が下り藤堂家の2代藩主高次が鷹狩の時の大雨で雨宿りに使ったのが縁で結城の森に社殿を造営したそうだ。

Img_1603 地蔵堂・松源寺(左) 《地図

今日も雨模様の街道を行く。

Img_1607 地蔵(伝・弘法大師の作)

宝暦の頃(1751~63)松源寺に立ち寄った後、富士参りに向った度会郡の人が富士山中で道に迷っていると旅僧に姿を変えた地蔵に助けられたという伝説があるそうだ。

Img_1610 明治天皇八幡町小休所跡碑

Img_1613 藤枝の家並み

このあたりは遊郭街で、月花楼、桜井楼、旭楼、可祝楼などが軒を連ねていた。今やその面影はなし。

Img_1616 思案橋 【ル-ト地図】の①

遊郭、色街ある所、「行こか、戻ろか」の思案橋ありき。ここは天照大神の妹神の稚日女尊を祀る香良洲神社への香良洲道(左へ)との追分で、「香良洲参らぬは片参宮」といわれた。月本追分の近くで再び伊勢街道に合流する。

Img_1618 欄干

松・扇・梅の浮彫り。「山半 文政六年」と刻まれているそうだ。山半も遊郭の名。

垂水南交差点(国道23号)→藤枝踏切(紀勢本線)を渡る。

Img_1630 成就寺 《地図

左が西行ゆかりの「さる稚児桜」で、埼玉県秩父市には「西行戻しの坂」・日光街道の鉢石には「西行戻し石」、奥州街道白河宿には「宗祇戻しの橋」があり、似たような話が伝わっている。

Img_1631 説明板

Img_1636 須賀神社参道

石段を上って社殿へ。

Img_1637 須賀神社

垂水村の産土神

Img_1639 常夜灯(明和元年(1764))

ここを進んで加良比乃神社へ。

Img_1646 加良比乃神社 《地図

倭姫命が天照大神を奉戴しての遍歴の際、ここに神殿を設けたが、水利が不便だったので樋で水を通したことから片樋宮と称した。左が「片樋宮」の石標(寛保2年(1742))

Img_1644 由緒

Img_1651 旧家

Img_1663 常夜灯(文政8年(1825))

Img_1665 高茶屋地区 

このあたりは桜茶屋と呼ばれ、昭和20年頃まfで数軒の茶店が残っていたそうだ。

Img_1668 称念寺

常夜灯には「十社の森」と刻む。

Img_1674 高茶屋神社 《地図

「十社の森」と称され、伊勢参宮の勅使の休泊所として使われた。

国道165号をくぐり、高茶屋踏切(紀勢本線)を渡る。

Img_1690 明治天皇島貫小休所跡(円福寺手前の左側)

ここは雲津(雲出)宿の本陣柏屋跡で、近くに高札場があり、魚屋・紀の国屋・大和屋などの旅籠があった。参宮線の開通で徐々に宿の灯りは消えて行ったが、昭和の初め頃までは津屋、京屋、大阪屋などが残っていたそうだ。

Img_1716 弥次さんは「十返舎一九」に、喜多さんはその弟子になりすまし、道連れになった南瓜の胡麻汁(かぼちゃのごまじる)の家に案内される。蒟蒻(こんにゃく)を当てて水気を抜く熱い石を料理と間違え赤恥をかき、さらに江戸から本物の十返舎一九がやって来てバレてしまい、嘲笑を背に夜中に出て行くはめとなる。『東海道中膝栗毛』

Img_1694 道標「神明道」

正面は雲出川の土手

Img_1697 島貫の松跡あたり 【ル-ト地図】の②

ここは毘沙門堂跡で、境内の島貫の松は伊勢湾台風(昭和34年9月)の後に枯れてしまった。

Img_1702 島貫の松か

Img_1700 常夜灯(天保5年(1834))

雲出川北岸

Img_1701 説明板

Img_1723 雲出橋(雲出川)を渡る。《地図

左の常夜灯(寛政12年(1800))は、もとは小野江地区への入口の土手に立っていたようだ。昔は橋はなく舟渡しだった。

Img_1725 説明板

Img_1726 小野古江渡(おののふるえのわたし)碑

Img_1727 小野江地区(松阪市)に入る。

正面の屋根は本楽寺

Img_1740 家並み 《地図

渡海屋、柿屋、樽屋などの旅籠が並んでいた。

Img_1741 松浦武四郎誕生地

近くに記念館もある。

Img_1744 説明板

Img_1762 常夜灯(文政7年(1824))

金剛寺の西側の辻

Img_1774 香良洲道道標(文政4年(1821))

