« 伊勢街道④(松阪駅→宮町駅) | トップページ | 香良洲道 »

2012年3月 1日 (木)

伊勢街道⑤(宮町駅→伊勢神宮外宮→内宮→五十鈴川駅)

2012年2月9日

宮町駅(近鉄山田線)・・・茶屋町の道標・・・筋向橋(熊野街道追分)・・・福島みさき太夫邸跡・・小西万金丹・・・須原大社・・月夜見宮・・・伊勢神宮外宮・・・勾玉池・豊川茜稲荷神社・茜天神社・・・旧豊宮崎文庫・・・(近鉄鳥羽線)・・・小田橋(勢田川)・・道標・二見道追分・・・尾部坂(間の山)・お杉お玉碑・・・備前屋跡・・・油屋跡・・・お紺と斉の比翼塚(大林寺)・・(近鉄鳥羽線)・・・長峯神社・・・麻吉旅館・・・寂照寺・・・参宮街道資料館・・・(伊勢自動車道)・・・道標(月読宮)・・・桜木地蔵・・・牛谷坂・・・猿田彦神社・・・宇治浦田町交差点(国道23号)・・・道標(月読宮)・・おはらい町・おかげ横丁・・・宇治橋(五十鈴川)・・・内宮・・・宇治橋・・・旧林崎文庫・・・上田神社・・・月読宮・・・五十鈴川駅(近鉄鳥羽線)

 5日目にしてようやく晴れた。終わりよければすべてよし。「伊勢に行きたい伊勢路が見たい。たとえ一生に一度でも」の旅も無事終わり、歩いて京へ向かう弥次喜多と別れ、名古屋から新幹線で帰京した。

  【ル-ト地図】(15.9km)

 写真をクリックすると拡大します。

Img_2354 筋向橋 【ル-ト地図】の①

川は暗渠になっている。欄干の擬宝珠は嘉永2年(1849)のもの。ここは熊野街道伊勢路との分岐点。もともと伊勢神宮は皇祖神を祀る神社で、一般人は参拝できず、熊野詣での通過点、休憩地に過ぎなかったが、御師などの活躍で、伊勢神宮への信仰が盛んになり、険しい道をわざわざ熊野まで行く参詣者も減り、熊野詣もすたれてきたようだ。本来、信仰の道は険しいはずなのだが、安直に流れるのが世の常だろう。この道も熊野本宮からここまで、いずれ歩くことになるか。

Img_2355 説明板

Img_2366 福島みさき太夫邸跡 《地図

ここに広大な屋敷を構えていた御師で、徳川将軍家の祈祷所もつとめたいた。黒門は神宮文庫入口に移築されている。

Img_2368 小西万金丹

Img_2372 店内

営業はしていないが。

Img_2370 説明板

Img_2378月夜見宮

Img_2384 旧家

Img_2388伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)北御門参道

Img_2391 外宮の正宮

Img_2393 来年は式年遷宮で殿舎も新築中。

Img_2392 説明板

Img_2411 勾玉池 《地図

古くからある池と思っていたが、明治2年に造られた人造池だそうだ。

Img_2409豊川茜稲荷神社(あこねさん)

「赤畝(あかうね)」の社が訛って、「あこね」となり、「茜」の字が当てられた。

Img_2413 由緒

Img_2416 旧豊宮崎文庫

お屋根桜は健在のようだ。

Img_2431 小田橋(勢田川)

この先は尾部坂の上りとなる。

渡って左折するのが『二見道』。

Img_2428 小田橋

Img_2433 説明板

Img_2438 道標

「すぐ二見」で、夫婦岩の二見浦への道。

Img_2444 尾部坂沿いの旧家

Img_2450 尾部(おべ)坂を上る。【ル-ト地図】の②

外宮から上って内宮へ下るので、「間(あい)の山」ともいう。坂上には古市の遊郭(京の島原・江戸の吉原と並ぶ三大遊郭)があり賑わった。

Img_2453 お杉お玉碑

このあたりに、三味線や胡弓をかき鳴らし、参宮者に投げ銭を乞うことで有名だった芸人。

Img_2442間の山伊勢参宮名所図会

三味線を弾く、お杉・お玉に銭を投げる旅人。弥次喜多が通った時にも、「いにしへのお杉おたまが、おもかげをうつせし女」が三味線を弾いていた。弥次喜多は女の顔に銭を投げるが、上手くよけられる。喜多さんが小石を投げると女はバチで受けて投げ返し、弥次さんの顔へぴしゃりと当たった。「とんだめにあい(間)の山とや うちつけし 石かへしたる 事ぞおかしき」 と痛さをこらえて洒落る。「石かへし」に「意趣返し」を掛けている。

Img_2458 坂下方向

Img_2462 備前屋(牛車楼)跡(テニスコート前バス停そば)

天明年間(1781~88)には70数軒あったという古市遊郭の三大妓楼(油屋・杉本屋)の一つ。その中でも屈指の大楼閣で、桜の間での伊勢音頭総踊りが有名だったという。『古市界隈

Img_2435 千束屋で遊ぶ弥次喜多『東海道中膝栗毛』

弥次さんは道連れの上方者と敵娼(あいかた)を取り合う。翌朝は、「ふんどしを忘れて帰る朝熊嶽 万金たまふる市の町」と卑猥に洒落のめして店を出て、旅籠の藤屋に戻り、内宮に向かう。何せまだ外宮、内宮とも参拝してないのだから、偉い!

