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2012年3月25日 (日)

二見道

2012年3月9日

宇治山田駅(近鉄山田線)・・・小田橋(勢田川)・伊勢街道追分・・・(JR参宮線)・・・稲荷社・・・宇治道慈悲地蔵・・・寝起松神社・・・円満地蔵・・・道標・・・清浄坊橋(勢田川)・・・河崎地区・川辺七種神社・吉家稲荷神社・商人蔵・伊勢河崎商人館・・北新橋・・・橋本家・・・六地蔵・庚申塔祠・・・伏見稲荷神社・・・かどや民具館・明治天皇上陸記念碑(二軒茶屋船着場跡)・二軒茶屋餅角屋・・・浜郷交差点・・・勝広稲荷神社・橘神社・・・(国道23号)・・・道標・汐合橋(五十鈴川)・・・地蔵・・・二見神社(姫宮稲荷神社)・・・神宮御園石標・・・三津踏切(参宮線)・・・明星寺・・・高札場跡・庚申塔・・・地蔵・・・天狗岩・・・鳥羽第二踏切(参宮線)・・・(国道42号)・・・二見町・・茶屋庚申堂・亀甲地蔵・・・賓日館・・・夫婦岩・二見興玉神社・・・御塩殿神社・御塩汲入所・御塩焼所・・・二見駅(参宮線)

 【ル-ト地図

 二見は倭姫命がこの浦の素晴らしさに二度振り返ったという伝説の地。明治初期までは参宮者が禊をした清浄な浜で、今でも御塩殿神社で作られた塩は外宮へ運ばれる。

 冷たい雨の中、伊勢街道との追分の小田橋を渡り、古い家並みの残る河崎地区を通り、二軒茶屋船着場跡から御塩道もたどり、汐合橋、茶屋町、夫婦岩の二見浦から御塩殿神社へ向かう。御塩殿神社では御塩焼固めの神事中で、グッドタイミングだった。

  参考:『みえ歴史街道』・『歴史の道調査報告書(三重県)』

 写真をクリックすると拡大します。

Img_3372 小田橋(勢田川)・伊勢街道追分 【ル-ト地図】の①

伊勢街道は直進、二見道は橋を渡って左折し勢田川沿いに進む。

 

Img_3373 道標(弘化4年(1847))

「すぐ二見」

 

Img_3377 勢田川

JR参宮線をくぐって行く。

 

Img_3383 宇治道慈悲地蔵 《地図

御塩道はこの前を右折し、清浄坊橋を渡り外宮へ向かった。「宇治道」とは「御塩道」のことだろう。

 

Img_3384 寝起松神社 【ル-ト地図】の②

夜泣き、疳虫封じに霊験あり、子供の寝起きがよくなる神社か。 『日光街道』の間々田宿の龍昌寺は寝起不動を祀っている。

 

Img_3387 円満地蔵

こちらは夫婦円満か?

 

Img_3389 道標(嘉永6年(1853)) 《地図

「北すぐ外宮山田内宮古市道」

 

Img_3390 勢田川から河崎地区

 

Img_3392 かつての河崎風景

河崎は伊勢湾から勢田川を遡ってさまざまな物資が運び込まれ、「伊勢の台所」と呼ばれていた。川沿いに立ち並ぶ蔵は、川から直接荷物を運び込めるように、川に向かって入り口が開いていた。

 

Img_3391 説明板

 

Img_3476 案内図

 

Img_3402 河崎地区 《地図

Img_3406 家並み

 

Img_3409 水野商店

明治10年創業の履物問屋

 

Img_3420 雨の通りも風情がある。

 

Img_3428 コワフュール千代

約250年前に創業の雑貨問屋、角仙(村田家)の店舗を利用した美容院。

 

Img_3431 河崎蔵(伊勢まちかど博物館)

明治中期に建築の白壁の土蔵を利用した喫茶店になっている。

 

Img_3436 道標(明治15年)

「右 宮川道」・「すぐさんぐう道」・「左 二見神社大湊道」

 

Img_3452 川辺七種神社 【ル-ト地図】の③

毎年7月には「天王さん」と親しまれている例祭が行われ、勢田川沿いで花火が上げられる。

 

Img_3463 伊勢河崎商人館

 

Img_3480 今崎家

北新橋を渡った所。

 

Img_3481_2説明板

 

Img_3483 橋本家(右) 《地図

ここを右にカーブして行く。

 

Img_3486 橋本家

 

Img_3485 説明板

 

Img_3487 六地蔵

 

Img_3492 左に旧道に入る。《地図

 

Img_3495 かどや民具館(左)・二軒茶屋餅角屋(右) 《地図

大木の隣に「明治天皇上陸記念碑」が立つ。

 

