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2012年2月11日 (土)

大山街道(長津田駅→愛甲石田駅)

2012年1月29日

長津田駅(東急田園都市線)・・・長坂・・・国道246号・・・旧道・・馬の背・・・(すずかけ台駅)・・・こうま公園・・国道246号・・・町田道祖神・・辻地蔵尊・横浜道祖神・・・町田市辻・浜街道(絹の道)交差地点・(町田市)・・・旧道・・・大ヶ谷戸庚申塔・・・日枝神社・・・円成寺・・・五貫目町交差点・五貫目道祖神・・・鶴瀬橋(境川)・(大和市)・・・観音寺・鎌倉街道上の道交差地点・・・大黒天開運神社・大山阿夫利神社御分霊社・・・下鶴間宿・下鶴間不動尊・鶴林寺・・・道標・まんじゅう屋跡・・・日枝神社・・・山王原公園・・・(鶴間駅・小田急江ノ島線)・・・西鶴寺・・・さがみの1号踏切(相鉄本線)・・・(国道46号)・・・赤坂バス停・不動明王道標・・・赤坂・・・望地交差点・(海老名市)・・南坂・・・目久尻橋(目久尻川)・・・石橋供養塔・・・伊勢山自然公園・・・逆川碑・・・国分の辻(堂坂下)・・相模国分寺跡・・・海老名の大ケヤキ・・(現)国分寺・・・音坂(国分坂下交差点)・県道40号・・・海老名中央公園・・・海老名跨線橋(小田急線)・一大縄・・・相模国分4号踏切(相鉄線)・・・旧道・・七曲り・庚申塔道標・・・厚木の渡し跡・・・八大龍王祠・・(あゆみ橋工事中迂回)・・・相模大橋(相模川)・・(厚木市)・・厚木の渡し跡・県道611号・・・烏山藩厚木役所跡・厚木神社・・厚木宿・渡辺崋山滞留の地碑(旅籠萬年屋跡)・・・最勝寺・・・熊野神社・・・旭町4交差点・旧道・・・旧平塚街道碑(富士見町交差点)・・・岡田一本杉バス停・御嶽神社・・・三島神社・・・(東名高速)・・・長徳寺・・・法徳寺・・・法雲寺・・・酒井薬師堂(寅薬師)・酒井の道標・・・岡田交差点(県道601号)・・・酒井前田交差点(国道129号)・・・新宿橋(玉川)・・・片平交差点(小田原厚木道路)・・・玉川橋・・愛甲宿の道標・・・宿愛甲交差点・庚申塔道標・・・大坂・・・愛甲石田駅(小田急線)

  【ル-ト地図】(26.0km)

 青葉区・緑区の坂』(大山街道(市ヶ尾竹下地蔵堂→長坂))の続きです。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0448馬の背を行く。【ル-ト地図】の①

Img_0446大山(左前方・馬の背から)は遥かなり。

Img_0454「こうま公園」に沿って上り、国道246号に出る。

Img_0457町田道祖神(南つくしの郵便局前)

Img_0459辻地蔵堂・横浜道祖神 《地図

Img_0461辻地蔵説明板

Img_0463辻地蔵(元文5年(1740))

もとは『浜街道(絹の道)』(町田街道)と交差する町田市辻(長津田辻)に立っていたのだろう。

Img_0464町田市辻交差点

右から左が「浜街道」

Img_0469大ヶ谷戸庚申塔(文久3年(1863)) 《地図

前を南北に鎌倉道が通っている。

Img_0482五貫目道祖神(安政3年(1856)) 【ル-ト地図】の②

台座の左側面に「右 大山道 左 江戸道」

Img_0481説明板

Img_0487観音寺

武相卯歳観音札所の第1番。境内を「鎌倉街道上の道」が通る。

Img_0500大山阿夫利神社御分霊社・大黒天開運神社

当家とは元新田氏(高下宗家)ということらしいが、よく分からず。「新田義貞公鎌倉進撃路」の地図などが敷地内にあるが、大山阿夫利神社御分霊社に関しての案内板などはない。不思議な一画だ。

