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2012年3月20日 (火)

伊勢別街道

2012年3月8日

関駅(JR関西本線)・・・東海道関宿・・・東の追分・伊勢別街道(県道10号)・・・(国道1号)・・・(関西本線)・・・勧進橋(鈴鹿川)・・・鈴鹿駅跡・御厩の松跡・旧道・・・県道10号・・(国道25号)・・・石山観音道石標・・・庚申坂・・庚申塚・・・旧道・・・楠原宿・・明神社石標・・・(県道10号)・・・明神社・(おさよの池)・・・楠原宿・・・県道10号・・・新玉橋(中ノ川)・・・旧道・・畑坂・・・芸濃町資料館・蛭谷道分岐・・・常夜灯・(県道10号)・・・新立寺・・・横山池・・駒越翁顕彰碑・仁王経碑・・・西性寺・・椋本宿・・仏性寺・・椋本神社・・問屋場跡あたり・・東日寺・・椋本の大椋・・道標・・角屋旅館・・・延命地蔵堂・・・仁王経碑・・・豊久野地区・・・(伊勢自動車道)・・・地蔵祠・・・安楽寺・・・中町橋・・・ぜにかけ松・・・向沖橋(中ノ川)・・・窪田宿・・青木地蔵・・汐見坂・・本陣跡・・正福寺・・六大院・・・真楽寺・・・仲福寺・・・(中勢バイパス)・・・窪田常夜灯・・・旧道・・・例禊洲橋(毛無川)・・・一身田踏切(紀勢本線)・・・安楽橋・・一身田寺内町・・専修寺・・慈智院・・黒門?・・寺内町の館・・一御田神社・・常盤小橋・・高札場跡・道標・・黒門跡・常盤橋(毛無川・外濠)・・橋向通り(橋向遊郭あたり)・・・桜橋(毛無川)・・・一心龍王権現・延命地蔵・・・延命地蔵堂・・・(伊勢鉄道)・・・五六橋(五六川)・・・慈眼寺・見初大明神・・・江戸橋2号踏切(近鉄名古屋線)・・・伊勢街道合流地点・・・江戸橋駅(近鉄名古屋線)

  【ル-ト地図】(26.1km)

 関宿東の追分で東海道と分岐し、楠原宿・椋本宿・窪田宿を通り、津の江戸橋で伊勢街道と合流する伊勢参宮道で、江戸時代には「いせみち」・「参宮道」・「山田道」などと呼ばれていた。「伊勢別街道」の名は明治10年以降に使われるようになったという。街道の総距離は約4里26町(5里半とも)というが、ゆっくりと寄り道をしながら1日かけて歩くのにぴったりの街道だ。

  参考:『みえの歴史街道』・『伊勢別街道むかしいま』(佐脇嘉臣)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2971 関宿(東海道)の家並み

どしゃぶりの雨の中、ここを通ったのが2年前の4月12日だった。なんだが懐かしい気がする。

Img_2981 伊勢別街道追分 【ル-ト地図】の①

伊勢神宮一の鳥居。内宮の宇治橋の南詰めの鳥居を式年遷宮の時に移設。ここにあった道標「右さんぐう道」・「左江戸道」、道標「是より外宮十五里」、火袋と屋根の欠けた常夜燈などは町民会館へ移されているそうだ。再びここに戻されるのか?

Img_2983 説明板

鳥居をくぐって伊勢別街道に入る。

Img_2986 勧進橋

たびたび洪水で流失し、勧進により浄財を集めて架けた橋。

Img_2989 鈴鹿駅跡・御厩の松跡・大井神社遺跡碑(駅の井戸とされる清水を神体とした神社) 《地図

Img_2990 説明板(鈴鹿駅跡)

Img_2991 説明板(御厩の松)

Img_2992 ありし日の御厩の松

松喰虫の被害で昭和58年に伐採されてしまった。

Img_2995 小堂内に保存された松の根株。

Img_2998 地蔵祠の前を通って旧道に入る。このあたりは古厩という。

県道10号に出て国道25号をくぐる。

Img_3006石山観音道石標(右) 《地図

今は寺はなく、一帯が石山観音公園になっていて、「石山観音磨崖仏」で有名のようだ。

Img_3010 庚申坂を下る。《地図

左前方が庚申塚。

Img_3011 庚申堂

Img_3013 庚申塔

Img_3018 すぐ先で右に旧道入る。

Img_3020 童子谷城跡(中ノ川の対岸)