千束屋は後に貸衣装屋に転じ、伊勢歌舞伎を支えたそうだ。(後述)

Huruiti古市のにぎわい(伊勢参宮名所図会)

Img_2466 油屋跡 【ル-ト地図】の③

ここでの刃傷事件の『油屋騒動』を題材にして、歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」が作られた。

Img_2473 油屋騒動の「お紺と斉の比翼塚」(大林寺)

Img_2471 説明板

Img_2482 長峯神社

このあたりは「寒風(さむかぜ)の里」いわれ、『東海道中膝栗毛』は名所として紹介している。

Img_2480 説明板

Img_2484 麻吉旅館 《地図

創業200年以上の老舗旅館

Img_2492 道標(麻吉旅館前)

「左 あさま 二見へちか道」・「此おく つづらいし」

Img_2486 石段を下りる。

Img_2500 見上げる

Img_2496 石段下から

左端は道標(文化10年(1813))「つづら石道」で、その左側につづら石(葛籠石)と浅香稲荷の小祠があるようだが見落とした。

Img_2517 寂照寺

家康の孫の千姫の菩提寺。千姫はこの地とは縁はないようだが。

Img_2514 説明板

Img_2520参宮街道資料館

Img_2525 道標(明治26年)

「月よみの宮さんけい道」で、月読宮への道標。

Img_2532 桜木地蔵 《地図

山田奉行(伊勢奉行)の時に大岡越前守忠相はこの地蔵を訪れ、江戸奉行に出世したとの伝えから「出世地蔵」とも呼ばれている。

Img_2529 由来

Img_2530 岩に浮彫された3体(4体?)の地蔵。

Img_2533 牛谷坂を下る。 【ル-ト地図】の④

「牛鬼伝説」による坂名。かつて参宮者の多くは、先ほどの「月読宮」の道標で左折し内宮へ向かった。この坂は何度か改修され、文化3年(1806)に「千束屋の主人りと」(坂名の由来となった「牛鬼伝説」も載る)が私財を投げ打って改修され、内宮への近道となるこの坂を参宮者が利用するようになった。間の山の「お杉・お玉」と同様「お鶴・お市」と呼ばれる芸人がいて参宮者から投げ銭を乞うていたという。

Img_2536 坂下方向

今でも直線のけっこうな坂だ。

Img_2539 猿田彦神社

Img_2540 説明板

Img_2543佐瑠女神社

ストリップの元祖?、アメノウズメ命を祀る。

Img_2541 説明板

Img_2544 道標(月読宮) 《地図

Img_2551 おはらい町に入る。 《地図

Img_2549 郵便局もレトロな造りだ。

Img_2553 赤福本店(右)

Img_2556 おかげ横丁 【ル-ト地図】の⑤

正面は「おかげ座

Img_2561 宇治橋を渡って内宮へ。

Img_2563 五十鈴川

Img_2815 橋の上から参宮者が投げた銭を、下で網で上手に受け止めている。弥次喜多も夢中で投げた。「なげ銭をあみにうけつつおうらいの人をちゃ()にする宇治ばしのもと」

今は警備員が監視の目を光らせていて、こんな風な開放的な雰囲気はない。

 弥次喜多は宮めぐりの間は、「自然と感涙肝にめいじて、ありがたさに、まじめとなりて、しゃれもなく、むだもいわねば しばらくのうちに順拝おはりて」となる。2人とも性に合わない所は早く切り上げたかったのだろう。

Img_2574 内宮の正宮

Img_2571 式年遷宮の準備も進行中。

Img_2581 御料馬「空勇号」(アングロアラブ種)

平成5年生まれの大人しい老馬。

Img_2587 旧林崎文庫 《地図

Img_2585 説明板

弥次さん喜多さんはこの後、外宮から京に向かうが、こちらはおはらい町前の道標に戻り、月読宮から五十鈴川駅に出て伊勢街道歩きの終点とした。

Img_2592 月読宮 《地図

|

« 伊勢街道④(松阪駅→宮町駅) | トップページ | 香良洲道 »

「旅行・地域」カテゴリの記事

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/161343/54111574

この記事へのトラックバック一覧です: 伊勢街道⑤(宮町駅→伊勢神宮外宮→内宮→五十鈴川駅):

« 伊勢街道④(松阪駅→宮町駅) | トップページ | 香良洲道 »