Img_3508 二軒茶屋船着場跡(今は川の駅でかどや民具館の裏)

船での参宮者はこのあたりで上陸し、茶屋で休憩してから外宮に向かったという。明治5年5月25日に明治天皇も上陸した。

 

Img_3510二軒茶屋角屋(創業天正3年(1575))

かつては「角屋」と「湊屋」の二軒の茶屋があった。

 

Img_3512 びやぐら(麦酒蔵)

Img_3515 浜郷交差点

左に「御塩道」(みしおみち)に入る。

 

Img_3521 橘神社

御塩道の休息所で、ここ以外では御塩を入れた櫃(ひつ)を降ろすことは許されなかった。かつては人力で運んだが、今は自動車輸送で味気ない。

遥か海上から波に乗って寄り来る常世神の依り代のが神木であったとも。祭神は不詳というが、『みえ歴史街道』では橘諸兄、『歴史の道調査報告書(三重県)』では「酒造りの神」(具体的な祭神名は記さず)という話があるとする。 

 

Img_3525 県道に出て国道23号をくぐって直進し、汐合橋へ向かう。ここは「通縄手」(とおりなわて)という。左の通村・一色村は明治の初めまでは製塩地帯で、幾筋もの塩焼きの煙が上っていたそうだ。

 

Img_3529 道標「西 すぐ二見」 《地図

渡し場跡で干潮時は徒歩渡りだった。かつてはここから左方に御塩浜(御塩殿神社に付属する塩田)が見えたという。《地図

左は汐合橋、右の橋脚は明治36年に山田~二見間に開通した神都電車の鉄橋の名残り。鉄橋を渡ると「姫宮前」駅があったが、昭和36年に廃線となった。

 

Img_3530 小地蔵

汐合橋を渡った所。

 

Img_3532 二見神社石標

 

Img_3542 二見神社 《地図

もとは姫宮稲荷神社で明治になって数社を合祀した。

 

Img_3539 説明板

 

Img_3543 神宮御園石標

伊勢神宮に供える野菜・果樹などを清流五十鈴川の水を用いて栽培しているそうだ。開園は明治32年だが、その起源は古く今から約2千年前だとか。

 

Img_3544 右に進む。《地図

 

Img_3549 密厳寺跡方向(山田原公民館前から)

阿弥陀如来像(県指定文化財)は現在、明星寺にある。

山田原公民館が大盛庵跡で、後の二見学校の跡だそうだ。《地図

 

Img_3554 明星寺 《地図

木造薬師如来坐像は国指定重要文化財。

 

Img_3571 高札場跡 《地図

右奥は自然石の庚申塔7基。

 

Img_3565 地蔵(高札場跡から南に進んだ左側)

文禄3年(1594)で二見で最古とか。

 

Img_3568 天狗岩 《地図

天狗が山から投げたといわれているそうだが。

 

参宮線・国道42号を渡り二見の茶屋町に入る。

Img_3583 茶屋庚申堂・亀甲地蔵 【ル-ト地図】の④

 

Img_3579 説明板

 

Img_3582 庚申塔

 

Img_3581 亀甲地蔵

もとは小川に架かっていた橋の石。亀甲模様を地蔵に見立てたのか? 歯にご利益があるという。

 

Img_3585 二見町茶屋地区を二見浦に向かう。

 

Img_3615 旅館朝日館

 

Img_3614 賓日館(ひんじつかん) 《地図

もとは伊勢神宮の迎賓館。今は資料館として公開されている。

 

Img_3613 説明板

 

Img_3603 雨の夫婦岩も風情がある。 【ル-ト地図】の⑤

 

Img_3605 日の出の遥拝所で、5月から7月が見頃だそうだ。

 

Img_3610 説明板

 

Img_3616 案内図

少し離れているが御塩殿神社に向かう。

 

Img_3617御塩殿(みしおどの)神社 【ル-ト地図】の⑥

 

Img_3635 由緒碑

 

Img_3629 御塩汲入所(左)・御塩焼所(右)

御塩浜から濃い塩水を汲入所に運び、焼所で荒塩にする。

 

Img_3634御塩殿

年2回(3月・10月)、荒塩を焼き固め堅塩にして、御塩道を通り外宮へ奉納する。

ちょっど御塩焼固めの神事が行われていた。若い宮司さんが出てきて詳しく説明してくれた。参拝者は我一人。雨の中、ここまで歩いて来ていい機会を得て疲れも忘れた。

 

Img_3639酒素饅頭「旭家」(創業大正2年)

饅頭を買って、駅のベンチでほうばりながら電車を待った。

 

Img_3640 二見駅

 

Img_3641 参宮線で松阪に出て、近鉄線で大阪難波に向かった。明日は河内長野から高野街道の続きを歩く。

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