「応仁記」の楠原落城はこの城ともいわれるそうだが、調べても分からず。一角に覚順和尚の寿塔と墓石があるそうだ。

Img_3026 楠原宿の家並み 《地図

このあたりは問屋垣内といい、問屋場がある楠原宿の中心地だった。

Img_3028 明神社石標

県道を渡って常夜灯の前を通り明神社に向かう。

Img_3031 明神社

鳥居前を猪よけの電気柵が張ってあり境内に入れず、伝説の「おさよの池」も見られなかった。

伝説:「昔、大雨のたびに池の堤が破れるので人柱を立てることになり、参宮の途中で親とはぐれて迷子になっていた才(又はさよ)という少女を、人柱の生き埋めにしたところ雨も降らないのに大水が出たり病人が出たりと災いが続いたため手厚く供養したという」

昔話『さよが池』、楠原宿の浄蓮寺に覚順和尚の建てた「おさよ」の供養塔がある。

Img_3035 猪の被害がひどいとの話。

Img_3038 楠原宿の街道

かぎ型に曲がって行く。

Img_3042 楠原宿を抜けて行く。

この先で県道10号に出て中ノ川(新玉橋)を渡り、左に旧道に入り、畑坂を上って行く。

Img_3053 畑坂 《地図

坂上には立場茶屋があった。

Img_3055 ここは猿だ。

Img_3059 芸濃町の旧家

Img_3063 芸濃町資料館 《地図

大正5年建築の旧明村役場。老朽化で閉館している。

この前を右折する。東進するのは白子への蛭谷道。

Img_3070 常夜灯道標(安永5年(1776)) 《地図

「右さんぐう道」・「左 京道」、もとは芸濃町資料館の辻にあったようだ。この東側に、大正時代に安濃鉄道の終点の林駅があった。県道は椋本までの間、線路敷を拡幅したものという。

県道を渡り直進する。

Img_3077 中縄地区

かつては老松の並木が300mも並んでいたという。

Img_3082 正面で横山池にぶつかる。

Img_3085 横山池

駒越五良八が私財を投じて慶応2年(1866)に造った灌漑用池。参宮道者はこの堤に上り、旅に出た解放感もあってか声高に百人一首や唐詩選を高吟したりして楽しんだという。

Img_3089 駒越翁顕彰碑・仁王経碑

Img_3091 仁王経碑(文化2年(1805))

村内安全・五穀豊穣・疫病退散のために建てられた。

Img_3098 椋本宿高札場・問屋場あたり 《地図

かぎ型に曲がって行く。

Img_3103 東日寺

横山池で水没した千数寺の地蔵堂が移されているそうだ。三重四国八十八所の60番

Img_3107 椋本宿の家並み

Img_3118 大椋石標

Img_3126 大椋 【ル-ト地図】の②

Img_3127 説明板

Img_3130 玉石垣の間の坂を上って街道へ戻る。

Img_3131 道標 《地図

道標に従いここを左折する。突当りに角屋旅館がある。

Img_3115 道標

「左さんくう道」

Img_3116 説明板

Img_3133 角屋旅館(正面)

Img_3141 角屋旅館

今も営業中。明治初年の頃には20軒ほどの宿屋が軒を連ね遊郭もあった。参宮鉄道開通後も関西方面からの参宮者は関駅で下車し、伊勢別街道を歩き椋本宿に泊まる者が多かったという。

平成25年12月に廃業したそうです。「まるごとみえ」さんから下記にコメントを頂きました。

Img_3134 説明板

Img_3140 伊勢参宮の講札

Img_3143 延命地蔵堂

Img_3147 延命地蔵尊(正徳5年(1715))

Img_3151 ここにも仁王経碑

Img_3153 豊久野地区 《地図

かつては武蔵野より広いといわれた原野が広がり、都にもその名が知られていた。

「とよく野のすゑはるばるとかぎりなく過ぎ行くに 音に聞ゆるむさし野とても 是には過ぎ侍らやなど詠めやり侍るに」・「武蔵野に伊勢のとよくのくらぶればなほこの国ですゑはるかなり」(「室町殿伊勢参宮記」・応永31年(1424)の将軍足利義持の参宮記)、と自慢している。

戦前までは「豊久野の松並木」が続いていた。今は車の往来が多い味気ない道が続く。

伊勢自動車道をくぐって進む。高野尾地区には茶屋、丸屋、花屋、団子屋、ちょうちん屋などの屋号が残る家があるというが見当たらず。

Img_3179 ぜにかけ松 【ル-ト地図】の③

昔、病気になった参宮道者が、旅の半ばで引き返す際、この地の松に銭を結びつけ、松を拝んで立ち去った。別の人がその銭を取ろうとすると、銭が蛇に化けて襲いかかったといわれ、この松に銭を掛けると参宮したのと同じくらいのご利益があるという伝承がある。

