伊勢街道⑤(宮町駅→伊勢神宮外宮→内宮→五十鈴川駅)
2012年2月9日
宮町駅(近鉄山田線)・・・茶屋町の道標・・・筋向橋(熊野街道追分)・・・福島みさき太夫邸跡・・小西万金丹・・・須原大社・・月夜見宮・・・伊勢神宮外宮・・・勾玉池・豊川茜稲荷神社・茜天神社・・・旧豊宮崎文庫・・・(近鉄鳥羽線)・・・小田橋(勢田川)・・道標・二見道追分・・・尾部坂(間の山)・お杉お玉碑・・・備前屋跡・・・油屋跡・・・お紺と斉の比翼塚(大林寺)・・(近鉄鳥羽線)・・・長峯神社・・・麻吉旅館・・・寂照寺・・・参宮街道資料館・・・(伊勢自動車道)・・・道標(月読宮)・・・桜木地蔵・・・牛谷坂・・・猿田彦神社・・・宇治浦田町交差点(国道23号)・・・道標(月読宮)・・おはらい町・おかげ横丁・・・宇治橋(五十鈴川)・・・内宮・・・宇治橋・・・旧林崎文庫・・・上田神社・・・月読宮・・・五十鈴川駅(近鉄鳥羽線)
5日目にしてようやく晴れた。終わりよければすべてよし。「伊勢に行きたい伊勢路が見たい。たとえ一生に一度でも」の旅も無事終わり、歩いて京へ向かう弥次喜多と別れ、名古屋から新幹線で帰京した。
【ル-ト地図】
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川は暗渠になっている。欄干の擬宝珠は嘉永2年(1849)のもの。ここは熊野街道伊勢路との分岐点。もともと伊勢神宮は皇祖神を祀る神社で、一般人は参拝できず、熊野詣での通過点、休憩地に過ぎなかったが、御師などの活躍で、伊勢神宮への信仰が盛んになり、険しい道をわざわざ熊野まで行く参詣者も減り、熊野詣もすたれてきたようだ。本来、信仰の道は険しいはずなのだが、安直に流れるのが世の常だろう。この道も熊野本宮からここまで、いずれ歩くことになるか。
福島みさき太夫邸跡 《地図》
ここに広大な屋敷を構えていた御師で、徳川将軍家の祈祷所もつとめたいた。黒門は神宮文庫入口に移築されている。
営業はしていないが。
伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)北御門参道
勾玉池 《地図》
古くからある池と思っていたが、明治2年に造られた人造池だそうだ。
豊川茜稲荷神社(あこねさん)
「赤畝(あかうね)」の社が訛って、「あこね」となり、「茜」の字が当てられた。
お屋根桜は健在のようだ。
この先は尾部坂の上りとなる。
渡って左折するのが『二見道』。
「すぐ二見」で、夫婦岩の二見浦への道。
外宮から上って内宮へ下るので、「間(あい)の山」ともいう。坂上には古市の遊郭(京の島原・江戸の吉原と並ぶ三大遊郭)があり賑わった。
このあたりに、三味線や胡弓をかき鳴らし、参宮者に投げ銭を乞うことで有名だった芸人。
三味線を弾く、お杉・お玉に銭を投げる旅人。弥次喜多が通った時にも、「いにしへのお杉おたまが、おもかげをうつせし女」が三味線を弾いていた。弥次喜多は女の顔に銭を投げるが、上手くよけられる。喜多さんが小石を投げると女はバチで受けて投げ返し、弥次さんの顔へぴしゃりと当たった。「とんだめにあい(間)の山とや うちつけし 石かへしたる 事ぞおかしき」 と痛さをこらえて洒落る。「石かへし」に「意趣返し」を掛けている。
天明年間(1781~88)には70数軒あったという古市遊郭の三大妓楼(油屋・杉本屋)の一つ。その中でも屈指の大楼閣で、桜の間での伊勢音頭総踊りが有名だったという。『古市界隈』
弥次さんは道連れの上方者と敵娼(あいかた)を取り合う。翌朝は、「ふんどしを忘れて帰る朝熊嶽 万金たまをふる市の町」と卑猥に洒落のめして店を出て、旅籠の藤屋に戻り、内宮に向かう。何せまだ外宮、内宮とも参拝してないのだから、偉い!
千束屋は後に貸衣装屋に転じ、伊勢歌舞伎を支えたそうだ。(後述)
ここでの刃傷事件の『油屋騒動』を題材にして、歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」が作られた。
油屋騒動の「お紺と斉の比翼塚」(大林寺)
このあたりは「寒風(さむかぜ)の里」といわれ、『東海道中膝栗毛』は名所として紹介している。
創業200年以上の老舗旅館
「左 あさま 二見へちか道」・「此おく つづらいし」
左端は道標(文化10年(1813))「つづら石道」で、その左側につづら石(葛籠石)と浅香稲荷の小祠があるようだが見落とした。
家康の孫の千姫の菩提寺。千姫はこの地とは縁はないようだが。
「月よみの宮さんけい道」で、月読宮への道標。
山田奉行(伊勢奉行)の時に大岡越前守忠相はこの地蔵を訪れ、江戸奉行に出世したとの伝えから「出世地蔵」とも呼ばれている。
「牛鬼伝説」による坂名。かつて参宮者の多くは、先ほどの「月読宮」の道標で左折し内宮へ向かった。この坂は何度か改修され、文化3年(1806)に「千束屋の主人りと」(坂名の由来となった「牛鬼伝説」も載る)が私財を投げ打って改修され、内宮への近道となるこの坂を参宮者が利用するようになった。間の山の「お杉・お玉」と同様「お鶴・お市」と呼ばれる芸人がいて参宮者から投げ銭を乞うていたという。
今でも直線のけっこうな坂だ。
ストリップの元祖?、アメノウズメ命を祀る。
道標(月読宮) 《地図》
赤福本店(右)
正面は「おかげ座」
橋の上から参宮者が投げた銭を、下で網で上手に受け止めている。弥次喜多も夢中で投げた。「なげ銭をあみにうけつつおうらいの人をちゃ(茶)にする宇治ばしのもと」
今は警備員が監視の目を光らせていて、こんな風な開放的な雰囲気はない。
弥次喜多は宮めぐりの間は、「自然と感涙肝にめいじて、ありがたさに、まじめとなりて、しゃれもなく、むだもいわねば しばらくのうちに順拝おはりて」となる。2人とも性に合わない所は早く切り上げたかったのだろう。
平成5年生まれの大人しい老馬。
旧林崎文庫 《地図》
弥次さん喜多さんはこの後、外宮から京に向かうが、こちらはおはらい町前の道標に戻り、月読宮から五十鈴川駅に出て伊勢街道歩きの終点とした。
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