大山街道(愛甲石田駅→こま参道入口)
2012年1月30日
愛甲石田駅(小田急線)・・(伊勢原市)・・愛甲石田1号踏切(小田急線)・・国道246号・・・浄心寺・・・石田交差点・旧道・・・(小田急線)・・・長龍寺・・小金塚神社・小金塚古墳・・・(小田急線)・・・白金地蔵・・・歌川橋(歌川)・・・(県道22号)・・・糟屋宿・・普済寺・・道灌橋(渋田川)・・大慈寺・・・大田道灌の墓(首塚)・・・高部屋神社・・・跨道橋(国道246号)・・丸山城址公園・・・下糟屋交差点・旧道・・・東海大付属病院・・・咳止地蔵尊・・せきど橋(渋田川)・市米橋交差点(矢倉沢往還分岐地点)・・・旧道・・・峰岸団地・・・厚木18ガード(東名高速)・・東〆引の道標・・・千石堰用水・・・三所石橋供養塔・・・洞昌院・・太田道灌の墓(胴塚)・・・七人塚・・上粕屋神社・・・台の道標・山王橋(千石堰用水)・・・石倉橋交差点・上粕屋石倉中遺跡(発掘現場)・・・比々多神社①・・・千歳橋・・・易住寺・旧道・比々多神社②・這子坂・・・諏訪坂・・諏訪神社・・・阿夫利神社三の鳥居・・・二つ橋・高札場跡・・・新玉橋(鈴川)・・・加寿美橋(鈴川)・・・阿夫利神社社務所・・・愛宕滝・愛宕橋・・・開山堂・良弁滝・・・旧道・とうふ(豆腐)坂・・・千代見橋・・・こま参道入口・もみじ坂下・・大山ケーブルバス停→伊勢原駅(小田急線)
愛甲石田駅で伊勢原市に入り、西へ大山を目指す。うっすらと雪化粧した大山が少しづつ近づいてくる。石倉橋交差点あたりから徐々に上って這子坂、豆腐坂を過ぎ、こま参道入口に着いた。この先、大山山頂(1252m)の阿夫利神社本社までは春になってから、大山登山を楽しみながら歩くとしよう。
【ル-ト地図】
*『大山街道(女坂→大山山頂→男坂)』へ続く。
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浄心寺 《地図》
本尊は阿弥陀如来を中尊とする三尊像で、阿弥陀如来立像は南北朝時代の作という。どっしりと趣のある茅葺きの山門だ。
小金塚神社 《地図》
相模最大の円墳、小金塚古墳(直径45m、高さ6m)の上に建つ。
ここは荻野道との三叉路
だいぶ近くなってきた。
糟屋下宿の家並み 《地図》
糟屋宿は東から下宿、中宿と上宿と続き、旅籠、問屋、万屋などが並び、大山参詣人や物資の運搬人で賑わっていた。
幕命で北海道へ派遣された僧が帰還後、北辺の地の安泰を祈願して神宮寺(廃寺)に建立。高さは7mを越え、市内最大の石造建築物という。去年の大地震で上部は落下したのか?