銭を掛けた参宮道者は小野篁(たかむら)の妻女という話もある。『銭懸松

Img_3181 初代の松の幹を祀っている。なるほど今も銭が掛かっている。敷地内には若い松が1本?植わっていた。

Img_3180 句碑

可布多かと 松に一声 郭公(ほととぎす)」で、「掛けたかと・・・・」だろう。

Img_3191 青木地蔵(右) 《地図

ここは窪田宿の入口。

Img_3192 地蔵

Img_3202 汐見坂 【ル-ト地図】の④

親鸞聖人が一身田をご覧になったという伝承の坂。往古はここまで海がせまっていたとも。

Img_3197 坂下方向

Img_3210 窪田宿の家並み

Img_3207 廃屋か?壊れかけている。

Img_3212 窪田宿本陣跡 《地図

本陣・問屋・庄屋の三役を兼ねた国府家で、「史蹟 明治天皇窪田小休所」碑が立つ。千年以上も天皇の伊勢神宮参拝はなかったが、明治天皇は関から伊勢別街道を進み参宮した。斎王群行と同様、葱華輦(そうかれん)に乗っていたそうだ。

Img_2151 葱華輦

こんなきらびやかではなかったか。

Img_3224 六大院

本尊は室町期の千手観音像

Img_3228 仲福寺

三重四国八十八所の62番。阿弥陀如来坐像を安置。

 この先を右折して行く。

Img_3236 窪田常夜灯 《地図

振り返って撮影。高さ約8.6mで津市内最大。近江から伊勢神宮へ寄進するために大勢で運んできたが、あまりの大きさに運びきれずここに設置したという。

Img_3234 説明板

Img_3237 旧道は直進し例禊洲橋を渡っていた。今は左へ曲がって紀勢本線の踏切を渡って行く。

Img_3241 例禊洲(れいけいす)橋 《地図

斎王が禊ぎをしたという格調高い名の橋だが今は橋とは呼べない代物。この先の踏切は廃され渡れない。(線路を跨げば渡れるが)

Img_3242 今は斎王群行でなく、たった1輛の紀勢線が毛無川を渡って行く。

先ほどの分岐に戻り紀勢本線を渡り、専修寺のある環濠地区の『一身田寺内町』を巡る。

Img_3261 高田本山専修寺唐門

奥が如来堂

Img_3256 案内図

Img_3279 御影堂前の銅燈籠

伊勢街道沿いの寺にいくつもある辻(越後・但馬)守一族の越後守陳種の作。

Img_3272 説明板

Img_3288 鐘楼

銅鐘は辻越後守重種と氏種の作。

Img_3286 説明板

Img_3293 太鼓門

Img_3294 説明板

Img_3302 慈智院

一身田最古の建築物。

Img_3303 説明板

Img_3304 寺内町の館

Img_3300 黒門?(高田幼稚園) 《地図

『みえ歴史街道 ウォーキングマップ』では常盤橋から移築した黒門という。「寺内町の館」の管理人さんの話では黒門は廃仏毀釈で破壊されたという。もっと立派な門だったという話だった。

Img_3305 一御田神社

Img_3306 常盤小橋

Img_3310 高札場跡・道標(百五銀行の前)

道標(天保8年(1837)) 「右さんくう道」・「右江戸みち」・「左御堂京道」、「」は「並びに」だろう。

Img_3254 説明板

Img_3315 常盤橋 《地図

ここに寺内町の惣門の黒門があり番所があった。これより南側が橋向遊郭のある通りだった。

Img_3316 説明板

Img_3319 外濠

Img_3318 説明板

Img_3321 橋向地区

橋向遊郭、芝居小屋、水茶屋などが立ち並び昭和30年頃まではたいそう賑わっていたそうだ。滝沢馬琴も古市、松阪に次ぐ遊里と評している。

Img_3317 説明板

Img_3338 一心龍王権現・延命地蔵

Img_3339 例禊洲橋を渡った旧道はここへ出ていたようだ。《地図

Img_3343 延命地蔵堂 《地図

Img_3348 延命地蔵

文政9年(1826)に大古曽地区の床下から現れた地蔵という。

Img_3350 大古曽の家並み

伊勢鉄道をくぐり、五六橋(五六川)を渡って行く。

Img_3359 見初大明神 《地図

3年に一度、中野獅子舞が奉納される。

 近鉄名古屋線を渡り、江戸橋駅の東側を南進する。

Img_3368 伊勢街道合流地点 【ル-ト地図】の⑤

常夜灯と道標「高田本山道」が立つ。『伊勢街道』は直進して行く。今年の2月6日に歩いたばかりだ。

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コメント

 ありがとうございます。
修正記事を追加しました。

投稿: 「まるごとみえ」様へ(坂道散歩) | 2015年7月13日 (月) 07:33

津市芸濃町椋本(伊勢別街道沿い)の角屋旅館は、一昨年(25年12月)廃業されました。

投稿: まるごとみえ | 2015年7月12日 (日) 21:33

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