「右からすみち」、思案橋で分かれた香良洲道がここで合流する。この先にも合流地点がいくつかある。

Img_1788 月本追分 【ル-ト地図】の③

直進が伊勢街道、右折が奈良街道。道標(天保13年(1842))は伊勢街道で最大のもの。ここには立場や茶屋、煮売屋などが軒を連ねていた。

Img_1781 説明板

Img_1792 道標「右からす道」

曽根原茶屋があり、こわめし、でんがく、さざい(さざえ)の壺焼きを売っていたという。

Img_1795 勅使塚

正面奥に碑が立つ。

Img_1796 説明板

Img_1800 旧家

Img_1801 道標「左さんぐう道」・常夜灯・山神

Img_1805 道標「右さんぐう道」・常夜灯(中道公会所前) 《地図

Img_1817 道標「左からす道」

Img_1819 的屋跡

参宮者相手のからくり的屋、射的、文楽、土産店などがあったようだ。

Img_1825 小野一里塚跡碑(昭和54年) 《地図

「一里塚竜宮橋より南凡そ95メートル」と刻まれているという、よく分からない代物。

Img_1832 常夜灯(明治45年)・道標(大正3年) 《地図

道標は「右松阪及山田□□」・「左津及香良洲□□」。明治26年に参宮線が開通しても白装束姿の参宮者は六軒駅(明治27年開業)で降り、ここを右折し(写真では直進)伊勢に向かったという。

Img_1838 三渡橋を渡る。

初瀬街道との追分で右に道標が立つ。左に常夜灯(文政元年(1818))

Img_1839 初瀬街道方向

道標は「やまとめぐりかうや道」、中世には渡し口が3か所あったため、「三渡」の名がついたという。別名は泪(涙)川。

夜中に南瓜の胡麻汁の家を追い出された弥次喜多は、松阪へ急ぐ夜道で「三渡の藤九郎狐」に化かされたか。『東海道中膝栗毛』

大阪から『暗越奈良街道』→『上街道』→『初瀬街道』でここまで歩いた。

古い家並みが残る市場庄地区に入る。《地図

Img_1712説明板

「しちば」は「いちば」の間違い。

Img_1843 屋号「大坂屋」

Img_1849

屋号「藤音」

Img_1853 往時の街道風情ある家並みが続く。

Img_1858 屋号「山屋」

Img_1859 屋号「米銀」跡

用水桶(左下)にも「銀米」と彫られている。

Img_1866 家並み

Img_1870 旧家

Img_1876 屋号「清遠堂」

Img_1879 屋号「道十」

Img_1877 道標(宝暦元年(1751)・左の家の前)

「忘井之道」でここを左折して忘れ井へ。

Img_1885 忘れ井 【ル-ト地図】の④

左が「別れゆく・・・」の歌碑(『千載和歌集』)

Img_1882 歌碑

Img_1906 説明板

Img_1889 市場庄公会堂

もとは大正7年に建てられた米ノ庄役場。昔の役場の雰囲気を感じさせる建物だ。

Img_1888 説明板

Img_1910 地蔵さん

ここは久米地区の入口

Img_1913 道標「左さんぐう道」・常夜灯・役の行者祠・山神・庚申塔

Img_1922 舟木家(左) 《地図

Img_1928 長屋門

舟木家は南北朝時代から続く名家で、江戸時代には紀州藩から目見得を許されていた。

Img_1943 山神

どこも2体で男女神か?

Img_1953 塚本橋(百々川(どどがわ))を渡る。

常夜灯(嘉永5年(1852))

Img_1958 薬師寺仁王門 《地図

永禄12年(1569)、大河内城を攻めあぐねた信長は和睦の条件に二男・信雄を北畠家の養子にした。その時、信雄が預けられたのがこの寺で、養父の北畠信意との対面の式を行ったのもこの寺という。

Img_1961 本堂

唐様を基調として和様を混入した建物で、承応2年(1653)の建築。薬師如来坐像(平安後期の作)は県指定文化財。

Img_2695 須川屋金物店

大橋の手前

Img_2697 大橋を渡り、松阪宿の中心部へ。 《地図

Img_2701松阪商人の館

江戸期の豪商、小津清左衛門の邸宅を資料館として公開。

Img_2702 三井家発祥の地

三井財閥の基礎を築いた三井高利が生まれ育った家。昭和57年に三井グループにより整備されたが内部は非公開。

Img_2733_2 柳屋

天正3年(1575)創業の和菓子の老舗

Img_2720 本陣美濃屋跡 《地図

松崎屋食堂の前に小さな「本陣跡」碑が立つが、文字が車道を向いているので分かりにくい。ここで本居宣長は浜田藩主の松平康定に源氏物語を講釈した。脇本陣大和屋与兵衛は場所が不明だが、手前の快楽亭あたりとも。

左の美濃屋小路を入ると背割下水が流れている。

Img_2731 背割下水

表通りに面した町屋の裏側に下水溝が流れる仕組みになっていた。中町と魚町の境にもなっている。

Img_2722 馬問屋跡(本陣跡のすぐ先)