Img_0495

Img_0492新田義貞像

Img_0490元新田氏の由来

Img_0494大黒天開運神社

大山参拝者はここで財布を清め、金運にあやかるように祈願したそうだ

Img_0502下鶴間宿 【ル-ト地図】の③

江戸よりおよそ11里で、大山街道沿いに松屋、三津屋、角屋といった旅籠や、染物問屋、居酒屋、餅屋、質屋などの商家があり、家数は122軒でたいそう賑わっていた。宿内の大山道の道幅は4間と広く、交差する八王子道は幅2間で交通の要衝であった。伊能忠敬測量隊も文化13年(1816)3月18日にこの地を訪れ組頭長谷川彦八家に宿泊している。

左は雑貨商の旧小倉家で、「下鶴間ふるさと館」として公開している。前が高札場跡。このあたりは『大和市の坂⑥』にも記事あり。

Img_0509明治4年頃の写真

小倉家(左)・長谷川家(右)、右から3番目が旅籠松屋。

Img_0526旅籠松屋

Img_0527説明板

Img_0524長谷川家

文化13年(1816)に伊能忠敬測量隊が宿泊した。

Img_0534まんじゅう屋跡(右)

渡辺崋山が泊まった旅籠跡。参考:『渡辺崋山と大山道を歩く』 電柱下に小さな道標が立つ。
崋山が家老を務めた三河田原藩城下は、『田原街道②』に記載。

Img_0539説明板

Img_0543日枝神社

この前で東京八王子の滝山城から鎌倉玉縄城をつなぐ滝山街道が交差している。

Img_0558不動明王道標(宝暦6年(1756))(赤坂バス停の所)

塔身に「右神名川道 左江戸道」

この先、海老名駅までは『海老名市の坂②』にも記事あり。

Img_0560赤坂を下る。

Img_0561説明板

お銀さまの墓」は『綾瀬市の坂②』で訪れている。

Img_0568南坂から 【ル-ト地図】の④

大山(左)はまだ遠し。

Img_0569坂下方向

坂下から県道に出て目久尻橋を渡る。

Img_0575石橋供養塔

宝暦7年(1757)の頃、それまでの木橋を大山道で唯一の石橋に造り替えた。その募金活動を勧めた地元の篤志家の重田七三郎を記念する碑。

Img_0582石橋の石

「史跡逆川碑」の所にある。

Img_0577道祖神がなんとか残っている。(伊勢山公園前交差点あたり)

Img_0581逆川碑

Img_0585説明板

Img_0588地図

右上の国分堰で目久尻川から取水し、ここで向きを変えて国分寺跡、船着場跡、国分尼寺跡の方へ流して耕地に注いでいた。

Img_0589国分の辻 《地図

ここ堂坂(正面・藤沢道(鎌倉道))下は、国分宿の中心で高札場があった。国分宿は江戸から14里、鶴間へ2里、厚木へ1里で、かつては村役場、登記所、駐在所などの公共施設があり、海老名村の中心地として賑わった。料亭や旅籠が軒を連ねていたそうだ。今は海老名駅周辺に中心部は移っている。

Img_0597相模国分寺跡

左前方に七重の塔が立っていた。

Img_0592伽藍配置図

Img_0611七重の塔(海老名中央公園内)

実物はこの3倍ほど。

Img_0610説明板

Img_0604海老名の大ケヤキ

無残な姿になってしまったと思ったが、冬で葉が落ちているだけか。

Photo2006年11月10日の写真

Img_0599説明板

Img_0600(現)相模国分寺

Img_0602梵鐘(国重文)

正応5年(1292)、国分次郎源季頼が国分尼寺に寄進したもの。

Img_0601説明板

Img_0603尼の泣き水」坐像(供養塔)

漁師に恋した尼さんの悲しい物語。「八百屋お七」を思い出した。尼さんが処刑されたのは、現在の海老名小学校の上の台地という。尼の泣き水は、昭和40年頃まで流れ出ていたが、周辺に家ができたりして、いつか涸れてしまったそうだ。

Img_0618一大縄の直線道(海老名跨線橋から)