道灌の叔父で、鎌倉建長寺の長老の周厳淑悦禅師が法雨山大慈寺をこの地に移して住んでいた。
何となく懐かしさを感じる建物だ。
延喜式内社で、拝殿(慶応元年(1865))は茅葺きの総ケヤキ造りで本殿は五間流造。
丸山城址公園 《地図》
平安時代の終わりから鎌倉時代にかけてこのあたりを支配していた糟屋有季の居館跡と伝える。その後の発掘調査で室町時代後期の資料が多く発見され、15~16世紀に城として機能していたことが確認され、太田道灌が主君の扇谷上杉定正に殺された「上杉館」(糟屋館)という見方も有力となった。
「戸田道」は相模川「戸田の渡し」からの大山道の一つ。大山道道標は耕雲寺に移されている。
「左おふや満みち 右ひなたみち」
願をかけるときは、初めに泥の団子をこねて供え、「咳の病気が治った時は本当のお米の団子をお供えします」と祈り、治った時は本物の団子を供えてお礼参りしたそうだ。初めから本物の団子を供えるべきだろうよ。地蔵さんの力量、功徳を試して、駆け引きしているみたいだ。
渋田川の流れを堰き止めて変え、新田開発を行った所。そこから辻の地蔵が咳止地蔵となった。
橋を渡って市米橋交差点を直進して行くのが矢倉沢往還で伊勢原宿から善波峠、矢倉沢関所、足柄峠へと向かう。右折し少し進み左折して旧道に入るのが大山街道。
旧道に入る。《地図》
「納め太刀」絵入りの大山街道標識が立っている。
東〆引の道標 《地図》
双体道祖神の台石が道標になっている。
「右 い丶やまみち 七五三引村 左 ひなたみち 」、〆引=七五三(しめひき)。
上杉定正の屋敷があった頃、有事に備えて空堀に水を入れるための用水路。
三所石橋供養塔 《地図》
千石堰用水に架かる三所の石橋で、この台久保の石橋と石倉の石橋、川上の石橋であったという。
開基は太田道灌で、開山は崇旭和尚。
太田道灌の墓(胴塚)
前の2本の松の切り株は道灌の四十九日の供養に詩僧・万里集九(ばんりしゅうく)が植えた松と伝え、明治半ばまでは立派な松が2本聳えていたという。
太田道灌ゆかりの地は各地にある。坂だけでも、「道灌坂」(杉並区・横浜市鶴見区)・「道灌山坂」(荒川区)・「山吹坂」(新宿区)・「梅林坂」(皇居東御苑)・「静勝寺の坂」(北区の岩付城址)。
七人塚 《地図》
今は7人のうちの一人の塚が残るのみだが。ここも大田道灌ゆかりの地。
石倉橋交差点 《地図》
右は「上粕屋石倉中遺跡」の発掘現場。このあたりに石倉橋の道標があるはずだが見当たらない。蓑毛・日向越えの大山道を除くほとんどの大山街道はここで合流する。道標には「右 い世原 田村 江ノ島道 左 戸田 あつぎ 青山道 此方はたの道 此方ひらつか道」と刻まれているそうだ。
移設された道標は『大山街道(田村道②)』の最後の方に記載。
昔から安産守護の神として崇められ、柱を削り取って煎じて飲むと安産できると信じられてきた。そのため柱は今ではこのように保護されている。(削り取り禁止の板が貼ってある) 左の柱が男子出産祈願で、右は女子だそうだ。どちらも削り取られて同じくらいの太さになっているから、日本国は安泰か??
廃屋になってしまったか。
這って上るほど、急な坂だったといわれ、この坂で赤ん坊が這っているときに鷲にさらわれたという言い伝えもあるそうだ。
坂沿い左側に諏訪神社がある。近そうで遠い大山だ。
この鳥居は、江戸火消し「せ組」によって建立され、「せ組の鳥居」ともいわれている。ここから上が門前町。
文明18年(1486)、京都の聖護院道興准后(どうこうじゅごう)は東国を廻国の折に大山寺に参詣し、「おぼつかな 流れも分けぬ 川水に かけ並べたる 二つ橋かな」と詠んだ。大山寺に泊まったが、寒くて眠れなかったようだ。『廻国雑記』
ここに高札場があった。
御師(先導師)の「常善坊」の家か。
加寿美橋(鈴川)を渡る。《地図》
まあこんなものだろう。期待はしてなかったが。
堂内の正面に良弁僧正坐像、右には、猿が赤子を抱いた像、左に姥大日如来像が安置されているそうだ。
愛宕滝、大滝、元滝と並ぶ禊ぎの滝の一つ。
夏山祭りなどの暑い盛りに講中が奴豆腐を掌に載せて歩きながら食べ喉を潤したというが、今はまさに寒中、湯豆腐だろうな。
少し下って大山ケーブルバス停から伊勢原駅に出た。
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