この先が新上屋跡。

Img_2726 新上屋跡 【ル-ト地図】の⑤

本居宣長と賀茂真淵の対面の地で、「松阪の一夜」(佐佐木信綱)は教科書にも載っていた。宣長邸の「鈴屋」からは600m位しか離れていない。

東海道浜松宿には賀茂真淵の養子先の梅屋本陣跡、賀茂真淵記念館近くには生家跡があり、石薬師宿には佐佐木信綱の生家がある。

Img_1980 説明板

Img_1983 説明板

Img_1988 追分・日野町の道標 《地図

伊勢街道は直進、和歌山街道は右折。横断歩道を渡った所に道標。

Img_1989 道標

「右 わかやま道」・「左 さんぐう道」

**************松阪城下散策(2月9日)**************

 【ル-ト地図】(松阪城下)

参考:『松阪偉人マップ』(『豪商の道』・『武将の道』・『国学の道』)

Img_2596 松阪駅前

本居宣長が浜田藩主の松平康定に源氏物語を講釈した際に贈られた鈴がモデルだそうだ。『松阪は鈴の町

Img_2709 継松寺

「岡寺さん」と呼ばれ、厄除け観音として信仰されている。

Img_2743 御厨神社

飛鳥時代に内宮の平生御厨の奉祀神として祀られたが、蒲生氏郷が松阪城の鬼門除けとして飯高郡平尾から遷社した。本居家の氏神でもあり、国学者本居宣長は「古事記伝」全44巻を奉納したという。

Img_2739 のこぎり状の家並み(矢下小路) 【ル-ト地図】(松阪城下)の①

松阪城を守るため1町先を見通せない工夫という。「のこぎり状の家並み」は各地にあり、その理由もまちまちのようだが。

Img_2685 長谷川邸 

屋号「丹波屋」の豪商・長谷川家の本宅。

Img_2689 本居宣長旧宅跡 《地図

「鈴屋」(すずのや)は松阪城内へ移築。

Img_2688 説明板

Img_2692 小泉見庵邸跡(本居宣長旧宅跡前)

宣長の親友で、飛鳥、吉野への『菅笠日記』の旅にも同行している。8年ほど前に吉野で宣長がたどった道を歩いたことがある。そして彼の健脚さには驚かされた。今と比べれば昔の人は皆、健脚なのだろうが。

Img_2690 説明板

Img_2675歴史民俗資料館

もとは明治44年建築された飯南郡図書館の建物。

Img_2803「伊勢の壺屋の煙草入」は落語の三題噺の『城木屋』に登場する。

「黒丸子」と「万能千里膏」の看板は池大雅の書。

Img_2793 説明板

Img_2802 壺屋の煙草入の革製の模倣品

本物は擬革紙製でも丈夫で、皮のような風合いを出していたようだ。街道沿いには「壷屋の煙草入」の店がたくさん並び、参宮者の土産として好評だったという。

Img_2798 説明板

Img_2667 松阪城跡

Img_2677 説明板

Img_2656 鈴屋(移築) 【ル-ト地図】(松阪城下)の②

そばに本居宣長記念館がある。

Img_2657 説明板

Img_2643 御城番屋敷の土蔵

松阪城下を警護する「松坂御城番」という役職の武士20 人とその家族が住んだ武家屋敷の土蔵。

左は紀州藩初代藩主徳川頼宣を祀る南龍神社。向い側に公開屋敷があるのに気づかなかった。

Img_2642 説明板

Img_2641 同心町の通り 【ル-ト地図】(松阪城下)の③

紀州藩士の同心および鳥見(御鷹場の管理、密猟の取締り)クラスの紀州藩士60 人余りの役宅が置かれていた。

Img_2640 松阪神社

Img_2637 堀跡(神道川)

松坂城を取り囲むお堀の総延長は2.1 kmといわれている。

Img_2635 説明板

Img_2628 旧家

Img_2622 松阪地区医師会館

Img_2616 川之地蔵

Img_2617 説明板

Img_2606来迎寺鐘楼門 【ル-ト地図】(松阪城下)の④

三井家や長井家・角屋家の菩提寺

釣鐘(貞享元年(1684))は辻但馬守秀種の作。辻越後と辻但馬にはよく出会う。裏門は松坂城の中門を三井家がもらい受け菩提寺であるこの寺へ寄進したと伝えられる。

Img_2603 説明板

Img_2605 説明板

Img_2609 本居宣長の墓(樹敬寺)

標石の左が宣長夫妻、右が長男の春庭
夫妻の墓。

Img_2607 説明板

Img_2597龍泉寺 【ル-ト地図】(松阪城下)の⑤

松阪市で最古の山門があるのだが、境内は工事中で見落とした。

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