古代の口分田の区画割り、「条里制」の名残り。この付近の海老名耕地の大半も整理され、その東西の基準線が「一大縄」と呼ばれ、大山街道の起源となった。ここから南に「一大縄~五大繩」という地名が残る。

大山は近づいたか。

Img_0620市立図書館前

相模線を渡り直進し、七曲りを進む。

Img_0627庚申塔道標(左)

左側面に「右 大山 此方 江戸道」で、ここを右折する。

Img_0638厚木の渡し跡(海老名側)から相模川、大山。

Img_0639郷土カルタ

Img_0646あゆみ橋は延伸工事中(24年5月31日までとあるがもっと延伸するだろう)で渡れず、下流の相模大橋まで迂回する。右は八大龍王の石碑と祠。

Img_0656厚木の渡し跡(厚木側) 【ル-ト地図】の⑤

Img_0653厚木渡し碑・渡辺崋山来遊記念碑

Img_0654説明板

Img_0661烏山藩厚木役所跡 《地図

Img_0678説明板

Img_0666厚木神社

那須与一も眼病祈願したという、「厚木のお天王様」。

Img_0663由来

Img_0670旅籠萬年屋跡

天保2年(1831)9月22~24日に渡辺崋山が泊まった旅籠。崋山は逗留中、当地の著名人・知識人との交流を深め、厚木の景勝を描いた「厚木六勝絵」を残している。

Img_0679厚木宿説明板

Img_0681厚木宿の写真

Img_0674最勝寺

昔、旅の僧が動かなくなった阿弥陀仏を拝んだところ、村が流行り病を免れたので、宿にした閻魔堂の隣に寺を建立したのが始まりとか。

Img_0682熊野神社

渡辺崋山の「厚木六勝絵」の「熊林暁鴉」図の「熊野の森」も跡形なしで、大イチョウが聳えるのみか。

Img_0683説明板

Img_0684旭町4交差点 

手前角に「きりんど橋」の標柱のあるはずだが見つからず。県道の西側にあるのか。

ここを左斜めに入って行く。《地図

Img_0687旧平塚街道碑 (富士見町交差点)

渡辺崋山の「厚木六勝絵」に「桐堤の賞月」として描かれているというが、今は何の風情もない所だ。往時、八王子道と重なった部分で、平塚へ行くのに利用された。

Img_0688岡田一本杉バス停

樹齢250年という杉の大木は関東大震災で根元が痛み、枯れ死状態となり切り倒されてしまったそうだ。右に御嶽神社の小祠がある。

Img_0691三島神社

Img_0693説明板

Img_0692周辺案内図

三島神社の東の相模川に、対岸の社家と結ぶ「岡田の渡し場」があった。

Img_0708法徳寺

木造聖徳太子立像(室町~桃山時代の作)を安置。

Img_0711壊れた五輪塔?と右は?

ここを右折する。ここに酒井薬師堂に移された不動明王道標が立っていた。

Img_0713法雲寺

木造不動明王立像(12世紀頃の作・神奈川県指定重要文化財)を安置。

Img_0721酒井薬師堂

寅薬師と呼ばれ、寅年の10月10日頃に開帳され、双盤念仏が奉納される。(写真

堂の右前は「酒井の道標」で、もとは先ほど辻に立っていた。不動明王の台座の4つの側面に東・西・南・北と刻まれ、その下にも文字が刻まれているが読めず。西の下には「享保 再建立安永」などとある。酒井村は矢倉沢往還(大山街道)や八王子道などの追分けであった。

Img_0737愛甲宿の道標 《地図

消火栓箱の右の庚申塔の右側面に「左大山道」、左側面に「右あつぎ、江戸青山道」

Img_0744笠付庚申塔道標(宿愛甲交差点左手前の電柱下)

Img_0747笠付き庚申塔道標(天明元年(1781))

「右 大山道」

Img_0748大坂を上れば愛甲石田駅。《地図

自宅から長津田駅までは2時間以上かかり、そしてここまで、途中で道を間違えたりしてけっこうな距離を歩いて疲れた。今日は厚木に泊まって、明日大山の参道下あたりまで歩くとするか。

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