香良洲道
2012年3月7日
阿漕駅(JR紀勢本線)・・・(国道23号)・・・(県道114号)・・・伊勢街道・・・思案橋・香良洲道追分・・・藤方北交差点(国道23号)・・・下相川橋(相川)・天神川・・・国道23号・・・高茶屋小森南交差点・旧道・・・杉縄橋(川関川)・・・(国道165号)・・・雲出地区・・小祠(地蔵・庚申塔)・山神・・浄蓮寺・・常念寺・・雲出神社・・・雲出小南交差点・県道698号・・・香良洲橋(雲出古川)・・・常夜灯・道標・・・道標・・・香良洲神社・・・香良洲公園・香良洲浦・・・香良洲大橋(雲出川)・・・明照寺・・波氐神社・・・かささぎ(鵲)橋・歌碑・・・五社稲荷・海運寺・八雲神社・・・松養寺・・・八雲神社・・・(国道23号)・・・道標・伊勢街道合流地点・・・月本追分・・・(国道23号バイパス)・・・道標・常夜灯・・・六軒駅(JR紀勢本線)
【ル-ト地図】
伊勢街道沿いの追分から香良洲道・伊勢別街道・二見道を歩き、大阪へ飛び高野街道の続きを河内長野から高野山奥の院まで登り、高野山町石道を慈尊院まで下る。そして最後は西高野街道の追分から女人高野の金剛寺までの天野街道を行く。雨、雪、風おかまいなし、7日連続の質より量の坂道散歩としよう。
まずは、「お伊勢詣らば可良須に詣れ、可良須詣らな片参宮」といわれた、天照大神の妹神の稚日女尊を祀る香良洲神社への香良洲道を行く。道沿いは開発されて昔の面影は薄く、あまり面白味のある道ではないが。
*参考:『みえの歴史街道(伊勢街道)』
写真をクリックすると拡大します。
伊勢街道(右)と香良洲道(左)の追分
相川を渡り天神川沿いを進む。《地図》
街道風情などは皆無だ。
国道23号に出て、高茶屋小森南交差点で左に旧道に入る。
旧道といっても何の変哲もないただの道だが。《地図》
杉縄橋を渡り雲出地区に入る。
右に山神と地蔵2体、庚申塔の祠
いぼ取りにご利益ありという。
旧雲出小学校玄関 《地図》
「かんこ踊り」の説明板
文字が薄れ、消えていて読めない。
境内の片隅
味気ない県道を香良洲橋へ向かう。車が少ないのが救いだ。《地図》
昔は舟渡しだった。
ついでにこのアーチもきれいにしよう。正面向うに香良洲大橋。
常夜灯(元治2年(1865))・道標(3基) 《地図》
すべてここに移設されたもの。
右の道標(文政6年(1823))は、「右さんくう道」・「左からす道」。中央の道標(明治2年)は「すぐ からす道」・「右 津みち」・「左 さんくう道」。左の道標は「右 津みち」
道標 《地図》
右の電柱脇に下が埋もれている。
「右 矢野(の渡し)」か?
香良洲神社 【ル-ト地図】の③
平成26年が20年毎の式年遷宮(座)の年。伊勢神宮は来年(平成25年)
伊勢参宮者は香良洲神社へ参拝後は、「五百枝松」・「竜燈松」などの名松が並ぶ白砂青松の景色を楽しみ、香良洲大橋付近にあった矢野の渡しで雲出川を渡り、香良洲道を伊勢街道へと向かった。
香良洲浦(伊勢湾) 《地図》
白砂青松とは昔のお話。
かつては「矢野の渡し」で渡っていた。
「星合の浜」と呼ばれ五主新田が開発されるまでは、ここも白砂青松の浜だったそうだ。 《地図》
「延喜式内波氐神社」の標柱が立つ。
渡った左に歌碑:「鵲の わたせる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける」(大伴家持)
向うは鵲小学校で、七夕祭りには生徒が織姫と彦星になる。
五社稲荷の鳥居・海運寺・八雲神社(左奥の鳥居) 《地図》
八雲神社は北斗七星社が祀られているそうだ。
松養寺の角を右折し西に向かい、八雲神社の前を通り、国道23号を渡って進む。
右に「からすみち」道標。ちょうど1か月前(2月7日)に歩いた所へ出た。左折して伊勢街道を南に進むと、いくつかの香良洲道との追分がある。
ここを右折して六軒駅に向った。《地図》
左に常夜灯と道標。
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