二見道
2012年3月9日
宇治山田駅(近鉄山田線)・・・小田橋(勢田川)・伊勢街道追分・・・(JR参宮線)・・・稲荷社・・・宇治道慈悲地蔵・・・寝起松神社・・・円満地蔵・・・道標・・・清浄坊橋(勢田川)・・・河崎地区・川辺七種神社・吉家稲荷神社・商人蔵・伊勢河崎商人館・・北新橋・・・橋本家・・・六地蔵・庚申塔祠・・・伏見稲荷神社・・・かどや民具館・明治天皇上陸記念碑(二軒茶屋船着場跡)・二軒茶屋餅角屋・・・浜郷交差点・・・勝広稲荷神社・橘神社・・・(国道23号)・・・道標・汐合橋(五十鈴川)・・・地蔵・・・二見神社(姫宮稲荷神社)・・・神宮御園石標・・・三津踏切(参宮線)・・・明星寺・・・高札場跡・庚申塔・・・地蔵・・・天狗岩・・・鳥羽第二踏切(参宮線)・・・(国道42号)・・・二見町・・茶屋庚申堂・亀甲地蔵・・・賓日館・・・夫婦岩・二見興玉神社・・・御塩殿神社・御塩汲入所・御塩焼所・・・二見駅(参宮線)
【ル-ト地図】
二見は倭姫命がこの浦の素晴らしさに二度振り返ったという伝説の地。明治初期までは参宮者が禊をした清浄な浜で、今でも御塩殿神社で作られた塩は外宮へ運ばれる。
冷たい雨の中、伊勢街道との追分の小田橋を渡り、古い家並みの残る河崎地区を通り、二軒茶屋船着場跡から御塩道もたどり、汐合橋、茶屋町、夫婦岩の二見浦から御塩殿神社へ向かう。御塩殿神社では御塩焼固めの神事中で、グッドタイミングだった。
*参考:『みえ歴史街道』・『歴史の道調査報告書(三重県)』
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伊勢街道は直進、二見道は橋を渡って左折し勢田川沿いに進む。
「すぐ二見」
JR参宮線をくぐって行く。
宇治道慈悲地蔵 《地図》
御塩道はこの前を右折し、清浄坊橋を渡り外宮へ向かった。「宇治道」とは「御塩道」のことだろう。
夜泣き、疳虫封じに霊験あり、子供の寝起きがよくなる神社か。 『日光街道』の間々田宿の龍昌寺は寝起不動を祀っている。
こちらは夫婦円満か?
道標(嘉永6年(1853)) 《地図》
「北すぐ外宮山田内宮古市道」
河崎は伊勢湾から勢田川を遡ってさまざまな物資が運び込まれ、「伊勢の台所」と呼ばれていた。川沿いに立ち並ぶ蔵は、川から直接荷物を運び込めるように、川に向かって入り口が開いていた。
河崎地区 《地図》
明治10年創業の履物問屋
約250年前に創業の雑貨問屋、角仙(村田家)の店舗を利用した美容院。
明治中期に建築の白壁の土蔵を利用した喫茶店になっている。
「右 宮川道」・「すぐさんぐう道」・「左 二見神社大湊道」
毎年7月には「天王さん」と親しまれている例祭が行われ、勢田川沿いで花火が上げられる。
北新橋を渡った所。
橋本家(右) 《地図》
ここを右にカーブして行く。
左に旧道に入る。《地図》
かどや民具館(左)・二軒茶屋餅角屋(右) 《地図》
大木の隣に「明治天皇上陸記念碑」が立つ。
船での参宮者はこのあたりで上陸し、茶屋で休憩してから外宮に向かったという。明治5年5月25日に明治天皇も上陸した。
二軒茶屋角屋(創業天正3年(1575))
かつては「角屋」と「湊屋」の二軒の茶屋があった。
左に「御塩道」(みしおみち)に入る。
御塩道の休息所で、ここ以外では御塩を入れた櫃(ひつ)を降ろすことは許されなかった。かつては人力で運んだが、今は自動車輸送で味気ない。
遥か海上から波に乗って寄り来る常世神の依り代の橘が神木であったとも。祭神は不詳というが、『みえ歴史街道』では橘諸兄、『歴史の道調査報告書(三重県)』では「酒造りの神」(具体的な祭神名は記さず)という話があるとする。
県道に出て国道23号をくぐって直進し、汐合橋へ向かう。ここは「通縄手」(とおりなわて)という。左の通村・一色村は明治の初めまでは製塩地帯で、幾筋もの塩焼きの煙が上っていたそうだ。
道標「西 すぐ二見」 《地図》
渡し場跡で干潮時は徒歩渡りだった。かつてはここから左方に御塩浜(御塩殿神社に付属する塩田)が見えたという。《地図》
左は汐合橋、右の橋脚は明治36年に山田~二見間に開通した神都電車の鉄橋の名残り。鉄橋を渡ると「姫宮前」駅があったが、昭和36年に廃線となった。
汐合橋を渡った所。
二見神社 《地図》
もとは姫宮稲荷神社で明治になって数社を合祀した。
伊勢神宮に供える野菜・果樹などを清流五十鈴川の水を用いて栽培しているそうだ。開園は明治32年だが、その起源は古く今から約2千年前だとか。
右に進む。《地図》
阿弥陀如来像(県指定文化財)は現在、明星寺にある。
山田原公民館が大盛庵跡で、後の二見学校の跡だそうだ。《地図》
明星寺 《地図》
木造薬師如来坐像は国指定重要文化財。
高札場跡 《地図》
右奥は自然石の庚申塔7基。
文禄3年(1594)で二見で最古とか。
天狗岩 《地図》
天狗が山から投げたといわれているそうだが。
参宮線・国道42号を渡り二見の茶屋町に入る。
もとは小川に架かっていた橋の石。亀甲模様を地蔵に見立てたのか? 歯にご利益があるという。
もとは伊勢神宮の迎賓館。今は資料館として公開されている。
少し離れているが御塩殿神社に向かう。
御塩殿(みしおどの)神社 【ル-ト地図】の⑥
御塩浜から濃い塩水を汲入所に運び、焼所で荒塩にする。
年2回(3月・10月)、荒塩を焼き固め堅塩にして、御塩道を通り外宮へ奉納する。
ちょっど御塩焼固めの神事が行われていた。若い宮司さんが出てきて詳しく説明してくれた。参拝者は我一人。雨の中、ここまで歩いて来ていい機会を得て疲れも忘れた。
酒素饅頭「旭家」(創業大正2年)
饅頭を買って、駅のベンチでほうばりながら電車を待った。
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